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Episode:1  042 剣聖ジークムント

 月明かりに青白く照らされて、悠然と聳えるヴァルデン砦。


 エディンオルから離れた北の砦は、現世から切り離されたように静まり返っていた。

 かつて魔獣討伐が盛んな頃には、数百もの兵士たちが居並んでいた大広間。砦としての役目を終えている今となっては、衛兵の一人もおらず、ただランプの明かりだけが、その広い空間を照らしているだけだ。


 その大広間に靴を鳴らすひとりの男が居た。

 真っ黒のローブに身を包んだ男は淀みなく歩き、その澄んだ靴音は高い天井にもよく響いて、無骨な砦が長年被っていた静寂のベールを少しずつ剥がしていくような趣があった。


 大広間の中心で男の靴音が止んだ。


「なにか、御用かしら?」

 広間の階段の上から、女の声が響いた。

 男は階段を見上げて声の主を確かめると、緩やかな所作で跪いた。


「御身自ら、御出迎え頂けるとは、光栄の至りで御座います。アンジェリカ姫殿下」

 跪いた男は恭しく頭を垂れて、落ち着き払った様子で言葉を口にした。


「堅苦しい挨拶は要らないわ。何の用かしら。――ジークムント」

 ジークムントは顔を上げた。その表情は微かに嗤っているようだった。


「妙な情報を耳にしまして。聞くところによると、アンジェリカ姫殿下が親衛隊を連れて、城下へお忍びで行かれたとか」

「見ての通り、私はここに居るわ。それで、貴方はそれを確かめに来たのかしら?」

「左様でございます。話が本当ならば、皇子に代わって殿下に諫言(かんげん)すべきかと思いまして」

 淀みなくジークムントは応えた。シェリーはちらりと後ろを見た。後ろに立つ少女はかぶりを振っている。ふっと息を吐くシェリー。


 しかし、安堵した皇女に、威圧的な響きをもったジークムントの声が届く。

「ときに、アンジェリカ姫殿下」

「……なにかしら?」

「先程から、御付の親衛隊の姿が見えませんが、何処へ?」

「わたしの命令で全員出払っているわ」


 その瞬間、空間を押し潰すような圧迫感が広間を支配した。

「そう、ですか」

 跪いていたジークムントはいつの間にか立ち上がっていて、体中から殺気めいた気配を放出している。シェリーの服が背後から引っ張られた。振り返ると、そこには眼を蒼く爛然と輝かせるリリアの顔があった。


「そういうことか」

 そう言いながら、シェリーの隣に甲冑姿のライアンが現れた。


「やはり、意志とそれに伴う『行動』が、脅威の定義だったのだな」

 シェリーを挟むように、同じように甲冑に身を包んだルドルフも姿を現した。


「シェリーさん、危険です。下がっていてください」

 リリアは自らの身をシェリーの前に立たせた。


 大広間を圧迫していた空気が緩んだ。


「……そういうことですか。私は誘い出されたのですか」

 緩く笑いながらジークムントは呟く。

「しかし、待ち伏せしていたのが、隠居した老騎士と、落ちこぼれの騎士だけとは――」

 剣聖ジークムントは剣を抜く。

「――二人がかりなら、何とかなると御思いか」


 ジークムントの体から黒いローブが滑り落ちて、黒色の甲冑姿が露わになった。

 闇に溶け込むことを意図したような黒ずくめの姿だった。


 再び、強烈な殺気がジークムントから放たれた。身体の奥底から湧き上がる恐怖に、シェリーは膝から崩れ落ちた。

 守りの要であるトリシア以下親衛隊を手放すことで、敵の中核を引きずり出す。

 ルドルフの立てた策はうまく嵌ってくれた。しかし最期の一手となる、来た敵を返り討つということが、どうやっても手が届かない程に遠く感じた。シェリーは両隣の騎士をみやった。

 絶望に呑み込まれそうな恐怖の中、シェリーは信じられない光景を目にした。


 二人の騎士は不敵にも――笑っていたのだ。


 ライアンの身体が一瞬沈んだ。そして彼は脚に集約させた全身の力を一気に解放させた。

 短い助走の後、階段上からライアンは跳躍した。空中で抜かれた剣は迷うことなくジークムントへ目掛けて振り下ろされた。

 石床が砕かれる破砕音が響いた。


 渾身の力を込めたライアンの剣は床を砕いただけだった。

 一瞬にして標的は、数歩先の間合いにまでその身を逃がしていた。

 剣を振り下ろした低い姿勢のまま、ライアンは再び床を蹴った。優雅に佇むジークムントに剣を振り上げるが、あえなく空を切ってしまう。


 しかし怯まず、間合いを取ろうとするジークムントに張り付くように追撃を繰り返す。

 ライアンの剣が縦横無尽に舞う。

 それは腕力にものをいわせて乱暴に振り回しているように見えるが、全てが的確に相手の急所を狙う洗練された剣技だった。


 しかし、その全てが空を切った。

 ライアンの眩いほどの連続攻撃を、ジークムントは剣で受けることすらせずに、軽やかなステップだけでかわしていく。一瞬、ライアンの剣の振りが大きくなった。その瞬間、剣聖の手が動く。だが、先んじてジークムントの背後から別の剣が振り下ろされた――剣の主はルドルフだった。


 間一髪、ジークムントは攻撃を放棄して、視認するのも困難な速さで死地を離脱した。

「しっかり仕留めろよ。師匠」

 ルドルフに向かってライアンは言った。

「お前の演技が下手なんじゃ。死ぬ気でやれ」

 ルドルフはにやりと嗤いながら悪態に応えた。


「それで、どうする? あの野郎『剣聖』ってのは本当みたいだぞ」

「奇襲は失敗だったが、戦い方は変わらぬ。お前は攻め続けて、少しでも奴の動きを封じろ。儂がその隙を狙う」

「へっ、俺が死ぬ前に頼むぜ」

 ライアンは剣を構えて前のめりの姿勢をとり、その身に再び殺気を充満させようとした時、微かな笑い声が聞こえた。


「愚かな騎士共だ。敵の目の前で作戦会議とは」

 虚ろな眼で口元だけの笑みを作るジークムント。彼は命のやり取りとは無縁な場所に居るかのような優雅さを纏っている。

「フンッ、お前はその『愚かな騎士共』に討たれるんだよ」

 言い終わるが早いかライアンは突進を開始した。

 ルドルフが迂回しながらジークムントの背後に回り込み、相手を挟み込むよう陣形を取る。二人の騎士は、ジークムントを中心に孤を描くように旋回しながら距離を詰めていく。


 間合いが重なる瞬間、ライアンは動いた。

 右肩に担いだ形からの打ち下ろしが、ジークムントの横に外れた。

 即座に返した剣で切り上げるが、それも避けられた。

 ジークムントの動き終わりに、ルドルフからの突きが飛んできた。しかし胴体を捉えたかに見えた攻撃はマントを貫いただけだった。


 息もつかせぬ連携でライアンたちは、剣聖ジークムントを攻め立てる。

 だが、すべての攻撃は相手の甲冑をかすめることすら許されない。

 砦の広間には、空を切る剣の音と三人の剣士の靴音だけが響いていた。

 荒々しく石床を軋ませるライアンたちとは対照的に、ジークムントは舞踏のように軽やかな足取りで小気味良い靴音を奏でている。

 ライアンの攻め終わりの後、ルドルフからの攻撃が一瞬遅れた。


 その瞬間。

 恐ろしく滑らかに、ジークムントの身体がライアンたちの間を通り抜けた。そして通り抜けざまに放たれた刺突が、二人の甲冑を的確に打ち抜いていた。

 弾かれたように床に倒れるライアン。しかし、すぐさま立ち上がり、再び剣を構えた。


 追撃は来ず、ジークムントは悠然と二人を見ていた。

「師匠」

「騒ぐな、問題ない」

 ルドルフの状態を確認して、ライアンはすぐさま相手に視線を戻した。

 ジークムントは冷笑を浮かべている。口元から殺気に似合わぬ穏やかな声が漏れる。

「悲しいかな、リアンダールの騎士には舞踏の心得が無いと見える。貴殿達のステップは――とても耳障りだ」

 その言葉と共にジークムントの殺気は膨れ上がり、内臓を直接触られたかのような底気味の悪さがライアンを襲った。額の汗を拭いながらルドルフを見た。彼は微かに頷いた。


 ライアンはすぅっと息を吸う。

「ウォォオオオオッッ!!!」

 空間を揺るがすほどの咆哮が広間にこだました。

 それが再開の合図かのように、リアンダールの騎士たちは再び力強く床を蹴った。

 再びライアンが先手を打ち、ルドルフが追撃を狙う形が繰り返される。同じようにジークムントはひらりひらりと攻撃を避ける。



 幾度か二人の攻撃を避けた頃、ジークムントは違和感を抱いた。

 二人の騎士の――特に若い方――踏み込みが浅くなっている。

 先程負わせた傷の所為かとも思ったが、彼らの眼光は鋭くなるばかりで、負傷の影響は見られない。

 老騎士が大振りの打ち下ろしの構えを見せた。ジークムントは背後の空間を確認して、バックステップで避けようとした。その時、階段が視界入った。

 真の目的であるアンジェリカ姫に通じる階段。

 ――愚かな騎士共。

 ジークムントが階段の方へ体の向きを変えた時。



「リリアァァァ!!!!」

 ライアンが吼えた。

 突如、蒼く燃える巨大な炎の塊が空中に出現した。

 それは大きなうねりを伴ってジークムントへ襲い掛かった。


 彼が炎に包まれたかのように見えた時、その身体は忽然(こつぜん)と姿を消した。

 ライアンは炎の着弾点に駆け寄った。そこへリリアも加わるが、彼らの足元には一欠けらの灰も落ちていなかった。


「その女、魔導の使い手か」

 大広間の隅から声がした。

 二人が視線を向けると、そこには無傷のジークムントが立っていた。


 次の瞬間、リリアの眼の前に剣を振り上げたジークムントが出現した。

 ライアンが即座に反応して、リリアに迫る刃を己の剣で受けるが、勢いとまらず肩口の甲冑が砕かれて鮮血が迸った。


 再び剣を振り上げるジークムント。しかし剣が空を切る音とともに、その姿は消えてしまった。ルドルフからの攻撃に気づいたジークムントが、再び長い間合いの先に逃げたのだった。


「ライアンさん!」

「だ、大丈夫だ……。リリア」

 額に浮き出た汗を拭き取り、ライアンは応えた。裂かれた左肩からの出血は、腕を伝って手の先まで滴っていた。

 ルドルフはその様子を一瞥して、広間の隅のジークムントに視線を戻した。


「さて、アレを避けられるとはな……。想像より、数段厄介じゃのう」

 いつになく、老騎士の口調には余裕が感じられなかった。

「まだだ。まだやれる」

「強がっても、その傷、浅くはないぞ」

「へっ、まだやれるって言ってんだろ。それに、次で仕留めるさ」

 そう言ってライアンは、声を潜めてルドルフとリリアに何事かを告げた。


 告げられた言葉にルドルフは口の端を上げた。

「成程、悪くない」

 いつものような鷹揚(おうよう)な口調でルドルフが呟いた。

 ゆっくりとした足音が広場に響いた。ジークムントが悠然と近付いてきている。

 ライアンはルドルフと頷きあって、相手と間合いを取った。リリアはライアンの背に隠れるようにして、後ろにぴたりとついていった。


 二人の騎士は相手を挟み込む位置で剣を構えた。

 ジークムントは微かな笑みと共に、強烈な殺気を放出した。

 口火を切ったのはリリアだった。ライアンの背から飛び出して右手を振りかざした。

 ジークムントは素早く後ずさり、元居た場所には轟音と共に蒼い火柱があがった。

 間髪入れずに少女は手を振るった。蒼い火柱が幾つも立ち上るが、どれも相手の影を焼くことすらかなわない。

 やがて、火柱は列を成して巨大な炎の壁を作り上げ、連なった蒼い光が煌々と大広間の天井を照らした。


 炎の壁を背にしたジークムントの前に、ルドルフが現れた。

 ジークムントは肩越しに背後を見やり、わずかに口角を上げた。


「逃げ道は塞いだ、という訳ですか」

 じりじりと間合いを詰めるルドルフを見据えながら、剣聖は言葉を続ける。

「無駄と言っても聞かぬのでしょうね」

 そこまで言ってジークムントは口をつぐんだ。

 もう一人の騎士が居ないことに気づいたのだ。ジークムントは眼前の老騎士の視線を読んだ。


 老騎士の視線は自分の少し後ろ――炎の壁に向けられていた。

 寒気と共に振り向いた彼が見たものは、炎の壁の中から蒼炎を神々しく身に纏いながら、剣を振り上げて斬りかかる若い騎士――ライアンだった。

 完全に虚を衝かれたが、辛うじて斬撃を剣で受けた。

 しかし、剣と剣が重なった瞬間、ライアンは自らの剣を手放し、空いた両手で両腕を鷲掴みにしてきた。


「やっと捕まえたぜ」

 その言葉でジークムントは全てを悟った。

 体内を氷のような冷たさが突き抜けた。

 ルドルフの剣が背中から貫いていたのだった。


 ジークムントは口から血を吹き出した。蒼い炎の壁は蒸発するように掻き消えていく。

 そして、最後の炎が消えた時、剣聖は床に崩れ落ちた。

 倒れたジークムントはぴくりとも動かない。しかし辛うじて息はあるようだった。

 その身体に向かってルドルフは剣を振り上げる。


「待ちなさい、ルドルフ。止めはいいでしょう。もう終わっているわ」

 隠れていたシェリーが姿を現していた。

 皇女はジークムントを見下ろしながら告げる。


「一つ聞かせて、ジークムント。『剣聖』とまで謳われた貴方が、何故こんな真似を?」

 問われたジークムントは視線だけを皇女に向けた。

「……取り止めさせる為だ」

「取り止める? 私と皇子の成婚のこと?」


「そうだ、全ては皇子の成婚を阻止するためだ。貴方の暗殺はその最終手段だ」

 ジークムントは無機質な声で応えた。

「クロムウェル卿に謀反を起させたのもお前達の仕業か?」

 ライアンが問うた。


「察しの通りだ」

「黒幕は誰? 貴方だけではこんな大掛かりのことは出来ないでしょう?」

「とうに調べはついているのだろう? ダニエラ妃殿下だ。皇子の母親だ」


 予想通りの答えに、シェリーは大きくため息をついた。

「そう、ダニエラ様の為に貴方は……」


 しかし、ジークムントは口元を歪めて嗤った。

「あの女の為だと? あの女などはどうでもいい。アレはただの道具だ」

「道具?」

「そうだ、ただの出世の道具だ。私は婿養子の側近などで終わるつもりはなかった。ましてや、こんな片田舎の王国などまっぴら御免だ。私の野望は帝国そのものだった。それが、こんな騎士どもに……」

 剣聖は戦いの最中では見せることのなかった野卑(やひ)な表情を浮かべた。


 そして、最後に自嘲するように嗤って事切れた。


 シェリーは大きなため息をついた。

「良かったわ。ここにトリシアが居なくて」


 ~~第四章[完]~~

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