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Episode:1  040 ザウスベルク帝国の黒幕

 ヴァルデン砦――。

 かつてエディンオル北部の山々からの魔獣の襲来に怯えていた時代に、魔獣迎撃の前線基地として建てられた砦である。

 数十年もの間、山から降りてくる魔獣を退け続けたその砦は、王国と魔獣との戦いの象徴の一つであった。

 そして、長年に渡る迎撃作戦が功を奏し、魔獣たちが山から姿を現さなくなった後、その役目を終えて打ち捨てられていたのだった。


 その砦の最深部、以前は軍議に使われていた大部屋に幾人か集まっていた。

「もう一度確認するけれど、見つからなかったのね。リリアちゃん?」

 無骨な砦には不釣合いなドレスを着たシェリーが問う。


「……はい。ザウスベルク帝国の方々と、その持ち物に至るまでくまなく見て回りましたけれど、『脅威』の反応はありませんでした」

 問いにリリアははっきりと答えた。


「例の菓子職人の情報は他に無いのか?」

 ライアンが低い声で問う。それにはトリシアが答える。

「ザウスベルク帝国指折りの菓子職人、としか聞き出せなかった」

「ゲルハルト皇子以外に、そいつと繋がっているザウスベルクの重臣とかは居ないのか?」

 ライアンは重ねて問うたが、トリシアは緩くかぶりを振る。

「私もそこを聞き出したかったのだが、想像以上に帝国側のガードが固くてな、黒幕に繋がる情報は皆無だった」


 淡々と答えるトリシアの言葉に、ライアンは思わず舌打ちした。

「帝国側としては、一人の愛国者の暴走ということで片付けたいらしいな」

「どういうことだ?」

「つまり、暗殺を企てた職人は、敬愛するゲルハルト皇子が他国に婿入りするのが気に入らなかったのだ。そして、それを阻止するために、姫の命を狙ったという筋書きだ」

「はぁ? そんな理屈が通るわけねえだろ。絶対、誰かが裏で糸を引いているに違いない。トリシア、お前そんなデタラメな話で納得できるのかよ!」

「私が納得するわけがないだろう!」

 強烈な殺気を発しながらトリシアが吼えた。双眸には獰猛(どうもう)な光が宿っている。


「はいはい、そこ喧嘩しないの。喧嘩しても始まらないでしょ」

 わざとらしく呑気な口調でシェリーが言った。主の気遣いを感じて、トリシアは一つ息を吐いて纏う殺気を解いた。ひとまずは落ち着いた空気を見計らってシェリーが口を開く。

「それにしても『脅威』去って、また『脅威』。この先、この国に迫る『脅威』なんて、永久に無くならないんじゃないかしら?」

「そんなことは無いだろ。お前を暗殺しようした奴――黒幕を暴けば、一件落着だ」


「本当にそうかしら? だって、前にも言ったけれど、『脅威』という定義がそもそも曖昧よね。仮にこの件が片付いたとしても、例えば、どこか他の国がリアンダールへの侵攻を画策しているかもしれないし、どこかで国が滅ぶくらいの魔獣の大群が発生していないとも限らない。今は起きていないかもしれないけれど、これからそれらが起こる可能性は誰も否定できないわ」

「そ、そりゃ、そうかもしれないが」

「そうなったら、ライアン。あなた達の契約ってどうなるのかしら? ひょっとして、ライアンがお爺ちゃんになっても終わらないかもよ?」

 シェリーは悪戯っぽく微笑みながら言った。


「た、確かに、この国に対する『脅威』は無くならないかもしれません――」

 黙っていたリリアが話し始めた。上目遣いの顔には緊張が見える。

「――ですが、終わらない契約、終わらせることの出来ない契約は存在しません。そもそもが、終わりの無い願いを叶える契約は結べないのです。履行できる見込みの無い願い。例えば、この世界が永久に平和であれとか、そういった願いを叶える契約は、結ぶこと自体ができないのです。ですので、ライアンさんの『この国に迫る脅威を打ち払え』という願いは、必ずどこかで区切りがあるはずです」

 そこまで言って、リリアは膝の上の握りこぶしに視線を戻した。

 シェリーは口を尖らせていたが、何も言わなかった。


「つまりは、繋がっているということだな?」

「え?」

「クロムウェル卿が起した謀反の企てと、此度の暗殺未遂。これは、一つの『脅威』として、繋がっているということだな」

「そ、そうですね。恐らくはそうなるかと」

 リリアの返答を聞いて、トリシアは思索に耽るように押し黙った。


 その時、扉が開く音が響いた。部屋に入ってきた男は淀みない足取りで近付いてきた。

「何か良い考えが出ましたかな?」

 男は不敵に笑いながら言った。

「出ねえよ。ていうか、どこ行っていたんだ、師匠?」

「まぁ、儂なりに色々と調べておったのだ」

「その様子だと、何か収穫があったのかしら、ルドルフ?」

 腕組みをしてシェリーが問いかけた。

「まぁ、そうなりますかな」

「もったいぶらないで話して頂戴。こっちは行き詰っているわ」

 両手を広げたシェリーが、白旗を揚げたような声音で話を促した。


「畏まりました」

 腰を下ろしたルドルフはコホンと一つ咳払いをして静かに語り始めた。

「始めに、今回の一連の騒動の黒幕は、ザウスベルク帝国のある人物であると見て間違いないでしょうな」

「ある人物? もう特定しているの?」

「ええ、その人物はザウスベルク帝国のダニエラ妃殿下です」

 その名前を聞いて、シェリーとトリシアが動揺をあらわにする。

「ダニエラ? 誰だそれ?」

 平然と問い返すライアンを、トリシアは射殺さんばかりに睨んだ。

「ダニエラ妃殿下は、ザウスベルク帝国皇帝の第二王妃。そして、私の結婚相手のゲルハルト皇子の……母君よ」


「根拠は、その根拠はなんですか」

 トリシアが鋭い眼光でルドルフに問うた。

「まずは、暗殺を企てた菓子職人。あやつは元々ダニエラ妃殿下のお抱えの職人だった、これでまず一つ繋がる。もう一つ、ジルドとレーゼマイン卿を使って魔獣をけしかけたクロムウェル卿じゃが、クロムウェル卿の娘はザウスベルクの名門貴族に嫁いでおる。そして、ダニエラ妃殿下はその貴族の直系にあたる。これで繋がりは二つだ」

「どちらも、ただ繋がる可能性があるだけですね」

「確かに、これだけではダニエラ妃殿下が黒幕とは断定できぬ。だがここに動機が加われば、この繋がりは無視できぬぞ、トリシア」

「動機? そんなモノは無いでしょう。ダニエラ妃殿下はリアンダール王国に友好的で知られています。此度(こたび)のゲルハルト皇子とアンジェリカ様との婚姻も非常に喜んでいると聞いております。どこに動機がありますか?」

 トリシアは挑発的な熱を帯びた口調で言い返した。しかしルドルフはふっと笑う。


「何が可笑しいのですか」

「待て、熱くなるでないトリシア」

 鋭利な刃物のような表情のトリシアに向かって、老騎士は手をひらひらさせる。飄々(ひょうひょう)とした老騎士とは裏腹に、場には刃物を突き立てられているかのような緊迫感が漂っている。

「トリシアよ、ダニエラ妃殿下はゲルハルト皇子の婚姻を喜んでいる、と言ったな。それは……本当なのか?」

「どういう意味ですか、それは」

「そのままの意味じゃよ。お主の得ている情報は本当に正しいのか? 良く考えて見るがいい。たとえダニエラ妃殿下が心中で此度の婚姻を快く思っていないとしても、そんな情報がリアンダールに届くと思うか?」

「それならばルドルフ様とて同じでしょう。ダニエラ妃殿下の心中を察することなど、貴方にもできないでしょう」

 僅かに動揺しながらもトリシアは反駁する。ルドルフは緩く首を振って応える。

「確かに、遠く離れたザウスベルクの妃殿下の心の内など、儂には読めぬ。だが、情報が幾つか集まれば、推測は可能じゃ」


「なんですか、その情報というのは?」

「なぁに、大した情報では無い。ダニエラ妃殿下は実子であるゲルハルト皇子を、ザウスベルクの次期皇帝にさせたがっていると、帝国内では市民すら知っている情報だ」

 あまりにも簡単な理由に固まるトリシア。だが、すぐに眉間に皺を寄せて反論をする。

「そんなもの、情報というより、ただの噂ではありませんか! そもそも、一国の妃ならば実の子を王にさせたいのは当然のことでしょう。そんなことで、ダニエラ妃殿下を――」

「――まだある」

 ルドルフは落ち着いた口調で告げた。しかし、続きの言葉は出てこずに後ろ頭を掻く仕草を見せた。


「な、なんですか。まだある、というのは、他にも情報があるとでも」

「うむ、あるのじゃが、これをお前さんに話して良いものか……」

 ルドルフは困った顔をしてシェリーを見やった。視線を受けた皇女は一つ息を吐いた。

「ここにきて、出し惜しみは無しよルドルフ。それにトリシア、あなたも落ち着いて話を聞きなさい」

 シェリーはルドルフを見やった。その視線には釘は刺しておいたというメッセージが込められていた。


「少々、俗な話になるんじゃが……。ダニエラ妃殿下には浮名が流れていてな、その相手というのが、例の『剣聖』ジークムントらしいのだ……」

 机に手を叩き付けながらトリシアが立ち上がった。

 彼女の後ろでは、跳ね飛ばされた椅子が派手な音を立てて転がっている。


「トリシア!」

 シェリーが鋭く叫んだ。トリシアは殺気を漲らせてルドルフを睨みつけているが、口を一文字に引き結んで沈黙を守っていた。

「それも、ザウスベルク帝国の市民ですら知っている噂なのかしら、ルドルフ?」

 低く落ち着いた声でシェリーが問う。

 ルドルフはかぶりを振りながらそれに応じる。


「残念ながら、これは噂の段階を越えた、かなり信憑性が高い情報です」

「つまりは、ダニエラ妃殿下としては、ゲルハルト皇子がリアンダールに婿入りすることによって、実子を皇帝にする夢と、ジークムントを同時に失うということね」

「そうなりますな」


「……そんな、そんなものの為に……」

 トリシアは拳を震わせて搾り出すように言葉を吐いた。

「私の暗殺はともかくとして、クロムウェル卿を使って、エディンオルに魔獣をけしかけたのはどういうつもりなのかしら?」

「恐らくは、王都エディンオルが壊滅的な被害を負って、リアンダール王国の情勢が不安定になれば、婚姻どころでは無くなると考えたのでしょうな」


「……それにしても、どうやってそんな情報仕入れたんだ? 帝国にでも行ってきたのか?」

 ライアンは努めて軽い口調で話した。

「さすがに帝国へは行ってはおらぬ。情報屋たちを使ったのだ」

「情報屋? ミックのことか?」

「ああ、今儂が話した内容はやつからの情報だ。だが事がことだけに今回の一件に関しては、ミックだけでなく複数の情報屋――複数のルートを使って裏を取ってある」

 ライアンはほぅと呟いた。隣のリリアも感嘆の表情を見せていた。


「座りなさい、トリシア」

 シェリーは優しい声音で、険しい顔のトリシアに語りかけた。彼女は無言で椅子を戻して腰を降ろした。しかし表情は変わらず険しいままだった。

「それで、黒幕がダニエラ妃殿下だったとして、その目的が私の婚姻の妨害だと仮定して、私たちはどうするべきなのかしら? このままここに閉じこもっていればいいのかしら?」


「そんなの、お前に我慢できる訳無いだろ。それに、なんで俺らの国のお姫様がこんな辛気臭い砦で過ごさなきゃならない? お前は何も悪いことしていないんだぞ」

 口を開いたのはライアンだった。その顔は凛々しく生彩を放っていた。


 シェリーはその顔を眩しそうに見る。

「そうね。例えば、どこかの騎士様が、私を(さら)って駆け落ちでもしてくれないかしら。ねぇ、ライアン?」

 そう言いながらシェリーは、媚びるような視線をライアンに向けた。


 ややあって、皇女の言葉を理解したライアンは慌てふためいた。

「ちょ、ちょっと、お前、な、何を言いだす――」

「冗談よ。バカ」

 冷ややかな目でシェリーは慌てふためく騎士に言い放った。ライアンは拳を握りしめて苦虫を噛み潰したような顔になる。その隣ではリリアが顔を真っ赤にしていた。


「フンッ! お前のようなクズ騎士にアンジェリカ様がついて行くわけがないだろう。ちょっと良いこと言ったくらいで自惚れるな。この自意識過剰のバカ騎士が!」

 ここぞとばかりにトリシアは罵声を浴びせた。どうやら彼女は鬱積(うっせき)した感情の捌け口を見つけたらしい。


「確かにここに籠っていれば、易々と奴等も手を出せないでしょうな。しかし、姫の婚姻は国と国とで決めた、言わば国策ともいうべき事案。ザウスベルクが今回の暗殺を、愛国者の暴走として片付けようとしているのがその証拠。ほとぼりが冷めれば、ザウスベルク側は予定通りに姫と皇子の婚姻を決行しようとするでしょうな。守っていても限界があるとすれば……」

 そこまで言ってルドルフは言葉を切った。


「とすれば、何? 何か策があるのかしら?」

「策、というより、賭け、に近いですがな」

 一同は固唾を呑んで、老騎士の次の言葉に耳を傾けた。


 無機質な石床に派手な音を立てて椅子が転がった。

 転がったのはまたしてもトリシアの椅子だった。

「断固反対です! そんな策など、この私が断じて許しません!」

「トリシア、落ち着いて」

 シェリーは宥めようと声を掛けるも、トリシアの憤激(ふんげき)は収まらない。


「こんなものは賭けすら通り越して、ただの自殺行為です! ルドルフ殿、貴方はその賭けにつぎ込むものの重さがわかっておりますか!」

「もちろんだ」

「わかっておきながら、よくも臆面(おくめん)も無く、そんなことを!」


「落ち着きなさい! パトリシア!」


 シェリーの可憐な唇から発せられたとは思えない鋭い声が空間を貫いた。

 聞く者全てに畏敬を抱かせる美しくも鋭い声は、トリシアには特に効果絶大だったようで、彼女は金縛りにあったように固まってしまった。


「トリシア、冷静になりなさい。そして良く考えなさい。ルドルフの言ったように、このままここに籠っていても状況は好転しない。そして、今ここには彼が提案した策以外に手立ては無いわ」

 シェリーは諭すようにゆっくりと告げた。その声音に溶かされるようにトリシアの硬直は少しずつ緩んでいく。


「し、しかし……」

「貴方の忠心と立場は理解しているわ。でもね、今ここで動かなければ、私はずっと怯えて過ごすことになるの。それはあなたも本意では無いはずよ」


 トリシアは黙って耳を傾けていた。両手の握りしめた拳は震えている。

「信じるのよ、トリシア。貴方だけで背負い込まないで」

 トリシアが顔を上げると、ライアンと目があった。

 ライアンは眼を逸らさずに眼差しを受け止めた。

 暫しの沈黙の後、トリシアは肩の力を抜いて息を吐いた。

 そして、シェリーの方へ向き直り、跪いた。


「畏まりました。仰せのままに」


 静かな部屋にトリシアの声が響いた。その声には確固たる決意が込められていた。



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