Episode:3 041 奇跡の逃走と追撃②
もう一つの戦い、ライアンとガイゼンは一進一退の攻防を繰り広げていた。
ライアンは鋭い攻撃を繰り出すのだが、ガイゼンが鉄甲で防ぐ。
そしてライアンの連続攻撃の終わりを狙ってガイゼンの拳打が襲いかかる。しかし、ライアンもそれを間合いをとってかわす。お互い細かい傷は与えるもの、致命打どころか強打すら命中しない。
間合いを取ったライアンは額の汗を拭った。
「おい、いつまでちまちまとやるつもりだ。このまま時間が経てば、不利になるのはお前だぞ」
ライアンの言う通りであった。時間が経てば中立兵団が援軍にくる可能性がある。それに対して味方がいないガイゼンが不利になるのは判然としていた。
ガイゼンが構えを解く。
「問題ない。お前を理解するのに、少々時間を食った。だが、もう終わりだ」
ガイゼンはそう言って、小瓶を取り出した。中には茶色の液体が入っている。
彼は蓋を開けてそれを飲み干した。投げ捨てられた小瓶が音を立てて転がった。
「フゥ」
息を吐きながら、ガイゼンがごきっと首を鳴らす。
そして彼の様子に変化が現れた。
大きな眼を更に大きく見開き、額には何本も青筋が浮かぶ。そして一番の変化は身体に現れた。服の下の筋肉がメキメキと音を立てて、肥大化していったのだ。元々の筋骨隆々の身体が更に膨れ上がれ、奇跡監査官の制服ははち切れんばかりだった。
その異様な姿、漂ってくる異様な殺気に、ライアンの警戒心が跳ね上がる。
ガイゼンがおもむろに腕を振り上げた。
そして振り上げた拳を背後の壁に叩きつけた。
すると、強烈な衝撃音とともに、レンガで出来た壁の中央に拳がめり込み、壁中に亀裂が走った。人の力とは思えぬその威力にライアンは戦慄する。
「魔法、ってわけじゃなさそうだな」
ライアンの動揺を喜ぶようにガイゼンが不敵にわらう。
「ある意味、魔法といえば魔法だ」
「魔法がかけられた薬ってとこか」
「詳しい説明は不要だ。お前はじきに死ぬのだから」
瞬間、予備動作が一切なしにガイゼンの身体が動いた。彼の身体は左の壁に横っ飛びして、そのまま壁を蹴り、ライアンへ向かってきた。
辛うじて反応するライアンは飛び退る。元いた空間をガイゼンの拳が空を切る。その空間を裂くような音は拳の威力を物語っていた。
ガイゼンからの追撃が来る。拳に加えて蹴りを混ぜた連続攻撃。
受けることはできない。そう判断したライアンは回避に徹する。巧みなステップと上半身の捻りによって紙一重で避けていく。
胴体を擦過するように拳が通り抜けた。ライアンは次の攻撃に備えて距離を取ろうとする。しかし、彼の身体がガクリとバランスを崩した。
「!」
胴体の横を通り抜けたと思っていたガイゼンの拳。
それがライアンの上着の裾部分を掴んでいた。
次の瞬間、大きな岩をぶつけられたような衝撃がライアンを襲う。全身が軋む音が聞こえて、ふっ飛ばされた。ガイゼンの渾身の力を込めた体当たりをまともに喰らったのだ。
受け身をとることもできずに地面に叩きつけられたライアン。うめき声を漏らしながら、地面でもがく。
ガイゼンがライアンへと悠然と近づいていく。
すると、その戦いの場に黒づくめの少女――リリアが現れた。
「ライアンさん!」
リリアがライアンに駆け寄る。
「だ、大丈夫だ……リリア」
リリアに支えられて、ライアンは何とか上半身を起こす。
ガイゼンは足を止めてその二人の様子を眺めていた。
彼は眉を寄せて二人を注意深く見ている。
「剣士、ライアン……黒衣の少女、リリア……」
ぼそりと呟いたガイゼン。すると彼の眼が大きく開いた。
「そうか、私としたことが、ようやく思い出した。貴様らアイゼンフェルの……成る程、そういうことか」
襲ってこないガイゼンを怪訝に思いながら、ライアンは立ち上がる。
「なんだ、何を一人でぶつぶつ言ってやがる」
ガイゼンがこちらをじっと見据える。
「セシル・フォーベールが言ったのは嘘だな。その女が使ったのは、魔法なのではなかった。あれは契約の力。そうだろ? ――――悪魔の少女よ」
ガイゼンの最後の台詞、ライアンたち二人に驚きが走った。
「……何を言ってやがる」
「とぼけるな。貴様ら、錬金術師の街のアイゼンフェルを騒がせたらしいな。その悪魔の名前は確かリリア。そしてその下僕の剣士はライアン」
「どうして、それを……」
ライアンの言葉に、ガイゼンはふんと鼻を鳴らす。
「私にも運が残っていたらしい。まさか悪魔に遭遇できるとは。なんたる幸運!」
「へっ、不運の間違いだろ。お前、相手は悪魔だぞ? 勝てると思っているのか」
「こけおどしだ。貴様らの願いはおそらくは内戦の終結だろう。それが叶った今、私に力を発揮できるのか? 悪魔は契約以外には力を使うことはできない」
「……試してみるか? おい、リリア」
ライアンはリリアに目配せする。
しかし、リリアからの反応は無い。
「……ラ、ライアンさん、さっきから力を出そうと試しているのですが、上手くいきません」
「どういうことだ? アイツは内戦の元凶だ。充分排除の対象になるだろ?」
「……あの人は確かに真王国軍を立ち上げさせて内戦を煽りました。しかし、覚えていますか? セシルさんの願いを」
「セシルの願い? ……西軍と東軍の内戦を……」
「はい、セシルさんの願いは、西軍と東軍の内戦の終結です。ですから真王国軍を立ち上げさせたことは契約の障害になりません」
「チッ、そういうことか」
ライアンはガイゼンを睨んだ。
ガイゼンは口元に薄笑いを浮かべている。
「残念だったな。……さて、おしゃべりは終わりだ。そろそろ終わらせてやる」
「へっ、それだけ悪魔に詳しいなら知っているだろ? 悪魔は殺せない。お前に攻撃は出来ないが、お前の攻撃も無駄だ」
「馬鹿が、殺せなくとも、動けなくする方法ならいくらでもある。四肢を潰して首を土産にしてやる」
そう言うと、ガイゼンの殺気が膨れ上がった。
その姿は人を超えてまるで魔獣のような禍々しさであった。
ガイゼンが膨れ上がった脚に力を込めて、地面を蹴ろうとしたその時――。
「――やれやれですね」
どこか気の抜けた、飄々とした声が聞こえた。
声は頭上からした。ライアンが見上げると、壁の上から人が飛び降りてきた。
その人物を見てライアンは叫ぶ。
「フランツ!」
軽やかに着地したフランツは、慣れた手つきで丸眼鏡の位置を直す。
彼はライアンの方を一瞥すると、ガイゼンの方を向いた。
「お久しぶりですね。ガイゼンさん」
ガイゼンは突然現れたフランツに驚いている。
「……お前、フランツ、どうしてここに」
「どうして? もちろん、神意使役存在――『天使』の調査ですよ」
「……天使はこの私の調査対象だ。お前の手は必要ない。それよりもそこに本物の悪魔がいる。そちらの対応を優先したまえ」
フランツはリリアの方を一瞥する。しかし、すぐにガイゼンへと視線を戻した。
「やれやれ、そんな戯言がまだ通じると思っているんですか? 私が背中を見せた途端、縊り殺すのでしょう?」
フランツの眼鏡の奥が鋭く光る。彼の警戒心はガイゼンへと向けられている。
「何だと? 何を言っている、フランツ」
「もう、色々とバレてますから、観念して下さい。ガイゼン上級奇跡監査官」
「バレているだと?」
「ええ、天使が降りてきた目撃証言も、天使が現れた村も、そして夢に天使が出てきたという証言も、全て貴方の仕込みだったことが判明しています。誰も思いも寄りませんでした。まさか、上級奇跡監査官が天使を捏造するなんてね」
「…………」
「それともう一つ。こっちの方が重大ですが、ガイゼンさん、貴方は聖サタナーク教団の使徒ですね?」
ガイゼンの眉がピクリと動く。
「聖サタナーク教団? あの悪魔教団か。バカバカしい、何を根拠に」
「貴方は先程、こちらのリリアさんを悪魔だと断定しましたね。それは何故ですか?」
「何故だと? アイゼンフェルの事件についての報告を思い出したからだ。そもそも、報告をまとめたのはお前ではないか」
「そうです。あの街の事件は私が報告しました。ですがね、私は書いていないのですよ――――悪魔のことなんて」
ガイゼンの口元が引きつり、フランツを睨む眼光が鋭くなる。
「確かに不思議な二人組としてライアンとリリアさんのことは書きましたが。けれど、悪魔とは一言も書いていない。では、何故貴方は悪魔だと連想できたのか? それはあの使徒、アイゼンフェルのラルハザールからの報告があったのでしょう? 彼が捕まる前日にどこかへ封書を出した記録がありましたからね。そこには書いてあったのでしょう。アイゼンフェルに悪魔が現れたことが」
それまで黙って聞いていたライアンが思わずぽつりと呟く。
「……あの野郎が悪魔教団の使徒……」
「ええ、そうです。いくつかの推理を結びつけただけに過ぎませんが、恐らく当たっています。でなきゃ、奇跡監査官があんな姿になんてなりませんよ」
フランツはガイゼンの身体を指差しながらいった。
そこには極限まで肥大化させて筋肉を纏って、禍々しい殺気を放つガイゼンの姿。
ガイゼンが目を閉じてゆっくりと息を吐く。
「フランツ、話は終わりか?」
ゴキッとガイゼンが拳を鳴らす。
「ライアン、来ますよ」
「またお前と、悪魔教団かよ……」
「一人でやるよりはマシでしょう」
「まぁな。……リリア、危ないから下がっていな」
リリアはそう言われて物陰へと避難する。
フランツは拳を構えて腰を落とす。ライアンは低い体勢で剣を構えた。
ガイゼンが魔獣のような獰猛さを全身から吹き出しながら襲いかかってきた――。




