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Episode:3 029 聖女の奇跡③


 真王国軍に兵士が新たに加わったが、平原の中心からセシルは動こうとはしなかった。


 右手にたなびく紋章旗を持ち、前をじっと見つめている。


 そこへライアンが近づき、周囲の兵士に気づかれないように小声で話しかける。


「セシル、想像以上にやれている。聖女そのものだ。だが兵士が加わった以上、もう泣き言を言うことはできないぞ。いけるか?」


 セシルは微かにライアンへ顔を向ける。


「だ、大丈夫です――」

 一瞬だけ不安げな表情を見せるセシル。

 しかしすぐに前へ向き直り、唇を引き結ぶ。


「――やるしかありません」


 力強く言う彼女の横顔にライアンは見入ってしまった。見るものを引き込んでしまう、そんな凛々しさがその横顔にはあった。


 そこへ甲冑を鳴らしながら、兵士が近寄ってきて跪く。


「聖女セシル! 東の方角より、大軍が押し寄せてきました!」


「東軍ですか?」


「青の紋章旗を確認しました。東軍で間違いありません!」


 セシルの問いに兵士は答える。


 そしてその報告通り、ほどなくして平原の東の方角に青の大軍が姿を現した。


 平原を染める青の軍勢の進軍は、海から押し寄せる津波を連想させた。


 東軍は横方向に伸びた陣形でもって、真王国軍を半円状に囲むように陣取る。


 それを見たリリアがライアンの横で呟く。


「突っ込んできませんね」


「ああ、慎重だな。西軍の兵士がいるから様子を窺っているのかもしれない」


 何とか人の姿が視認できる距離で、東軍と真王国軍は睨み合う形となっていた。


 すると東軍の半円状の陣形の中央で、一人の司令官らしき騎兵が右手を上げているのが見えた。それを合図に騎兵でも歩兵でもない兵士たちが何人も陣形の前に出てきた。それは大きな弓を持った弓兵であった。


 司令官の兵士の右手が振り下ろされた。


 突如として、半円状の陣形から上空に向かって無数の矢が放たれた。


「チッ、問答無用かよ! セシル、リリア来るぞ、空からだ!」

 ライアンが叫ぶ。


 その言葉通り、上空へ向けて放たれた矢は、放物線を描いて矢の雨と変わる。


「リリアさん、吹き飛ばすと流れ矢が東軍に当たります。全てを燃やし尽くして下さい」


 セシルは空を見上げながら落ち着いた口調で言う。そして空に向かって広げた手のひらを突き上げた。



 次の瞬間――。


 空を埋め尽くす矢の雨が一斉に燃え上がった。


 灰すら残さず矢は燃え尽きていく。曇天の空に灯る無数の炎は、まるで空全体を覆う花火のようであった。


 真王国軍の兵士のみならず東軍の兵士たちも、その戦場に似つかわしくない美しい光景を驚愕の顔で見上げていた。


 東軍の司令官が何かを叫んでいるのが聞こえる。


 それを合図にして、第二射が放たれた。再び矢の雨が空を埋め尽くす。


 しかし結果は同じであった。矢は一本たりとも真王国軍には届かず、空中で燃え尽くされていった。


「ライアンさん、リリアさん、近づきましょう。馬を二頭お願いします」


 セシルはライアンたちと、後ろの兵士に告げた。


 兵士はすぐに二頭の馬を連れてきた。一頭にセシルが一人で跨がり、もう一頭にはライアンとリリアが乗る。


 セシルはゆっくりと馬を前に進ませ始めた。


 リリアを前に座らせて手綱を握るライアンは、鞍上でリリアに尋ねる。


「なぁ、リリア。セシルが馬に乗れているのは、お前の力か?」


「い、いえ、私は、真王国軍への攻撃を防いでいるだけで、そんなことには干渉していません」


「そうか……」

 ライアンは淀み無く馬を進めているセシルの後ろ姿を眺めながらそう言った。




**************



 東軍の司令官の顔が視認できる所でセシルは馬を止めた。


「東軍の兵士の皆さん――」


 西軍へ語りかけた時と同じように、セシルの澄んだ声が戦場に響き渡る。


「私は聖女セシル。私たちに戦う理由はありません。我ら真王国軍はあなた方を迎え入れる用意があります。この国の本当の平和を望むのなら、どうか無駄な抵抗はやめて私にお任せください」


 優しい響きの声に東軍の兵士たちの中でどよめきが起こる。てっきり敵の将が宣戦布告に来たかと思ったのに、平和の為と言いながら投降を促しているのだ。驚くのも無理は無い。


「何を言うかと思えば小賢しい! 我らが貴様のような小娘に従うわけが無いだろう。奇妙な術など使わずに、正々堂々と戦え!」


 東軍の司令官は剣の穂先をセシルに向けて唾を飛ばして言う。


「何度でもいいます。私たちに戦う理由はありません。東軍、西軍、すべての兵士が真王国軍となれば、この国の内戦は終わります。私と神を信じて武器を捨てるのです」


 自身の言葉が無視されたことに東軍の司令官は歯噛みする。


「おい! お前! あの女を射れ! 胸に矢を突き立てろ!」


 司令官は近くの弓兵に怒号を飛ばす。しかしその弓兵は眉間にシワを寄せ、セシルを凝視していて動かない。


「おい、聞こえないのか!」


 弓兵は叫ぶ司令官に視線も向けずに、前へ進み出る。そして彼の手からは弓がこぼれ落ちた。武器を手放した手をだらりと下げたままセシルの方へ近づいていく。


「……聖女セシルといったか。本当にこの国の内戦を終わらせるのか? 信じていいのか?」


 その言葉にセシルは慈愛の笑みを浮かべる。


「無論です。神に誓って、この国に平和をもたらします。どうか神の御心に身も心も委ねて下さい」


「お、俺には年老いた母がいる。母を残して死ぬのは嫌だ……」


「お母様にお伝え下さい。もう戦場には行かなくてよいのだと」


 兵士の瞳から涙が溢れた。彼は膝から崩れ落ちる。


「俺を真王国軍に入れてくれ! この国を平和にしてくれ!」


 その兵士の姿を目にして、司令官は憤怒に顔を染める。


「貴様! よくも私の前で離反の言葉を口にできるな!」


 司令官は兵士に近づいて剣を振り上げる。



「おやめなさい!」


 セシルの口から苛烈な声が飛んだ。


 その言葉に射すくめられて司令官の剣が止まる。そして彼は金縛りにあったように動けなくなり、馬の背に突っ伏して気絶してしまった。


 その光景にまたして東軍の兵士たちはざわめく。


 すると、あちこちで剣や弓が地面に落ちる音がし始める。


 そして無手となった兵士たちはぞろぞろとセシルの前へと進み出た。


 彼らはセシルに近づくと、一人また一人と恭しくひざまずいていく。


 またしてもセシルの前に多くの兵士が頭を下げる光景が繰り広げられた。


「歓迎します。新たなる新王国軍の兵士たちよ」


 セシルの柔らかな声が響いた。



**************




 セシルは新たに加わった兵士を引き連れて馬を進める。

 平原の中心に敷いた陣へと戻ろうとしていた。

 すると一人の騎兵がセシルの背後に近づいてきた。


「聖女セシルよ」

 騎兵はセシルの背に声をかける。


 セシルが振り向くと、騎兵は突如として胸元からナイフを取り出した。


「死んでもらう!」

 凶刃がセシルの首元に迫る。


 しかし――ナイフは青い炎に包まれて消失した。騎兵は手元からナイフが消えたことに驚愕する。彼のその顔を見ながらセシルは微笑んだ。


「まだ、やりますか?」


 騎兵は青ざめて、馬を翻して逃げ去っていった。そして、それを見ていた幾人かの兵士たちも同じように逃げ出してしまった。


 セシルの傍に、リリアとライアンを乗せた馬が近づく。


「大丈夫か、セシル?」


「え、ええ、助かりました。リリアさん、有難うございます」


 ライアンの言葉にセシルは答えた。ナイフを消し去った炎は、リリアが悪魔の力を発揮したのだとセシルは気づいていた。


「しかし、予想通り、信じるフリをする奴が現れたな。セシル、新しい兵士とは少し距離を取った方がいい。リリアの力が間に合わないこともある」


 ライアンはそう言うが、セシルは首を振る。


「私は、兵士の皆さんに私を信じて下さいと言いました。そんな私が兵士の皆さんを信じずに、本物の絆などは産まれません」


「だけどよ――」


「――私は信じますよ。国を想う兵士の皆さんを。そして、ライアンさんとリリアさんを」


 セシルは力強い瞳をライアンに向けて言った。


「……わかった」


 半ば気圧されるような形でライアンは頷いた。

 セシルの瞳の輝きによって彼の胸の中の不安が薄らいだ気がした。





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