Episode:3 027 聖女の奇跡①
その頃、平原の西側には西軍の騎兵が数騎現れていた。
――真王国軍を興した聖女がグルード平原に現れる。
オーブクレールに流布しているその情報をもとに派兵された偵察兵だった。
「――しっかし、本当に現れたのかねぇ、聖女だなんて」
「俺はガセだと思っているがな。中立兵団がハッタリかましているんじゃないか?」
二人の兵士が薄ら笑いを浮かべながらそう話している。
すると二人の前にいた先頭の騎兵が後ろを振り返る。
「おい、無駄話をせずに、しっかりと周りを警戒しろ。聖女だけじゃなく、東軍とも遭遇するかもしれないんだぞ」
先頭の騎兵がそう言うと、二人の騎兵は背筋を伸ばす。
「は、はい、隊長、申し訳有りません!」
そう返事をする兵士を一瞥した後、隊長の兵士は再び前を向いた。そして彼は何気なく空を見上げた。
空は厚そうな灰色の雲で覆われている。
しかし、隊長はその曇天の空に異様な光景を見つけた。
厚い雲に一箇所だけぽっかりと穴が空いていたのだ。しかもその穴からは一筋の光が地上へ向かって差し込んでいる。まるで光の道が天空と地上とを繋いでいるかのように。
光の筋が照らす場所を隊長は見る。そこはここからはまだ距離があるので、何を照らしているのかは分からない。
「た、隊長、あの光は……」
後ろの兵士たちもその光に気付いたらしい。彼らは光の筋を指差しながら不思議そうな顔を浮かべている。
「わからない。近づいてみるぞ」
隊長は後ろへ告げて、馬の手綱を引いた。
*************
偵察隊の彼らが光に筋に近づくにつれて、それが照らしているものがはっきりとし始めていった。
それは人であった。数人の人が光の筋の中央の部分に居る。
さらに近づく。
そして、その正体をはっきりと視認するにいたった。
一人の金髪の女が跪いて胸の前で手を組み、祈りのポーズをしている。その後ろには二人の男女が居て、同じように祈っている。
隊長にはそれが誰かが分からない。光の中で神々しく祈る姿に、しばし見とれてしまっていた。
「隊長。あれは、セシル・フォーベール。クリストフの娘です」
後ろの兵士に言われて、隊長は我に返る。
「……例の聖女と名乗る女か。後ろの二人は誰だ?」
「男の方は中立兵団に居たと思います。ただ、もう一人の黒づくめの少女の方は分かりません」
「……分かった、行くぞ」
隊長は馬をゆっくりと光の方へと進める。
そして光の中へと足を踏み入れようとした時、馬が足を止めた。何とか前に進ませようとするが馬は動かない。
「――それ以上は近づかないで下さい」
前方から声がした。隊長が視線を向けると、三人組の先頭にいた金髪の女――セシルが立ち上がり、こちらを見ている。
セシルからはまだ少し距離があるというのに、声は明瞭に聞こえた。
「今喋ったのはお前か? お前はセシル・フォーベールだな」
隊長はセシルに向かって問うた。
「私は聖女セシル。神よりこの国の争いを鎮めるべく、つかわされた神の代弁者」
「何が聖女だ、ペテン師の間違いだろう。貴様、この国の争いを鎮めると言ったな。どうやって争いを鎮めるつもりだ?」
「我らが真王国軍にてこの国を平定いたします」
「真王国軍だと? どこにいるのだ、その軍は?」
隊長は周りを見渡しながら問うた。
セシルはゆるりと笑う。
「既に貴方の眼の前にいますよ」
「……まさか、貴様ら三人が真王国軍だと言うのか?」
問いにセシルは微笑みながら頷く。
唖然とする隊長の後ろで、残りの兵士たちが吹き出した。
「わはは! これはいい! たった三人で何ができるのだ!」
「まったくだ! 笑わせる! 隊長、ただの頭のいかれた集団です、放っといて帰りましょう!」
兵士たちは野卑な顔を浮かべて笑っている。
しかし隊長は表情を崩さずに、セシルをじっとみつめている。
「真王国軍とやら、貴様らはどうやってこの国を平定する? 我ら西軍や東軍を打ち倒すのか?」
「争いは好みません。しかし、この国の平定をするのに、東軍や西軍が邪魔をするのであれば、致し方ありません……」
「どうするつもりだ」
「私の奇跡の力でもって、その力を削いで差し上げましょう」
セシルは微笑んだ。氷のような冷たい顔で。
それを見た隊長の背筋に冷たいものが伝う。隊長は馬から降りて腰の剣を抜いた。
「隊長?」
その行動を見て、後ろの兵士が怪訝に問う。
「コイツラは国に混乱を起こそうとする内乱分子だ。ここで始末する」
冗談を言っているような雰囲気ではない隊長の言葉。それを聞いた兵士たちも馬から降りて、剣を抜いた。
隊長たちは剣を下げて無造作にセシルに近づく。
あと数歩のところまで来たところで、セシルが再びひざまずいた。彼女は先程と同じように眼を閉じて祈りを捧げている。
セシルの眼の前に立った隊長は剣を振り上げた。しかしセシルは動かない。彼女の後ろの真王国軍の二人も動く様子は無い。
「反乱者よ、最期に言い残すことはあるか?」
無抵抗の少女を斬ることに後ろめたさがあったのか、隊長はセシルに問いかけた。
「この国の全てに神のご加護を」
セシルは祈りの姿勢を崩さず、眼を閉じたまま答えた。
隊長は剣を振り下ろした――はずだった。
彼は自身の腕に命じた。眼の前の少女を斬れと。しかし腕は動かない。自分の意思では無く、何か別のものの意思で腕の動きは止められている。
「た、隊長?」
いつまで経っても動かない隊長の剣を怪訝に思い、後ろの兵士が顔を覗き込んできた。
「う、腕が動かない……」
隊長は苦悶の表情で兵士に訴えかけた。兵士は何が起きているのか分からないといった表情を浮かべる。
「わ、わかりました。では、私たちが代わりに……」
二人の兵士はセシルに向き直り、剣を振り上げる。
しかし同じように剣は振り下ろされない。
「な、なんだこれは!」
「う、腕が動かない!」
兵士たちは空中に固定されたかのように動かない腕に戸惑う。
セシルは眼を開けて立ち上がった。
「退きなさい。そして帰って伝えなさい。全ての兵は我ら真王国軍の旗の下へ集えと」
「お前たちの軍に寝返ろと言っているのか?」
隊長はセシルの言葉の意味を問う。
「寝返るのではありません。戻るのです。あるべき姿――東軍も西軍もない一つの王国軍へ。私はその受け皿を作っているのに過ぎません」
セシルは隊長の眼をまっすぐに見つめながら言った。
隊長はその一片の曇りも迷いもないセシルの瞳に息を飲む。
そしてしばし逡巡の後、剣を鞘へと収めた。
「た、隊長」
「帰るぞ。一旦戻って報告をする」
そう言うと隊長は馬にまたがり、部下を連れて去っていった。
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彼らの姿が完全に見えなくなった頃、セシルはその場にへたりこんだ。
「こ、怖かったぁ……」
先程までの毅然とした表情はどこへやら、疲労と恐怖をごちゃまぜにした顔でセシルはため息をつく。
「よくやったな、セシル」
ライアンが肩に手を置いて、ねぎらいの言葉をかけてくれた。
「ほんとですか? 私、上手く出来ていたでしょうか……?」
「ああ、上出来だ。あの力を見せれば、国軍も無視できないはずだ」
「そ、そうですか」
ライアンの言葉でセシルはほんのりと笑顔になる。
「リリアもよくやった。あいつらの動きを止めるのが、ちょっと遅かったからヒヤヒヤしたけどな」
ライアンはそう言ってリリアをねぎらった。
「ご、ごめんなさい、セシルさん。彼らの動きが案外速かったので……」
リリアは申し訳なさそうな顔で呟いた。
先ほど西軍兵士の剣を止めたのは、聖女の奇跡などでは無く、リリアの悪魔の力だった。セシルはもう少し遠い所で兵士を止めて欲しかったのだが、ライアンの演出により、ギリギリまで彼らを引き付けて、奇跡を強調したのだった。
「大丈夫です。ちょっと怖かっただけですから」
セシルは気を使って、無理に笑みを作った。
「さて、じゃあ、もう一度いこうか。リリア、雲の切れ間から光を出してくれ」
ライアンのその言葉に、セシルはびくっとなる。
「え? まだやるのですか?」
「そりゃ、そうだろ」
「どうしてですか、もう奇跡は見せたじゃないですか……」
「西軍にはな」
「……あ」
「そういうことだ。東軍も同じように偵察を出しているはずだ。今度は東軍向けに奇跡をみせるぞ」
「…………はい」
不承不承といった風にセシルは項垂れながら返事をした。




