Episode:3 025 真王国軍
とある兵士は後にその時の事をこう語った。
外部からの光が遮られた地下室。そこに陽の光が差し込んできたようであった。
その煌々と輝く光の中から、一人の金髪の少女が現れた。
長い三つ編みだった髪の毛は短く切られ、気弱な印象を与えていた眼鏡も外している。
白いシャツの上に真紅のケープを羽織って、スリムなボトムの裾を皮のブーツの中に入れている。
凛々しさを湛えた瞳、緩く引き結んだ唇。すらりとした肢体。それはまさしく神によって選ばれた、神聖なる存在、聖女と呼ぶに相応しい姿であったと。
セシルが中立兵団の隠れ家たる地下室に現れた時、居並ぶ兵士たちはその変貌ぶりに言葉を失っていた。彼女の髪型や服装もそうであるが、一番の変化はその表情であった。
覚悟を決めた、それでいて気負いすぎていない、瑞々しさと風格とを兼ね備えた顔は、見るものを勇気づける不思議な力を秘めていた。
「――皆さん」
セシルが言葉を発する。
皆、託宣を聞くかのように、神妙に耳を傾けている。
「お待たせしました。準備に少々お時間を頂きました」
緩やかな笑みを浮かべながらセシルは言った。
その笑みに、中立兵団の兵士たちの緊張が微かに緩む。
「セ、セシルちゃんだよね?」
古参の兵士の一人が近づいて言う。
「ええ、そうです」
「そ、そんな格好をしているということは……」
「はい、私は聖女として戦います」
セシルの力強い言葉に、地下室内にどよめきが起きる。
「おい、騒いでいたら、聖女様の言葉を聞き逃すぜ」
セシルの後ろから現れたライアンが大きな声で言う。
「ラ、ライアン」
「俺のことはいいから、黙っていなって」
たしなめるライアンの言葉に室内は静まる。
セシルは室内を見渡した。
そして、自身に視線が集まっていることを確認して口を開く。
「先日、この地下室で皆さんは私を聖女と言いました。しかし私は違うと言いました。でも、それは今ではどうでもいいことです。私はわたし自身の意志で戦うと決意しました。その為ならば聖女の称号を喜んで受け入れましょう」
セシルは大きく息を吸い込む。
「そして、神の御名にかけて誓います。必ずやこの国に光を取り戻すと。私は恐れるものなど何もありません。何人たりとも私を止めることはできないでしょう。何故なら、この正義こそ神の意志なのですから。私は必ず勝利するのです!」
空間が弾けて、地下室を揺るがす歓声が轟いた。
割れんばかりの歓声とはこのことを言うのだろう。
室内の中立兵団の兵士たちは拳を突き上げてセシルの名を呼び、聖女として称えている。
その中にあって、奇跡監査官ガイゼンが一人腕組みをして口角を上げていた。
「セシルちゃん、ああ、いや、呼び方を変えよう。聖女セシル」
古参の兵士がセシルに話しかける。
セシルは緩やかに微笑みながらそれに応える。
「なんでしょう?」
「どうやって戦うんだい? 東西の国軍に喧嘩を売るんだ。聖女の加護があるにせよ。作戦くらいは立てた方がいいだろう?」
「ええ、そうですね。でも、作戦はもう立ててあります」
「そうなのかい? じゃあ、早速教えてくれ。俺達は何をすればいい?」
「戦わないで下さい」
セシルの凛とした響きを持った声はよく通り、地下室内の兵士全員によく聞こえた。戦うなという意外な言葉を耳にした兵士たちは静まり返る。
「た、戦うなって……」
「正確に言うと、直接的な戦闘は不要ということです。皆さんには、まず街中に情報を流して欲しいのです」
「な、なんだい、その情報ってのは?」
「私が、聖女セシルの名の元に、グルード平原にて真王国軍を立ち上げたと。その情報を流して下さい」
「真王国軍?」
「ええ、東軍でも西軍でもなければ、中立兵団でも無い、真なる王国の軍です」
「それなら、中立兵団の兵士をその新しい軍に――」
セシルはゆるゆると頭を振る。
「中立兵団は中立のままにしておきたいのです。そうしなければ、この街、オーブクレールの秩序が乱れてしまいます。中立兵団の基盤はここオーブクレールにあります。その中立兵団が真王国軍となれば、この街が戦場となってしまうのです。それだけは避けなければなりません」
「じゃ、じゃあ、その真王国軍ってのは、どこの兵士なんだい?」
「最初はこの三人です」
セシルはライアンとリリアを手で指し示しながら言った。
古参の兵士の男は驚きに眼を見開いている。
「こ、この三人?」
「ええ、ここにいるライアンさんとリリアさん。そして私を含めた三人です」
「たった三人で東西の国軍を相手にするのか! し、しかも、そのリリアって娘は確か修道院のシスターじゃないか!」
「ええ、そうです」
「そうですって……せ、聖女セシル。それはあまりにも無謀では……」
その言葉にセシルは慈愛に満ちた微笑みを見せる。
「いいえ、充分です。何故なら、私には神のご加護がありますから」
力強さも湛えた声音でセシルは言い切った。
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その後、セシルは、時が来るのを待つようにと、中立兵団の幹部の面々に強く言い含めた。
そして、自身が宣言した真王国軍のライアンとリリアを連れて、地下室をあとにしたのだった。
高まった熱気に肩透かしを食らった中立兵団の兵士たちは暫くの間呆けていた。しかし、このまま待っていても聖女セシルは戻ってこないだろうと、三々五々に地下室から帰っていった。
人がまばらになった地下室には、ガイゼンとリネットそしてエバンジュが残っていた。
座って瞑目しているエバンジュをリネットは横目で見ながら、腕組みをして屹立しているガイゼンに話しかける。
「ガ、ガイゼン上級監査官」
「なんだね」
「あの聖女セシルは正気でしょうか、たった三人で東西の両軍に戦いを挑むなんて……。そこまで神のご加護を確信しているのでしょうか」
リネットの言葉にガイゼンは力強く頷く。
「恐らくは何か作戦があるのだろう。三人で撹乱して東西軍をこの街から引っ張りだして、それから中立兵団と一緒に戦いを始めるのかもしれない」
「な、なるほど」
リネットは納得の言葉を発しながらも、かすかな疑念を頂いた。三人の軍勢では無理だとしても、どのくらいの軍勢ならば東軍と西軍を打ち破れるのだろうと。撹乱をしたとしても両軍の兵力は減るわけではない。ならばセシルの策とは?
そもそも彼女が賜る神のご加護とは何なのだろう。彼女の起こす奇跡とは何なのだろうか。
「どうかしたかね。リネット補佐官」
「あ、い、いえ。それにしても、聖女セシルが連れていた二人は何者なのでしょうか。男の剣士は確かに手練れのようですが、もうひとりはただの少女にしか見えませんでしたが」
「それは、私にも分からない。……だが、あれは……」
「あれは?」
ガイゼンは地下室の出口の方を大きな眼で見据える。そして小さく首を振った。
「……いや、何でもない」
いつもの自信に満ちた表情とは違うガイゼンを怪訝に思いながら、リネットも皆が出ていく地下室の出口を見つめていた。




