Episode:3 017 王の御前にて
セシルは厨房に戻るなり、その場で倒れ込みそうになった。
隣のリリアが慌てて身体を支える。
「セシルさん大丈夫ですか!」
「だ、大丈夫です。ちょっと目眩がしただけです」
セシルはなんとか自力で立ち、リリアに薄い笑顔を見せる。
「ちょっと休みましょう」
リリアが言うと、ライアンも同意する。
「そうだ、大任を果たしたんだ。あとはゆっくりしておけばいい。会合の場所には俺とリリアとで行く」
しかし、その言葉にはセシルは首を振る。
「い、いえ、父に恩赦を頂くまではゆっくりなどできません。私も会場へ行きます」
辿々しい口ぶりながらも瞳には光を宿してセシルは言う。
「……わかった。でも、くれぐれも無理はするなよ」
そうライアンが言うと、セシルは頷いた。
ライアンは会合が開かれるまでの間だけでも、とセシルを座らせて休ませていたが、間もなくして、二人の将軍が到着したとの知らせが入った。
「――来やがったか」
ライアンが呟くとセシルは立ち上がった。
顔色が良いとは言い難いが、相変わらず瞳は力強い。
「行きましょう」
決意に満ちた顔でセシルは呟いた。
************
ライアンたち三人が会場となる部屋の前に着くと、扉は開け放たれており、中の様子が見えた。部屋の中には東西の兵士たちが何人も居並んでいた。
入口近くでは既に数人のメイドが給仕にあたっていたので、ライアンたちもそこに加わり、手伝うフリをしながら部屋の様子を覗うことにした。
部屋の中心には長くて大きなテーブルが鎮座しており、先端部分には国王が座るであろう豪奢な椅子が一つ。
テーブルの両脇には赤と青の軍人たちが別れて陣取っている。ほとんどの軍人は椅子の後ろに立っているが、両軍ともただ一人だけ椅子に座っている。どうやら彼らが軍の中心である将軍であることが察せられた。
一人は細身の身体に鋭い目つきをした青色軍服の軍人。両肘をテーブルに載せて手を組み、瞑目している。
もう一人は口髭と顎髭が立派な、恰幅の良い赤色軍服の軍人。こちらは背もたれにもたれ掛かって腕組みをしている。
どちらも言葉を発さずに、何かを待っている感じが見て取れた。
すると入口の方から何人かの足音が近づいてきた。
ややあって部屋に姿を表したのは、ザグノリア公国の大使のファンマであった。
「国王陛下、御着にあらせられる」
ファンマがそう言うと、二人の将軍も立ち上がる。そして部屋の中の兵士たちと同様に立礼をとった。
ライアンたちも他のメイドたちに倣って立礼をとる。
すると、ファンマに促されて、ルネ国王が部屋に姿を現した。
ルネ国王は椅子まで行くと、手のひらを胸元まで挙げる。
「よ、よい、顔を上げよ」
それを合図に軍人たちは顔を上げる。そしてルネ国王が着席したのを見計らって、二人の将軍も腰を降ろした。
「それでは、ルネ国王陛下、並びに王国軍のバトラン将軍とアルドモン将軍との三者会談を開催する。この会談は私、ザグノリア公国のファンマが進行を務めさせて頂く」
ルネ国王の横に立つファンマが滑らかな口ぶりで宣言して、更に続ける。
「早速だが、現在停戦中の東軍と西軍との争いについてだが――」
「――気に食わぬ」
そう口を開いたのはアルドモン将軍だ。ぎろりと大きな眼でファンマを睨みながら続ける。
「ファンマ殿、先ほど王国軍のバトラン将軍と言ったが、大きな間違いだ。奴は王国軍などでは無い。無論、奴が率いている東軍とやらも王国軍では無い。奴らはこの国に巣食う単なるならず者の集団だ」
アルドモン将軍は身を乗り出して更に続ける。
顔には戦場さながらの殺気を漲らせて。
「そしてこの会談は三者会談にあらず。私と国王陛下とで、このならず者たちをどう処罰するのかを決める会合だ」
アルドモン将軍がそう言い切ると、彼の後ろの軍人たちが一斉に頷く。
その様子にファンマは大きなため息をつく。
「アルドモン将軍、それは毎回、会合の度に聞いております。そして、このファンマが毎回申し上げている通り――」
「――笑止千万とはこのことだ」
今度はバトラン将軍が口を開く。
「無法者たちを束ねて、お山の大将を気取っている田舎者が、我々正規軍を指してならず者とは笑わせる。帰ったら鏡を見てみたらいい。そこに映るのがまさしくならず者だ」
バトラン将軍が薄ら笑いを浮かべながら言うと、彼の後ろからは微かな嘲笑いの声が漏れる。
ファンマは渋い顔を見せる。
「バトラン将軍もそのような事を言っては、この会談そのものが……」
ドンッと机を叩く音が響く。
アルドモン将軍は、机を叩いた手をそのまま顎に添えて、肘をつく。
「相変わらず、つまらぬ戯言を並べて、悦に浸るだけしか能が無いようだ」
「私の言葉が理解できぬようだな。すべてが戯言にしか聞こえないようだ。もはや人としての会話もできぬ畜生に等しい」
バトランは切れ長の眼に冷たい光を宿してそう返した。
二人の将軍の間の空間が揺らぐほどに殺気が入り交じる。将軍たちのうしろの軍人たちも沸き立つような殺気を放っている。
するとアルドモン将軍のすぐ傍に控えていた大柄な軍人が身を乗り出していう。
「大将、我慢ならねえ、今すぐ命令してくれ、あの青びょうたんの首をねじ切ってやる」
そう言ったのはアルドモン将軍の側近のガストルだった。
彼は腕まくりをしながら身を乗り出す。
それを聞いて反応したのはバトラン将軍の傍にいた無表情の軍人――ジェリスだった。彼は微かに眼を眇めて、射殺すようにガストルを睨む。
「バトラン様、あの畜生の親玉の処分をこのジェリスにご命令下さい。あのお目汚しの顔をすぐにでも消してまいります」
ジェリスは腰の剣の柄に手を掛けながらバトラン将軍に言った。
そのジェリスを睨みながらガストルは言う。
「その貧相な体でやれるものならやってみろ。一歩でも動けば、その首へし折ってやる」
「腕力自慢なだけで剣を使う技量もない輩が。そちらこそ後悔する間もなく、その首を落としてやる」
ジェリスは負けじと返す。
二人の将軍はその側近たちの挑発合戦を止める様子も無く、ただ相手の将軍を睨みつけているだけだ。
「止めよ! 陛下の御前であるぞ、こんな所で刃傷沙汰などもっての他だ!」
ファンマが悲痛に叫ぶ。
しかし、それでも両軍間のただならぬ空気はやわらぐことはない。一触即発、誰かが動けばそれだけで戦場と化してしまいそうな雰囲気であった。
「へ、陛下、一旦ここは避難しましょう! 危険です!」
「し、しかし、まだ、話しが……」
ファンマの言葉にルネ国王は答えるが、ファンマは首を振る。
「陛下の身の安全のほうが優先でございます。どうかご避難を!」
ルネ国王はファンマに引っ張られるように椅子から剥がされて、そのまま部屋を出ていく。
「お前たちも外にでるのだ!」
ファンマはライアンたち執事及びメイドにも声を掛けた。
それに従い、ライアンたちも外に出る。
かくしてルネ国王は何も話せないまま、部屋を後にしたのだった。
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ルネ国王が控室に戻ると、ファンマは様子を見に行くと言い、会合の場所へと戻っていった。ファンマが出ていった隙を見て、ライアンたちは再びルネ国王の控室へと入っていった。
「ああ、お前たちか……」
ルネ国王が少し疲れた顔でライアンたちを出迎えた。
ライアン以下、リリアとセシルは跪く。
「よい、ここではそのような礼は不要だ」
ルネ国王がそう言うとセシルは顔を上げる。
そのセシルに向かってルネ国王は申し訳無さそうな顔をする。
「見ての通りだ。クリストフの話は出すことができなかった」
「い、いえ、国王陛下がご無事でなによりです」
「し、しかし、どうしたものか。クリストフの話もそうだが、停戦期間が切れてしまう話もしたかったのだが……」
ルネ国王が項垂れてそうこぼした。その姿は国王というより頼りない大臣のようだった。
「――お、畏れながら、国王陛下にお尋ねいたします」
口を開いたのはリリアだった。
「よい、申せ」
ルネ国王が少し戸惑いを見せるが答えた。
「あの二人の将軍は、会合の度にあの様子なのでしょうか?」
「ああ、あの将軍たちか。そうだ、ああやって部下たちと一緒になって、いつも言い争いをしておる。今日は特別、激しかったが……」
それを聞いたリリアは考える素振りを見せる。
「どうかしたのか?」
「い、いえ、あの二人の将軍、国王陛下が来られる前までは静かに待っていたのですが、会合が始まった途端、ああやって罵り合いを始めたのが、少し不自然だと思いまして」
「……ふむ、ただ単に言葉にしていないだけで、険悪だったのではないか?」
ルネ国王がそう尋ねると、リリアがゆるゆると頭を振る。
「い、いえ、国王陛下が来られる前は、そのような雰囲気ではありませんでした。さすがに穏やかとは言えませんが、少なくともあのような険悪な空気はありませんでした」
リリアがそう言うとルネ国王は黙って考え込む。
「リリアさん、それってどういうことですか?」
セシルは怪訝にリリアに尋ねる。
「……もしかしてですが、国王陛下をご退室させることが目的かもしれません」
「国王陛下のご退席って、どうしてそんなことを?」
セシルはルネ国王の方をちらりと見ながら問うた。
「はっきりとは分かりませんが、クリストフさんのことが関係あるかもしれません」
「クリストフさんの恩赦の話を出させないようにする為ってことか?」
今度はライアンが問うてきた。
「ええ、そう考えると、あの乱闘寸前のやり取りの辻褄があう気がします……」
「なるほど、興味深いな……」
いつの間にか立ち上がっていたルネ国王が呟く。
彼はゆっくりとした足取りでライアンたちの所へやってきた。
「クリストフが助からないように、示し合わせていた可能性があるということか」
「あ、あくまで可能性です」
リリアが答えた。
「……今の話、そなたらの方で確かめることはできるか?」
ルネ国王からそう言われて、リリアは少し考える。そしてセシルの方を向いた。
「セシルさん、例の物を使わしてくれますか?」
「え? ああ、父から貰ったペンダントのことですか?」
セシルは胸元から古びたペンダントを出した。
それを見たライアンがニヤリと笑う。
「セシルの大事な物……、あれをやる気か、リリア」
リリアはこくんと頷く。
「はい、重器契約を結びます」




