Episode:3 011 憔悴のセシル
中立街オーブクレールの市長であり、中立兵団の団長でもあるクリストフが捕まったという知らせは瞬く間に街中に伝わった。
そしてそれは、オーブクレールに逗留しているガイゼンたちの耳にも届くことになる。
情報を持って帰ってきたリネットから報告を聞いたガイゼンは、顎に手をあてて考え込む。
「あ、あの、ガイゼン上級監査官……」
「なんだね?」
思索を中断してガイゼンは呼びかけに答えた。
「中立兵団の団長が捕まったことにより、この街の情勢は不安定になります。それにもうじき停戦期間も終わります。一度、退避して本局の指示を仰いではいかがでしょうか?」
そう言ったリレットをガイゼンが大きい眼で見つめる。
その迫力にリネットは身を縮こまらせた。
「も、申し訳ありません。出過ぎたことを……」
「いや、構わない。君の提案は理にかなっている。その判断は正しい。しかし、本局の指示を仰ぐと言ったが、本局では誰が私に指示を出すのだ?」
「え? あ、それは……」
「私は本来指示を出す側の人間だ。その私が此処にいる。これ以上、誰の指示を仰ぐというのだね?」
「そうでした。し、失礼致しました」
リネットは深々と頭を下げた。その姿にガイゼンは「うむ」と大きく頷く。
「それにだ、中立兵団のクリストフ殿が縄目にかけられたことは、兆しかもしれない」
「兆し、ですか?」
「そうだ、エバンジュが繰り返し訪ねているあのセシルという娘。その娘の父親が捕まったのだ。私には状況が変わる兆しに見えて仕方がない」
「そうなのですね」
ガイゼンは窓際に近づいて外を眺める。
外は暗く夜に灯るランプの光がちらほらと見えるだけだ。
「リネット補佐官、覚えておくといい。不安定な情勢や絶望的な状況にこそ、我々の求める奇跡は姿を現すのだ」
それはつまり、その様な状況になるまで傍観するということだろうか。そう考えてリネットは胸の奥が軋む感覚がした。
*************
クリストフが捕まった夜、中立兵団の詰め所の広間には、中立兵団の幹部連中が顔を揃えていた。
広間の面々の中には、不当な拘束だと怒りを露わにする者もいれば、もうクリストフは帰って来ないだろうと落胆し嘆く者もいる。そんな雑多な感情が混ざり合った混沌とした空気に包まれていた。
幹部連中は集まってみたものの、いつも話を先導するクリストフが居ない影響は顕著であり、まとまりが無かった。まとめ役として言葉を発しようとする者も居たが、聞こうとする者はほとんどおらず、それぞれが小集団を形成して個別に話し合いをしている。
組織としてどうするのか、という重要な指針が示される可能性は皆無であった。
ライアンは新参者でありながらも、武術の指南役をつとめていたので、呼びかけに応じて出席していた。
しかし先陣を切って突撃したことはあっても、人を率いて戦うことをしたこと無ければ、このような会合で話すことも無かったライアンにとって、この状況の打開は不可能だった。
ただ、この組織のまとまりの無さには危機感を覚えていた。
突如、広間の一画がざわめいた。
ライアンがそちらに眼を向けると、セシルが現れていた。
彼女はクリストフが連行された後、ショックのあまり自室に籠もってしまっていた。ようやく詰め所に姿を現した彼女だったが、その顔は憔悴しきっており、足取りも覚束ない有り様だった。
セシルは周りに促されて席に座る。そこはいつもクリストフが座っている席だった。そしてこの時ばかりは、広間の面々はセシルの言葉を聞こうと、黙りこくっていた。
「セシルちゃん。クリストフさんが捕まる前に話をしたんだよね? クリストフさんはなんて言っていたんだい?」
年配の兵士が優しく問う。
俯いていたセシルは微かに顔を上げた。そして周りを見渡しながら口を開く。
「……父は、私のことなら心配しなくていい。決して無茶な真似をするんじゃない、と言っていました」
「そ、それだけかい?」
セシルは首肯で答える。
それと同時に広間はどよめき、落胆混じりのため息があちらこちらから聞こえた。
結局、心労をおして会合に出てきたセシルの苦労は報われず、広間は再び混沌とした空気に包まれた。そして夜もとっぷりと更けた頃、何の解決策も指針も出されず、会合はお開きとなったのだった。
会合が終わってもセシルは席に座ったまま、じっと俯いていた。
ライアンは近づいて声をかける。
「大丈夫か? セシル」
セシルはぼんやりとした視線をライアンに向ける。
「私、どうしたら、いいのでしょうか……」
「まずはしっかりと休め」
「私、しっかりしないといけないのに、きちんとしないといけないのに、何も考えられなくて」
「お前は伝言を頼まれただけだ。中立兵団を背負いこむ必要は無い」
ライアンの静かな声音は優しくセシルに染み込む。
張り詰めていた彼女の心にわずかながら緩みが生まれた。
「伝言……」
そして、セシルの頭の中では、父親が捕まる前の最後の会話が想起された。
――あの時、父は私以外にも話を。
そこまで考えて、セシルは改めてライアンの顔を見た。
「うん? どうした?」
表情が変わったセシルの様子にライアンは気づいた。
「ライアンさん、契約ってなんですか?」
「え?」
「父がライアンさんに頼むと言っていた、契約ってなんのことですか?」
「それは……」
「教えて下さい。父を助ける策があるのですか?」
懇願されるような顔を向けられたライアンが少し困った顔をした。
そして未だ何人か人が残っている広間を見渡して言う。
「……わかった。場所を変えよう。それにアイツを呼ばなきゃならない」




