Episode:3 005 孤児院のシスター
その後は他の中立兵団の兵士による仲裁もあって、その場はなんとか落ち着いた。
セシルは乱闘騒ぎの現場となった酒場の店主に、何度も頭を下げる羽目となった。
店主のお小言をたっぷりと味わった後、セシルはライアンを連れて修道院に向かうこととなった。中立兵団の団長であるクリストフに喧嘩とそれの顛末の報告に行くという。
シェリーはライアンなんぞ置いて街を見て回りたい気持ちだったが、中立兵団の団長への挨拶もまだということもあり、引き続きセシルに同行することにした。
「――今日は父にお説教をしてもらいます。いいですね、ライアンさん」
「わかったよ。でも、クリストフさんは笑って許してくれると思うけどな」
そう言いながら欠伸をするライアン。まるで乱闘騒ぎなど無かったかのような呑気さであった。それをセシルは厳しい眼で睨む。
ぷりぷりと怒っているセシルを見て、シェリーが吹き出した。
セシルはきょとんとした顔で振り返った。
「どうしました? シェリーさん?」
「いや、ごめんね。セシルちゃんが怒っているのが可愛くって」
「え、か、かわ、え?」
セシルは顔を赤らめてどぎまぎする。
「だって、さっきは国の――内戦の話をしているときは、とっても暗かったけれど、いまはとっても元気で可愛いわよ」
セシルは顔を真っ赤に染めて唇を尖らせる。
「わ、わたしは、そんな可愛くなんて……」
「そんなことは無いわ充分魅力的よ。あのね、確かにこの国は大変だけど、貴女はそれを背負いこむ必要はないのよ。もっと肩の力を抜いて、女の子らしく明るく振る舞っていいのよ」
「そ、そうでしょうか……」
セシルの表情が少しやわらいだ。
どうやら皇女であるシェリーの言葉には、人の心に響く不思議な力があるらしく、セシルの胸の奥もやわらいでいったのだ。
ライアンはその様子を見てうんうんと頷く。
「騒ぎの元凶が呑気に頷くな」
トリシアが冷たい眼差しでライアンに言う。ライアンもそれに対して睨み返すのだが、その様子を見て、シェリーはまたしても笑うのであった。
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大通りから一本奥の通りに入り、そこから更に細い路地を抜けると、そこに古びた修道院があった。石壁は古びて灰色にくすんでいるが、ところどころに補修の跡があり、辛うじてその形を保っている。庭にはわずかな花が咲き、人の手が入った痕跡が小さな生活の気配を伝えている。
錆びた門扉をくぐりながらライアンが問う。
「なぁ、セシル。クリストフさんは今日は何で修道院に来ているんだ?」
「今日は孤児院の慰問ですよ。大通りのお菓子屋さんが特別に焼き菓子のガレットを分けて下さったので、父が一緒に届けに来たんですよ」
「へぇ」
「孤児院があるの?」
会話を聞いていたシェリーが後ろから声をかけてきた。
「ええ、ここは修道院ですけど、孤児院も兼ねているのです」
ふーんと頷きながらシェリーが建物の周りに視線をやると、数人の子どもたちが外に出てきた。子どもたちはセシルたちを見つけると笑顔で駆け寄ってきた。
「セシルねーちゃん! クリストフさん来てるよ!」
活発そうな女の子がセシルのスカートに抱きつきながら言った。他の子たちもセシルを取り囲み、めいめいに話しかける。
「みんな、お菓子は食べた?」
子どもたちは「食べたぁ」「美味しかったよ」と口にする。それを聞いてセシルは目を細めた。
すると、今度は何人かの元気そうな男の子たちが外に出てきた。彼らはそれぞれいびつな木の剣のような玩具を持っている。
「あ、ライアンだ!」
男の子たちはライアンを見つけると、木の剣を振り上げながら、笑顔で駆け寄ってきた。
「勝負しろ、ライアン!」「くらえ、ライアン!」
男の子たちは笑顔で木の剣を振り回す。
ライアンは緩く笑いながら、それらをひょいひょいと避ける。
「逃げるな!」「囲め、囲め!」
子どもたちは、はしゃぎながらライアンに向かっていく。
「こら、アナタたち、そんな物を振り回したら危ないでしょ!」
セシルが男の子たちに言う。
「大丈夫だセシル。ちょっと遊んでやるよ」
ライアンは笑顔でそう言うと、子どもたちに追いかけられながら、建物の陰へと消えていった。セシルは爽やかな笑顔でライアンの背中が消えていくまで見送っていた。
そんなセシルの様子を見て、シェリーとトリシアは顔を見合わせた。トリシアの方は無表情であったが、シェリーの方は「ふふん」と笑っていた。
「あ!」
爽やかな笑顔から一転、セシルは声を上げて眉根を寄せた。
「どうしたの? セシルちゃん」
シェリーが問う。
「ライアンさんに逃げられました……」
セシルは悔しそうな顔で呟いた。思わずシェリーが吹き出した。
すると、セシルたちの前に年配のシスターが現れた。
「いらっしゃい、セシルちゃん。いつも有難うね」
「あ、シスターマウドさん。こんにちは」
マウドと呼ばれたシスターはにこりと笑い、シェリーとトリシアにも頭を下げた。
それに倣って、シェリーとトリシアも会釈をする。
「シスターマウドさん、父はどこにいますか? このお二人はリアンダール王国の使者様なのですけど、父に紹介したくって」
「クリストフさんなら奥の食堂ですよ。どうぞ、中へ」
連れられて奥の食堂へと行くと、そこはまだ子どもたちの姿で賑わっていた。子どもたちは嬉しそうにガレットを頬張っている。
入口付近にそれを目を細めて見ている一人の壮年の男がいた。
「お父さん」
セシルが男に話しかけた。この男が中立兵団の団長のクリストフだった。
「おお、セシル。お前もガレット食べていくか? ……うん? その方々は?」
クリストフはセシルの後ろの二人組を見て興味深そうな顔をした。
それに応えるようにシェリーとトリシアは軽く頭を下げる。
「はじめまして。私はリアンダール王国より参りました、シェリル・ウィンザーと申します。こちらはパトリシア・シムフィールドです」
シェリーは外交使者用の偽名を名乗り、慇懃に頭を下げた。隣のトリシアもそれに続いた。
「ああ、そうか、今日は使者さんが来る日だったか。それにしても、貴女たちがリアンダールの使者さんか。これは驚いた、こんな美人が二人も来るとは!」
「お父さん!」
クリストフの品に欠ける言葉をセシルは戒める。
「なんだセシル。美人に美人と言って何が悪い? 人間、素直が一番だ」
「そ、それはそうだけど、お父さんは、市長なんだし……」
「まぁ、そう堅いことを言うな。それはそうと、使者さんはガレットは好きかい? せっかくだから食べていってくれ」
クリストフは皿に盛られた焼き菓子を指さしながら言う。
シェリーはトリシアと顔を見合わせながら言う。
「私達が食べてしまうと、子どもたちの分が無くなってしまいませんか?」
「ハハハ! 心配には及ばない。菓子屋が張り切って作り過ぎたから余っているんだ。むしろ食べてくれた方が助かるよ。だからここのシスターたちにも手伝って貰っている」
シェリーが食堂を見渡すと、なるほど子どもたちに混じってシスターたちも焼き菓子を手に取っている。
「あ、そういえば」
何か思いついたセシルは、誰かを探すように食堂を見渡し始めた。それをシェリーが怪訝に問う。
「どうかしたの? セシルちゃん」
「いえ、シェリーさんたちと同じリアンダールから来たシスターがいるのですが……」
それを聞いたシェリーの頭の中にある人物が浮かぶ。
しかし、その人物は修道院のような、神様に近いところには絶対にいてはいけない存在のはず。だが、ライアンがいたという事実と、リアンダールから来たという情報が、どうしてもある人物と結びつけてしまう。
「……ひょっとして、そのシスターってのは、ライアンの妹だったりするの?」
シェリーはどこかの街でライアンが使っていた設定を思い出した。
「え? ええ、そうですけど。どうしてそれを……? あ、いました、あの人です」
セシルは食堂の奥の方で、子どもたちに囲まれながらガレットを食べるシスターを指さした。こちらからは顔が見えないが、黒髪で小柄だというのは判る。
その後姿に確信を深めたシェリーは足早に近づく。
気配に気づいたシスターが振り向いた。
やっぱり、リリアだった。
ちゃっかりと修道服を着込んでいるリリアは、菓子を頬張り過ぎてリスのようになっていて、口をもぐもぐさせながら目をぱちくりさせている。
やがて、眼の前の金髪の美女がシェリーだと気づく。
「ふはぁ! ふぇひーふぁん!」
驚愕に目を見開いてリリアが叫ぶ。口の中にガレットを詰め込んだままで。
「飲み込んで、喋りなさい」
シェリーは幼児をたしなめるように言う。しかし、そこに怒気は含まれておらず、半ば呆れているような声音だった。
リリアはしばらく咀嚼した後に喉を鳴らして、はにかんで微笑んだ。
「リリアさんともお知り合いでしたか」
背後からセシルが声を掛けてきた。
「ええ、そうなのよ。ライアンとリリアちゃんとは、向こうでよく一緒に食事をしていたのよ」
シェリーは重要なことを隠したままで真実を述べた。さすがにこの悪魔と一緒に傾国の脅威を打ち払ったのだとは言えなかった。
「そうなのですね。あ、リリアさん、服にこぼれていますよ」
セシルがリリアの服に付いた食べかすを手で払う。リリアは恥ずかしそうに笑っていた。
その後、シェリーとトリシアはライアンとリリアがこの街にやって来た時のことを、セシルから聞いた。
つい先日、ライアンは酒場で暴れている酔っぱらいを、力ずくで大人しくさせたらしい。そしてそこにクリストフが居合わせたらしく、その腕を見込んでライアンを中立兵団にスカウトしたとのことだった。
どこかの街でも同じ様な話を聞いたシェリーとトリシアは揃ってため息をついた。しかし、ライアンが迷惑を掛ける側では無かったことに少しばかり安堵をしていた。
「――それで、どうしてリリアちゃんはシスターに?」
話はリリアのことに移った。その質問にはリリアが答える。
「あ、私もお仕事をしようと思っていたので、クリストフさんにこの修道院の掃除婦の仕事を紹介して頂いたのです。それで来てみたら、見習いのシスターが来ることになっていたみたいで、その成り行きでこの格好に……」
「アナタが成り行きでシスターになったら、神様もビックリよ」
シェリーは思わず頭に浮かんだ言葉を口にした。
その言葉にセシルが首を傾げる。
「どうしてですか? リリアさんは、性格的にもシスターにぴったりだと思いますけど」
「そ、そうね……確かに性格は……」
言葉に詰まるシェリーを見て、トリシアが口を開く。
「これでもこの娘はライアンの妹だからな、ライアンと同じく信仰心というものが薄い。そんな彼女がシスターになったというのだから、私たちは少し驚いているんだ」
「そうでしたか」
トリシアの咄嗟のでまかせにセシルは納得してくれたようだ。
この悪魔のシスターが祈る姿を見て、神様は何を思うのだろうか。
シェリーはそう考えて、神様のことが少し気の毒になった。




