Episode:3 002 空を落ちる奇跡②
ダリソン村――。
そこはひどくうらぶれた村だった。少なくともリネットにはそう見えた。
村というよりも集落といった感じで、若者や子どもはおらず、老人の姿がやたらと目立つ。並ぶ家々も廃屋らしき建物もあり、活気というものが感じられなかった。
それは村の奥にある村長の家も同じであり、一言で言えばボロ屋敷であった。
しかし他の家と違うのは、そこの玄関先には中の様子を伺う人だかりができていた。ガイゼンがその人だかりをかきわけて中へと入る。そして使用人らしき老婆に話しかけた。
「すまない、村長さんは中かね?」
老婆は無言で家の奥の方を指差す。
「失礼する」
ガイゼンはそれだけ言うと、家の奥へと進んでいった。リネットはそれに続く。
家の一番奥の部屋へと入ると、そこにも人だかりができていた。そしてそこにいる者の姿にリネットは驚いた。
そこには純白のローブを纏った若い男がいた。
艷やかで長い金髪はとても綺麗で肌も白い。優雅な微笑みをたたえた相貌は神秘的な美しさを放っていた。この村の村人とは明らかに違う雰囲気を漂わせており、異質で場違いな存在に見えた。
その若い男はベッドの横に膝まずいて、ベッドに横たわる男に手をかざしている。
かざしている手の平が微かに輝いた。
なにか魔術を行使したのか? リネットがそう思っていると、ベッドの男がゆっくりと身体を起こした。そして自身の身体――特に腹部の辺りを、何か確かめるように触っている。
「い、痛みが無くなっている」
ベッドの男は眼を見開いて告げた。
それとともに部屋の中の人々がどよめいた。
その様子を腕組みして眺めていたガイゼンであったが、おもむろに口を開く。
「うむ、村長さんはいらっしゃるか?」
低くそれでいて明瞭な声で問いかけた。
部屋の中の人たちは突然現れた制服姿の二人を訝りながらも、部屋の奥に座る一人の老人に視線を向けた。
「儂じゃが。貴方たちは誰かの?」
長い顎髭をたくわえたその老人は、しわしわの顔の中の双眸をガイゼンたちに向けて言った。
「私共は奇跡調査局より派遣された奇跡監査官です」
言いながらガイゼンは会釈をした。それに倣ってリネットも頭を下げた。
奇跡監査官、その言葉にまたしても部屋の中がどよめく。
「おお、貴方たちが奇跡監査官であったか。今、見ていただい通り、この方が例の御方じゃ」
村長は白いローブの若い男を指さして告げた。
ガイゼンは男を一瞥すると村長に向き直る。
「村長、少しお話を良いでしょうか?」
村長はその言葉に鷹揚にうなずく。そして部屋の中の人たちに外に出るように促した。部屋に残されたのは村長とガイゼンとリネット。そして例の白いローブの男である。
ガイゼンは村長に相対するように座ってリネットはその後ろに立つ。白いローブの男はベッドに腰掛けて窓の外を眺めている。
リネットは横目で白いローブの男をちらちらと見やりながら、村長とガイゼンの話を聞く。
「――彼が現れた時のことを、詳しく教えて頂きたい」
ガイゼンが単刀直入に聞く。リネットはガイゼンが言っていた村に舞い降りたモノが、この若い男のことだと結びつけた。
「儂が家の裏で水を汲んでいた時じゃった――」
村長は顎髭を撫でながらぽつりぽつりと話し始めた。彼が言うには井戸から水を汲んだ際に、水桶に奇妙な光が映り込んでいることに気づいたとのことだった。
「ふむ、奇妙な光……」
「左様、それも真っ白な光じゃ。そのときは夕暮れ時じゃから、水桶に映り込むとしても赤い陽の光のはず。儂は上を見上げた。すると真上の空に真っ白な光の玉のようなモノが浮かんでおった」
「それからどうなりました?」
ガイゼンが身を乗り出して問う。
「その光はどんどん近づいて来て、儂のすぐ真上まで来たんじゃ。そして、儂が見たのはそこまでじゃった」
「そこまで? それからは?」
「儂は立ったまま気を失っていたらしくてな。そしてふと意識が戻ったら、眼の前に……」
村長がベッドの上の白いローブの男を見やる。
「彼がいたと」
ガイゼンが言うと村長は頷く。
「左様。彼が地面から少しだけ浮いた状態で立っておった。そして儂の見ている前で、静かに地面におりたんじゃ。儂はその時、何も考えられなかったんじゃが、身体は自然にひざまずいていたんじゃ」
ガイゼンは顎に手を添えて考える。
「白い光に浮遊……なるほど。それで村長、先程彼がベッドの上の男性に行っていたのは、何ですかな?」
「治療という名の奇跡じゃよ」
「奇跡?」
「ほっほっ、奇跡は儂らが勝手に呼んでいるだけじゃが、彼が手をかざすと病気が治るらしくてな、村の者は随分世話になっておる」
「魔術ですか?」
「それはわからん。儂は魔術を見たことを無いでな。あれがいわゆる魔術というモノなのかはわからん。ただ儂らにとっては、彼はこの村に舞い降りた奇跡じゃ」
ガイゼンは眉を寄せて、ベッドの上の白いローブの男を見る。
そしておもむろに立ち上がって、白いローブの男の前にひざまずいた。
「貴方にも話を聞きたいのだが、宜しいかな?」
ガイゼンは穏やかな口調で男に問う。しかし男は柔和な微笑みを浮かべているだけで何も答えない。
「無駄じゃよ。彼は何も話さない。話せないのかもしれんがな」
村長が言った。
「話せないのに、病気の手当はするのですか?」
「左様、病気の人間がいると、勝手に向かっていって、手をかざすんじゃ。もちろん無言でな」
「…………」
ガイゼンは考え込んだ。しかし彼の顔は悩ましいという表情ではなく、何かに期待するような高揚感が現れていた。リネットは眼の前の白いローブの男を怪訝に見ながら、所在なく立っていた。
すると、白いローブの男はすらりと立ち上がった。そして窓の方へと歩くと、窓の外へ向かって右手で指差した。
ガイゼンとリネットは顔を見合わせる。
「あの方角に病気の人でも居るのでしょうか?」
ガイゼンが村長に問うが、村長は首を傾げる。
「いや、今まで病人がおっても、こんなことはしなかったがの」
ガイゼンは白いローブの男の隣に立ち、男の指差す方角を見る。しかし、そちらには家屋は無く森が広がっていた。
「うむ、リネット補佐官」
突然名を呼ばれてリネットはびくっと反応した。
「は、はい」
「ここに来るための地図を持っていたね?」
「はい、こちらに」
リネットは地図を取り出した。
「地図から、あの方角に何があるか調べてくれたまえ」
「え、ええと、あの方角ですと、一番近いのはクレールダルク王国でしょうか」
地図を見ながらリネットは答えた。
「成る程、あの東西戦争のクレールダルクか」
「そうですね、確か十年もの間、東と西に分かれて内戦を繰り広げている国ですね」
ガイゼンはリネットの言葉に頷くと、白いローブの男へ問う。
「あの方角へ行けば宜しいのか?」
白いローブの男はガイゼンの顔を見て、ゆっくりと微笑んだ。
その顔を見てガイゼンは確信めいた表情になる。
「村長、申し訳ないが、この村での彼の奇跡は終わりになる。よろしいか?」
その言葉に村長は瞑目して頷く。
「ええ、貴方がたが来た時から分かっておりました。彼はこんな村のために舞い降りたのではないのでしょう。どうぞ、連れて行って下さい」
「うむ、ご協力に感謝する」
ガイゼンは村長に向かって深々と頭を下げた。そしてリネットに向き直る。
「リネット補佐官。彼を連れてこのままクレールダルク王国へと向かう。もちろん君も一緒だ」
リネットは話の展開について行けずに半ばほうけている。
「あ、あの、話が見えないのですが、彼は一体……?」
「彼はエバンジュの可能性が高いのだ」
「エバンジュ……!」
「さすがにエバンジュは知っているか」
「……は、はい、エバンジュは神意使役存在の呼称です」
「そうだ。神の意図を具現するために遣わされた存在。別名――――『天使』だ」




