14 ラミタイ
一体いつ部屋に入ってきたのだろう、二人の男が研究室の中にいた。大きな男たちだった。
遺伝子強化の化け物を撃ち殺した男が、手に持ったピストルの握りの部分から、弾を収めておく入れ物を排出した。それが床のタイルにぶつかり、ごつっと重たい音をたてた。
「生存者だ」
ピストルを持った禿頭の巨漢が言った。やたらとごつごつした体の持ち主で、服装はずたずたぼろぼろ。黒い返り血に染まっていた。
「ああ、生存者だ。救われたね」
ひげ面の男は静かな口調だった。彼は兵士ではないだろうとラミタイは思った。技術者か研究者風の雰囲気をまとっている。いや、でも持っているのはマシンガンか。
ラミタイは気付いた。彼らは和歌山県軍人だ。
いまさら和歌山市の救援に駆けつけたのだろうか。だとしたら少し遅すぎたようだ。殺戮の機械たちは、すでに迅速な仕事を終えた後だ。
ファレリアが息を飲んだ表情のまま固まっているのに気付いた。
「私は和歌山県軍曹長イルヒラムだ」
「僕は同軍伍長クロノトン。生き残りがいて本当にうれしいよ」
ラミタイとファレリアの名をきいたあと、二人はそう名乗った。イルヒラムの方が、なにか電話帳ほどの大きさの金属の機械を置く。受話器が付いている。軍用無線通信機だ。
「なんともひどいことになっているからな。和歌山市を奇襲してこんな風に陵辱する奴らがいるとは、信じがたい。平和な県だというのに」
「そうだね。軍事的に価値もないのに」
「一体どこの国に作られたのであれ、あれを送ってきた奴らには報いを受けさせてやるぞ」
二人の軍人が言うのを聞いて、ラミタイははっとした。
「そいつらに脛骨を突き刺し、壷に放り込んでやる!」
「あ……本当に軍人ってそれ使うんだ」
ラミタイが思わずつぶやくと、なぜか軍人イルヒラムはばつの悪そうな顔をした。
「いや、この言い回しは、その、つまり、伝統的な、あ~」
「現状況が分からないのは困ったね」
県軍人クロノトンの方が通信機のつまみを回したが、ざらざらと雑音が流れるばかりだ。
ラミタイは察した。
この二人、遺伝子強化人間が災厄を招いたことに気付いていない。化け物が、無関係の場所からやってきたものと信じている。
「あの……国営ニュースとか見ませんでした?」
尋ねてみた。
「任務中にそう言ったものを見る許可は出ていない」
と、イルヒラムが答える。
なんて連中だ、という印象を隠せずに、
「政府軍は和歌山を爆撃するらしいんです。遺伝……いや、あの化け物を滅ぼすために、住人を巻き込んで。そして、そのことを他の日本国民や異国から隠しています」
「爆撃だ? 馬鹿な!」
イルヒラムが吠えた。
「そんなことをすれば、内戦になる!」
「それよりひどいことに、もうなってるよ、イルヒラム。でも、戦時中ならともかく、今の政府がそんな強引なことをするだなんて……」
クロノトンは眉間にしわを寄せる。イルヒラムはぐぬぬぬ、とうなり、
「いいや、あり得ないことではないな。クロノトン、大戦前夜に似たような話がなかったか?」
「フェアニヒトウングかい? でも今とは違う政府の仕業だよ」
「今の日本の政府は、当時の連中からものを学んだのかもしれないのだぞ」
「ふうむ……。それなら僕たちも急いだ方がよさそうだね」
クロノトンの穏やかな眼がラミタイを見据えた。
「フジーム博士はどこだい?」
ラミタイは眼を伏せ、首を振った。
「遺体はあそこに」
二人はひょいっとそれを覗き、口をへの字に曲げた。
「くそっ、作戦失敗だ。ジョビ大佐に連絡を試みなければ」
イルヒラムは受話器を取り、複雑な認識コードらしきものを打ち込む。
「もしもしもしもし! ジョビ大佐ジョビ大佐ジョビ大佐! イルヒラムです! 作戦失敗です! 応答してください!」
とたんに靄のような雑音がクリアになり、低くて平らな男の声が返ってきた。
『騒がしいね。聞こえてるよ』
「和歌山市内はひどい状況です! 死体の海! 崩壊する建物! 化け物ーー」
通信機の声がイルヒラムの大音声をさえぎり、
『フジーム博士は研究室で死んでいるのだね?』
「そうです」
『なにかメモとか、磁気テープとか残ってないかね?』
「ありますあります。山ほど」
『その通信機で送ってくれ。全て』
がんっと、ラミタイは頭を殴られた気がした。
『それが遺伝子強化プロジェクトの実行者たちを裁く際に、証拠として重宝することになりそうだからね。なにせ我々の県はそれにひどい被害を被ったんだ。さあ、イルヒラム曹長、全てをこっちに送ってくれたまえ』
「了解です。それと私たちはジャイロコプターを失いました。迎えをーー」
途端に、激しい雑音が戻ってきた。
『おおお、政府軍ネクサスは主砲斉射をおやりに……通信が不鮮明……に……のようだ。またあとで連絡してくれ』
「ジョビ大佐? ちっ、切れちまいやがった」
イルヒラムは、がちゃんと受話器を置いた。
「よし、仕事にかかろう」
二人の県軍人ががさがさとテープあさり始めた。
「だめだ……」
嫌悪感におののいていたラミタイが、かすれた声を絞り出した。
「だめだ! やめてください!」
「何だって?」
「遺伝子強化人間の技術はここで葬らないと……外に出してはだめなんです! また悪用されます」
二人の県軍人は視線を交わした後、クロノトンが口を開いた。
「それはないと思うな、ラミタイ。知っての通り、死すべき子供の一件は和歌山県に計り知れない悲しみをもたらしたんだ。その悲しみの大きさは、悪用という事象に到達し得ないほどのものさ。でも、こんなことを二度と起こさないためにも、しっかり責任は追求しなきゃいけないしーー」
だめだ、この二人は遺伝子強化人間の真の実力に気付いていない。
だが、銃を持った二人の軍人を思いとどまらせる方法なんてあるのか。銃を持っているのがラミタイの側だとしても、できそうにない話だった。
いっそのこと、化け物の正体を教えてやろうか。
だが、それをすれば、一つ確実なことは、目の前の二人は自分たちを喜んで殺す気になることだ。
「クロノトン」
イルヒラムが無造作に言葉をふるった。
「化け物の正体は、こいつらだ」
ラミタイの心臓がはねた。
思考を読まれたのだろうか。
だが、県軍人が見ているのは自分ではなかった。
「ファレリア……」
ファレリアが目から黒い涙を流していた。集まる視線に気付いてか、彼女はうつむいたまま、手で顔を拭った。彼女の手の甲で拭われたものはゆっくりと波打っていた。
「君たちが……どうしてだ?」
クロノトンが言った。
「どうしてこんなことを? この県を?」
ラミタイは唇を噛んで、床を睨んだ。
「……おれたちは体の中に、異生物を埋め込まれている。レトロウイルスのようなものが。それが遺伝子面からの影響力でおれたちを変異させるんだ」
「その結果は、死すべき子供が早死にするだけじゃなかったのか?」
「県はそう言ってたけど……嘘だ。あるいは知らなかったのか。それだけじゃない。変異した後は、体が崩壊するまで遺伝子内の異生物が体を掌握して、暴走するようだ。一体なぜ、こんな風に暴れるのかは分からない……」
「信じられない……この県のすべてを滅ぼすつもりか、悪魔どもめ」
クロノトンが静かに声を荒げた。
震えが消えた。ラミタイはそらしていた視線を二人の県軍人に向ける。
「おれたちはあなたたちが作ったんだぞ。あなたたちが作った政府が」
一歩前に踏み出した。
「おれたちはあなたたちが、自分の利益を守る戦争のために作られたんだぞ。そして、おれたちを作ったときも、政府からそのことを知らされたときも、あなたたちは政府に逆らわず、それを受け入れたんだ!」
視界を黒い靄のようなものが覆った。
クロノトンが機関銃の横についたレバーに手を置く。県軍だなんていう人々が、威圧してくるのは何だか滑稽だった。
「遺伝子強化人間は、あなたちの罪を背負っているんだ! その存在を否定するつもりなのか?」
視界が黒く、鋭くなっていく。
と、強い力で手を引っ張られた。ファレリアが両手でラミタイの腕をつかんでいた。なぜ彼女は邪魔をーー
「だめ、それ以上は進まないで、ラミ」
蚊の鳴くような声だったが、そこににじむ悲壮な声音がなによりもラミタイをぞっとさせた。ファレリアほどの人が出すものには思えなかった。
ファレリアの手を振りほどくこともできなかった。唐突に、立っているのが難しいほどの震えが駆け、ラミタイは床に膝をついた。
もう県軍人の顔に視線を戻す勇気は残っていなかった。
「おまえたち、大戦前後の混乱を想像することはできるか? 飢餓と、困苦と、破壊を? 数千万の死を? 終わりなき闘争を? ……ここは列強に挟まれた小さな島国なのだ。負債は、だれもが、何らかの形で支払った」
イルヒラムが低い声で言うのが聞こえた。
「半島戦争で同じことを繰り返すわけにはいかなかった。おまえたちは……希望として作られたのだろうよ」
県軍人は紙と磁気テープの山の方を向いた。
「私は下っ端の軍人に過ぎん。命令には逆らえんのだ。こいつは上官のもと送らせてもらう。すまんな」
モーターの軽い音をたてて、磁気テープは吸い込まれていった。それは電子の列に変換され、ジャミングされた混乱の海の中、確保された通路を通っていく。全てを食らい尽くす意図を見せつつ、通信機は遺伝子強化人間の起源の情報をむさぼる。止める手だてなんてなかった。
全ての行為は無意味だった。
何をするにしても、ラミタイは疲れ果てていた。
どかん!
突如、通信機は己の存在を一瞬誇示するかのように吹き飛び、部屋中に煙を上げる金属片をまき散らした。
「……?」
イルヒラムはしばし目をぱちくりさせていた。それから、砲丸のような拳で机を思い切り叩いた。
「くそ、ウォンニめ! 一体、こいつをどう改造した!?」
通信機のあった場所には黒いくぼみが残るだけで、もじゃもじゃとしたすごい数の磁気テープも吹き飛んで、部屋中に紙吹雪のようになって舞散りはじめた。
遺伝子強化人間の情報は県の外へと流れ出たが、それは冒頭の部分だけで、大半はいま、謎の幸運によってラミタイの目の前で二度と再生できないほど破壊された。いや、考えてみれば当然な気もした。通信機は遺伝子強化人間なんて邪悪な情報を食べていたのだ。壊れないわけがない。
「なんという謎の不運だ! 通信機は破損した上、予備は二つと存在しない! 高性能とはいえ、所詮は機械だったということか」
県軍人イルヒラムは禿頭から湯気を上げて怒り狂ったが、ラミタイの目にはそれが妙に芝居がかって見えた。
「作戦は失敗だ、クロノトン」
「まあ、このひどい状況下にしては、僕たちは頑張ったよ」
県軍人たちは慰め合うように言う。
遺伝子強化技術は失われた。フジーム教授ももういない。
あとは……自分たちだけだ。