11 ハチノヘとクジ
ネクサスは闘争の中で、その力、全てを発揮する段階へと至った。
収納されていた全ての火器を出して、巨大な空飛ぶハリネズミのような外見になると、ネクサスは和歌山県という檻を突き破って外に飛び出ようとする化け物たちに斉射を始めた。
強力な砲炎にあぶれられ、引き裂かれ、空飛ぶ化け物どもは次々と地上へ落ちていく。
和歌山県県境のダムのように高く分厚い壁の上にも政府軍のコマンドがずらりと並んでいた。周囲の県の県軍も、政府と和歌山県の要請に応えて出兵はしていたものの、彼らは太鼓持ちに過ぎなかった。兵力、練度、装備で政府軍には遠く及ばない。
頭上の戦闘でネクサスに粉砕された化け物の死骸が降り注ぐ音のみが聞こえる、不気味な沈黙の中、政府軍兵士は微動だにしない。
黒い津波がこちらへと押し寄せてくる。大地を埋め尽くす化け物の大軍が迫ってきた。
二本足、四本足、あるいは節のある百本もの脚をもつ黒い生き物の侵攻だ。その数は千を軽くこえた。
さすがに政府軍の兵士たちが凍り付いたような表情を浮かべる。
そんな中、政府軍のジャイロコプターが壁の上をかすめるように飛び、そして腰まである白髪をなびかせた一人の男が壁の上に降り立った。
複雑な装飾を施されたサーベル片手のハチノヘだ。すらりと鞘から刃を抜き、鏡のような刀身が迫り来る黒い波を写しだした。
「権限レッド、完全発効だ! 政府軍の指揮は我々PCOがとらせてもらうとしよう」
ハチノヘが言うと、数千人の政府軍兵士は落ち着きを取り戻して、一斉にうなずいた。まるで全員が一人の人間のように見える動きだ。この軍団は政府の作った完璧な作品だった。
完全に調和した動きで、壁の上で無数の印象的な銃器が、構えられる。
「一匹たりとも通すな! 通せば、奴らは我らが築いてきたもの全てを破壊し、我らの愛する者全てを殺すぞ!」
ハチノヘは怒鳴り、短い命令だったが、政府軍兵士にはそれで十分通じた。
黒い波が射程に入ると、銃弾は嵐となって化け物を襲った。穴だらけになって、黒い体液を沸騰させた化け物がばたばたと崩れ落ちる。だが、倒れなかった化け物は壁をよじ登ってくる。そして、その電柱のような太い腕でそこにいた一団の政府軍兵士を掴んで振り回し、引きちぎった。すぐに四方からの近接射撃で、その化け物は破裂しながら落ちていく。そこら中で、それが繰り返された。
化け物は巣穴から湧き出る蟻のようにも見え、全てが、ただ壁を越えたくて仕方がないというように迫ってくる。
政府軍はどうにか食い止めようと奮闘している。
門が開き、政府軍Uー2Rゾーレ重戦車の群れがディーゼルの爆音をまとって化け物の群れへと突進する。自分たちを鼓舞するかのようにやたらと砲をぶっ放し、噴式弾をランチャーから発射した。そもそも狙いを付ける必要がないほど化け物は多い。重戦車はとんでもない騒音を発しながら走り回り、ありとあらゆる騒ぎを引き起こしながら戦う。だが、それでも、すぐに化け物たちの黒い波に飲み込まれ、見えなくなってしまう。
脳をひっくり返されそうな、すごい砲声が響いた。
ネクサスの主砲が頭上で吠えたのだ。大地に途轍もない火柱が生まれて、県境は火口のようになる。相当数の化け物が消し炭になり、そして政府軍兵士も百人単位で、爆風にあおられ壁の上から吹き飛ばされてどこかへ消えた。
ハチノヘも地面に叩き付けられ、再びどうにか起き上がるのにしばらくの時間を要した。
周囲はとんでもない混乱に包まれはじめていた。
予想以上の敵だ。
半島戦争で、世界中に恐怖を振りまいた日本軍の、最も練度の高い政府軍の猛烈な迎撃に、奴らはまるでひるまない。
ハチノヘは舌打ちした。
ネクサスに戻ることにしよう。
ここはあまりに混沌とした戦場だった。こうなってしまうと、ハチノヘのサーベルの腕をもってしても改善しようがない。それよりも早く4フレーズを投入してけりをつけてしまうしかない。
だが、上を見上げてネクサスもただならぬ危機に直面しようとしていることに気付いた。
空飛ぶ化け物は戦意高く、急降下爆撃ジャイロコプターもかくやという速度でネクサスの弾幕をかわし、ネクサスに飛びついていくのだ。
砲と砲座の兵士が引き裂かれて地上に落ちてくるのが見えた。さらに化け物はネクサス表面のガイドセンサーやアンテナをひっこぬいているようだ。大昔に技術の粋を集めて建造され、幾多の戦を生き抜いたネクサスの装甲が、黒くて醜い生き物に侵されていく。その様は皮膚の壊疽を思わせた。
ネクサスの分厚い装甲に穴があけられ、その下からぶばあっと循環液が噴き出し、地上に雨を降らせた。
「信じがたい……」
ハチノヘはつぶやいた。
大戦でも半島戦争でも傷つくことを知らなかったネクサスが、今では瀕死の病人に見えた。
背後から硝煙をかき破るようにして大柄な化け物が出現した。空の状況に目を見張る白髪の剣士に背後から襲いかかる。その牙とかぎ爪が体に突き込まれる刹那になって、ようやくハチノヘは気を取り直し、サーベルを顔の前に持ち上げると、その金の鍔に下唇を当てた。
化け物はハチノヘに気付かなかったようにそのまま走っていく。二十メートルも走ったころであろうか、首がごろりと落ちて、化け物の体は驚きを表現した。ようやく斬られたことに気付いたらしい。
ハチノヘはその様子を見もしないで、転がる敵味方双方の死骸を踏み越え、壁のすぐ下に設けられた政府軍のジャイロコプター駐機場へと歩いていく。ハチノヘはサーベルを一回転させて腰に戻した。
「なんて奴らだ。政府軍の精兵が押されている。突破されるのは時間の問題だ」
ネクサスに上がったハチノヘがうなりながらクジの部屋に入る。ネクサスの艦内はヒステリックな赤い照明で照らされていた。
ハチノヘが指揮室に入っていっても、クジは顔を上げる余裕が無いかのように画面に専念し、手はキーボードを叩き続けている。
「4フレーズを投入せねばならんぞ」
崩して着ていたPCOの制服がずたずたになったハチノヘは、4フレーズという名を、すがるべきもののように発音し、倒れるように座り込んだ。
クジは何も答えなかった。
「PCOの命令でいろいろ胸くそ悪いものを見てきたが、こいつは特にひどい。死がこの県を覆ったのだ。もうどうにもならん」
クジはディスプレイを、宿敵であるかのように睨んでいた。
「だが、おまえはこんな事態にも備えていた。そうだな、クジ?」
「私はそういう生き物なのよ、ハチノヘ」
「炎で滅菌するほか、もう手はない。4フレーズを持ってきたおまえの先見に感謝だ」
ハチノヘの言葉に対して、クジは傷ついたような表情を浮かべた。
「大阪には、総統権限で全市民をシェルターに避難させるように命令しておいたけどーー」
「そんなのは、何の足しにもならん。あの化け物どもは焼き滅ぼすしかないのだ。たとえ、和歌山県民全てを巻き添えにしても、な」
「分かってる。でも、なによりも、ネクサスの損失は防がねばならないわ。ネクサスを失えば、化け物は関東や北海道にまで広がってあらゆる破壊をふりまいて……いや、たぶんもっとひどいことになるわね。4フレーズの影響で」
クジが暗い声で言った。
「いやあ、恐ろしい戦ですね」
ジョビ大佐が不自然に緊張感の欠けた声を発しながら、指揮室に入ってきた。
ハチノヘが彼を見て、なぜこの男がここにいるのだ、という顔をクジに向ける。それに対して、クジは悲しげに肩をすくめただけだった。
「政府軍は爆撃をおやりになるそうですね」
「早耳だな」
「国営ニュースの発表を聞いたのですよ。それで、それは生物化学兵器のようなものなのですか? いや、そんな物を投入すれば近畿地方全てが汚染されてしまう。それはありえない。そうでしょう?」
「ええーー」
クジがかすれた声を出した。
「話してしまってよいのか? 面倒なことになりうるぞ」
ハチノヘがサーベルの柄頭を撫でながらゆっくり言った。
「彼は和歌山県軍のリーダー……当事者よ。作戦のことを聞く権利はあると思うわ」
クジはジョビ大佐の方を見ずに言った。
そして、もしかしたら生き残る唯一の和歌山県人なのかもしれないのだから。クジは心の中で付け加える。