災厄
がしがしと太い指で髪をかきまわしたガルウの目が、ひたとユイカに据えられた。うーん、と唸ると、今度はエンテに視線を向ける。いろいろと困惑している様子が見てとれる。
その間エンテは、ガルウさんの髪は夕焼けの色だなぁ、とかユイカさんの黒い瞳ってどんな結晶石よりもきれいだよなぁ、などとぼんやりと考えていただけなのだが。
「聞きにくいんだが、ユイカさんは幻獣の仮の姿というわけではないんだな?」
同じことを聞かれるのは何度目だろう。
「もちろん違います。ユイカさんは人間です」
「なるほど。召喚魔法は大神宮の秘儀である。つまり、行使できる魔法使いや魔法師は限られている。……そうではあるが、喚ぶのは幻獣だという思い込みがあったな」
ふむ、と顎をスリスリとこすりながらしばらく考えていたガルウは、やがて、うん、と大きく首を振った。
「なぁ、エンテちゃん。この国の神宮、ひいては大神宮について、師匠からは何も教わっていなかったのか?」
「実はわたしも、あまり実情がわかってなかったんです。それで……あ、そうか」
エンテが、ぽん、と両手を打ち合わせた。
「おばあちゃん、ガルウさんが国内外の事情に詳しいから、役割を振ったのかも。……自分が説明するのが面倒……とかあるのかもしれないけど」
エイヤの、一癖ありそうな笑顔が思い浮かぶ。
エンテは申し訳なさそうに、ガルウを見上げた。ガルウは評判になった魔法具の情報を求めて、頻繁に遠出をする。しかも各国の神宮にも出入りすることがあるらしい。ガルウの太い眉が、情けなく垂れた。
「ひでぇな、師匠。俺よりも何かつかんでいるのは、大神宮の情報が筒抜けの師匠の方なのに」
「もしかしたら、ガルウさんにも危機意識を共有してもらうためだったのかもしれないけど……。あ、決して巻き込もうとか、そんな訳じゃなくて」
「かまわんさ。何かあった時には遠慮なく声をかけてくれ。そのために師匠は、エンテちゃんを寄越したんだろう。しかしなぁ、確かに今回のことは厄介な臭いがするんだよな」
「これは、おばあちゃんが言っていたことなんですけど、自分が見落としていることをガルウさんが気づくかもしれない、と」
外見に反して、ガルウが面倒見がよくて博識なのはエンテも知っている。加えて祖母の知識の間隙を埋められるかもしれないことも。
「実はな、神樹の地の金糸の森が、おかしなことになっているらしいんだ」
「おかしなこと?」
「神樹の地を通った魔法具師仲間が、金糸の森が黒ずんで見える、って言ってたんだ」
「金糸の森は、常にほのかに光っているはずですよね」
「ああ、そうだ。ところがその輝きが消えかけていた、と教えてくれてな。旅の疲れからきた気の迷いじゃないかと言ったんだが……。今回の託宣や神宮の動きから考えると、信憑性が出てきたかもしれない」
「あの、おばあちゃんに聞いたんですけど、一千年前にも金糸の森が黒くなったことがあったそうなんです」
「それは知らなかった。さすが師匠。ずい分と昔だなよな。その頃の情報なんぞ、伝説やらおとぎ話のレベルだぞ」
ガルウは、さて、どうするかな、とばかりに、たくましい腕を組んで、天井を見上げた。いったいどうやって、筋肉を鍛えあげたのか興味深いところではある。
「ところで……」
口ごもりながら、ガルウはばりばりと頭をかいた。
「ユイカさんが、いったいどんな場所から召喚されたのかは詮索しないが、カンバー以外の人間で、最初に会うのが俺で大丈夫なのか?」
「大丈夫だから、おばあちゃんは、わたしとユイカさんをお使いに出したんですよ」
「はあ、光栄だ……とでも思えばいいのか。まずは俺が知っていることを説明するように、っていう師匠の考えなんだろう。ユイカさんも連れて行くようにと言ったのは、ただ事じゃない状況を俺にわからせるためか。……おっと、すまん。座ってくれ」
来客用のテーブルの脇の椅子にどっかりと腰をおろしたガルウは、二人にも椅子を勧めた。
「今は確認できない金糸の森のことは、ひとまず脇へ置いておこう。さっきのユイカさんの質問に対して答えなきゃならんな。ま、答えになるかどうかはわからんが」
ガルウは前置きをしてから、商談用の防音の魔法具を起動させ、さらに声をひそめて語り始める。
「この国の神宮と神宮の長は、神樹の地の大神宮と大巫女にとって代わろうとしているんじゃないかと思えるんだ」
「……え、だって、そんなこと無理ですよね。各国の神宮は出張所みたいなものじゃないですか。神樹の地は不可侵にして、大神宮は金糸の森の守護府であり、大巫女は大地母神の意思を宿す至上の存在、というのは周知の事実でしょう?」
「ああ、そうだ。それは誰にもくつがえされない。しかしだ、この度の大巫女による託宣は、そういった前提をひっくり返す可能性があるって話だ」
「今回の託宣が、全大陸に公表されたのも関係しているんですか?」
「率先して公表したのは、コスモロード国の神宮だ。国全体に告知する必要はなかったんだろうがなぁ。つまり神官とお貴族様は、これが千載一遇のチャンスと思っているんだろう。まぁ、要するに政治だ」
「政治……」
「権力闘争ってやつだ」
エンテが顔をしかめた。決して巻き込まれたくない類の話だ。
ガルウはそこまで語ると、大仰に首を横に振った。
「なあ、五百年前のわずかな文献にしか残されていない森の聖乙女というのは、いったい何なんだ? 誰にもわかりはしない。あるいは大巫女は、何から何まで知っているのかもしれんがな」
大巫女はあえて知らんふりをしている? エンテは首をかしげる。
ガルウが続けた。
「森の聖乙女というのは、もしかしたら大巫女の地位を上回る存在かもしれない。だからこそ、各国の神宮は色めき立っている」
「どうしてですか?」
「大巫女をも凌駕りょうがするかもしれない森の聖乙女という娘を掌握できた国、あるいは神宮はどうなるかな?」
「大神宮と大巫女の存在価値が下がって、反対にその国や神宮が大陸中に影響力を持つことになる?」
「まあ、そういうことだ」
ガルウの話を聞いていたユイカが首をひねった。
「そこまで大陸中の国が警戒する大神宮というのは、どんな力を有しているんです?」
ガルウが不思議そうな顔でユイカを見た。それは子どもでも知っている常識だ。ユイカという人物は、やはりこの世の者ではないのか、とガルウも認識を新たにした。それでも面立ち以外にこの世界の人とそれほど変わりはないように思えるが。
ひとつ空咳をすると、ガルウはユイカに向きなおった。
「大巫女の祈りと祈りの場を提供する大神宮によって、金糸樹と金糸の森は、その輝きを維持し続けられると信じられている。金糸樹も金糸の森も、大陸の繁栄と豊かさを担っているんだ」
「そう……ですか」
「なんだか疑ってるね。事実だよ」
とりあえずユイカは、ガルウの答えを納得することにしたようだ。それにしては眉間の皺がほぐれない。
常々エンテは思っていたのだが、どうもユイカはこの世界の法則というか理ことわりに抵抗があるようだ。彼女がいた世界というのは、いったいどういう所だったのだろう。
ガルウは大きく息を吐きだすと、何かをこらえるように、きつく目を閉じた。
「そうだなぁ、こういう話がある。……五百年ほど前、愚かな王がいてな、神樹の地を侵略の対象としたことがあったんだ。大陸中の国に発言権のある大神宮の存在が、おもしろくなかったらしい」
「その王様は、大神宮の役割をきちんと理解していなかったのですか? ずい分と不遜な考えを抱いたものですね」
「大神宮の発表は大巫女の発言、大巫女の言葉は大地母神の意思だ。その国は、それを無視した。ところがな、今じゃその国は、名が歴史書の片隅に載っているだけだ」
「そういえば、思い出しました。歴史書では、五百年前については大災厄にページを割かれていたので、その国のことは一行だけ記載されているだけだったような」
「あってはいけないことだったから、歴史の中に埋もれさせてしまう思惑もあるんだろう。その国は完全に滅びたからな。今では跡形もない」
ユイカの表情が硬くなった。まったく信じられない話なのだろう。
エンテは、ぶるっ、と身を震わせる。
「それじゃぁ、もしかしたら、その国の謀略が、五百年前の大災厄の発端となったんでしょうか?」
「その国が滅びたのは、大災厄の結果でもある。だが、大災厄の遠因がその国の無謀な行いにあったとは、必ずしも言えないんだ。……ともかく五百年前のある時、金糸樹の輝きが失われ、森が見る見るうちに衰えてゆき、枯れはじめた」
そうして、大災厄が大陸を襲ったのだという。
灰色の雲のように虫が発生した、と文献に残されている。それがどういった種類の虫なのか、どんな碩学せきがくにも学者にも謎だ。雲霞うんかのごとくに大陸を覆いつくした、と文献には残されている。
「もしかしたら、虫ではなかったのかもしれない。大陸の至るところに灰色の霧が発生した、という記録もある」
陽は姿を隠し、大陸中の穀物の籾の中身はことごとく空になり、他の農作物も実りを迎えることはなかった。家畜は病気にかかり、孕んでも死産か生まれ落ちてからじきに死んだ。
灰色の虫、あるいは霧からは醜悪な怪物が次々と生まれ、人も動物も餌食となった。
人々は私欲に走り、財を抱え込み、民草は飢えに苛まれた。国の備蓄が放出されたが、暮らしは一向に上向かない。各所で暴動が起こっても、時の為政者には成すすべがなかった。
その間も灰色の霧は増え続け、怪物が大陸中を跳梁跋扈する。人々は屋内に閉じこもり、震えながら災厄の通り過ぎるのを待つしかない。
「怪物……。魔獣ではなく?」
「記録には、灰色の怪物とだけあるな。そういった魔獣が現れたのかもしれんが、見たことがないしなぁ」
しまいには人口の4割強が死に至る病が流行った。人々が絶望のどん底に落とされたのは言うまでもない。
灰色の時代と歴史に刻まれている。
そんな中、大地母神の啓示を受け、召喚魔法を執行して大災厄を鎮めたのが森の聖乙女と呼ばれる娘だった。その後、森の聖乙女と彼女に召喚された龍によって金糸樹は復活し、大陸に静穏が訪れたとある。
「大巫女の託宣によって選ばれたのではなく、森の聖乙女が、直接大地母神の啓示を受けたんですか!?」
「確かに、それが今回とは違う点なんだよ。しかも森の聖乙女と召喚された龍が、具体的にどういった行動をとったことによって災厄を鎮めたのかもわからない。わかっているのは、金糸樹を持ち帰った、ということくらいだ」
「金糸樹を持ち帰ったというのは、枝とか木の実とか、ですか?」
「さて、わからん。ともあれ言えることは、金糸樹は確かに大陸の豊穣の源であるということだ」
語りつかれたのか、ガルウは、ふう、と椅子の背もたれに身を預けた。