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災厄

 翌朝、思いっきり寝坊をしたエンテは、あわてて食堂に顔を出した。


「お、おはよう」


 勝手場には既にユイカがいて、朝食の支度をするローラを手伝っていた。

 先ほど魔法具で沸かした風呂を使わせてもらった、とユイカは口ごもりながらエンテに伝えた。着替えはエンテのものを拝借したという。スカートは慣れないので、エンテが魔法の鍛錬の際に使用するズボンを穿いている。


「久しぶりにゆっくり眠れた。服も貸してもらったし、感謝する」


 ユイカの固い口調は相変わらずだが、だいぶ顔色も良くなっている。落ちくぼんでいた目のまわりも、少しだけ戻ってきたような気がする。そげた頬の肉は、これからか。一晩ぐっすりと眠れたようで、体調は戻りつつあるらしい。

 七日間も過酷な状況下に置かれていたようなのに、おそるべき回復力だ。いや、未知の生物に襲われたと言っていたから、七日以上か。凶暴な魔獣のようなものだったのかな、とエンテは思い描く。ちなみに魔獣は幻獣のなり損ない、あるいは堕ちた幻獣だとも言われている。



 思い出したくもないことを、会ったばかりの他人が掘り返すべきではない。エンテは、勝手な想像をぐっと抑え込んだ。


「よかった。朝食は食べられそう? できればいっぱい食べて、もっと元気になってね」


 自分が召喚してしまったという負い目もあり、エンテはことのほかユイカを心配する。まるで姉のように振る舞うエンテに、ローラは微苦笑を浮かべた。


「エンテの方が、よほど幼く見えるのにねぇ」


 ローラのからかいに、エンテが頬をふくらませるのも、お定まりのコースだ。

 全員分の朝食をトレーに乗せたローラは、エンテにエイヤを呼んでくるように頼んだ。


「今は工房にいるから。……あ、エンテ」


 工房に向かおうとしたエンテに、ローラが声をかけた。


「お義母さんに、森の聖乙女について訊ききたいんでしょう? ユイカさんにも関係のあることだから、朝食をとりながら話をしましょう。そう伝えてくれる?」

「わかった」


 見透かされていたな、とエンテは小鳥のように首をかしげて、食堂を出て行った。

 エンテは食堂を出ると、店表とはカウンターで隔てられた奥向きの、最奥にある扉を開けた。

 ごく短い渡り廊下でつながった工房へ顔を出してみる。作業中だったエイヤは、朝食に向かうつもりだったらしく、革手袋とエプロンを外しているところだった。


「ねぇ、おばあちゃん。森の聖乙女について教えてくれるんでしょ?」

「まあ、お待ち。あたしが知っていることは、ちゃんと話してやるから」

「うん。おかあさんもユイカさんも、きちんと知りたいと思うんだ」


 エンテは、穏やかな笑みを浮かべたエイヤと並んで食堂に戻った。



 テーブルには昨晩出された腸詰の残りとスクランブルエッグが用意されていた。それからパンと野菜スープだ。エイヤの簡単な祈りの言葉の後に、皆でカトラリーを手に取った。

 ユイカの食欲もどうにか戻っているようで、腸詰や卵料理にも手を伸ばしてくれた。エンテは胸をなでおろす。


「ユイカさんの食が戻りつつあるようで良かった」


 エンテの言葉にユイカは戸惑ったようで、瞳をさまよわせる。ためらいがちに、切り分けた腸詰を刺したフォークを皿の端に置いた。


「……その、夕べはすまなかった。せっかく食事を用意してくれたのに、ロクに食べられなくて」


 ユイカがローラに向かって頭を下げると、ローラはころころと笑った。


「ほんとうに律儀ねぇ。絶食状態だったのに、おなかいっぱい食べるわけにはいかないわよね。ともあれ、スープだけでも完食できたのは賞賛に値するわ。でも、今日以降はしっかりと食べること。ただし、無理は禁物よ」


 ローラが人差し指を振り振り、にっこりと笑った。

 照れくさかったのだろうか、ユイカは少しだけうつむいて、こくりとうなずく。その仕草が、エンテには齢相応に見える。というか、そもそも彼女の年齢を知らないのだが。


「ねぇ、ユイカさん、歳を教えてもらってもいい? えーと、わたしはね、十八歳」


 エンテの問いにうろたえたように、ユイカは視線をさまよわせる。そんな個人的なことを打ち明けてよいものか、迷っているようだ。


「……十九」

「えっ、わたしと一つしか違わないの!?」

「あらあら。エンテよりも、かなり年上に思えるわねぇ。あ、見た目じゃないのよ。心持よ、心持」


 ローラの直球の感想を受けたエンテは、確かに……とがっくりとうなだれた。己の未熟さを突きつけられたような気分だ。


「そんなことはない。神宮……だったか? あの場所でのあの状況で、自分をかばってくれた。感謝している」


 ユイカに真摯な目で見つめられ、エンテは柄にもなく照れた。



 当然エンテも、神官達の無言の圧力を受け続ける、という異様な状況下にあった。どういった行動をとれば良いのか、判断が難しかった。それでも自分が召喚してしまった人をおざなりにするのは人としてどうか、とエンテなりに判断し、神宮ではひたすらにユイカを擁護したつもりだ。

 なにしろ、薄汚れたただの人、とユイカをさげすみ、エンテにも散々な対応をしてきた神官達に対して怒りが腹の底に溜まった状態だったのだ。


「まぁ、この国の神官どもの躾のなっていないのは、今に始まったことじゃない。ユイカさんもエンテも嫌な思いをしたろうに、よく我慢したね」


 うんうん、と首を振りながら、エイヤがにこやかに二人の忍耐力を褒めた。


「ねえ、おばあちゃん。神宮の神官達って、問題がありすぎるような気がする。それって実は、それなりに理由があるの?」

「まあ、それは、至極単純なことなのだよ。神宮やら大名家やらの思惑が絡んでいるせいである、ということかの」


 エンテが神宮側の対応に苦りきっていても、何となくエイヤにはぐらかされてしまった。

 さて、とエイヤが皺だらけの手を打ち合わせた。


「それじゃあ、森の聖乙女について説明しようかね。その前に、いったんテーブルの上を片づけようか」


 皆が首肯して、そそくさと朝食の後片付けをはじめた。ユイカもかなり体の動きがよくなってきたようで、さっさと皿を積み重ねて台所へ運び込んだ。

 エンテが食器を洗い、ローラが拭いて棚にしまう。それからローラは、皆のために香りのよい香茶を淹れてくれた。テミス領の特産品だ。



 カップを傾けて香茶を堪能したエイヤが、ほうぅ、と息を吐きだす。


「森の聖乙女だがね。その名が、この大陸で人の口の端に上ったのは、およそ五百年ぶりのことになるかの」

「五百年前にも森の聖乙女がいたの!?」

「まあ、お聞き。森の聖乙女は、召喚魔法を駆使して扶くモノを喚ぶ。ここが肝心なところでね。つまり、森の聖乙女は相棒を必要としているということになる」

「えーと、つまり召喚されたモノと共同作業をするということ?」

「そう。でなければ金糸樹の枯朽によって起こる大陸の崩壊を防ぐことはできない、とされている」

「バディということか」


 ユイカのつぶやきに、エンテが、ぐりん、と首をまわすと、目をいっぱいに見開いた。


「ばでぃ、って何?」

「相棒だ」

「ばでぃ!」


 エンテの瞳が、きらきらと輝いた。「ちょっとかっこいいし、うれしい」と漏らすエンテに、今度はユイカが目をしばたたかせた。


「だって、ユイカさんとわたしが、ばでぃって、ことでしょ?」


 満足げにうなずくエンテに、ユイカが照れくさそうに顔をそらした。


「自分は、その、魔力……とかがないんだろう? それでは役立たずだ、と言われたはずだが」

「そんなことない!」


 エンテが、がしっと、ユイカの手を両手で握った。


「確かに当初は、なんで? って思っちゃったりしたけど、わたし、思うのよ。ユイカさんが召喚されたのって、きっと意味があるんじゃないかって。だってね、召喚魔法は大地母神の御力をお借りするという、とんでもなく高度な魔法なの。だからこそ、無意味に喚ばれたわけじゃないはずよ」

「まあ、その通りじゃね」


 口角泡を飛ばす勢いのエンテに、エイヤが加勢した。


「エンテがいると、どうも話が別の方へ向かってしまいがちになるのぅ。とにかく、ばでぃ……だったか? ふむ、あたしも、これから使わせてもらおうか。召喚した者と召喚されたモノには、きちんとした役割があるというのはエンテの言う通りだよ」


 うんうんと首を振りながら、エイヤは続けた。


「あたしは、ばでぃが助け合い、朽ちる瀬戸際にある金糸樹を救うのが役目である、と解釈しておる」

「それじゃあ、各国の神宮でそれぞれ聖乙女候補を確保して、各自が召喚魔法で相棒を喚びだす必要は、特にないと思うんだけどなぁ。複数の候補なんて、無駄じゃない?」


 手を頬に添えたローラが、エンテの言葉に相槌をうった。


「そうね。もっとも魔力の高い……たとえば大名家の人を選出して、その方に一任すればいいことよね」

「喚びだしたモノによっては、金糸樹の崩壊を防げないことがあるらしいんだよ。ゆえに今回は複数人が選ばれたのだろうね」

「えー、どうして?」

「そのあたりに、金糸樹の特性が関わっていると思われるのだがね」


 エンテが眉間に皺をよせて首をひねった。ユイカは相変わらず黙したままで、じっと耳を傾けている。


「その前に、一千年前の話をしようかね」

「さらに遡った!?」

「エンテ、いちいち騒ぐでない。文献を調べる限り、はじめて召喚魔法が執行されたのは一千年前のことになる。まだ大神宮も大巫女も、存在があやふやな時代だった。その時はエンテの場合と同じように、人が喚ばれたようなんだよ」

「幻獣じゃなかったの!?」

「ただ、一千年前の災厄は、金糸の森周辺に限られていたらしい。森が真っ黒になった、と記されておる。召喚した者と召喚された者との働きにより、どうにか収まったようだよ。黒くなった森ということ自体が尋常ではないのだがね……」


 言葉を濁すエイヤ様子に不穏なものを感じるが、ともあれ一千年前は、どうにか乗り越えたということになる。


「金糸の森が黒くなったなんて考えたくもないけど、それだけで済んだのは不幸中の幸いということじゃないの?」

「まあ、そうとも考えられるがね。だが、五百年前の災厄は比べ物にならないほど激甚だった」


 記録に残る苛烈な大災厄は、文献や記録文書、はたまた口伝としても残されている。当時の大神宮や大巫女に、鎮静化させる術すべはなかったのだ。

 ローラが頬に手を添えて、眉をひそめた。


「大巫女は大地母神の託宣を授からなかったのでしょうか?」

「皮肉なことにな」


 どういう意味でエイヤが“皮肉”と言ったのか、エンテには今ひとつ理解できない。

 その後、災厄が猖獗を極めた頃、森の聖乙女が召喚魔法を執行し、災厄は鎮静化したという。


「ただし、召喚したモノが確かに有効な存在だったのか、よくわからなかったようだがの」

「でも、五百年前にどんなモノが召喚されて、女神の金糸樹を救ったのかは記録に残されているんじゃないの?」

「いちおう、龍が喚ばれた、とある」


 なんですと!? とエンテもローラも驚愕した。龍と言えば、この世で最高の力を持った幻獣だ。正直なところ、書物の挿絵でしかその姿を拝めない。

 馬のような頭にはえた優美な角は、雷いかづちを解き放つと言われる。テミス領と北の国の間に屹立するコート山脈をも、ぐるりと取り囲めるという長大な体躯は、幻獣の王の名にふさわしい。

 エンテが前のめりになって問いただした。


「今回、神宮で喚ばれたのは天馬だったと聞いたの。それじゃぁ、他国の神宮で龍が召喚された可能性があるのかな」

「それは、どうだろうな。ともあれ、龍の存在によって救われたのは確かだろうて」


 五百年前の災厄の際には大陸中が阿鼻叫喚の地獄と化したが、龍と森の聖乙女によってどうにか乗り越えることができたという。ただ、森の聖乙女がいったいどういった手順を踏んで鎮めたのか、エイヤにも答えられない。


「真っ向から問いただせば良いことだがの。だが、あれがどう答えるか……」

「おばあちゃん?」


 一瞬、どこか遠くへ気持ちを飛ばしたエイヤは、振り切るように首を振った。


「いや、いい。五百年前の災厄がどんなものだったのかは……。そうじゃな、詳しい者がおるから説明してもらおうかの」


 ぶつぶつとつぶやいていたエイヤだったが、やがて自分の思考に埋没してしまった。









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