食事
カウンターの向こう側の壁にある扉を抜けると、そこそこ広い居間兼食堂に出る。洗面所で手を洗ってきたエンテと召喚された人は、テーブル席に腰を据えた。召喚された人の表情は冷静そのものに見えるが、居心地が悪そうに身じろぎをしている。
ローラが奥の台所に出はいりし、すでに用意されていた夕餉用の料理をテーブルに豪快に並べた。
厚く切ったベーコン入りの野菜たっぷりスープにライ麦パン。湯がかれた大きな腸詰と揚げたジャガイモが、でん、と大皿に盛りあわされている。
のっそりと自分の席についたエイヤの「この世のあらゆるものに感謝いたします」というごく簡素な祈りの後に、エンテはソーセージをフォークに突き刺しかぶりついた。
「宮ひゃ、ロクな物を食べさせてもらえなかったから、久しぶりのおかぁはんのご飯がおいひいぃ」
「これ、エンテ。しゃべるか食べるか、どちらかにしなさい」
ローラに叱責されたエンテは、ぐっ、と口をつぐんで、もぐもぐと咀嚼する。ふと、隣に座る召喚された人に目線が移った。
召喚された人の目が、じっとりと食事に注がれている。先ほどまでは眠そうだった目が、かっ、と見開かれ、震える片手でスープ皿をつかんだ。スプーンを手に取り、汁だけを掬うと、恐る恐る口に運ぶ。ごくりと飲み込んで、ようやく安心したのか、野菜を避けて汁だけを少しずつ口に運びだした。空腹なはずなのに、ひどく慎重だ。
「水と同じ。毒なんて入ってないよ、おかあさんの手料理だから」
試すようにスープを口に含む召喚された人に、エンテは、不本意だ、とばかりに口を挟んだ。召喚された人はスープから目を離さず、おざなりにうなずく。
(野菜が嫌いなのかな。ううん、違う)
フォークを持つ手の止まったエンテは、かえって興味が湧いてきて、召喚された人の挙動に目が釘付けになった。エンテの視線を感じているだろうに、召喚された人は相変わらずゆっくりとスープだけを口中に流しこむ。
やがて召喚された人は、ごろりとしたキャベツのかたまりやニンジンをフォークで小さく刻み、ひとつずつ口に入れてゆく。その様子を逐一見ていたエイヤは「もしかしたら飢餓状態にあったのかもしれんの」と漏らした。
「えっ!?」
ぽかん、とエンテの口が開いたままになった。エイヤがいたわしそうに首を振る。
「どんないきさつがあったか知れんがの。小さくなった胃に、いきなり肉のかたまりやパンを押し込んだら吐いてしまうじゃろ?」
「そ、そうだけど」
召喚されてから半日ほど経っているが、そこまで差し迫った状態だったとは思ってもみなかった。
エンテがうろたえていると、ぼそっとした声が聞こえた。
「七日ほど、水分以外は摂取していなかった」
「し、しゃべった」
エンテの驚きに反応したのか、召喚された人が気まずそうに目を泳がせる。
やっと、言葉を発してくれた。エンテはやらねばならないことをまずは実行するために、カトラリーを置いて立ち上がった。
「……その、ごめんなさい」
唇を噛んだエンテは、召喚された人に向かって、まっすぐに謝った。召喚された人は、ぴたりと食事の手を止め、不思議そうにエンテを見る。
「どういう間違いが起こったのかわからないけれど、あなたを、住んでいた場所からここまで飛ばしてしまったのはわたしだもの」
「……いや、これまでの経緯から、あなたの所為ではないことはわかっている」
すっ、と召喚された人の目が伏せられた。まつげが長いなぁ、とエンテは何となく思う。召喚された人が、遠慮がちにつぶやいた。
「それよりも、自分の言葉が通じるのがわかって安心した」
「えーと、何しろ、わたしにとっても一か八かの契約だったの。これも一方的なもので申し訳なかったんだけど……。意思の疎通がはかれないと、今後どうすればいいのか判断がつかなかった。でも、絶対にあなたが困らないように対処するって決めてたから」
実際は一言もしゃべってくれなかったので、エンテの判断で召喚された人の処遇を決めるしかなかった。神官らは、大名家の令嬢や彼女に召喚された幻獣への対応に手いっぱい……というか、エンテの方は放置同然だったのだ。
「自分に向かって、そのような内容を伝えてくれたのも覚えている。ともかく、契約? とかをした後に、他者の会話から現状を把握できるようになったのは、ありがたかった」
召喚された人が穏やかにうなずいてくれたので、エンテは胸をなでおろした。
「この人と契約を交わしたんだね」
先ほどから、召喚された人の一挙手一投足を注視していた祖母のエイヤが、エンテに問うた。
「うん。でも、もともと相手が幻獣でも、従属を強いるような契約を交わすつもりはなかったの。友達になれたらいいなぁって思うくらいだったから、言葉を交わせるようになる程度の軽い契約をね」
「どのみち、その場ではなんらかの契約を実行せねば、神官どもは納得はせなんだろう?」
「まぁね。でも、大名家の令嬢はけっこう強力な契約を執行して幻獣を縛っていたみたいだけど、それって大丈夫かなぁ、ってちょっと心配になった」
エイヤがちぎったパンをスープに浸しながら、考え考え、ゆっくりと答えた。
「その結果は、じきにわかるだろうさ」
「そうだね。結局、『森の聖乙女』ってどういう存在なのか、よくわからなかったし」
母のローラが呆れたように目を丸くする。
「よくわからないって……。神宮の神官にも、説明はできなかったっていうことなの?」
「そういうわけでもないようだけど……。大巫女様の託宣通り、森の聖乙女候補が神宮に呼ばれて幻獣を召喚したまではいいけど、そのあといったいどうなるのか。そもそも何が目的なのか、さっぱり説明がなかったのよね」
エイヤが半眼になり、不機嫌な声が漏れてきた。
「『女神の金糸樹が枯れ』そうだから『森の聖乙女』を呼べ、ということだけは公にされているっていうのにねぇ」
半端な情報しかなく、謎でしかない託宣によって振りまわされたエンテこそ、いい迷惑だ。大名家の令嬢にとっては栄誉につながる可能性もあるようだが、平民のエンテなど最終的には女神の宮から放り出されたのだから、踏んだり蹴ったりではないか。
「まあ、それでもね。なんだかお友だちが増えた気分なの。ここに着くまで、ぜんっぜん話をしてくれなかったけど」
ちょっとしゃべっただけで相変わらず黙々と食し続ける召喚された人に視線を向け、エイヤはにやりと笑った。
「ねぇ、召喚される前にあなたがいた場所を教えてもらえる? わたしだけじゃ無理かもしれないけど、わたしの家族の協力があればそこに戻してあげられるかもしれない」
とたんに召喚された人の雰囲気が、固くこわばったような気がした。
エンテは、あらためて召喚された人を凝視する。外見から鑑みるに、どうやらコスモロード国の民ではなさそうだ。では、大陸の他の国から喚んでしまったのだろうか。あるいは大陸外の島嶼部からなのか。
現在、幻獣の棲み処として判明しているのは、人の暮らすユリア大陸とは別の大陸であるということ。そこは神の領域に近い場所らしく、だからこそ幻獣は神聖視されている。まさか、そんな場所から来たわけでもないだろう。
「このコは、この世の者じゃぁないね」
「えっ!?」
思ってもみなかった祖母の言葉に、エンテは思いっきりパンを喉につまらせた。どんどん、と自分の胸をたたきながら、思わず叫ぶ。
「なにそれ! まさか幽霊とか!?」
「馬鹿なことを、お言いでないよ」
ふんっ、とエイヤが鼻から息を吹き出した。叱責されたエンテは、まずは召喚された人を気まずい顔で見た。召喚された人はどこ吹く風で、相変わらず真剣な顔をして、わずかにスープの入ったスプーンを口に運んでいる。
「この世界の空気をまとっていない……とでも言うのかねぇ。少なくとも幻獣っていうのは、この世界の住人だ。それが、たとえ人の足が踏み込むことのできないような場所であってもね。けれど、このコに関しては、この世界に在る者の気配というか雰囲気がない」
エイヤの目が据わっている。不審、というよりは疑問を感じているのだ。召喚された人が、ちょっとだけ唇の端を押しあげた。初めて見せる表情の変化だった。
「やはり、そうだったか」
ぐりん、とエンテの首がまわり、召喚された人を食い入るように見つめた。
「わあ、またしゃべってくれた」
「きっと、様子をうかがっていたのよね」
にこにこしながら、ローラがさらりと言う。
「珍獣扱いだな」
召喚された人のつぶやきに、エンテは目をむいた。
「どういうこと!? あなたに対して害意はもちろん、おかしな偏見なんか抱いてないから!」
「落ち着きなさい、エンテ。考えてもごらんなさい。いきなりわけのわからない場所に喚ばれてしまったのよ。しかも見慣れない人たちが、ずらりと居並ぶ場所に」
「あ……ああ。そっか、そうだね」
「しかしのう。唐突に召喚されたにも関わらず、冷静な行動をとれたようじゃ。いつでもどこでも異様な状況に対処できるよう、考えていたのかな」
召喚された人が、しばらく指で顎をこねながら考えた。
「消耗して動けなくなっていた、というのが正直なところだ。こんなことは想定していなかったが、体力の温存を優先した。まったく知らない言葉で勝手に語りかけられていたが、この子が……」
そこで召喚された人が、エンテを指さした。
「何か、きらきら光る現象を起こしたとたんに、周囲の人間の言葉がわかるようになった。けれど通常では、同時翻訳機能を有してはいても決して友好的とは思えない集団など、用心しすぎるほど用心するのがほんとうのところだと思うのだが?」
エンテがテーブルに両手をつくと、いきおいよく頭を下げた。
「翻訳じゃなくて、契約したからなの。あなたに断りもなく執行しちゃって、ごめんなさい!」
「はじめて聞く言葉を解するようになる機能ということか?」
「まあ、そのようなもの。それに、容易には解けない契約魔法なの」
ふぅん、とまるで他人事のように召喚された人がエンテを見つめる。
「いや、それはかまわない……としか言いようがないな。契約魔法とやらの実態はわからないが、いずれにしろ言葉が通じないままでは、次の行動の選択肢が狭まるから」
おそろしく冷静な表情で、召喚された人は言葉を切った。息を呑み込んだエンテは、ぐぐっ、と身を乗り出した。
「あのっ、あらためて、わたしの名はエンテ、エンテ・カンバー。あなたの名前を教えてもらってもいい?」
「自分の名……か。名は、鬼月ユイカという」
「キヅキ……ユイカ……さん?」
「ああ……」
はたと気づいた、召喚された“人”が苦笑した。
「名はユイカ、姓はキヅキ」
「ユイカ……。ユイカね! ユイカ・キヅキ」
感極まったように繰り返すエンテに、ローラが落ち着いて座るように促した。勢いづいたエンテは、そのままその場にいる者の紹介をした。
「それから、ここにいるのは、祖母のエイヤ・カンバーと母のローラ・カンバーです」
「よろしくね、ユイカさん」
ローラがおっとりと微笑み、エイヤも満足げにうなずく。
ただ、ユイカの冷淡とも言えるような表情は変わらない。
なんの感慨も抱かず、「よろしく」と淡々とした口調のユイカに、エンテは戸惑った。この落ち着きようはいったいどういう訳? という疑問が湧き出てくる。エンテが召喚してからこちら、ユイカは取り乱した様子をいっさい見せていない。
ユイカの歳はエンテと同じくらいに見える。自然、膝頭を握った手に力が入る。エンテは話題をそらすことにした。
「えーと、ユイカさんは女性……なのよね?」
「いちおう、そうなる」
「いちおうも何もないと思うんだけど」
「そうか?」
しれっと返したユイカは、エンテと彼女の母や祖母を順番に見ると、静かに立ち上がり、腰を90度に曲げた。
「ともあれ、美味い食事を提供してくれて感謝する」
気づけば、スープの皿が空になっていた。あわてたのはローラだ。ぱたぱたと両手を打ち振った。
「あらまぁ、お口にあったようで、よかったわ。お代わりは、どう?」
「いや、今はこのくらいにしておく。ほんとうは、もっと大食らいなんだが……。でも、助かった」
ローラが気づかわし気に頬に手を添えた。
「そういえば、パンにも腸詰めにも手を出していないわね。確かに急激に大量に食べるのはよくないものね」
とうとうエンテがユイカの核心に近づこうと決意した。
「ねぇ、いったい、どういう理由で七日間も絶食状態だったの?」
「ともに行動していた仲間が全滅した。自分は、安全ではあるが、何もない砂漠地帯に逃れた」
「どういうこと?」
「あまり気持ちのいい話ではないから」
そこまで言うと、ユイカは口を閉じてしまった。これ以上は語りたくないのだろう。仕方なく、エンテは話を切り替えた。
「そ、それにしても、七日間も何も食べてなかったっていうのに、よく神宮からここまで歩いてこられたよね。知っていたら、途中で何か手に入れたのに」
気づかなかった自分もたいがいだけど、とエンテは申し訳なさそうな顔をする。金は持っていなかったが、裏通りに入れば勝手知ったる場所だ。その辺の店に飛び込むこともできただろう。
飢餓状態だったというのに、ユイカはいたって涼しい顔をしていた。半分眠ったような表情をしていたが、神宮からカンバー魔法具店までよどみなく歩いてきたのだ。
まじまじとユイカを見るエンテに、ユイカは困ったように眉尻を下げる。
「ある程度の飢餓には耐えられるよう訓練をしている」
「訓練って……。いったいどんな理由でそんな訓練を?」
「自分はそのように訓練されていた、とだけ言っておく。これ以上の説明は混乱を招くだろう」
「ともあれ、現在のユイカさんの食欲を見ていると、エンテの方が、よほど欠食児童のように思えるわねぇ」
ローラの意見は、エンテにとって不本意である。
「いずれにしろ、あのままでは遅かれ早かれ、自分は死んでいた。召喚魔法とかはよくわからないが、エンテさんには感謝している」
ユイカが、もう一度頭を下げた。頭を下げるという行為がどういう意味を持っているのか、エンテにもようやく理解できたところだ。エンテはあわてて両手をぶんぶんと振った。
「こっちの勝手な都合で喚んでしまったんだから、そこまで感謝してもらわなくてもいいですよ」
「しかし、それも、その神宮とやらの連中に強制されたものだったのだろう?」
「まぁ、そうなんだけど、わたしたちの側の勝手な行いだったわけだから。謝罪すべきなのは、こちらの方」
頬をぽりぽりとかいて困ったように笑うエンテに、ユイカは初めて目元をゆるめた……ような気がした。
そこで、ぱん、と、両手を打ち合わせた音が食堂に響いた。ローラが引き締まった顔で皆を見渡す。
「さて、と。とりあえず今夜はもう休みましょう。エンテもそうだけど、ユイカさんは……」
言いかけたローラが、じっとユイカを見つめた。
「相当に、消耗しているみたいだしね」
ローラに指摘され、ユイカが目をしばたたかせた。エンテもまた、突如、気づいたようだ。
「あ、そうだよね。神宮に召喚されてから、なんの猶予もなく追い出されちゃったんだもの。ましてや七日間も何も食べてなかったなんて、疲弊していて当たり前だった。気づかなくて、ごめんなさい」
「……いや」
少々気まずそうに目を伏せたユイカは、やがてエンテ達の顔を見回した。
「自分の素性が気にならないのか? もしかしたら、悪意を持った人間かもしれないではないか。食事を提供してもらったので、ある程度は活動できるようになったんだ。あなた方に害を及ぼす可能性があるとは考えないのか?」
エンテは呆気にとられたように目を丸くしたが、やがて、うーん、と腕を組んで首をひねった。
「害を及ぼそうって人が、わざわざそれを口に出す理由がわからないんだけど?」
ローラが、ぷっ、と吹き出した。
「そうね、エンテの言う通りだわ。ユイカさん自身については、気が向いた時に説明してもらえればいいのよ。あるいは何も言わなくても大丈夫。カンバー家の防御魔法は、ちっとやそっとじゃ破れないの。個人的にもね」
「魔法……か」
その時、エイヤがユイカに訊ねた。
「あんたの所では、魔法というものは存在しているのかい? もしかしたら……」
「自分のいた所には、魔法などはありません。おとぎ話でしかないのです」
刀自の問いに対し、ユイカはていねいな言葉で答えた。