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召喚された、ただの人

「森然たる大気にあまねく恩寵を

 日輪のしたに 星月夜のたなごころに

 深秘(しんぴ)なる大地を統べる御身の御稜威(みいつ)のもとに

 大地の母たる御身の名のもとに

 我が願いを(きく)したまえ

 いまこそ此処へきたれ 

 我を(たす)く者を ここに招きたまえ」


 この世界の根源を表す金、銀、白、赤、黄、青、緑の、七つの結晶石によって作られた円陣の中心に、目を眩まさんばかりの光の柱が立った。

 円陣の外側で召喚魔法の詠唱を終えた少女の栗色の髪が、風もないのにふわりと揺らめき、琥珀色の瞳が燦燦たる光を映す。


「おお……」


 召喚の間の壁沿いに立ちならぶ神官達の間から、ため息のような声が漏れた。

 目を覆わんばかりの光が徐々に消え、円陣の内側が露わになってゆく。召喚のための文言を連ねた当人が、円陣内の変化を確かめるために目をすがめた。

 溶けるように光が消え去った後には、座り込んだ、ひとりの人間が残されていた。

 その人が、ゆっくりと顔をあげた。どこか茫洋としていて、その目は何を映しているのかわからない。

 どよめきが起こる。


「人!?」

「……まさか。そんな馬鹿な!」

「魔法師団団長の御息女オランティア様は、天馬を召喚されたのだぞ。大神宮の秘儀であるというのに、この娘の()んだのは、ただの人であると?」

「失敗だ。ううむ、いくら大巫女の託宣によるものとはいえ、やはり平民では限界があったか」

「貴賤の差であるというのか?」


 さんざめく周囲を見渡した少女は、むっ、と鼻のつけ根に皺をよせた。どうやら、かしましい周囲に辟易としているようだ。すたすたと足を運び円陣の中に入ると、茫然自失状態の召喚された人と目を合わせた。



 召喚された人の面立ちは整っている。ただ、土のようなものが、顔全体にこびりついて汚れていた。

 髪の色は黒だ。それだけで神秘的な雰囲気を醸している。いや、光源はむき出しの結晶石による、ほのかな明かりだけだ。召喚の間は薄暗く、確かな色合いはわからない。

 衣服は見たことのない仕様で、顔と同じように塵埃(じんあい)にまみれていた。半分眠ったような黒い瞳は、闇を(たた)えたように(くら)い。

 少女は、あえて明るい声で問いかけた。


「初めまして。わたしはエンテと言います。あなたの名を教えてください」


 召喚された人は、エンテの唇の動きを目で追っている。どうやら言葉を理解する努力をしているように思える。だが、いつまでも茫昧(ぼうまい)とした目を向けているので、今ひとつ、通じていないのかもしれない。それでも召喚された人は、耳をそばだてるように顔を傾ける。


(わたしよりも年上に見えるけど、見慣れない顔立ちをしてる。どこから来たのかも知れないのに、意思の疎通がはかれないんじゃ、困ったことになるけど)


 うーん、と唸ったエンテは意を決する。強制的に召喚した相手に行うべきことではないと考えているが、これでは埒が明かない。

 彼女は目を伏せ、ふたたび祈りに集中した。


「森然たる大気にあまねく恩寵を

 日輪のしたに 星月夜のたなごころに

 深秘なる大地を統べる御身の御稜威のもとに

 大地の母たる御身の名のもとに

 我が願いを掬したまえ」


 そこでいったん言葉を切り、エンテは召喚された人に、ひたと目線を据えた。


「我、御身の力もて、喚ばれた者との交流を望み、おおいなる契約を成さんとす

 しかして喚ばれた者よ、汝、(だく)とするか」


 召喚された人の頬が、ぴくりと動いた。言葉は通じずとも、大地母神の恩恵により、意は伝わったはずだ。


「諾、と承った」


 エンテの指が、召喚された人の額に触れ、そこから星の光のようなきらめきが漏れ出た。


「契約完了。これでお話ができるよ」


 にっこりとエンテが笑ったが、召喚された人の表情はまったく動かない。相変わらず茫洋として、つかみどころがない。

 壁際から、ひとりの神官が進み出た。エンテの傍らに立つと、両手に携えた魔法具を差し出す。そこには無色透明の結晶石がはめ込まれており、神官の両の手のひらの上で、ずっしりとした存在感を放っている。


「エンテよ。その者、あるいは幻獣のかりそめの姿やもしれぬ。この魔法具は魔力測定器である。これに触れさせてみよ。幻獣ならば、人ではありえない魔力の色を示すはずだ。偽物ならば、見た目そのままに薄汚い色を見せることであろうよ」


 目の前で召喚したというのに、どこまでも疑ってかかるのか。エンテはうんざりした。

 この世に魔力のない者などいない。それでも人によっては、あるいは他の生き物によっては、測定器の示す色は変わる。幻獣ならば、尋常ではない色彩を示すはずだ。


「あの、いいかな? この石に触れてもらいたいんだけど」


 うつろな目で魔法具を見下ろした召喚された人が、のろのろと片手を結晶石に置いた。

 結晶石には何の反応もない。ほんのわずかでも色の変化は見受けられず、透明なままだった。


「魔力が無いなどありえない! この世界においては、ただの役立たずではないか!」」


 いきどおろしい声が、天井高い堂の中に響き渡った。

 エンテもまた、息を呑んだ。


「こんなことって、あるんだ」


 目を見開いて驚くエンテと、相変わらずぼんやりとした召喚された人に対して業を煮やしたのか、魔力測定器を差し出した神官が有無をも言わせぬ勢いで言い放った。


「まやかしの召喚魔法を施したエンテと愚にもつかぬ喚ばれた者よ、ただちにこの神聖なる女神の神宮より去れ!」


 神官の命を受けた二人の神宮騎士が歩み寄ると、エンテと召喚された人の肩に手をかけて、召喚の間から出るように促された。無理に立たされた召喚された人の足元はふらついている。


「ま、待ってください。この人を、召喚された人をどうするつもりなんですか!?」


 神官が、いかにも嫌そうに目元を歪ませた。


「そなたが召喚したのであろう? ならば、そなたが責任を取るのが本来であろう」

「この人が、どこから来たのかもわからないのに?」

「召喚したのはそなただと言ったであろうが! そなたが元の居場所に戻してやればよい」

「そんな。神宮の責任はどこに!?」

「知らぬ」


 それっきり、エンテがどれほど言い募ろうと、神官らは聞く耳を持たなかった。エンテと召喚された人は、扉を守る騎士によって廊下に追いやられた。


「恨むのなら、さしたる能力ももたぬ、そなた自身を恨むのだな」


 召喚の間を出る時、神官から、捨て台詞が投げつけられた。部屋へ行き荷物をまとめろ、という言葉も、ついでのように背中にぶつけてくる。


(まったく。なんなのよ!)


 神宮騎士にぐいぐいと肩を押されているので、これ以上強く出られては困る。仕方なくエンテは、心の中でぶちぶちとこぼした。


「さっさと歩かんか!」


 召喚された人の足元が覚束ないのはわかっているはずなのに、神宮騎士はことさら強権的に召喚された人を面罵して、どん、と肩を突き飛ばした。召喚された人が、力なくよろよろとよろめく。

 エンテが形相を変えたのも無理はない。彼女は、ぱっと召喚された人の体を支えた。


「ちょっと、乱暴なことはしないで。弱っている人に対する態度じゃないわよ。神宮騎士の名折れでしょう!」


 きっ、とエンテが睨むと、騎士は少しだけバツの悪い顔をしたが、もうひとりの騎士が、ふん、と鼻先で笑った。


「召喚魔法ですら失敗したくせに、たいそうな口をきくな」


 嘲るような騎士の言葉に煽られるのは悔しいが、エンテは毅然と言い放った。


「召喚魔法はかなりの高度魔法のはずなんだけど、あなたにできるの?」


 それに、エンテの召喚魔法が失敗だったとは限らない。今のところ誰にも確認できないのだ。

 ぐっ、と息を詰まらせた騎士は、それっきり口をきかなかった。

 エンテは素知らぬ顔をすることにした。彼女は召喚された人の手をしっかりと握って先導しながら、十日間寝泊りしていた部屋へと向かった。



 本館に沿った回廊を進むと、内庭で優雅にお茶を嗜んでいる貴族の令嬢の姿が見えた。魔法師団団長である大名家の息女オランティアだろう。浮かれたように頬を緩ませて同席しているのは、神宮の長だ。

 一瞬、令嬢の視線がエンテと召喚された人を捉えた。

 オランティアは、わずかに眉をひそめた。即座に、まるでエンテ達の姿など目に映らなかったように、ふい、と顔をそらした。

 おそらくオランティアは、エンテのことを認識はしているのだろう。それで、あえて無視を決め込んでいる。


(わかりやすいなぁ)


 エンテにとっては幻獣を召喚した人物として興味を引く対象だが、そこまでの彼女の一連の行為だけで十分だ。一目その姿を見れば、魔力の色は識別できる。


(ふぅん、わたしと同じ緑なんだ。やっぱり召喚魔法を行使できるのは、緑色の魔力を帯びた者ということになるのかな。他の国の森の聖乙女候補の色も確かめられると、おもしろいんだけど)


 エンテの好奇心がうずくが、今はひとまず置いておくしかない。

 見る人が見れば、魔力の色がわかる。ただし、見ることのできる者は限られる。

 人が帯びる魔力の色はさまざまだが、この世界の根源を表す色以外はない。鮮明に美しい色を示すのか、あるいは混ざったものとなるのか。それは、人それぞれだ。

 エンテは、彼女が手を引く召喚された人を、ちらりと振り返った。


(でも、この人の色は、まったくの無色透明)


 魔力がない、というのは、エンテにとっては、いや、この世界に住まう者にとっては青天の霹靂だ。それがいったい何を示すのか、まったく謎でもある。

 神官や神官見習いの起居する寮は神宮本館とは別の棟になる。エンテがあてがわれた部屋は、長い間使われておらず物置と化していた神官見習い用の部屋だった。初めてエンテが部屋に案内された時は「掃除のやりがいがあるな」と呑気に思ったものだ。

 もうひとりの森の聖乙女候補の大名家の令嬢などは、神宮の長の客間を用意されていた。


(そんなことは知ったことじゃなかったけどね)


 エンテは、神宮に到着して早々に神官見習いをつかまえると、掃除用具一式を借りて掃除を終わらせた。神官見習いと同じ一日に二度の貧しい食事に不満を漏らすこともなかった。


『何らかの文句を言った時点で、神宮側を増長させることになるし、付け込まれる隙を与えることになるからね。当面は黙っておいで』

『我慢できなくなったらどうするの?』

『そんときゃ、とっと逃げだせばいい』


 そんな助言をエンテに与えてくれたのは、大好きな祖母だ。

 自室に到着すると、神宮騎士は廊下に待機し、エンテはそそくさと扉を開けた。


「逃げる必要もなくなったけどね、十日で出られるのは、ありがたいな」


 部屋に入り、召喚された人を粗末なベッドに座らせ、さっさと荷物をまとめはじめる。そもそも、いきなり連れてこられたので身ひとつだ。支給された神官見習い用のローブを脱ぎ、神宮に来た時の服に着替える。シンプルなワンピースと上着だけだ。

 神宮を出る準備は、あっと言う間にできてしまった。

 神宮から放逐するのを見届けるために、神官がやってきた。騎士に向かって、苛立たし気に口を開く。


「さっさと放り出さんか」


 そうして、エンテと召喚された人は、そのまま神宮から追い出された。


「まったく、もうっ!」


 腹立ちまぎれに、巨大な神宮の門に向かってエンテは吐き捨てた。







 大陸の先行きを危ぶんだ大巫女が、精進潔斎の後、大地母神から託宣を授かった。


『女神の金糸樹が朽ちる。『森の聖乙女』を招き、扶くものを喚べ』


 女神の金糸樹とは、大陸の中央に位置する神樹の地に立つ聖なる大樹のことだ。

 神樹の地は女神の金糸樹を中心としており、いずくなる国も不可侵の地域である。


 つまりは聖地だ。


 大陸の栄耀(えいよう)は、女神の金糸樹とともに。

 女神の金糸樹は、大地の弥栄(いやさか)を願う大地母神の手ずから植樹された、といにしえより伝えられている。金糸の森と呼ばれる深い森に囲繞(いじょう)され、他とは一線を画する威容を誇って枝葉を広げる金糸樹は、常に光り輝き、大陸の繁栄と豊穣の象徴として畏怖をもって崇められてきた。

 森にほど近い場所には、大地母神の大神宮がある。女神の神託を授かる大巫女と、大巫女に仕える神官や巫女が住まう。大神宮から神樹の地の東西南北の各境界まで、馬車で一日もかからない。聖地は大神宮の直轄地でもある。 

 金糸の森には、ただ人は容易に分け入ることができない。狩人や樵でさえも、畏怖の心から森には近づかない。森の際には大神宮所属の騎士団から派遣された騎士が常駐し、不用意に森に入ろうとする不心得者がなきよう監視している。

 そして。

 今回の託宣は、大神宮の大巫女によるものである。

 万が一にも金糸樹に何か起こってはいけない。金糸樹の朽敗(きゅうはい)は、大陸の滅びに連鎖する。

 金糸樹を護るための神託の詳細を大巫女から託された大神宮の長は、ただちに大陸全土、各国の神宮に通達を出した。


『大巫女の託宣により名の上がった『森の聖乙女』候補を各々神宮へ招くべし』


 秘儀である召喚魔法の伝授とともに、森の聖乙女候補の名が大神宮から各国の神宮へ伝えられた。それぞれの神宮では、王宮や首長の協力をあおいだ。それほどに、今回の事態は看過できない。はたして『森の聖乙女』によって、どのように事態の好転が期待されるのか。



 大陸中の国において、『森の聖乙女』候補とされた少女が各一名、指名された。呼び出された少女達は、ほとんどが貴族や有力な大地主の娘だった。力を持つ家は、それだけ強い魔力の色を持つ。誰もが納得する指名だった。

 ただ、数多ある国の中で、神樹の地に隣接するコスモロード国だけが異例の状況となった。一国に一名のはずの『森の聖乙女』候補が、二名指名されたのだ。疑問に思ったコスモロード国王都にある神宮の長からの問い合わせに、大神宮からは、間違いなく大巫女に授けられた託宣によるものである、という返事が届いた。


「内ひとりは平民ではないか。もう御一方は文句のつけようもない令嬢であるというのに」


 平民の魔力など、たかが知れている、とコスモロード国の神宮は不満を漏らした。

 だがしかし、事は大神宮の大巫女からもたらされた神託によるものだ。あだやおろそかにできない。神宮では、仕方なしに少女ふたりに召喚魔法を教授することとなった。



 結果は、じきに知れた。

 魔術師団総帥の息女であるオランティアは実に美しい天馬を召喚した。

 だのに、魔法具店店主の孫娘であるエンテは、ただの薄汚い、どこの者ともしれない“ただの人”を喚んだのだった。

 もともと期待などしていなかった神宮の長は、それみたことか、とばかりに鼻を鳴らしたものだ。



 ただし。

 そもそも『森の聖乙女』とは、どういった存在なのか。誰にも答えることができないのだ。





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