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憤怒

こういう時、人は死角を探したくなる。ギルバートは自分でも理解できない力に顔を掴まれて動かされたように、ちょうど、目の前の屋敷の屋根のへりを見た。フラウィウスがリカロンの住民らしき女性を拘束して立っていた。眼光鋭く、先ほどまでと雰囲気がちがう。右腕は肘から先がなく、断面が黒く焦げていた。

 コグは舌をまいた。

(こいつ、傷口を魔法で焼いたな。すごい根性だな)。フラウィウスはクォンの剣先を人質の首に押し当てた。

「おい、やめろっ!」ギルバートは思わず、反応した。フラウィウスは、ギルバートの顔いろをじっと見た。彼は氷のような無表情のまま何も言わない。剣先が人質の女の首筋にわずかに傷をつけた。悲鳴を上げかけた女にフラウィウスは顔を寄せた。

「お嬢さん。お名前は? 彼にも聞こえるように大きな声で言え」

「ポーラ……」

「大きな声で言えと言っただろう。細切れにするぞ」フラウィウスは女の髪を掴んで揺らした。ギルバートは彼女が殺されると思って、半歩、動いた。それを見てフラウィウスは「おい,

 小僧、動いたら、こいつの首をお前の足元に投げる」と脅した。

「なんだって。それでも騎士かっ!」

「ふふ」フラウィウスは微笑した。コグは頭を抱えた。フラウィウスは腕を奪われた後、すんでのところでテレポートをする位置を近くにずらしたらしい。考えれば、腕を失うほどの痛手を負ったら普通は逃げるが、彼は激昂して戻ってきた。そのうえ、多分な勝算のある策略までもって現れたのである。

(さすがに、大都市で生き残っただけはある)とコグは素直に思った。

「ポーラですっ!」女は言われた通り大きな声で言った。ほとんど悲鳴に近い声だった。

「ポーラ、君の仕事は何かね」

「靴屋です」

「ほう。では父親は?」

「製粉所で働いてます」

「なら、靴屋に嫁入りしたってことかね」

「はい」

「靴屋はお金になるか?」

「いいえ。そこまで」

「ふうん。子供はいるか」

「ええ、お腹に子がいます。聖女様には女子だといわれました。だから、ご慈悲を」

「ははは。腹の子は女子か、あの占いを信じておるのか。愛い奴だなあ。最近、気づいたのだが、あの占いの当たりはずれはちょうど、半々だぞ」

 他愛のない会話だが、空気は穏やかではない。ギルバートは当惑した。コグはギルバートの前に飛び出て行って、「奴はお前の倫理観を揺らしに来てる。わかるな、その手には乗るなよ」と警告した。

ギルバートは、その意味がよくわからなかった。

「奴は人質をどうする気だ」

「いいか……。あの女はもう死んでいる、と考えろ」

「……」ギルバートは不安に胸を突き刺された。いくら、悪党とはいえ、人が妊婦の命を奪うとは考えられなかった。ギルバートの頭脳は(そんなことはあり得ないっ!)と断じた。

「おそらく、あいつは、お前に致命的な要求をする。ほとんど、自害しろと命令するに等しい要求だ。わかってるな、絶対。乗るなよ、殺されるぞ」

 コグが小声でくぎを刺したがギルバートの耳にはほとんど入っていない。

「おい、あんたの狙いは俺だろう。なにも、人質を取ることはない。正々堂々、勝負だ」

 ギルバートはフラウィウスに向かって、諭した。コグは頭を抱え、フラウィウスは微笑んだ。

「そんなものはしらん。この女を殺されたくなければ、その神器を譲渡しろ」

 そう言われてギルバートは驚いた。彼はコグをじっと見て、逡巡した。

 そのようすにコグは呆れかえって、「冗談だろ。ギルバート、死にたいのか?」と喚いた。ギルバートは考えた。そもそも、フラウィウスは激昂し人質まで取って戻ってきた。そのわけは、コグが彼の腕を噛みちぎったことに対する復讐にちがいない。ならば、コグを譲渡してしまえば、人質は解放され、フラウィウスも、このままリカロンを去るだろう。

「わかった」ギルバートはコグをフラウィウスの方へ放り投げた。放物線を描きながら、コグはぎょろりと充血した目玉をだして「この大まぬけ野郎っ!」と叫んだ。

 フラウィウスはクォンの力でコグを浮かび上がらせた。ゆっくりと自分の手元に吸い寄せる。コグはクォンの力で浮力を得ていることに心底、吐き気がしたらしく「ああ、最悪だ。クォンの力で宙を浮くなんてよ」と悪態をついている。

「こんな素晴らしい神器があるとは世界はいまだ広いらしい」

 フラウィウスは感慨深そうに、コグの柄に触れた。その瞬間、言いようのない倦怠感がフラウィウスを襲った。

「これは……いやな感覚だ。海の底に沈められているような」

 フラウィウスはコグの刀身を眺めた。コグは一言も発さず、フラウィウスが隙を見せることを祈った。すると、フラウィウスは苦笑して「賢い神器だ。俺が魔力の弁を開いたら、一気に魔力を吸い取る気なんだろう?」

 (くそ。バレてるな)コグは冷や汗をかいた。付け入る隙がない。

「おい。この畜生、はやく、その人を解放しろ」

 下からギルバートが喚いた。フラウィウスは哀れなものを見るように彼を睥睨した。そもそも、ギルバートはすでにクォンの攻撃で体中、傷だらけだった。

(こいつは人の心配をしている場合なのか? どういうニンゲンなんだこいつは?)冷徹なるフラウィウスはよくわからなかった。その倫理をあざ笑うというより、ただただ不思議でしょうがないといった顔をしていた。

 そして、ここから彼のわるい癖が出てきた。人のこころをまるで実験するようにもてあそぶのである。黒百合騎士団には、こういった手合いが多い。道徳が皆無なのに、なまじ強いから始末が悪い。が、フラウィウスも若かった。人の心をもてあそんで、義人の怒りを買うことが高くつくことを知らないのだった。ほんとうの大悪党は、非情さを胸に秘めるものである。

「人質? ああ、じゃあ、返してやるよ。ほら、受け止めてみろ」

 フラウィウスは人質にしていた女の首を掴んで、屋根の上から地面に投げた。ギルバートは何もできなかった。カエルのように人のからだが地面をころがった。うつ伏せに倒れた女の腕がありえない方向を向いている。

「……」

 一瞬だった。ギルバートはめまいがした。心臓がはち切れそうな音をたてている。

「まてよ。い、意味が分からない」

 彼は貧血のような症状に見舞われて、地面に座り込んだ。黒い帳が視界の上半分を覆う。彼は不明瞭ながらも、何度も確認した。

 ――人が死んでいる。それは間違いなかった。蔑むことも怒ることもわすれていた。かれは田舎を平和のうちに闊歩する命しか見たことがなかった。生命は終わりが来ると知っていても、このような惨い終わり方をすると想像したことがない。フラウィウスは完全に停止したギルバートを屋根の上から面白そうに見ていた。ちょうど、彼は日の光を背に受けて赫々とした後光をまとっている。その視界を散る光がギルバートの眼には、すべて真っ黒く見えた。

 ふいに、フラウィウスの合図で熊手や槍がギルバートを取り囲んだ。ギルバートは魂が抜けたような呆けた顔つきで、悄然とフラウィウスを睨んで、彼を指さした。指差しした手指が小刻みに震えている。

「お、お前を……こ、殺してやる」

 









 

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