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片鱗

 コグは倉庫に押し込まれた。古くなった什器が幾重にも積み重なっている。埃もひどい。彼は一週間まえから、この狭小な倉庫に押し込まれている。逃げようにも、コグの運動能力では倉庫の両開き扉を破ることはできないし、すこし上の方にある換気用の小窓も位置が高すぎて登れない。 

「まるで、囚人だ」厭世的な声音でコグが言った。

「いいや。お前は落としモノだろ」ギルバートはコグの目の前に座っている。彼は暇を持て余すと、この倉庫にやってきて、いろいろとコグの知見を諮るようになった。なにしろ、コグは人間とは違う視点で、百年を生きた妖刀である。世界の暗部について通暁している。

「この世界には他にもお前みたいな<おしゃべり武器>がいるのか」

「ああ、いるとも。そいつらはたいてい、もうすでに人の腰に収まっているがな」

「なら、有名人でそんな<おしゃべり武器>を持っているのは誰かな」

「お前でも、わかりそうなところで言うと……。そうだなあ。白百合騎士団総長、フラワリアのアビゲイル。と、その妹で副総長のプリシラ。あと、黒百合騎士団総長のオズワルド。さらに冒険者ギルドの<竜殺し>ロドリック。そして、<剣聖>アレクサンダー」

「全員、大物だなあ」

「そして、全員、クソほど仲が悪い。こんな奴らが、フラワリアに一緒くたになってるんだぜ。そりゃ、内紛も起こるだろ?」

「なあ、コグ。もしもの話。俺が鈍ら刀で今言ったような奴らに戦いを挑んだらどうなるかな」

 コグは足を生やし身を乗り出して、嘲るようにかかと笑った。

「かんちがいするんじゃねえぞ。お前はたしかに見込みがあるやつだが、もし、こいつらに喧嘩を売るような真似したら一瞬で消し炭にされるぜ」

「そんなに力の差があるのかなあ」

 ギルバートはいまいち、ぴんと来ない様子だった。コグは呆れた。問題の要点はそこではない。

「いいか。あっちは、二人。対して、ギルバート、お前はひとりぼっち。もし、勝ちたかったら、こう言うしかない。素手でやらないか、って。あっちは大物だし、お前は無名の若造、ワンチャン、受け入れてくれるかもしんないぜ。わははは」コグのギザギザの歯がカチカチと音をならしている。

「……それで、またお前と契りを結ぶって話だろ」

「そうさ。奴らと対等に戦いたかったら、そうするしかない。だが、無理強いはしない。というより、お前は遅かれ早かれ、俺と契りを結ぶ。そうするしかないんだ。お前のもって生まれたモノは並外れている。並の神器では釣り合わない」

 ギルバートはため息をして頭をかいた。

「コグ。お前の正体は大体、想像がついてる。ビリーに聞いたぞ。お前の前の持ち主は、血まみれになって死んだらしいな」

 それを聞いて、コグは気圧されるどころか、鼻でわらった。

「俺が邪悪なのは認める。いや……悪であることぐらいは認める。けれど、しょせん、俺は道具にすぎない。事を図るのは、人だ。結局、最後にモノゴトを帰結させるのは人のチカラなんだよ」

「そうかい。だが、まだ、お前のことは信用ならんな」

「なら、どうして、ここに来る」

「そりゃあ、面白いから」

 ギルバートはそっけなかった。コグは二本足でうまく立って、ギルバートに言い聞かせるように「なぜ、俺の話が面白く感じるか教えてやろうか。それは、お前はこの田舎では息が詰まっているからだよ」といった。

 ギルバートは「埃で息が詰まってるのはお前だろ」と鼻で笑って倉庫を出た。平静を装っていたが、ずしんと重い楔のようなものをうたれていた。ギルバートは霧ががった孤島に住んでいる巨人のようなものだった。コグの言葉は霧を飛ばしたが、それだけだった。孤島の巨人が海の向こうへの好奇心に惑わされたのは確かである。このところ、世間との付き合い方に対して迷うことが多い。

 結局、一週間が経っても、コグの持ち主は現れなかった。というより、そんなものは最初から存在しないのだが、ビリーはそれとなく、領主のデズモンドに「こういう落とし主が現れない場合って、もしかして、拾ったやつのものになったりは……」といつもの調子で言っている。デズモンドは愚物を見るようなまなざしでビリーを睨んだ。

「しないですよね。そうですよねえ」ビリーはすくみあがって、はははと笑っている。

 デズモンドは峻厳なしわを眉間に刻んだ。

「火事場泥棒がなにを言う。もし、持ち主が現れないのなら、あの剣はギルバートにくれてやる。その方が役に立つ」

「そんなあ」

「この件はこれで終わりだ。ビリー。お前も少しはあいつの潔癖を学んでみろ」

 ――そんな会話があったとは知らないコグは倉庫の埃のなかで気だるげに過ごしていた。と、安眠を妨害されたうえに、ふいに持ち手を掴まれたので(だれだ。俺を安易に持ちやがって)と憤激すると

「どうやら、お前は俺の持ち物になっちまったらしい」とややばつが悪そうなギルバートの声がした。彼は「おい、起きろ」と刀身を叩いて、コグを起こした。

「なんだ。急な心変わりだな」

「いいや。領主様に貰ったんだよ。まさか、断るわけにもいかないし」

「じゃあ、当然、俺を湖にぶん投げるような非礼も許されないわけだな」

 コグは得意になって、そういった。

「確かにそうだが、お前が妙な事したら、刀身を炉の中に突っ込んで溶かすからな」

 ギルバートはそういって、コグを佩いて、倉庫を出た。コグは内心、喜びに打ち震えていた。

(これで、自由だ。しかも、最高の体を見つけたんだ)。と嬉々としていたが、いかんせん、ギルバートの生活は暇だった。彼の得物になった初日から、とくにやることがない。ギルバートは日がな一日、湖を寝っ転がって眺めているだけだった。

「ほかにやることは」とコグは我慢できずにそういった。

「ないよ」

「暇か」

「暇だ」

 コグは足を生やして彼の腰から離れ、寝転がっている気だるげなギルバートに向かって「おい。いっそのこと、こんなところ逃げ出して、フラワリアに行こう」といった。

「なんでだ」ギルバートは寝返りをうった。

「こんなところにいても何も起きんぞ」

「それより、元のすがたに戻れよ。誰かが見たらびっくりするだろ」

「ぐぬぬ」

 コグは歯噛みした。何とも思っていないように陽光を浴びながら寝ている。怒っても張り合いがない。コグは(いまは待つ時だな)と怒りを抑えて、ギルバートの隣で陽光を浴びて眠った。刀身が毒々しい光を放っている。牧歌的な午後に攻撃的な光が反射していた。

 ギルバートはうつらうつらとして、結局、眠った。けれど、ふと、何かで目覚めた。まだ日照りの強さは変わっていなかったので「ン?」と困惑していると、隣にちょこんと小鳥のようにタマラが座っていた。一瞬、時が止まったように彼は困惑した。

「うわあっ! お嬢様っ!」

「……うん」

 ギルバートは姿勢を正した。みれば、彼女は裸足だった。

「お嬢様、お履物は?」

「ない……。抜け出して来たから」

「なんですって。なら、皆様方、心配しておられます。すぐ戻りましょう」

「いいの。もうすこし、ここにいるから」彼女は湖面に足を入れた。泥だらけの足裏に血がにじんでいた。彼女の足の皮は手のひらみたいに柔らかい。走ったときに擦り剥いたらしい。

「俺の靴を履いてください」

 ギルバートは自分の革靴を彼女のまえに並べた。

「ふふ。貴方の靴、大きいよ」

 タマラはそう言って笑った。ギルバートは難問を投げかけられた気がした。彼は若さのわりに柔軟ではない頭で考える。

(外に出たくて、抜け出した。うむ、それは分かる。だが、なぜ、ここに?)。

「ギルバート」タマラに言われて、思考が切られた。不思議な声色だった。鬱々としているのに、棘と艶がある。

「はい。なんでしょう」

「ごめんね」彼女はそういって、もじもじと身を縮めた。タマラは無口だが、お嬢様と育ってゆえか、あまり感情を偽らない。困惑も怒りも悲哀も顔に出る。ギルバートは彼女のいじらしい振る舞いに心をほだされた。なにか、主君の令嬢を相手にする以上の緊張を感じた。

「どうされました」

「こないだの騎士様とのひと悶着はもとをたどれば、私のせいだもの。……わたしが無理言って、貴方を連れまわしたせいで」

 ギルバートは彼女の鬱々とした表情のわけが氷解して、その単純なことに大笑いした。

「そんなことですか。はっはっは。お気になさるな。というより、あれは、俺がマヌケだっただけですよ」

「じゃあ、気にしてないの?」

「ええ、まったく」

「怒ってない?」

「全然」

「ほんとに?」

「ほんとです」ギルバートは笑っていたが、タマラは真剣だった。それは親の愛を確認するこどものようである。じつは、ギルバートよりタマラの方が三つ年が上である。あまりそれを感じさせないのは、深窓の令嬢として育てられて、心が成熟しきらなかったせいかもしれない。

「じゃあ、ほんとに怒ってないのね」

「ええ」

「だって、貴方はいつも慇懃なんだもの。そんな調子では、本心がわかりませんわ」

「……」

 ギルバートはそう言われて、ショックを受けた。ぐきりと心が折れる音がした。(そんな風に思われてたのか。でも侍従って大体こんなもんだろ。違うのかな?……)

「お嬢様、そんなことより帰りましょう」

「いやよ」

 タマラはギルバートのぶかぶかの靴を履いて逃げるように彼の家の方へとほいほいと走って断りもなく彼の家にあがりこんだ。

「――ふうん」彼女は部屋を見回した。自分のあばら家に人を招いたことなどなかったので、おてんば娘の闖入にギルバートは緊張した。

「お嬢様、いけません」ギルバートの言葉を聞かずに「あれはなに」といつもの調子でタマラは歩き回る。

「貴方、本を読むの」

 彼女はギルバートのあばら家で唯一の本を指さした。題名は<古今剣術指南集成>とある。ぐうぜん、見開かれていたページを彼女はじっと見つめる。

「いやあ、読めないんですけど、挿絵が多いからそれなりに参考になるんです」ギルバートは気恥ずかしそうにいった。

「二刀流……」彼女は口に出した。

「生まれつき、両利きなんです、俺。だから、両刀に憧れがあって」

「でも、貴方は剣を一つしか持っていないじゃない」

「気分で持ち手を変えるんです。今日は右手に持つ日です」

「おもしろいですわ。あれはなんですの」

「毒です。庭の囲いにあった赤い花の茎をすりつぶしたものです」

「へえ。何に使うの」

「おもに魔物です。効くやつには、とんでもない劇薬です」

「それは人にも効きますの」

「人に使うなんてとんでもない」

「ほほほ」

 彼女はギルバートの寝床に腰を下ろした。言葉とは裏腹に彼女は息を切らして、苦しそうだった。努めて、その苦悶を表情に出さないようにしていたらしい。ギルバートは彼女の息の乱れに気づいて「お嬢様」と心配そうに目の前に膝をついた。

 すると、彼女は嫌そうに「大丈夫だから」といった。

「横になってください」

「いや」

 彼女は頑なに青白い顔を横に振った。

「なにをムキになっているんですか」

「ムキになどなっていませんわ」

「なら、横になったらよろしい。そのままでは、ご病気に障りますから」

 勃然、タマラは「うるさああいっ!」と叫んだ。ギルバートはのけ反って、後ろに手をついた。彼は何が彼女をそこまで怒らせたのかわからず、困惑した。彼女は肩をこわばらせ、両手で服の裾を掴んで震えていた。その眼は貝みたいに固く閉じられて、何も見たくないといった感じに目元にしわを刻んでいる。自分に何か非があると思ってギルバートは身を縮めた。

「なにか、お気に障りましたか」

「……」

「俺は阿呆ですから、はっきり言ってもらわないと分からないのです」ギルバートは膝をついて、峻厳な顔をしていった。

「病人扱いされるのが、嫌なのです」

 ギルバートはさらに困惑した。(いやでも、お嬢様は病人だろ? これは、なぞかけか?)。

「知ってますか。最近、お父様は月に一度は各地の高名な治癒師を呼んでくるのです。でも、皆、私の容体を見て判然としない答えばかり残して帰っていくのですわ。私、わかりましたの。……もうすぐ死ぬって」ギルバートは槍で刺されたような衝撃をうけた。タマラが死ぬということを差し迫った現実として考えたことがなかった。阿保みたいな話だが、彼女はここから先も、<病気なのに元気>なおてんば娘として生きているはずだと錯覚していた。

「考えすぎです。かならず、よくなられます」ギルバートが言うと、タマラはあきらめたように微笑した。

「ここに来たのは、自分の運命を忘れるためなの。たぶん、そう」

 そういう彼女の顔は諦念を感じさせ、真っ白で幽霊のように見えた。背筋に冷気を感じて、ギルバートは急に空恐ろしくなった。幽鬼に出会おうが、騎士団に囲まれようが微塵たりとも感じなかった恐懼が今までの分も一緒くたになったように押し寄せる。

(死ぬ? お嬢様が?)。頭が反射的に、その現実を認めるのを拒否している。

「迷惑かけました。もう帰りますわ。そろそろ、騒がしくなりそうだし」

 ギルバートは彼女の足裏が血でにじんでいたのを思い出して「お嬢様、俺がおぶっていきます」と背中を差し出した。

「まあ。いいの」

 足のキズのことは言わずにギルバートは自信満々に「偉丈夫の背中に乗られよ」といった。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 ギルバートは彼女をおんぶした。香油の匂いが鼻をなで、ぬるい体温が背中から伝熱されてくる。熱いものを感じた。彼は軽々彼女をおんぶして、湖のわきをあるいた。

「すこし寝てもいいですか」耳元でささやくように彼女は言うと、ぴとりと頬を背につけた。

「ええ、どうぞ」

「ゆっくり行って。ゆっくりですよ」

「はあ」

 タマラは疲れからか眠った。寝息が聞こえだすとギルバートはついに我慢が出来なくなった。

(お嬢様、なんて軽いんだ。いつも厚着しているから気づかなかった。こんなに痩せて)。

 ギルバートの頬を大粒の涙がながれた。誰もいない湖水のわきを人知れず大泣きしてあるいた。――いや、ひとりだけ、その涙を見ていたものがいた。コグである。コグは瞼を開き、彼の腰からその光るものを見た。

 刀身に口があらわれて、何を言うでもなく悪魔のような笑みをうかべた。(なるほどな。こりゃあ、いい。さいこうだ)。コグは感覚的に分かった。ギルバートの精神を覆って、コグの侵入を邪魔する壁がほんの少し開いたのである。これは彼にとって僥倖だった。ギルバートが決して難攻不落ではないと分かったのである。コグはひそかに喜んだ。

 エラリの壁が見えてくるころには彼のなみだは乾いていた。彼はすでに別のことを考えている。その眼は希望を見ようとして、獣のように鋭く光っていた。

(この世は広い。ぜったいに、お嬢様を救う方法があるはずだ)。彼はそう信じて疑わなかった。まだ、絶望を知るには幼かった。世界は自分の働きかけで柔軟に動いていくものと信じていた。

「エラリの西門から入りましょ。兵隊さんに見られたくありませんわ」目を覚ましたタマラはそういった。

「なぜですか」

「貴方のためですわよ」

「はあ」

 異なことを言うものだなとギルバートは思ったが一応、従った。予想通り、館の外まで給仕が見張りをするほどの大騒ぎとなっていた。そろそろ、領兵まで駆り出される寸前だったようで、ギルバートは胸をなでおろした。

「まあ、お嬢様。よかったよかった。ご主人にお伝えしてくるわね。ギルバートのお手柄よ、みんな」アッシャー家の家中の召使は皆、喜び合った。ギルバートは改めて、いい人たちだと思った。また、召使をぞんざいに扱わない主君の徳性のなすものだとも思った。

 タマラも、家中に心配をかけて思うところもあったようで、はにかんだ笑顔で、館に帰っていく。ギルバートはその背がふりかえって何かいうものと思って待っていたが、彼女はふりかえることなく館の中に消えていった。タマラは侍従と令嬢の恋慕を悟られないように、あえて冷たくした。

「やれやれ」と人がいなくなった途端に、コグは大口を開けた。

「なんだよ。外ではしゃべるな」

「なに素っ頓狂な顔してんだよ。ギルバート」

「べつに」

「いいか。あのお嬢ちゃんはな。もう死ぬくせに、お前の世間体を気にしてやってんだ」

「世間体だって?」

「そうだ。侍従と令嬢、ロマンチックだが、あまり世間的に好ましくない恋だぜ。しかも、お前、あの家の家長に雇われてんだろ。なら、さらに主人に背く行為でもある」

「お、俺とお嬢様はそんなんじゃない」

「バカ言えよ。さすがに人ならざる俺でもわかるぜ」

「なんだと」

「ま、俺には竿がねえから、勃つってのがどんな感じなのかは分からんがな。わははは」

「この下郎。湖に投げ捨ててやる」

 ギルバートがコグを掴んで振りかぶると、背後から「ギルバート。だれと話しているのですか?」と言われた。ぎくりと反射的に身を縮めた。コグはもっと早かった。すでに赤い洒落た刀剣として彼の腰に収まっている。

「奥方様っ!」

 タマラの母親のダリアが立っていた。すらりと伸びた長身のてっぺんで亜麻色の髪が光って、薄ピンクの口唇が厳しい言葉を放つ準備しているみたいにかたく結ばれていた。不機嫌そうに眉間がいつも以上にしわを寄せている。

「なにをそんなにあわてて……。だれと話してたのですか」

「独り言です」

「じゃあ、一人で怒っていたの。私には誰かに対して怒っているように聞こえましたよ」

「それは……」ギルバートは言葉に詰まった。沈黙が流れる。ダリアは爬虫類のようにギルバートを睨んで、答えを待った。「ええと」と迷うすがたは頼りないが、問い詰めても張り合いがなさそうに見える。ダリアは沈黙によってギルバートを痛めつける

 コグはそれを見ながら(わははは)と腹を抱えて内心、笑っていた。

「まあ、いいわ」と言われて、ギルバートはふうと息をはいた。

「すこし、いいかしら。話があるの。ついてきなさい。ここで、話すようなことじゃないから」

「はい」

 ダリアはそう言って、アッシャー家の霊廟の前までギルバートを招いた。当然、墓地の周辺には人はいない。

「なんでしょう。奥方様」

「……貴方。タマラが好きなの?」

「い、いいえっ! そんな侍従の領分を超えるような考えは微塵も」

 ギルバートは身ぶり手ぶりを交えて言った。コグはそのさまを見て(ばかだな、こいつ。そんな言い方、ウソってバレるに決まってんだろ。ああ、オモシロ)と思って笑っていた。ダリアはさらに厳しい表情になった。心底こわい、とギルバートは思った。ありえないが、彼女がいまここで、大蛇にでも変身して襲いかかってくるのではないかと思うような剣幕だった。

「ギルバート、よく聞きなさい」

「はい」

「今後は、娘と距離を置きなさい。いいわね」

「わかりました」

「それが出来ないなら、出て行って」

 彼女はそういうと、背を向けて去っていった。淋しい霊廟のまえにギルバートは残された。コグは茫然としている彼の背にむちを打つように「な、言っただろ」といった。

「俺は、ほんとにそんなつもりじゃないのに」

「まあ、いいじゃないか。どうせ、あの娘、先は長くねえんだろ」

 コグがしゃべっている途中に、ギルバートは矢も楯もたまらず、憤然とエラリの市場に歩いていった。ギルバートはコグの言葉に怒ったというより、まったく耳に入っていない様子だった。

 彼はビリーの店の裏口の戸を叩いた。

「おい。ビリー」

 ビリーは帳簿をつけていると、急に後ろの裏口から見知った声がしたので驚いて「なんだ。ギルバート」と戸を開けた。

「いま、ひまか」

「ひまではないが、まあ、いいとも。入りな」

「わるいな」

 店は閑古鳥が鳴いている。繁盛していないというより、このエラリの町民に向けた小売りにはやる気がないらしい。かわりに、薬やら矢じりやら一定数、需要が確実にあるような物が置いてある。

「繁盛してるか」

「まあぼちぼち。で、何の用だよ。急に訪ねて来るなんて」

「お前、物知りだよな。聞きたいことがあるんだが」

「物知りっていっても広く浅く見聞きしたことがあるってだけだ。その道のプロにはかなわない」

「じゃあ、その広く浅い見識でもって、教えてくれ」

「なんなんだよ。さっさと言えって。もったいぶるなよ」

「……お嬢様のご病気を治す方法はないのか」

 ビリーは一瞬、表情を曇らせた。なにか積もる話があるように椅子を引いてきて座った。

「実はな。俺の商隊にはいつも領主様の近侍がついてただろ。あれは、領主様に各地で腕のいい治癒師や祈祷師を引き連れていくことも含みであてがわれたんだよ」

「知らなかった。じゃあ、領主様はお嬢様の容体を本気で案じておられるということか」

「ああ。そんな旅程をもう五、六度は続けてる。それこそ、魔術師から医者から聖職者まで、病に知悉した人間を何度も連れて行ったよ。が、答えはいつも同じ。原因がよくわからない」

「わからないって? それは何かまだ未知の病ってことか」

「ギルバート、そういうことじゃないと思うんだ。たぶん、元から体が弱くお生まれになって、病気とか呪いとかそんなんじゃなく……」

「では、死ぬのか。お嬢様は」

「それは……」

 ギルバートのこめかみが燃えるみたいに熱くなった。コグは目を開けた。

(はっ! いま、開いた。開いたじゃねえか)。コグは邪気を発して、ギルバートの心に寄生しようとした。が、彼の心はコグを異物と判断して追い出しにかかっているように、コグは自由に彼を操れなかった。(くそ。壁の奥にさらに厚い壁があるみてえだ。このバケモンめ)。

「――死ぬのかっ! お嬢様はっ!」

 気づけば、ギルバートはビリーの胸ぐらをつかんで振り回していた。

「なんだよ。俺にあたるなって」ビリーの恐れおののく声にギルバートはハッとした。

「いや。すまん」

「お前、すこし変だぜ」

「大丈夫だ。悪かったな、邪魔をした」

 ギルバートは逃げるようにビリーの商店を辞去した。侍従になりまがりなりにも武を扱うようになってからギルバートは怒らないようにつとめた。なにしろ、その膂力は人を簡単に殺めることができる。(俺の腕は刃物に相当する)とよく理解している彼だった。けれど、ついさっき、ビリーの胸ぐらをつかんでいるときに込めた握力は本気に近かった。まちがったら、殺していたかもしれないと思ってギルバートは冷や汗をかきながら逃げるように自分のあばら家に走っていった。見慣れた湖面も青々と茂る疎林も今の彼にはすべて青白く見えた。

 ギルバートは自邸に帰って茫然とした。何かがほつれだしている。少し前までの牧歌的な日々はどこに行ったのか、急激な奔流が襲ってきたようである。(すこし、落ち着きたい)。彼はふと、自分が変わり始めているような気がした。そして、そのことを感じたと同時に、あの銀色の面をした女性モニカのことを思い出した。

(あの人に会わねばならない)と彼は思った。その日、ギルバートはアッシャー館に戻ってデズモンドに暇乞いを頼んだ。

 書斎で文机ごしにデズモンドは優し気な視線をギルバートに送ると書き物をしていた手を止めて

「どうした。急に」

「すこし出かけたいのです」

「うむ。ギルバート、かまうことはない。隠さず申せ」デズモンドはそういった。ギルバートはつねに慇懃で寡黙な調子だったので一見すると気色を読みにくいが、デズモンドは彼の表情の暗澹たるものを察知したらしい。

「あの方に会って話したいことがあるんです」

「それは他言できないようなことか。何を相談する」

「いえ」ギルバートは迷った。「貴方の娘の病について悩んでいる」とは当然、言えない。黙っていると、デズモンドはため息した。

「わかった。みなまで言わなくともよい。実はな、モニカ殿からもう何通も手紙が届いている。お前のことを借りたいとな」

 ギルバートは驚いて顔を上げた。

「借りたいとは?」

「あの方はお前が何者かを知っておるらしい。隠さず申せば、私はあの女が恐ろしい」デズモンドは椅子を立って、ギルバートに背を向けて書斎の窓から外を見た。暮色を背景に主人の背は寂しげだった。

「恐ろしい……ですか」

「ギルバート、お前はまだよく世間を知らんな。いまは乱麻の時代だ。いつ、味方が敵になるか分からない。しかも、相手は神の後ろ盾をもって、この世を動かすことが出来る。本気を出せば、わたしを、この領地から追い出すことなど簡単だろう」

「では、俺が真意を探ってきます」

 ギルバートが言うとデズモンドは微笑した。

「わたしが何を心配するかわかるか、ギルバートよ。お前が上手いこと、あの女に籠絡されて、このエラリに背を向けることだ」

「そんなことは絶対、ありません」

 ギルバートはいった。心の底から本当の言葉だった。そんなことで疑ってくれるな、という怒りすら混じって聞こえる声色である。

「わかっている。ギルバート、もう真実を言おう。エラリの領主の座はいずれお前に譲りたい」

 ギルバートは困惑した。

「いまなんと」

 デズモンドは窓を見ていたが、急にふりかえった。

「私のような愚物が統治していたら、今後、おそらく、このエラリは白百合騎士団に吸収される。誓約書などいくらでも偽造して、領有を主張してくる奴らだ。そうなれば、黒百合騎士団も黙ってはいない。つまり、ここは白ユリと黒ユリの係争地と化す。ギルバートよ、奴らを黙らせることが出来るのはお前だけだ。わかるか」

 デズモンドはあえて、ギルバートの琴線に触れるような言葉を使った。

「しかしながら、お嬢様の継ぐべき領地です」

 ギルバートは頑として明白な態度を示した。

「お前も、気づいているはずだ。あの子は、この先長くない」デズモンドはぴしゃりとはねのける様にそういった。

「……」

 ギルバートは歯噛みした。自分の手元に封土が転がり込んできていることなど微塵も眼中になかった。(やはり、あの方は死ぬのか?)と彼は、その運命に落胆するしかなかった。

「まあ、よい。この話の続きは、お前がもどってきてからにしよう。モニカ殿のもとに行くのは構わないが、ギルバートよ。心しておけ。相手は百戦錬磨の女だ。あの女が言うことは鵜呑みにしてはならんぞ。いずれ、敵になるかもしれないことを頭に入れておけ」

「はい。心得ました。しかし、私が留守の間、エラリの守りはいかがしましょう」

「そこは心配ない。冒険者ギルドの力を借りる。その間の費用は白ユリがもつ」

「はあ、いささかやりすぎなような」

「ふふ。お前と引き換えるには、その程度すら安いと考えているんだ」

 ――かくして、ギルバートはエラリの街を発った。近侍はいない、一人旅である。彼がモニカに聞きたかったことはただの一点、タマラを救う方法である。彼は旅路の間、時折、夢想した。タマラが領主の間に座して、その隣に侍している自分のすがた。

 それが、若きギルバートには、このうえない理想的な未来だった。彼は仕えることが好きだった。信用されて使われることは無上の喜びである。だから、領主の座を継ぐということは特に嬉しいとは思えなかったし、白百合騎士団に入って出世していくこともどこか現実味のない話に聞こえる。

  そのような不思議な人生観を持った若造を(こいつは変人なのか、もしくはただのバカか?)とコグは思っていた。ただ、コグはようやくギルバートにうまく<寄生>できないわけが分かり始めてきた。

 (なるほど、こいつには欲がない。だから、入れねえんだ)。

 沃野がどこまでも広がっている。景色を遮る灌木がなく、草の絨毯が丘陵と平野の上に広がっていく。

「おお」思わず、ギルバートは感嘆した。

「これが大都市を生み出す地勢さ」コグは沃野を望んでそういった。

「エラリとは全然ちがうな」

「ここでもまだ田舎の方だ」

 たびの道連れだったので、嫌でも二人の会話は増える。友達というほどのことはないが、ギルバートも少しずつ心を開き始めた。けれど、コグは焦らなかった。まえに打診した<契約>の話はまったくしなかった。

「お前、親はいないのか」コグが何気なく聞くと、ふいにギルバートは表情を曇らせた。感情の起伏がわかりやすく顔に出る。

「父親は死んだ。母親はまだ健在だ」

「どこにだ。一緒に住んでいないからてっきり死んだものと思っていたが」

「エラリの領内の漁村だよ」

「近くじゃないか。なぜ、いっしょに住まないんだ」

「……」ギルバートは貝みたいに黙った。コグはその沈黙に複雑な事情を察知した。彼の性格を作り上げている核たるものがそこにある気がした。コグは様々な人間の心に<寄生>してきて、その奥底を覗いてきた。その含蓄がギルバートの心の暗部を見抜いた。

「なるほどな。お前、母親に疎まれてたんだな」

「ち、ちがう」

「まあ、めずらしいことじゃない」

「だから、ちがうって言ってるだろ」

「いいや。違わない。お前はどうして、いつも人の陰に隠れて、立身出世を望まない。ふつうなら、その力があれば、とっくに世の中に出ているはずだ。お前の心根には、ぬぐいがたく奴隷根性がある。まるで、部屋の隅から親の顔を窺う子供のようではないか」

「奴隷根性だと」ギルバートはこころを突き刺された。古傷をえぐられたようである。だから、即座に怒ってコグの言を訂正できなかった。

「凡人なら、それは美徳だろう。だが、お前は天運を与えられた。その力をもって、人の陰に甘んじることは悪徳ですらある」

「なぜだ」

「いまはわからなくてもいずれ分かってくる。それにもうその兆候はあらわれてきているじゃないか。世の中はお前を導こうとその手を引っ張ってきている。この旅路も、その一環だろう」

「そうなのか」

「まあ、いいさ。お前はイイヤツだ。それは間違いない。いやあ、なんで領主の護衛なのに、あんなクソみたいなあばら家に住んでるのかと、おかしいと思ったんだよな。やっと合点がいったぜ。お前、領主からもらっている俸給はどこにやってる」

「……」ギルバートは黙った。

「ははは。こいつは傑作だ。聖人もここまで行くとさすがに道化だぜ。はっはっは。まさか、この期に及んで母親に金を送るかね。いいじゃないか、親孝行で」

 ギルバートはむっとして、黙然と歩き続けた。コグは(ふつうはここまで言われたら憤激する。そうしないのはあまりに正鵠を射たからだ。よかったよ、お前がちゃんと人間の陰の部分をもっていてくれて。そこに入り込むのが俺の仕事だからな)と悪魔のような憫笑を呈した。

 

 







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