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妖刀の夢

 暗黒の疎林に、蛇のような触手が枝分かれして揺れていた。体色は黒っぽい赤で暗がりでも、その赤の部分が不気味に光っている。体表には無数の眼玉とギザギザの歯を揃えた口が並んでいた。目に対して、口が並んでいるというより、蛾の模様のようににぎにぎしくランダムに配置されていて気味悪い。

 その枝分かれした触手は三叉の矛のように結合していて、一個に収斂していた。

 蛇で言うところのしっぽの部分に行くにつれて、細くなっていた。

 そして、細くなった先には、剣の鍔と柄があった。

「――ぐるるるる」とギザギザした口が奇怪な音を発した。目玉は昏睡したみたいにぎょろぎょろと蠢いた。

「三月と持たんとは。脆弱な宿主だったなあ」

 その口は流ちょうにしゃべった。

「よ、よせよ。おれは……もう人をころしたくない。放してくれっ!」

 その剣を掴んでいた男が夜陰に叫んだ。男は、顔に黒い発疹のようなものが見られて、目は充血している。

「放してくれって? 俺様を掴んでいるのは己だろうが。ガハハハッ」

 無数の口が大口をあけて、笑いに笑った。男は悲鳴をあげて、血を吐いた。その手は死を得たと同時に柄を離していた。地面に落ちると、触手はみるみるうちにしぼんでいった。しぼむほどに、粘着質だった体表は金属光沢を映し出していって、目玉も口も瞼と口唇を閉じて、やがて、気づけば、剣の刀身となった。

 静謐が疎林に流れた。あたり一面、血の海で破壊された馬車を見るに行商人が襲われたようだった。血肉が泥濘に吸われていく。

 ――それは、コグとよばれた。寄生虫のように宿主を惑わして、殺人の欲求を誘引するタチのわるい怪剣である。が、寄生といっても、たいてい、長く続かない。宿主に与える損耗が激しいので、頻繁に宿主を変えなければならないのである。

(どこかに、もっと強くて頑健なヤツは居ないものかなあ。……俺の妖気にびくともしねえ、天来の才覚を持つ者。俺に釣り合うニンゲンはっ!)。妖刀は暗夜に夢を想った。コグはまことの主をさがして、もはや百数年の星霜を過ごした。

 ――朝、ビリーという若い商人が街道を通っていると、道の真ん中が朱に染まっているのを見つけた。枝には洗濯物のように肉片が引っ掛かっているし、泥濘は血を吸って柔らかい。馬も首を返して逃げようとするほどの酸鼻な光景だった。

「い、いったい。なんだ、これは」

 彼の近侍たちは口々に神に祈りをささげた。ただの夜盗とかの次元ではない。森に強力な魔物が出現したとしか思えない状況である。

「こ、これは一度、帰ってご領主に判断を仰がねば」ビリーは近侍たちと話し合って、そう決断した。旅程の多少の損はしょうがない。一刻も早く、ここから離れたかった。その時、ビリーはふと、肉漿のなかの高貴なる光を放つ刃に気づいた。

 朱色の刀身が血液にまぎれて、よく見えなかったらしい。

 ビリーは目を輝かせて、そそとその光に近づいた。ぐいとつばを掴んで、引きあげると、名刀の気配のある得物があらわになった。

「なんと美しい。紅い刀身など、古今、稀にみるものだ。おそらく、名品にちがいない」

「親方、いいんですか。そんな火事場泥棒みてえなことして」と近侍に言われたが、ビリーはかぶりを振った。

「これで、今回の旅程のお釣りがくるぜ。お前らの給料も色を付けてやるから、誰にも言うなよ」

 ビリーがそういうと、薄給の近侍も文句は言わなかった。

 

 ――アッシャー領は大都市フラワリアに属する一辺境領である。魔界につながる山脈のふもとにあり、青山流水の美しい領土である。魔界と山脈を挟んで隣り合っているが、ここ最近は、強力な魔物は現れず、平和な土地柄で、いわゆる領土争いに巻き込まれることもなく、肥沃な土の上に農村が連なっている。

 そのアッシャー領にエラリと呼ばれる街があった。城塞であり、街であり市場である。エラリの壁中の丘陵には、アッシャー領の領主、デズモンド・アッシャ―の館が街路を見下ろす様に屹立している。

 そのエラリの壁の外には湖水があった。その陽光に反射する水面を呆けた顔で眺めている若人がいた。

「ふあーあ」

 大あくびをして、気だるげな暇をつぶしていた。黒い髪、透き通った目が陽光に映える。白い肌は、柔肌というより健康な血色をして、一本の骨子のように通った鼻筋が直情的な剛毅を思わせた。

 男の名前はギルバートといい、若干、十七歳の若武者だった。農民の息子だったが、その健康的な骨相を偶然、見かけたデズモンド・アッシャーが「こいつは良い」と雇ったのが、立身の始まりであった。アッシャー家の近侍として仕えて、二年になるが、エラリは、すこぶる治安がいいので、彼はその若さを持て余して、今日も眠い目をこすって出仕するのであった。

「お嬢様、今日もご機嫌うるわしゅう」ギルバートはそう言ってアッシャー家の館の門下で青白い顔をした女性に頭をさげた。

「うん」

 いかにも深窓の令嬢といった感のある気品のある女性だった。紫紺の髪が日の光を受けて艶っぽく反射していた。なぜか、人をじっと見つめる癖がある碧眼は卵白みたいな白目に囲われて、蠱惑的な光を放っている。彼女はタマラ・アッシャー、デスモンド・アッシャーの娘である。つまり、ギルバートにとっては主君の娘ということで、ある意味、主君より緊張する相手だった。

「ギルバート、あまり遠くに行ってはなりませんよ。この子は体が弱いんですから」

 タマラの背後に護衛のように侍しているのは、デズモンド・アッシャーの夫人ダリア・アッシャーだった。切れ長の眉の峻厳な顔つきの意志の強そうな女性である。なにより、女性にしては異様なほど背が高い。ギルバートも、男としてはそれなりの背丈だったが、簡単には見下ろせない。ギルバートは同じ目線に立たれると、彼女に睨まれているような気分になった。タマラの紫紺の髪とは違って、ダリアは亜麻色の髪の毛をしていて、母娘が並ぶと、親子か怪しいほど見目形や身にまとう人品が異なって見える。

「奥方様、お任せを」ギルバートはそういった。

「ふふん。まあ、貴方なら大丈夫ね。任せたわよ」

 ダリアはそう言って、踵を返してつかつか歩き去った。

(任せた、か)。彼はアッシャー家の家来として有能であるという自負がある。じじつ、彼は忠義に篤かったし、余計なことを言わない寡黙な男だったので、主君デズモンドにたいそう可愛がられていた。

「お嬢様、今日はどこへ」

「べつに。すこしお散歩。貴方は別に帰ってもいいわよ」タマラはいった。まるで、(貴方が邪魔)と言いたげな口調だった。どうやら、独りになりたいらしい。

「そういうわけにはいきません。奥方様に怒られます」

「そう。じゃあ、好きになさい」

 ――エラリは気候的に雨があまり降らない。湿気もなく、霧がないので、遠くの山脈を仰げば、その山脈の岩肌や雪化粧が精彩に透き通って見える。天気の良い日は、煌々と日の光が山川を照らして、地面や茂みから自然の匂いが香ってくる。思わず、ギルバートは気分がよくなって、「今日はお日柄もよく、お嬢様も肌の色つやがすぐれて見えますな」といった。すると、タマラはむすっとして、ギルバートをじろりと睨んだ。

「普段は死にそうだものね。わたくしは」

「いえ、そういうわけでは……」ギルバートは身を縮めた。じっさい、思ったことを口にしただけなのだが、不機嫌な時の彼女は扱いづらい。

「ふん」

 彼女はさっさと前を歩いて、エラリの市井の目を避けるように、一番近い西門から壁の外へ出ていった。ギルバートはついていきながら、壁門に侍していた初老の番兵に「ギルバート。おてんばお嬢様のおもりかい?」と言われた。皆、顔見知りである。番兵の名前はバルダというギルバートと同じく暇を持て余した老兵だった。

 ギルバートは頭をさげた。ギルバートは若いながら、一応、田舎の領主の近侍として働いている。会う人はたいてい、目上の人間なので、お伺いを立てなければならなかった。彼は、二年半働いて、つつましくいることの利点を学んだ。

バルダは微笑をふくんで「ごくろうさん。いちおう、わかっているとは思うが、森の奥にはいくなよ。近頃、フラワリアの近郊で騎士団どうしの擾乱があったらしいから、敗残兵がここまで流れてきていないとも限らんからな」といった。

「また、ですか」

「黒ユリと白ユリの小競り合いさ。いつものことだよ。お前もフラワリアで立身出世の道を探すなら、命を捨てる覚悟をすることだぜ」

「私はこのエラリで骨を埋めますから、大丈夫です」

「ほんとうか。大志がないなあ。まあ、死ぬよりマシか。――あ、おい。タマラお嬢様、もうあんなところまで行っちまったぞ」バルダは気づかないうちに遠くなったタマラの背中を指さした。

「あっ! お嬢様、お待ちをっ!」

 ギルバートはタマラを走って追いかけた。

「――さては、隙を見て、私を撒こうとしていますな。お嬢様」ギルバートは追いつくと、笑ってそういった。

「ふん」

 タマラは、いつもの口吻である。ギルバートは頭をかいて(しょうがねえなあ)と思った。

「ねえ、わたくし、森を見たい」

「お嬢様、それはなりません」

「どうして?」

 タマラは真実、ふしぎそうに聞くのである。無垢なのか、惑わそうとしているのかよくわからない。

「魔物がいますから」

「そのために貴方がいるのではなくて?」

 そう言われると、ギルバートも若き血潮に訴えたくなった。彼自身、有り余った膂力をぶつける場所を日々探している男なのである。が、大事なご令嬢の身を案じて、ギルバートは「いいえ。危ない場所には行かせられません」といった。

「うそばっかり」

「うそですか?」

「そう。ほんとうは、こわいんでしょ、貴方。その腰の剣も肩書も実のないお飾りなんだわ」

 ギルバートはふっと笑った。挑発されても、冷静な顔色を保った。が、こころのなかで(ぐぬぬぬ。このやろう)と思って、歯噛みした。

「そこまで、言うならご自由に」思わず、ギルバートはそう言った。タマラは言質を取ったとばかりに嬉々として「それでこそ。騎士様というものよ」とエラリの森に足を踏み入れていった。

 森林を奥へ奥へと行くほどにギルバートは内心、(やべえな。奥方様に知れたら、一週間はさらし台だな)と戦々恐々としていた。

「なにを今更、後悔しているの?」

 タマラはいった。彼女はなぜか、人の感情を読むに敏である。後ろを歩くギルバートの心配を見抜いている。

「だって、これがバレたら、俺は終わりですよ。お嬢様」

「安心なさい。お母様には黙っておくから」

「お願いしますよ。ほんとうに」

「ふふふ」

 彼女は上機嫌になった。エラリは平和の領地とはいえ、それは人災がないというだけで魔物の脅威は他の領地と同じく厳然と存在する。人里から離れるほど、その危険は大きくなる。林冠は陽光を差し挟んで緑に光って牧歌的な空気を演出している。昼間の森は、その牙を唇の奥に隠し持っているのである。ギルバートは四方に気を配り、また彼女がどこかに迷っていかないように注視し続けてすっかり疲れた。その苦労を知らずに「あれはなに」とタマラは目に入るモノを嬉しそうに指さして聞いた。

「ただの鳥です」ギルバートは気だるげだった。枝に佇んでいた猛禽は二人が近づくと、飛び去った。背の低い草むらを踏んづけるたびに、バッタやカエルが跳梁して、晴れた日の森はにぎにぎしい。子供のようにはしゃいでいるタマラをギルバートは不服そうに眺めて(夜の森の恐ろしさを知らないから)と思った。

「ギルバート、この世で最も恐ろしい魔物はなんですか?」

「婦女子の貴女がそんなことを聞いてどうするのです」

「まあ、いやなことを言うのね。いいわ、貴方も若輩ですから、魔物のことなんかほとんど知らないんでしょう」タマラはそういって、またギルバートの自尊心を煽った。ギルバートはむっとした。

「ムム。私は若輩ですが、それなりに心得はあります」

「へえ、そうなの」

 タマラは訝しげだった。ギルバートはぐっとこみ上げてくるものをこらえた。彼にも言いたいことがある。――どうして、この近隣に危険な魔物がいないのか。彼が夜な夜な危険な魔物が出るたびにエラリの壁に到達する前に狩り殺しているからである。主君のデズモンドはそれを知っていた。が、他言はするなと念を押されている。

デズモンド曰く、「お前のような武力が、ここに隠れているとフラワリアに知られれば、厄介なことになるかもしれない」ということだったので、ギルバートは我慢した。だが、世間の評判との溝は大きい。十七の若人には、結構な我慢であるが、彼は耐えた。忠義を大事にすることが、彼の立身のキホンだった。ある意味、現代人ぽくない古臭い若造であった。

(しょうがない。ただの木偶の坊さ。おれは……)。

 ほどなくして、タマラは歩き疲れて巨木の陰に座った。

「はあ、疲れましたわ。ギルバート、お水は?」

「え。水筒は空ですよ」

「じゃあ、どこかから汲んできてちょうだい」

「はあ、あまりワガママばかり申されますな」

「うふふ。ワガママは貴方にしか言いませんのよ、わたくし」

 タマラはそういって、紫紺の髪を指で梳かした。汗が首に浮いて、はだけた胸元が淫靡な光を放っている。ギルバートは思わず、顔をそらして「み、みずを汲んでまいります」と逃げ出すように歩き去った。

 ギルバートは川面をすくって、水筒をいっぱいにした。何度も歩き回った森だから、水源を見つけるのは容易かった。彼は頬が赤くなっていた。その顔貌を川面の鏡に見て、(俺は何考えてんだろ)と水筒の水を頭からかぶった。すると、ふと、川面に何か流木のようなのが浮いているのが見えて、近づいた。

「なんだ、これは」

 ギルバートはすくみあがった。人の死体である。着ているのは肌着だけで、矢傷や刀傷で死んだものと見え、その頑健そうな肉付きを見るに、農民とは思えなかった。

「騎士か」

 ギルバートは番兵バルダの話を思い出した。フラワリアの抗争。その死体がここまで流れ着いたと気づいて、彼はすぐに戻ろうと思った。というより、タマラに水を汲んで来いと言われて、諾々と従って、彼女を一人にしてしまった愚を今になって悟った。彼は目の色を変えて走った。その一挙手一投足は疾風のように藪を揺らし、雷のように地面を轟かせ、その音に鳥獣が驚いて飛びだす。

 ギルバートはタマラの元へ戻った。そのとき、彼女を取り巻いて、家中を着込んだ物々しい連中が立っているのを見て、「貴様ら、下賤な者ども、お嬢様に触れるなっ!!」と彼は考えなしに腰剣を引き抜いて、飛びかかった。

「はっ! くせ者っ!」騎士然とした男が剣をぬいて、ギルバートの上方からの野性的な斬撃を受け止めた。鉄と鉄が火花を散らして、ばきんと音を立てて、剣の刀身が折れて宙を飛んだ。

折れたのはギルバートの剣だった。

(くそ。おんぼろめ)とギルバートは折れた剣を恨めし気に睨んで、投げ捨てた。気づけば、五名に囲まれていた。が、かれは動じない。熊のように大人数に諸手で襲いかかった。

「こいつ、獣か」と言われた声が耳に入らず、無我夢中、腕を振った。ガタイのよい騎士が軽々と殴り飛ばされて、木の幹や地面に叩きつけられて転がっている。

 だが、なぜか、相手は立ってくる。殺す気で殴っているが、甲冑を殴った彼のこぶしの方が痛んだ。

ふいに「およしなさいな」と慈母のような女性の優し気な声がひびいて、ギルバートの全身をびりびりと百雷が落ちたような激痛が走った。

ギルバートは地面に這いつくばった。見上げると、顔を面で隠した修験者のような女性が彼を見下ろしていた。琅玕を戴いた錫杖をもっている。紫色の口唇が花みたいにひらくと、さも歌っているような声色で「すこし、お眠りなさい」と言われた。

(魔術の類か)とギルバートは気づいた。いまも、全身に死ぬほどの電撃が走っている。

「――ぐぬぬぬぬぬぬぬ」

 ギルバートは百雷を喰らいながら、立ち上がり、女性を睥睨した。

「まあ。平気なのね。なんと剛毅な人」女性は彼を手を叩いてほめた。

「やろう。ぶっ殺して――」ギルバートの火鉢のように燃え上がった額にこつんと石ころが飛んできた。

「もう、ばかっ!」

 そう大声でののしられた。上気した心にも、その声は届いた。タマラの声である。ギルバートがその声のする方を見ると、彼女が健在で、彼を責めるようなまなざしで見つめているので、反射的に「お嬢様。ご無事ですか」といった。

「その方々は、白百合騎士団の騎士様ですよっ! はやく、地に頭をつけて、謝りなさい」

「えっ!?」

 ギルバートはあたりを見回して、騎士然とした格好をした武士たちが、「やれやれ」といった顔でこちらを見ているのに気づいた。

(俺、終わったじゃん)とギルバートは真っ青になった。


「此度は、数々の非礼、お詫び申し上げる」

 ギルバートは地面を膝を屈して、頭をこすりつけた。もっと、謝罪の念を表す方法はないものか、もどかしい。ギルバートは、大都市フラワリアの一大勢力を自分の早とちりで怒らせたことが、主君のデズモンドに迷惑をかけることを何よりも恐れた。すでに問題は彼自身の私闘を越えて、このエラリの趨勢を左右するものと、彼は若人ながら理解していた。

「――謝って済むものかっ。この小僧」と先ほどの仕返しとばかりに蹴られた。彼に殴り倒された騎士たちはプライドを折られて、怒りを抑えられないらしい。殴られて済むなら、いくらでも殴られるが、それだけでは済まないとギルバートは直感的に分かった。騎士とは己の強さで身を立てる者たちだから、若造に殴り倒されたことはこのうえない屈辱なのである。

「もし、お怒りが静まらないのでしたら、私はここで自刃する覚悟です」

「おう。そこまで言うなら、やれやれ。懐刀を貸してやるから、根性をみせてみろ」

(このやろう。出来ないと思ってやがるな)とギルバートは腹を立てて、彼は差し出された白刃をひったくって、自分の首を斬ろうとした。

「あらあら、おやめなさいな」と修験者のような恰好をした女性に止められた。ギルバートは思わず、首筋で刃を止めた。見れば、タマラは目を手で覆っている。見苦しいものを見せて、情けないという思いがした。

「貴方がたも、大人げない」謎の面を被った女性はいきり立った騎士たちの方を向いて咎めた。

「モニカ殿は、こいつを庇うのですか」と騎士たちも引かない。

 ふっと、紫の口唇をゆるませて、彼女は地面に屈したギルバートを眺めた。ふいに顔の面を取ると、真っ白い肌にヒスイ色の瞳が現れて、ギルバートは、じろと睨まれた。彼女は舐めるようにギルバートの見目形を観察した。見透かすようなヒスイ色の瞳は、彼の表面だけでなく、内側に至るまですべて透視しているような神威を放っている。ギルバートはその妖気のようなものを感じて、目をそらした。

「貴方、御尊名は」彼女は聞いた。

「いえ、名乗るほどの者では」

「私はエラリ教区長モニカ・マーと申す者です」彼女は礼を尽くして、頭をさげた。ギルバートはエラリ司教区長と聞いて、すくみあがった。

(よくわからんが、仰々しい位階。大人物にちがいない)と彼は思って、佇まいを正し、「わたしはギルバートです」といった。都の作法は良く知らない。生半可な虚飾はかえって、無礼になると思って、かれは言葉少なにそういった。

「お生まれは?」

「エラリの領内です」

「失礼ながら、家柄は?」

「農民です」

 ギルバートがそういうと、モニカはにこりと笑ってうなずいた。何を考えているかよくわからない。悪魔にも天使にも見える美貌の人である。

「いまはアッシャー卿のもとで働いているのですね?」

「ええ、まあ」

 モニカはタマラから聞いたのか、そのことを知っていたらしい。

「聞きましたか。皆さん、同盟者のアッシャー卿の侍従を自害などさせたら、総長に何を言われるか、よくお考えになって」モニカは騎士たちにそう問いかけた。騎士たちは顎に手を当てて、「まあ、たしかに」とすこし冷静になった。

 モニカはふいにギルバートの方へ向き直り微笑を含んで「それに……この御人には、英雄の玉質が見えます。神器を持った貴方がたに、なまくら刀で戦いを挑み、最後には素手で奮戦したことからも、十分、お分かりになったでしょう。ほ、ほ、ほ。のちに、この方が世に出てきたら、貴方がたはさぞ後悔なさりますよ。さあ、ここはお互い、矛を収めるがよろしいかと」

 騎士たちは青ざめた。よくよく、考えれば、ギルバートは恐ろしい資質をもった若者だった。いまは乱麻の時代である。農民の子でも力さえあれば、時代の奔流に運ばれて、どこまでも高く昇れる。騎士たちは、このモニカをして「英雄の玉質」と言わしめる若造に遅まきながら恐れをなした。

 結果的に、このモニカのとりなしで、ギルバートは命拾いをした。彼は先ほど、川を流れていた死体のことを説明するとモニカは合点がいったように「なるほど。それで少し気が立っていたのですね。護衛として、よい心がけです。ほほほ」と笑った。

 ――彼はエラリに帰ると、タマラの母親のダリアに、こっぴどく叱られた。

「申しわけありません」ギルバートは主君デズモンドとダリアのまえで、平謝りするしかなかった。

「あの子を森に連れ出すなんて、言語道断よ。しかも、白ユリの騎士様とひと悶着起こすなんて。ギルバート、覚悟はできてるの」ダリアはわめくようにいった。他方、顎の鬢をいじりながらデズモンドは「まあ、君もそう怒るな。たぶん、あの子が無理やり連れまわした結果だろう。こいつだけの落ち度ではないよ」

 デズモンドはギルバートに甘い。息子がない彼は、ギルバートを我が子のように気に入っている。デズモンドはギルバートの腰帯に剣がないのに気づいて、いぶかし気に「お前、剣はどうした」と聞いた。

「壊れました」

「さては、あんな刃こぼれした剣で、白ユリの連中に向かっていったな。バカな奴だな。はっはっは」デズモンドは愉快に笑った。

「あなたも笑ってないで叱ってくださいよ」ダリアが我慢できずに割り込むように言った。

「いやいや。君もタマラを可愛がるのもいいが、甘やかしちゃいかんよ。こいつの気苦労も考えてやれ」

「……ふん」

 ダリアはデズモンドに言われて憤然と辞去した。ギルバートは自分の話でダリアが機嫌を悪くしたのに責任を感じて委縮した。

「まあ、ダリアのことは気にするな。ああ、そうだ。教区長殿がお前の傷を診てやるそうだぞ。彼女は客舎にいるから、ここは、お言葉に甘えてうまくあの方の歓心を得ておくのがいい」

 ギルバートは平然と館まで帰ってきたが、彼は自分でも気づかずに、体中に傷を負っていた。放置すれば、それなりに危険な裂傷である。治療を受けるのはやぶさかではないが、とはいえ、ここまで彼女が助けてくれる理由は何かと彼は訝しく思って「あの人は何者ですか」とデズモンドに聞いた。

「あの御方は白百合騎士団副総長プリシラ様の右腕だよ」

「長くてよくわからないです」

「要するに、このエラリで、ある意味、領主の私より権力がある方の右腕ということだよ。だから粗相がないようにな」

「なるほど。よくわかりました」

 ギルバートは内心、モニカという女性に興味を惹かれた。美しい見目形や人品は関係なかった。ただ、「英雄の玉質」と言われたことが彼の琴線に触れて、この片田舎で持て余している才覚が日照りに慈雨を得たように生き返った気がしたのである。

「ほほほ。さあ、こちらに」モニカは白銀の面をしたままで、ギルバートの手を引いて、部屋に招き入れた。地元の名士を招くにふさわしい居室だったが、その室内は真っ暗だった。外は夜のとばりが下りている。彼は奇妙に思って「明かりは点けないのですか?」と聞いた。

「そんなものはなくても、<心眼>でよく見えます。貴方の傷の場所は、ココと、ココでしょ」指先で傷口を突かれてギルバートは「イデっ!」と身を震わせた。

「ほら、わかりましたか」

「ええ。痛いほど」

「さあ、お座りになって。ふふ、暗闇はお嫌なのですか? ならば、蝋燭を点けますね」

 モニカは部屋の家具が見えているのか、ギルバートを椅子に座らせて、彼の目の前に立った。丸机に蝋燭の火が灯って、彼女の輪郭が映った。相変わらず、銀色の面を点けて、法衣をまとっているが、どこか所作が艶っぽい。手の甲や首筋にまで、美しさがあった。

 ギルバートが緊張して唾を呑み込んだ。すると、夜闇に魔術の光が灯った。みるみるみちに傷の痛みが消えていって、ギルバートは感心して「これはいったい、どういう奇術を使ったのですか」と聞いた。

「ほほほ。ただの<回復>ですよ。人の自然治癒能力を刺激するだけの簡単な魔法です」

「俺にもできますか」

「魔法に興味を持つなんて、もったいない。貴方はすでに素晴らしい力に恵まれているでしょう」

「それは……なんですか」

「この体です。言いましたとおり、<回復>は傷を治すにあらず、人の傷を治す力を刺激するだけです。わたしもこんなに傷の治りが早い人は初めて見ました」

 彼女の言葉には真実があるような気がした。モニカに心底、褒められているとなんとなくわかって、(こんなに褒められたのは初めてだ)とギルバートは嬉しくなった。彼はまだ子供の心を持っていた。褒められると、それは無上の喜びである。

「治療は終わってしまいましたが、暇があれば、もうすこし私にお付き合いしてくださる?」彼女はそう言って、カバンの中の持ち物をまさぐり始めた。

「私は別にかまいませんが」

「そう、よかった。ええと……どこにやったかしら。ああ、あったわ」

 モニカは紫色の水晶のようなものを出してきて、ギルバートの目の前の丸机の上にのせた。

「これは、なんですか」

「これは鏡です。私が見ている光景を貴方にも見えるようにしたものです。ほら、ごらんなさい」

 ギルバートは目を張って、水晶の中を覗いた。そこには、自分のすがたが映っていた。揺れる水面に映ったようにすこし歪んでいるが、間違いなく自分だった。

「あっ、こいつは俺だ」

「さようさよう。この水晶には私がいま見ている光景が映るのです」

「ああ、たしかに」

 説明は受けたが、それには何の意味があるのかギルバートが訝しく思っていると、モニカは顔を覆っている銀の面をはずした。あっけにとられていると、彼女はぐわっと陶器のように白い美顔を寄せてきて、ギルバートは思わずのけ反った。

「私は貴方の運命を知りたいのです」紅潮した彼女の顔がギルバートの目の前で荒い息を吐いた。ギルバートはのけ反ったまま「どういう意味ですか?」と苦笑いした。

「貴方も自分がどんな天運をもって生まれたか知りたくはありませんか」

「それは、まあ」

 (この人は少しヘンだ)とギルバートは思った。が、デズモンドに歓心を得るように言われたので、その抱いた違和感を顔には出さなかった。モニカはギルバートの背後に回って、彼の頑健な肩を掴んだ。なにか、掌の熱が彼女から伝わってきて、ギルバートは体の芯に燃えるようなものを感じる。

「では、いっしょに見てみましょう。心の準備はよいですか?」

「はあ」

 ギルバートは(運命を知るとはいったいなんだ。この人は酔っておられるのだろうか)と半信半疑であった。美しい女性の悪戯に付き合ってやろうかぐらいの気持ちで水晶を眺めていると、勃然と水晶の奥に無数の眼玉が見えた。

 ギルバートは映像の気持ち悪さに目をむいた。すると、呼応するように肩を掴むモニカの手の力がぎゅっと強くなった。

 ――モニカは白百合騎士団副総長の右腕である。その主な役割は、人相見だった。彼女は天性の感覚で、人の才能を見抜くことができた。ギルバートを一目見て、彼女は解った。おそらく、ギルバート自身より、彼のもって生まれた天運を見抜いた。

 が、モニカは面を外し、本来の鑑識眼をもって、ギルバートを見ると、その才能の玉にはキズがあることに気づいた。

「目玉、怒り、龍、贖罪」

 モニカはギルバートの背で唱えるように嘯いた。水晶の映像は絵巻のように移り変わっていく。血河に死屍累々。怒り、狂喜する声がギルバートの耳を揺らした。

(なんだ。この声は……俺の声に似ているが、俺の声ではないような)

 映像は鮮明ではなく、黒く塗りつぶされた箇所がある上に、抽象的すぎる。けれど、それは悪魔的で牧歌的なことは微塵もない。在るのは戦いだけである。それも、大義のある戦いというより、狩りのように強者が弱者を一方的に虐殺するような酸鼻な戦場であった。モニカとギルバートは膝から震えが来るのを感じた。

(この御人は……奸賊か、それとも英雄か。ああ、わたしには分かりかねます)。

 モニカはギルバートのつむじを睨んだ。水晶に映る映像に魅入られている彼には邪気がない。まだ、子供と見まがうような若い男だった。モニカは太ももに隠した大針に手を忍ばせた。彼女は多くの若き才人の相を深くまで覗いてきたが、これほど、凶悪な象徴性をもった映像を閲したのは初めてだった。

(この方は、近い将来、天地を揺らす怪物になるかもしれない。ならば、ここで一思いに殺してあげたほうが、万民の平和のためになるのでは?)。彼女は迷った。ギルバートの鉄のような体に不釣り合いな微笑を含んでいる温和な表情が思い出されて、殺すに忍びない。けれど、殺すなら今この時をおいてほかになかった。片田舎に伏して世間を知らず、その力の目覚めぬうちであれば、彼女の手でも十分、不意を突いてその運命を終わらせることが出来るはずだった。

「教区長殿、これが私の未来ですか。ごちゃごちゃしていてよくわかりませんな」ギルバートは何とも思っていないように無邪気に言った。

「運命は未確定なモノ。いささか、捉えどころがないのは、運命が変わり得るものであるからです」

「はあ。ふつうの人はどんな映像が映るものですか?」

「ふふ。普通は何も映りません。真っ白なままです。映るのは、この世に大きな影響を与える者の運命だけです」

「悪いことも、含めてですか?」

「さよう。大悪人の運命も映ります」

「教区長殿、貴女の眼から見て、これは吉兆、凶兆どちらですか?」

「さあ、わかりません。ごめんなさい。すこし、貴方を惑わせる内容だったかもしれないですね。けれど、運命は常に変わり続けるもの。囚われてはなりません」

 ギルバートは椅子をたって、彼女をじろりと睨んだ。怒っているような目つきにモニカは微笑して「なにか?」と聞いた。

「貴女は私をからかっているのですか」

「いいえ。どうして?」

 ギルバートは後ずさって、居室を見回した。また、彼女を敵のように睨んで「勘違いでなければ、貴女はいま、俺を殺そうとなさったが、それはどういうわけですか。また、なぜ、途中で殺すのをやめられた。……よろしければ、お答えください」

 ギルバートは彼女の殺意に気づいていたらしかった。それを聞いて、モニカは舌を巻き、さらに目の前の若人に対する畏怖の念を強めた。

(もしかすると、あまりに大きな者の運命は計りがたいということなのかしら……。どう見ても、わるい人には見えないし……)。

「俺は……悪人なのですか」

「いいえ」

「では、悪人になるのですか」

「そうかもしれません。ですが、さっき言った通り、運命は未確定なモノです。この映像は邪悪に満ちていましたが、だからと言って、貴方が悪人になると決まったわけではありません」

「なるほど……。だから、俺を殺すのをやめられたわけですね」

「そうです」

「得心しました。では、これはお返しします」

  ギルバートは懐から、モニカが太ももに忍ばせていた大針を差し出した。彼はいつの間にか、隙をついて盗み取っていたらしい。

「いつのまに」

「すこしお借りしたまで。お返しする」ギルバートは尖っている刃を反対にして、突き返した。

「まあ。ほほほ」

 モニカは上品に口に手をやり微笑したが、内心、(化け物。しっかりと訓練を受けて、神器を手にしたら、一体どうなってしまうの?)と思った。

 去り際、モニカはギルバートに「もし、悩みがあったら私の教会へ訪ねてきなさいな」といった。

 彼はふっと笑って「さあ、どうでしょう。約束はできませんが」と去ろうとした。モニカは、社交辞令のような受け答えに、このまま逃がしてはならないと思って、その腕をがっしりと掴んで、鬼気迫る表情で「ギルバート、必ず、私を訪ねてきなさいよ。必ずですよ」といった。

「はあ。必ず」

「頼みますよ」

 ギルバートは何度か夜道に客舎の方を振り返ると、丸窓からモニカが笑顔で手を小さく降っているのが見えて、困惑した。

 (ヘンな人だ)と思った。わずかな時間に夢かと見まがうような不思議な経験をして、夜陰に浮ついたような気持であるいた。運命と聞いて、おいそれとは信じられない彼だったが、どうにも、あの水晶の中の映像は胸にずしんとのしかかってくる。

(あの無数の眼玉はなんだったんだろう)と彼は考えながら、夜闇のエラリを歩いていると広場のまえで馬車と馬蹄の音がして、「はて、こんな夜分に馬車の音?」と立ち止まった。

「おお。ギルバートじゃないか」見れば、御者はエラリの商人ビリーだった。何度か、その旅程の護衛をしてからどちらも若者ということもあって、肝胆相照らす仲だった。

「ああ、ビリー。どうした。フラワリアに行商に行ったのではなかったのか」

「いやあ。最悪だよ。道の真ん中が死体だらけで、泣く泣く帰ってきたんだよ。たぶん、魔物の仕業だろう」

「そうか、災難だったな」

「番兵に聞いたぜ。お前、白ユリの連中を殴り倒して、めんどくさいことになったらしいな。領主様になんと言われた?」

 ビリーが聞くとギルバートは「奥方様に大目玉を喰らっただけで済んだよ」と笑った。

「ふふ。それだけで済んでよかったじゃあねえか。ム? お前、あのオンボロの剣はどこへやった?」

「折れたよ。白百合騎士団の剣は立派な宝剣だったな。かち合った瞬間、俺のオンボロは真っ二つさ」

「……つまり、お前、いまは丸腰ってわけだ」

「そうだが」

「近侍が丸腰では務まらんだろう。俺の荷車に良い得物があるから。くれてやる」

 ビリーは御者台から荷台のほうに身を乗り出して、荷物をあさり始めた。やがて、夜陰に朱色に光る刀身が見えた。それはギルバートの素人目にも、まれにみるような逸品に思われた。簡単に人に譲っていいような代物には見えない。ましてや損得勘定で動く商人のビリーである。ギルバートは一瞬で、刀身の美しさに目を奪われたが、一方で(これは何か裏があるな)とふしんに思って「ビリー、お前。そんな代物。どこで手に入れた」と聞いた。

「友の贈り物は素直に受け取るものだぜ。邪推はいかんなあ」

「むむ。お前、さては火事場泥棒だな」

「だから、どうした。ただの拾いモンだよ。なんだ、その眼は? 要らないのか? 最近は物騒な世の中だぜ。鍛冶屋に頼んでも、すぐに刀剣ができるわけじゃないだろ」

 ビリーは悪びれもせずに、そういって、ギルバートに朱色の剣を放り投げた。ギルバートを柄を握って、(これは……)と直感的に感じるものがあったらしい。

ギルバートは道義的に拾った物を嫌がったが、魅惑的な得物には武人として抗えない感性が働く。彼は刀身の不思議な朱に魅入られた。

(なんだ、この色は……。いったい何で出来ているんだ)。

「ふふ。気に入っただろ。持ってけよ」

「いいや。こんな素晴らしい得物だったなら、持ち主は絶対探しているぞ。ビリー、お前、泥棒になりたいのか。これが王侯のために作られたものだったら、お前の首が飛ぶぞ」

「……でも拾ってきてしまった。どうしよう」ビリーはギルバートに諭されて、だんだんと焦り始めたらしい。金には汚いが、生来、臆病者である。

「領主様に預けておくのか。安全だ。お前も泥棒だと思われたくないだろ」

 ビリーは口をへの字に曲げて悔しそうに歯噛みした。

「たしかに。それがいい」

「そうだろう」

「……」

「ふふ。商売の道は知らんが、どんな道にも道義というものがあるだろう」

「それじゃあ、貧乏になるだけさ」

「はっはっは。お前、その剣を貸しにして、俺にただ働きさせる気だっただろ」

 ぎくりとビリーは肩をすくめて、「バレたか」と苦笑いした。

「まあ、いいさ。これは俺が預かっておくぞ」

 ――かくして、ギルバートは夜陰に怪剣コグを携えて、自分のあばら家に帰った。彼の家はもとは一家離散して行方不明になった、いわくつきだった。誰も住みたがらないので、引き立てらた時に、デズモンドにあてがわれたのだが、エラリの湖畔が見えるので彼は気に入っていた。しかも、壁の外で、魔物に対する睨みを利かせるのに、便利だったし、人目を気にせず、狩りに赴ける。

 ただ、周りに人はいない。寂寥な居住まいである。囲いがいくつも家の前に組まれて、その中では薬効のある植物が毒々しい色の葉を伸ばしている。

ギルバートはその囲いの真ん中を通って、あばら家に入って、寝床に横になった。彼は天井を見ながら、血肉のように赤い刀身を見つめた。

(美しい。ずっと見てると、自分のモノにしたくなる)。彼はモニカのことを思い出した。彼女が自分の首筋を狙ってきた感覚がいまも刷り込まれたように残っている。

(あの人、教区長とはうそっぱちだ。ほんとうは騎士たちと同じような人殺しなのだろう。……一挙手一投足に油断ならぬ匂いがした)。

 ――そんなことを考えている刹那。ぎょろり、と刀身に目玉があらわれた。それは爬虫類みたいに四方を見回したあと、ギルバートを睨んだ。

「うわあああっ!」

 ギルバートは驚いて剣を放り投げた。剣は赤い刀身を月夜に輝かせて、転がった。剣吞なことを考えている折の出来事だったこともあって、心臓がはじけるような驚きだった。ギルバートはおそるおそる、身を乗り出すようにして寝床から不明瞭な闇をのぞいた。おとぎ話を恐れる子供に戻ったように、ギルバートは一瞬のうちに様々な想像をした。

「いったい何なんだ」

 剣は剣のままだった。何の変哲もない。ギルバートは自分が幻覚を見たのかと思って、いぶかし気に刀身を見ながら、さっき目が浮き出てきた場所を指でこすってみた。

(あの眼玉は、水晶の中に見えたものと似ていたが。まさかな……)。

疲れているのだと彼は思って、そのまま眠ろうと横になった。何度か、瞼を開いて立てかけた赤い剣を見たが、変化はなかった。

(やっぱり、気のせいだな)と図太いのか、彼は平然といびきをかいて眠った。

 夜闇に豪快ないびきが響いている。森の奥から涼やかな風が吹き、囲いの毒々しい草花が揺れる。紅い刀身は血肉のような瑞々しさをとり戻した。――妖刀コグは目を覚ました。じろりと、ギルバートのあばら家を見回した。(ちっ。みすぼらしい家に住んでやがるな)。コグはのこぎりのような口を開けて、ため息した。刀身を分裂させて、蜘蛛のように地面に立った。ほとんど無音である。ギルバートのいびきがわずかな物音を消してくれる。コグは蜘蛛で言うところの足を伸ばして、ギルバートの面を洞察するように眺めた。

(若いな。若いなら、それなりに体は丈夫だろう。一年ぐらいは持つかも)。

 彼の手口は人のこころに入り込むところから始まる。コグの眼玉が真っ赤な光を放った。それは幽遠な響きをもって、人の心を揺らし(さあ、こちらへ来い)と誘引するのである。基本的に宿主側に抗うすべはないが、宿主の精神と肉体の強さによって、操りやすさが違う。とうぜん、体が頑健で頑固な人間は操りにくい。

 この時、ギルバートは夢を見ていた。内容はおぼろげで判然としないが、その夢はコグの乱入ですこし変化した。何かを追いかける夢を見ていたが、途中で狼が乱入してきて、ギルバートは「皮を剝いでやる」といって、狼を殺した。荒唐無稽な夢である。

 が、コグがギルバートに与えられた影響はそれだけだった。夢をすこし殺伐とさせただけである。

「ぐ、ぐ、ぐ。なんだ、こいつ……まったく、入れねえ」コグは思わず、うそぶいた。<寄生>に耐える人間はごくまれにいるが、全力を傾けても、水一滴通さない人間は初めてだった。

(死んでないよな)とコグは思った。死んでいる人間に寄生は出来ない。けれど、ギルバートはのんきにいびきを響かせているので、それはあり得ない。

「こいつ。何者だ」

 コグはギルバートの白面をいぶかし気に見ながら、もしかすると、いままで恋焦がれてきた人間に出会ったのかと思った。けれど、早合点かもしれない。肉体の強さではなく、なにか、別の加護を受けていて、それに阻害されたこともあり得る。聖職者には、そういうタイプが多い。――なおも、コグは疑う。彼も年月をいたずらに過ごしたわけではない。人間を悪魔みたいな客観的視点で熟知している。

(こいつが、俺の妖気をまったく通さないほどの肉体を持っているなら、どうしてこんなクソ田舎でボロ家に住んでいるんだ? 普通に考えて、ありえねえだろ。ははあ、ただのバカだな。それなら、いくらでもやりようがある。こりゃあ、いい)。コグはしずかに元の位置で剣のすがたに戻った。

 ――少し時間がたった宵闇だった。青白い光が窓から差し込んでいる。むくりとギルバートは起きた。小便をしようと、あばら家を出ようとしたとき、ふいにコグの方を向いた。いぶかし気に眉を動かして、ギルバートはコグに近づいて、その刀身を睨んだ。

「おかしいな。俺は柄を下にして置いたんだがな」

 コグは冷や汗をかいた。(こいつ、意外に鋭い奴だ。くそ、バレるな、バレるな)。ギルバートは覗き込むようにコグを見ていた。

「……」

 ギルバートは憤然と剣を掴んで、外にでた。

「お前、まやかしだな。俺はダマされねえぞ」

 誰彼時に湖のまえに走って行って、「お前、すがたを見せなければ、湖に投げるぞ」と脅した。湖面はぴんと張った布みたいに乱れることがなく、一方、ギルバートの怒号が激しく響いている。

コグは何も答えなかったが、恐怖で叫びそうになった。なぜなら、彼は水中で息ができないからである。

「……何も言わないか。そうか。ならば、こんな妖怪のような剣はいらん」

 ギルバートは脅しではなく、本気で振りかぶった。彼の膂力であれば、湖水の真ん中に落ちることは必定だった。コグは心底、震えあがって「わかったっ! 俺の負けだっ!」といって、刀身に目と口を出して、降参した。

 が、「うわああっ!」と腰を抜かしたのはギルバートだった。

「脅しておいて驚くなよ」コグは蜘蛛のように足を生やし、地面に立った。

「お前、いったいなんだ。魔物か、どうして、人のことばをしゃべる」ギルバートは腰を抜かしたまま、矢継ぎ早に問うた。コグはそのようすに(意外と御しやすいヤツかもしれないな)と内心、ほくそ笑んだ。

「世間知らずな奴だな。俺は神器だよ」

「しゃべる神器など聞いたことがない」

「まあ、神器でも、俺ほど確固とした人格をもってるやつは珍しいだろうな」

「うそをつくな。お前は、魔物の一種だろう」

「魔物だと……」

 コグはイラっとした。(あんな低俗なものと一緒にされてたまるか)と思って歯噛みした。が、生殺与奪を握られているのでコグは怒るに怒れなかった。とはいえ、いまのコグのすがたは蜘蛛のようで気味が悪い。魔物と思われても仕方ない。ギルバートは警戒を解かず、数歩離れた場所から睨んでいる。

「なにを恐れる。俺はただの剣だぜ」

 コグはもとの剣のすがたに戻った。

「信用できねえ。素人の俺でも、関わったらやべえヤツってわかるぞ」

「なら、このままじっとしておくからどこかへ売り飛ばしてくれ。貧乏人のお前にはそれなりの金になるはずだろ」

「いいや。お前からは危険な匂いがする。誰かの手に渡るまえに、どこかに埋めてやる」ギルバートがそういうとコグは焦った。

「待て待て」

「うるさい」

「お前、俺様にいったいどれほどの価値があるか分からんのか」

「そんなのはしらん」

 侃々諤々言い争っていると、暁闇に薄気味の悪い叫び声が聞こえてきた。林冠に反響して、声がどこから聴こえてくるのかいまいちつかめず、森林から湧き上がってくるように思われてより不気味である。 

「くそ。こんなときに」

「この声は……。幽鬼だな」

 コグはそういって、微笑した。ギルバートはわき目もふらずに走り出そうとしたが、ふいに剣が折れていたことを思い出して茫然自失した。さすがに素手では魔物と戦えない。

「おい。俺を使え。小僧」

「いやだね」

「素手で幽鬼と戦うのか。正気じゃねえな」

「ぐぬぬ」

「別に邪魔はしない。おとなしくしているから、お前は思うままに俺を振り回せばいい」

「……約束しろよ。余計なことをしたら、湖に投げるからな」

「いいとも」

 ギルバートはコグを握った。コグは(やはり、操れぬ。岩みたいなやつだ。いったい、どうなってる)と困惑したが、(まあいいや。お手並み拝見だ)と目を閉じた。暁闇の疎林を風のように走った。

「さあ、どう探すんだ」試す様にコグはギルバートに問いかけた。

「いいや。探す必要はない。あいつは、俺を狙ってるんだ。待ってれば、あっちから来る」ギルバートは大樹の根っこに隠れた。待っていると、彼の言葉通り、蕭条と雨が降り出して、森林に妖しい霧がかかり始めた。

「霧か。幽鬼のまやかしだな。自分の世界に引き込もうとしている。おい、小僧。思ったより、やばい相手なんじゃないのか」

「何度もやりあっている。毎月、いちどは現れるんだ」

「む。お前、なんで何度も戦って生き残ってるんだ」

「止めを刺せないのさ。心臓を突き刺しても、平然と逃げていくんだ」

 コグは言葉を失った。

 ギザギザの歯を揃えた口から泡を飛ばす勢いで「そんなことも知らんのか。幽鬼の胸を刺しても死ぬわけねえだろ。首を取るか、封印するか、魔術で消し炭にするぐらいしねえと幽鬼は死なない」といった。

「そうなのか。どおりで」

「嘘だろ。おまえ」

 こんなに無知なのに、なぜ、生き残れているのかコグは不思議だった。けれど、もうすでに、コグの妖気が彼のこころに入り込めない理由の片鱗が見えている。コグは面白くなってきて、はやくギルバートが戦うすがたを見たいと思った。

 幽鬼は勃然と降ってくるように現れた。年月で劣化した衣服に靴は履いておらず、素足で地面を踏みしめて、不気味に光る青い眼玉がギルバートを睨んだ。コグは幽鬼のすがたを一目見て、「あ、ありえんっ!」と叫んだ。

「うるせえ。邪魔しない約束だろ」

「あ、あれは。魔族の幽鬼だ。話が違う。しかも、<変身>能力まで持っている。ありえねえ。フラワリアに現れたら、軍隊が編成されるレベルだぞ。小僧、命が惜しかったら、逃げるんだ。あれは、どうにもならんっ!」

「なにを怖気づいてる」

「お前、よく見ろ。幽鬼の等級は青い目玉の光の強さでおおよそ見当がつくと言われている。ほとんど光らないレベルでも、村や領邦を一匹で破壊できるんだぞ。――あの光の強さを見ろ、シャレになんねえよ」たしかに、幽鬼の眼玉は灯のように暁闇を青く切り裂いている。ほとんど青い炎のような光の強さである。

「なんども戦って、勝ってるし。それに……首を取ればいいんだろ」

「嘘をつくな」

 言い争っているうちに、幽鬼は恐ろしい運動能力で走ってきた。その音を聞いて、ギルバートは反射的に身を屈めた。ぶうんと空を切る幽鬼の拳がものすごい音を立てた。――時が止まった。コグは息をのんだ。柄を掴んでいる握力が尋常ではない。

(こいつは、いったいなんなんだ)。ギルバートに会ってから、何度も思った問いを繰り返す。ギルバートの顔つきからあどけなさが消えて、すろどい光を帯びた。

 ギルバートは一閃、コグを振った。すると、ぼとりと音を立てて幽鬼の右腕が落ちた。首を狙って、再度、振りかぶると幽鬼は手から謎の要領で炎を吐き出した。ギルバートはすんでのところで、それを避けた。爆炎が草の絨毯を洗って、焼け焦げた地面があらわになっている。

「くそ。ずるいぞ。魔法を使いやがって」彼は地面に這いつくばって悪態をついた。たちあがると、霧のなかに幽鬼は消えていくのが見えた。

「いつもこうなるんだ。死にかけると、霧の中に消える」

 彼はそういった。コグは茫然自失して、ギルバートの顔を見ていた。

「おい。落とした腕はどこか」

「腕がどうした」

「いいから、幽鬼の腕を見ろ」

 ギルバートは斬り落とした幽鬼の腕のまえに膝をついた。幽鬼はもとは生きていた人間である。どういった動力で動いているのかわかっていないが、たいてい、この世に未練を残して死んだ人間の怨念がなす業だと言われている。

「腕がどうしたんだ」

「よく見ろ、小僧。この腕は<人間>の腕に見えるか」

 ギルバートは言われて、覗き込むように落ちている血色のわるい腕を観察した。

「これは……。肘が棘っぽく尖っている。それに……爪がない」

「あれは魔族だよ。フラーガと呼ばれる種族だ。山脈を越えてきたな。なんにしても、めったに現れない超一級の怪物だ」

「なんだ。幽鬼になると、皆、あんな姿になるものと思っていたんだが」

「お前、どうかしてるぜ。たとえ、騎士団の幹部クラスでも、冒険者ギルドのギルド長でも、裸足で逃げ出すレベルの怪物だ。魔王の手先として、古典に出てくるような奴さ」

「魔王なんて迷信は信じない。それに、あんなのから逃げてたら、町民を守れねえだろ」

「あんなの、か。なるほどな。どうして、この領邦は魔界と境を接しているのに、こうも牧歌的なのかと思っていたんだが、お前がやべえ魔物を知らず知らずのうちに狩り殺していたんだな。ふざけたやつだ」コグは笑った。嘲笑というより、ただ笑うしかないといった感じの笑い。

 ギルバートはモニカに言われたことを思い出した。一日で、二度も褒められて(あれ。俺ってもしかして、結構イケてる?)と若者らしく、すこし調子に乗ったりもする。

「なあ、小僧。俺はコグってんだ。名前は?」

「ギルバート」

「ギルバート、いい名前だ。よし、お前は俺と契りを結べ」

「なんだ、それは」

「俺みたいな人格を持った神器はめんどくさいんだよ。大切なのは約束ごとだ。いわば、俺の使用料」

「いくらかかる」

「金じゃない。お前の魔力だよ」

「魔力? 俺は魔法は使えない」

「べつに使えずとも、魔力はだれの体にも宿っているものだ。そして、どうやら、お前の魔力量は尋常じゃない。なあ、どうせ魔法は使わないんだろ。余ってるんなら、多少、俺にくれよ」

「お前に魔力を与えて何になる」

「……俺は本来の姿になり、その俺を振るうお前は、この地上で誰よりも強くなれる。魔界や人間界含めて、だれもお前に並び立たず、望めば皇帝にもなれるぞ。いいか、これは運命だ。俺たちは、このクソ田舎で出会うために、生まれたんだよ」

 ギルバートは途中で眉をひそめて、じーっと蔑むようなまなざしでコグを睨んだ。

「皇帝? やっぱり、お前は邪悪な匂いがする」

「うっ」

「魔物だろ。おまえ」

「ち、ちがう」

「あやしいな」

「ま、まあ。答えを急ぐことはない。ゆっくり、考えてくれよ」

「それは無理だ。お前は<落とし物>だから、領主様に預けることになっている」

「な、なんだってっ! お前、このチャンスを逃すのかっ!?」

「まあ、俺の気が変わるのをゆっくり待っていておくれよ。領主様の倉庫のなかでな」

「このクソガキ」

「はっはっは」朝日が差し込んで、笑い声が陽気にひびいた。ギルバートはコグを肩にかけて、哄笑しながら、元気に出仕していった。コグは目の前の若者にまったく籠絡する余地がないことを悟った。



 

 



 

 
























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