1章 世界の底
1章世界の底
私の名前はサリファ=アナロス。天真爛漫な性格で明るすぎるのがたまにウザいと友達によく言われていた。何事にも楽しみを持って行動する――それが私のモットーなので、そんなことを言われてもどうしようもできない。嫌々やるくらいならしない方がいい。そこに楽しみが少しでもあれば、世界は大きく変わることをサリファは知っているからだ。だから、努めて楽しみであったり、いい所などを探す。
だが、それも過去の話である。
何をどう考えても楽しみなんてどこにもない。かと言ってしないという選択肢も存在しない――そんな環境下に今自分は置かれていた。
ここはヘルジャス王国と呼ばれる国の地下牢である。1週間ほど前に私は悪魔と呼ばれる者に攫われたのだった。そして、私はこの国に売り飛ばされたらしい。ここでは毎日血を採取される。それだけだった。死なない程度に血を抜かれ、また次の日まで牢の中で放置されるのだ。
と、今日はもう血を抜かれたというのに牢のカギが開けられる。
「おい、お前は今から相部屋だ。1人部屋はここの生活に慣れるまでだからな。さっさと立て!」
そう看守は怒鳴り散らす。悪魔の強さは知っている。人間では到底勝てない相手だということを。だからこそ、今私はこうして捕まっているのだ。
サリファは看守の言う通りに牢から出る。だが、手錠も何もされていないからといって逃げ出そうとはしない。捕まることは目に見えて分かるからだ。
看守の案内通りに進み、看守が止まるのと同時に足を止めた。
「お前の部屋は今日からここだ。仲良くやれよ」
看守が扉を開けたと同時に背中を押され、牢に押し込められたのだった。バタン。
勢いがあった為、サリファは牢の中に倒れこんだ。ガチャリ。
看守はそのまま鍵を閉め、どこかへ行ってしまった。
(う、うう…。私がいったい何をしたっていうの…?)
立ち上がる力も湧かず、悔しさからか次第に涙が流れだす。泣いていると、誰かが近づいてくる気配を感じた。
「お嬢さん、泣きたい気持ちは十分に分かるよ。でも、余り度が過ぎると懲罰を与えられるからその辺で堪えなさい」
サリファはその言葉に顔を上げる。そう言ってくれたのはお爺さんだった。やせ細った体で、歳は80歳くらいに見える。
「すみません」
「いやいや、謝らんでいいんじゃよ。悲しいお嬢さんに一つ希望の話をしてあげよう」
お爺さんは笑顔で話を続ける。
「ここでは任期というものがあるらしいんじゃ。任期を終えれば解放してくれるらしいぞ。その後はこの世界で生きていくための力を授けてくれるらしいんじゃ」
笑顔でそう話すお爺さんを見て、サリファは少し元気が戻ってきたような気がした。
「そうなんですか」
「そうじゃ、そうじゃ。一生ここにいなくていい訳だからそこまで悲観することもないじゃろうて」
その言葉にサリファは涙をぬぐい強く頷くのだった。
「時にお嬢さん、何故私たちは毎日血を抜かれているか分かるか?」
突然のお爺さんの質問にサリファはビックリして首を傾げる。
「それはな、この世界では人間の血は極上なんだとか。悪魔は血を飲んで生きる生物らしくてのぉ。分かりやすく言えば、人はA5ランクの牛肉があれば、誰だって食べたいと思うじゃろ。今後牛を殺してはいけませんと言われたって誰も聞かんじゃろ。そういうことじゃ。人間の血が極上だから、人間を悪魔と平等に扱えば極上の食材を失うんじゃよ。それがこの世界じゃ。人間が攫われる理由、即座に殺されない理由が分かったかな」
「はい。お爺さんは物知りなんですね。どこでそんな知識を身につけられたんですか?」
サリファはキラキラと目を輝かせながら問いかける。
「どこで…か。私はな、ここが長くてね。いろいろな人と相部屋になって、この世界の話をいろいろ聞いたんじゃよ」
お爺さんは笑顔でそう言うのだが、サリファは何かひっかかりのようなものを感じた。
「お爺さんって…」
「まぁまぁ、そう急がんでええじゃろ。今日はもう眠くなったから、先に休ませて貰うよ」
そう言うと、お爺さんは床に敷いてある布団に潜り込んだのだった。サリファも隅に丸めてある布団を敷き、寝ることにしたのだった。
それから、毎日毎日血を抜かれる日々が続いた。お爺さんと毎日楽しくお話をしていたおかげでこの環境も耐え抜くことができた。時は1年が経ったのだった。
毎朝の採血が終わり、牢に戻された時だった。
「おい、爺さん。お前は今日で満期だ、明日解放してやる」
そう言って看守は笑いながら去っていった。サリファは看守の言葉に目を見開いた。
「お爺さん、良かったじゃないですか。これからは自由ですね。――まぁ、私は少し寂しいですけど…」
そう言ってサリファはモジモジしていた。
(あれ?)
ずっと返答がないお爺さんが気になり、サリファはお爺さんの顔を見る。すると、お爺さんの顔は青ざめており、体も震えていたのだった。
「どうしたんですか?体調が悪いんですか?ちょっと看守の人呼びますね」
サリファは慌てて、食事を入れるドアの小窓を開ける。
「待ってくれ」
サリファが看守を呼ぼうとした瞬間、それはお爺さんによって止められたのだった。
「えっ?お爺さん?体調が悪いなら我慢しちゃダメですよ。明日から自由なんでしょ?」
振り向いたサリファの両肩をガシッとお爺さんは掴む。
「すまない、サリファちゃん。お爺さん、サリファちゃんに少し嘘をついていたんだ」
そう言って、お爺さんは肩から手を離すと、そのまま自分の布団にもたれるように座った。異様な雰囲気にサリファも自分の布団に座るのだった。
「前に任期があるって話をしたことがあったじゃろ?それは本当じゃ。そして自由になるというのも本当じゃ。だけど、サリファちゃんが抱いているイメージとは多分違うんじゃ。奴等の言う任期というのはな、私らの寿命のことじゃ。毎日血を採れないようになるとその者は用済みになるんじゃよ。そして、解放とはこの場合、生からの解放という意味になるんじゃ。つまり、私は明日殺されるってことなんじゃよ」
お爺さんは薄い笑顔でサリファに丁寧に答えてくれた。その言葉がゆっくりとサリファの体に浸透していく。理解し始めると同時に錯乱状態に陥りそうに心が動揺する。
そんなサリファの肩にポンとお爺さんが手を乗せるのだった。
「サリファちゃんのおかげでこの1年、実に楽しかった。私はこの世界に来てすぐに牢に入れられたからこの世界がどんな世界なのかこの目で見ることは叶わなかった。だが、いろいろな人の話、そしてサリファちゃんの話を聞いて、いろいろ想像できて実に楽しかった。私はもう十分に生きたんじゃ、今更悔いはないんじゃよ」
そう笑ってくれる。
「でも、でも!そんなのあんまりじゃないですか。毎日毎日血を採られるだけの日々を過ごして、用済みになれば殺されるって――私たちは家畜じゃない!」
想いの丈を発散する。だが、サリファの想いに対してお爺さんから返ってきたものは無情であった。
「私らは家畜だよ。この世界にとって、悪魔にとって人間は家畜以外の何者でもない。それが現実じゃ。私は昔、人を殺したんじゃよ。だから、この世界に追放されたんじゃ。当時は追放されると分かっていても、それでもやらないといけない、ルールをやぶらないといけない――それだけの想いがあったんじゃ。だけど、この世界に来て、私は間違っていたと後悔しない日はなかった。一時の感情に流された結果がこれじゃ。だけどな、お前さんは違う。何も罪を犯しておらん。ここでこんな仕打ちを受ける理由がない。だから、お前さんに私の全てを渡そう」
そう言って、お爺さんは自分の布団をずらしたのだった。そこには人ひとり入れるくらいの穴が開いていた。
「えっ、これは?」
「この牢は一番端に位置しているんじゃ。そして、隣には悪魔の血が置いてあるらしいんじゃ。その血を飲めば悪魔の力を手に入れられる。悪魔と対等になれるんじゃ。それが私の考えていた脱獄プランだったんじゃ。まだ、穴は掘り切っておらん。全てをサリファちゃんに託そう」
そう言うと、お爺さんはサリファを穴に入れ、土の掘り方を教え始めたのだった。
時間はあっという間に過ぎた。
ガチャリ。
牢の扉が開いた。いつも通り、サリファとお爺さんは一緒にいつもの部屋で血を採られた。
「じゃあ、爺さん。解放だ、これまで世話になったな」
看守はそう言うと、お爺さんの腕を掴み、いつもとは違う扉へ向かうのだった。
「お爺さん!!」
サリファは思わず叫んでしまった。走って、お爺さんが行かないよう服を引っ張る。
「おい、お前」
看守は持っている棒でサリファを叩きだした。
「痛い…、痛い…」
サリファは泣きながらも、お爺さんから手を離そうとしない。
「ちょっと待ってくれ」
そう言ってお爺さんは看守にサリファを叩くのを止めさせた。
「別れが辛いみたいだ。少しだけ、このお嬢さんと話をさせてもらってもいいですかな?」
お爺さんの言葉に看守はやれやれといった表情を見せる。
「まぁ、一つくらいはお前の望みを聞いてやろう。3分だ、それで終わりだからな」
そう言うと看守はお爺さんとサリファをいつもの牢へと連れて行ったのだった。看守が扉を閉めたのを確認したお爺さん。
「痛かっただろう。辛い思いをさせてすまないな。でも、この辛い現実ももうすぐ終わる。私の想いは私が死んでも終わらない。サリファちゃんが成功することを空から見守っているから、しっかりと頑張るんだよ」
そう言って、お爺さんはサリファの頭を優しく撫でるのだった。
「お爺さん、私、私ね…、お爺さんと一緒にいれてとてもうれしかったんだよ。1人じゃ…、寂しくて…、辛いよ。お爺さんが行くんなら、私も一緒に連れてってよ。もう1人は…、嫌だよ…」
サリファは大粒の涙を流していた。過呼吸ぎみのサリファの背中を優しくさすってくれる。
「お爺さんを困らせないでおくれ。サリファちゃんは昔、お爺さんに話してくれたよね。友達の話。きっと皆待ってる。下を向いてる暇なんてないよ、ちゃんと上を向きなさい」
そう言ってお爺さんはサリファの顔を持ち上げ、涙を拭ってあげた。
「でも、でも…」
グスン、グスン言っているサリファにお爺さんはとびっきりの笑顔を向ける。
「それに、サリファちゃんの言っていた、楽しい所を探すっていう人生観も好きだった。もしかしたら、殺されずに本当に悪魔の力を手に入れて、外に出られるかも」
お爺さんは今一度笑い、サリファの頭を撫でると、そのまま牢の扉を開け、外へと出ていったのだった。ガチャリ。
お爺さんが出ると、牢は鍵が閉められた。
『夢をありがとう。』
去り際にお爺さんからそう聞こえた気がした。
サリファはそれから穴を掘り続けた。お爺さんの想いも連れて、ここから出てやると。
それから3カ月が過ぎた辺りだろうか。
採血が終わったにも関わらず看守が牢を開ける。サリファは急いで穴から飛び出るのだった。
「お前は明日から新しい実験台だ。人間の養殖とやらを試すそうだから明日新しい部屋にお引越しだ。一人ぼっちが嫌だったんだろ、良かったな」
看守は笑いながら牢から出ていった。看守の言葉にサリファの顔は青ざめていく。
(何?養殖って…、無理なんですけど。…というか。)
サリファの顔が更に青ざめていく。
(引っ越しって…。まずい、まずい、まずい…。)
サリファは看守が消えたのを確認するとそのまま穴へと飛び込んだ。
(まずい、まずい、まずい…。)
サリファは一心不乱に穴を掘り進む。今まではゆっくりやっていたが、もう時間がない。指が切れようが、爪が剥がれようが関係ない。素手で休むことなく掘り続けた。
(あっ。)
反対側から崩れるように土壁が崩れ、穴は貫通したのだった。サリファは不用心にも穴の先を確認せずに跳び出てしまったのだった。
「ふぅ…」
だが、その部屋には誰もいないようであった。辺りは暗く、明かりも無いためよく見えない。窓から差し込む月明かりだけを頼りにサリファはそれらしい物を見つけると窓際まで行き確認してを繰り返した。
タッタッタッ。
足音がこの部屋の扉の前で止まった。
(まずいって…。)
ガチャリ。
扉が開いた。サリファは咄嗟に机の下に隠れる。
スタ、スタ、スタ。
中へ入った恐らく看守だろう人は部屋の中を徘徊する。
(まずい、まずいって…。)
スタ、スタ、スタ、ボコン。
徘徊していた看守はサリファの掘った穴に落ちたのだった。
(まずいってレベルじゃ…。)カコン。
サリファが机の下から跳び出ようとした瞬間、何やらビンのような物が腕に当たる。サリファは咄嗟にビンを持ち、走って部屋を出る。
「おい、脱獄だぁあああ!!!」
穴に落ちた看守の叫びが真夜中の城の地下に鳴り響く。
(まずい、まずい…。)
サリファは走りながら、ビンの蓋を開けると、確認もせずに中身を一気に飲み干したのだった。ここは地下である。そう、脱出したければ上へ行かないといけないのである。階段を見つけ、登る。ガチャガチャ。
サリファの時が止まった。
1階へのドアは鍵がかかっていたのだった。
「おい、大人しくしろ」
武器を持った看守が階段を一歩ずつ登り、サリファに迫ってくる。そしてサリファは腕を掴まれたのだった。力を込めて振りほどこうとするが、全くビクともしない。
「殺しはしないから安心しろ。だが、脱獄は重罪だ、とびっきりの懲罰が待っているからな。覚悟しとけ」
サリファは脱獄に失敗した。
お爺さんとの約束を果たすことはできなかった。
もう生きていられる自信がない。
この先待っている地獄を知っている。絶対に耐えられない。
(お爺さん…、ごめんなさい。私、もう無理だよ…。)
サリファの涙が頬を伝った瞬間だった。
サリファを引っ張っていた看守が消えたのだった。何が起こったのか全く理解できない。いきなり消えた為、サリファはバランスを崩し階段の手すりを掴んだ。パスッ。
ドテン。
掴んだはずの手すりは空を切り、そのまま転んでしまったのだった。と、先ほどの部屋から穴に落ちていたもう1人が姿を現した。
「お、お前…、オスカルをどうした!?」
相手は若干震えているようであった。サリファは立ち上がり、即座に逃げ出す。上の階へは扉に鍵がかかっている為逃げられない。とりあえず捕まらないようにとその場しのぎではあったが、逃げる。だが、地下は迷路のようになってなどいない。一直線でありすぐに終わりが見えたのだった。
(はぁ、もう無理…。)
追い詰められ、壁に振れた瞬間だった。パスッ。
壁が消えたのだった。
(はっ!?)
だが、悠長に考えている暇はない。大きく空いた穴を登り、サリファは地上に出たのだった。
「脱獄です。対象は混血になっている模様。至急、応援をお願いします」
看守は無線で外部にそう連絡する。バタッ。
『おい、おい、何があった?』
看守は意識を失った。そしてその場には無線だけが鳴り響く。看守の意識を奪った者が倒れた看守の側に立ち、サリファを見送ったのだった。
「実に面白い…」
・マル秘エピソード
サリファを見送った者、それはこの世界を創ったという7神の1人、マーサだった。
神の悪戯というか、暇つぶしというか――マーサはヘルジャスに爆弾を仕掛けたのだった。爆弾とは何か。それは自分の血である。血の入った瓶をどこに置こうか迷っていると地面がいきなり崩れたのだった。マーサは人の気配を察知し、咄嗟に隠れた。そうやってサリファはマーサの血の入った瓶を手に入れたのだった。
マーサの血を飲んだのはサリファ=アナロス。だが、1つ不思議なことがあった。
普通なら死ぬ。飲んだ瞬間に。それほど莫大な力であるからだ。
しかも、能力を継承できるほどの血の量ではなかった。それなのに彼女は不完全ながらも能力を継承している。
マーサの想像を超えた存在。
本当はマーサはヘルジャスに爆弾として自分の血を寄与するつもりだった。神の力を継承し、最強を欲しいままにする欲まみれの外道が簡単に死ぬ光景を見たかったからだった。その絶望をワクワクしながら待つ予定だったのだ。にも関わらず、飲んだものは死ぬどころか、希望を見出したのだった。一生地獄の生活で終わる存在だった彼女に訪れた最強の幸運。
だが、マーサは予定を壊されても何もしない。それならそうと、他の楽しみができたからである。
マーサの能力は『拒絶』
そのスキルの真髄は心次第ということ。
心身が安定しない限り拒絶し続けるということ。
一時の幸運は瞬時に地獄へ叩き落されるということ。
果たして彼女にそれを耐えることができるのか。
マーサの予想ならばいずれ彼女は闇堕ちする。世界に破滅をもたらす災害となることだろう。
彼女がこの世界にもたらすものに期待を膨らませながらマーサはヘルジャスから姿を消したのだった。
そして、もう一つ。
解放されたというお爺さんの運命は。
ヘルジャス王国は独自で新悪魔が3段階へ進化する方法を編み出し、極秘にしている。
安全に3段階へ進化する方法として2段階のレベル上限に達した悪魔は人間を食うのだ。食うことでその悪魔は3段階へと進化するのだ。
これだけ言えば、お爺さんの運命は言うまでもないだろう。