72
「あら…まだ起きていたの?悪い子ね、子供はもう寝る時間よ?」
「母上…?」
扉が開き、姿を見せたのは母上だった。穏やかに微笑みながら…部屋に入ってくる…。
「夫人。御子息の寝顔を一目見るだけと仰いましたよね?」
「あら、いいじゃない。これでお別れなのだから…」
どうやら1人じゃなくて、護衛兼見張りの騎士も一緒か。
だが何故か母に恐怖を覚え…パスカルと共に立ち上がり距離を取る。
「…セレスタン。夫人は…」
「うん…今後は実家の侯爵家に帰る予定」
これでお別れって事は、僕らを連れて行く気は無いって事ね。望んでもいないけれど。
「ねえ騎士様?少し席を外してくださらない?母と子の時間を邪魔しないで欲しいのだけれど。
マクロン君も。こんな時間まで出歩いては駄目よ?私は息子にお話があるの、早くお帰りなさい?」
昼間はあんなに取り乱していたのに…あんなに、僕に敵意を向けていたのに。
笑顔が怖くて、僕はパスカルの手をぎゅっと握った。お願いだから、今はまだ帰らないで…!
「…大丈夫です、夫人。俺は今日宮に泊めていただいておりますから。
俺は居ないものと思ってくださればと」
パスカル…!
騎士様は「扉の前で待機しております」とか言って下がっちゃったけど。
閉まった扉の前で…母は何も喋らない。さっきまでの笑顔は消え、無表情で僕を見つめる…。
なんか話しに来たんでしょ?どうせ恨み言でも…と思ったのだが…なんで、何も言わないの?
「……はは、うえ…何か、お話が…?」
「はなし…そんなもの、無いわ」
「え?」
カチャンッ…
「夫人?夫人!?」
なんで、鍵を閉めたの…?
騎士が向こう側から扉を叩き、ノブをガチャガチャと揺らす。
母上は意に介さず、ゆっくりと近付いて来る…。
そして、あと五歩…という所で止まった。
「私と旦那様を切り離した者と…話すことなど何も無いわ」
「母上も、父の罪をお聞きになったでしょう…!?」
「つみ、罪?旦那様のなさる事だもの…何か、理由があったに違いないわ。
それを理解もせず旦那様を陥れたのは…だあれ?」
ぞく…と、背筋が凍った。世間には、僕が告発したと知られていないはずだけど…?
僕は、パスカルの腕にしがみ付いた。身体の震えが止まらない…!
ヘルクリスは大きな翼で後ろから僕らを包み、セレネはパスカルの横に立ち、狼の姿になり威嚇している。
ヨミは僕らの前で庇ってくれているし…他の子達もそれぞれ僕らを守ってくれている。
シグニはいない。「流石に皇宮に魔物はマズいよね?」と思い、一時的にファロさんのとこに預けたのだ。
それでも、世界だって滅ぼせそうなメンツがここには揃っているというのに…。
だというのに…どうしても恐怖心、不安が拭えない…!
「その反応…やはり、お前が…!
お前が!!!私からっ、旦那様を奪いやがったなあ!!!??」
!!?母上が、今まで見せたことのない鬼の形相に…!
態度が豹変した母に、僕が怯みセレネが飛び掛かろうと構えたその時。
母が…胸元から、ペンダントを取り出し…た?
三日月型の綺麗な、薄い宝石。
「まさか…」
僕の呟きと同時に…その宝石を、パキッと割った…。
「ギャンッ!?」
「…がっ…!」
「く、ぁ…」
「!みんなっ!?」
母がペンダントを割った瞬間、上級の皆が塵となって消えた!?最上級の3人はその場に崩れ落ち…って、あれが精霊封じの宝玉…!?
「お前さえ!いなければあぁ!!」
そのまま母はドレスの下に隠し持っていた短刀を握り締め、僕に突進をして来た!!
いつもの僕だったら素人の突きなど、丸腰でも軽くあしらえるのに…無敵の精霊達が軒並みやられてしまったという異様な光景に、動けずにいた。
それは一瞬の出来事のはずなのに、母の動きがスローモーションに見える。
彼女はいつも綺麗にセットされた髪を振り乱し、目を血走らせて僕に迫る。
僕に明確な殺意を向け、その短剣で貫こうとしている…。
そう頭では理解しているのに…どうして身体が動かないの…!?動け、動け動け動け動け…!!
短剣が僕を捉えるまであとニ歩、というところまで来た。
どうして僕は…足が床に縫い付けられているかのように全く動けずにいるの…。
まるで脳と身体が切り離されているみたい。頭は「動け、逃げろ!!!」と命令を下しているのに…身体が一切の反応をしない。指一本動かせず、瞬きすらも出来ない。
あれで刺されたら、痛いだろうなあ…。前に大剣で貫かれた時も、痛かったけど…すぐ気絶しちゃったし…。
痛いのは、やだなあ…せめて、一突きで楽になりたいなあ。
そう、諦めていたら…。
「——シャーリィ!!!」
…?
僕の目の前に、見慣れた青い髪が飛び込んできた。
パスカルだ、パスカルが僕の事を、正面からぎゅっと抱き締めてくれたんだ。
え、ちょっと。今僕の前には…短剣を構えた…!!
「……ぁ…」
「…………え」
ドズ…と、鈍い音が耳に届く。
それと同時に…パスカルが力を失くし、僕に寄り掛かって来た。
「うあっ!
……パスカル?パス、カル…?」
支えきれなかった僕は後ろ、ヘルクリスの上に尻餅をついた。ヘルクリスのお陰で痛みは無かったが……あれ、パスカルの背中に、短剣の柄が…?
「………、りぃ…よか…った…ごほっ、」
パスカルは震える手で、僕の頬を撫で、血を吐いた。
そして…目を細めて僕を見つめ…そのまま、動かなくなった。
「…?パスカル……?」
「ああ…!!なんてこと、邪魔が入るなんて!あと少しだったのに…!」
そう言って頭を抱える母の手に、短剣は握られていなかった。
もう一度、僕の上に覆い被さるパスカルの背に目を向けた。
そこには深々と短剣が突き刺さり…血を、流し……
あ……
「ああ、あ…きゃああああああ!!!!」
「お姉様あーーー!!?」
僕の絶叫と同時に、部屋の扉が轟音と共に吹っ飛ばされた。
廊下の先には何故かバズーカを構えたロッティと目を丸くする騎士。今はそんな事どうでもいい!!!
「ロッティ!!!パスカルが、母上に、あ、ああああ…!!」
「は?……パスカル!?」
なんてこと…!パスカルが、僕を庇って…代わりに、刺されて…!!
「あ、やだ、やだやだやだあ…!」
金縛りが解けたように、僕の身体は動かせるようになっていた。
状況を理解した途端、みっともなく涙が溢れてしまう…!
母は僕を殺す事を諦めていないようで、パスカルの背から短剣を引き抜こうと手を伸ばす。
ロッティ達がこっちに駆け寄ってくる姿が見えるが、まだ遠い!
今抜くのは駄目…!僕は混乱極まる脳をフル回転させ、パスカルを強く抱き締め左手で母の手を振り払った。
「何故旦那様が酷い目に遭わされてしまうの!?お前が死ねば良かったのに!!
その子供が死ぬのもお前のせいだ!!お前、の…………」
その時、母が騎士に拘束された。
僕はパスカルに治癒を掛けながら横目で見ていたが…母の、様子がおかしい。
目を開いたままぴくりとも動かない。拘束されても抵抗しないどころか、されるがまま…あ。
母の足首を…倒れているヨミが、素手で掴んでいる…。
「ごめ、ん、シャーリィ…ぼくは、」
「ヨミ!?」
彼は手を離し、影に消えた。
…いや、きっとヨミは大丈夫!!それよりも、パスカル!!
「騎士様!!母はもう動けませんわ、早く治癒師を連れて来て頂戴!!!」
「は、はいっ!!!」
ロッティの言葉に、騎士が部屋を飛び出した。
そのままロッティは母の亡骸を「邪魔!!!」と放り投げ、僕達に駆け寄った。
「どうしよう、ロッティ…!塞がらない、どうしよう…!!」
「パスカル…!」
治癒の適性が無いロッティには何も出来ない。僕が、僕がなんとかしないと…!!
『治癒っていうのはな、表面の傷を治すのは簡単なんだ。初級編とも言える。
骨折が中級くらいで、内臓の損傷を治すとなったら…上級ってところか。
それに大量出血で死なないように、魔力を編んで血を精製する必要もあるし…こればっかしは慣れ、熟練度が必要だな。
いくら膨大な魔力を持っていようと、術者の技量が足りてなきゃ意味ないさ』
慣れない治癒を施しながら、エリゼの言葉を思い出す。
あれ以来たまに練習はしていたが…僕の技量は圧倒的に足りない…!!
「う、ううぅ〜…!」
早く誰か来て…!!こうしている間にも、パスカルはどんどん血を流し死に近付いている…!!
なんで、なんで僕を庇ったの!?
なんで笑ったの、なんで…!!
「お姉様落ち着いて!助けが来るまで、なんとか持ち堪えさせれば…!」
ロッティの言う通りだ。だが、いつまで保つか…このままじゃ失血死してしまう…!
パスカルが、死ぬ?
……嫌だ!!!
「やだああああ!!!パスカル、死んじゃやだあ!!」
無我夢中で魔力を流すが、全然塞がってる気配がない!僕の手は彼の血で真っ赤に染まっている。その手を見ると、焦りが加速する…!
「お姉様、落ち着」
「パスカル、パスカル!!やだやだ、いなくならないで…!!」
一緒に、箏まで行ってくれるんでしょう?待つよ、君の卒業まで…ずっと待つから。
僕と一緒に、クリスマスを過ごしてくれるんじゃないの?今年も、来年も!
僕はまだ…自分の気持ちを伝えていないんだよう…!!
立場の違いだとか(世間的には)男同士だとか、問題は山積みで。
…いや、たとえ結ばれなくてもいいから。君が生きていてくれれば、それでいいから…!
「好き…好き、大好き…!!だから、僕を置いて行かないで…!!」
次は直接この言葉を、あなたに伝えるから…!
「お姉様…きゃあっ!?」
「ロッティ!?…んなっ!!?」
突然ロッティが叫び声を上げたと思ったら、僕は炎に包まれていた。火事か!?
ロッティはセレネが咥えて廊下に退避し、ヘルクリスは僕の影に避難した。
でも…熱くない。むしろ暖かく…キラキラと黄金色が混じって光るこの炎は、見覚えがある。
一度だけ見た事のある…フェニックスの炎だ!
ってあっっつ!!炎は熱くないけど、胸の辺りが熱い…!!
「お待たせ致しました!!……えええええ!!?」
「何事だ、これは!?」
「ルキウス殿下!突然炎が彼らを包み…近付けないのです!」
騎士がルキウス殿下や治癒師やら数人を連れて戻って来た。
この炎は彼らにとっては熱いものらしい。ただし床も天井も家具も一切焼いていな…パスカル大丈夫なの!!?
—…………—
ん?何か…頭の中に、声が…?
—……を—
なんて!?もっかい言って!!!?
—…あ、聞こえた?届いた?では一度だけ言うぞ。その少年を助けたければ……—
「………へ」
僕は天啓のような言葉を受け取り…言われた通りに、うつ伏せにしていたパスカルを膝の上に座らせ、背中と頭を支え…
彼の口に、自分の唇をそっと重ねた…。
※
その光景に、誰もが言葉を失っていた。
現在廊下には、ルキウスとシャルロット。バジルと治癒師、騎士が5人ほど集まっていたのだが…誰も、炎に阻まれて部屋の中に入れずにいた。
中には泣きじゃくるセレスタン、彼女に抱えられているパスカル。少し離れた所にはラサーニュ夫人…アニカの姿が。
「ラサーニュ嬢、マクロンは怪我をしているのか!?」
「どうやら、お母様に刺されてしまったようなのです…!お、兄様が治療を試みましたが、塞がらず…。
すると突然、お兄様の胸元から炎が溢れ出てきたのです」
「(胸元…?それにこの炎、刻印か…!?というか、ラサーニュ嬢が手に持っているバズーカは一体…?)」
なんとか部屋に入ろうにも、水の魔術を使っても炎は消えない。
パスカルは生死を彷徨う大怪我をしているというのに、救う事も出来ない。
誰もが歯痒い思いをしていた、その時。
セレスタンが…パスカルに、口付けをしたのだった。
「「「…………!」」」
ルキウスとバジルはあんぐりと口を開け、シャルロットは両手で頬を押さえた。
「お、お姉様…なんて大胆な…!え?」
それと同時に、彼女達の周囲を渦巻いていた炎が嵐のように激化した。
ルキウスは突風に吹き飛ばされないよう、2人を支えた。目を開く事すら困難な中…彼らが僅かに見えたものとは。
炎と一体化した緋色の髪を靡かせるセレスタン。
彼女の背中には…集まった炎が、翼のように形を作っている。
「天使様…」
そう呟いたのは誰だろうか。彼女の美しい神秘的な姿に…その場の全員が見惚れていたのだった。
そしてセレスタンが口を離すと、パスカルの背中に刺さっていた短剣が…サラサラと、砂になって消えていった。
よく見るとその背中には傷は無く。顔色も良く呼吸も安定している。
セレスタンはそんなパスカルの姿に安堵し…彼をゆっくりと横たわらせ、膝枕をした。
「パスカル…よかった…!ありがとうございます、フェニックス様」
彼女の涙は止まっており、今は静かに微笑んでいる。
「今のは、何が…?」
「今のが…フェニックスの刻印の、本当の力だ」
ルキウスの問いに答えたのは、セレネだった。
彼は返事が来るとは思っておらず、反射的に声のするほうに目を向けたら…そこには全身の毛を逆立て、恐ろしい爪と牙を露わにする狼の姿があった…。
その苛烈な姿に、ルキウスは咄嗟にシャルロット達を背に隠した。これがいつもパスカルの頭の上に丸まっている毛玉と同一の存在などと…とても思えない。
「フェニックスの刻印は…刻まれた者が死に掛けた時、一度だけ蘇生するというもの。それを、口付けを介してパルに譲渡した。
シャーリィが言葉に命を吹き込んだという能力は、ただの副産物。
しかし…人間如きが…よくもわたしのシャーリィとパルに…!」
怒り狂っているのはセレネだけではなかった。
セレスタンの影から出て来たヘルクリスも…今にも巨大なドラゴンの姿に戻って暴れてしまいそうなほど、恐ろしい形相をしていた。
2人の魔力が暴走し、窓は割れ壁や天井にビシビシとヒビが入る。
もしも今彼らが暴れたら、皇宮どころかこの国が危うい…!しかし、人間に止める術は無い。
ならば、宮の者全員を避難させ少しでもここを離れねば…!そうルキウスが指示を出そうとした直前。
「セレネ、ヘルクリス。やめて…ここには、僕の大切な人達がいるの…。
僕らは無事だから…精霊達も皆、生きているから。だから、壊さないで…」
セレスタンは決して声を荒げてはいない。静かに、2人に語りかけた。
異変に気付いた多くの人間が集まり、現場が騒然とする中でも。その声はよく通り…彼らの怒りを鎮めたのだった。
「……………わかったぞ、シャーリィ」
「ふん……他ならぬ契約者の懇願とあれば、聞き届けない訳にはいかん」
「ありがと…」
セレネは小さい姿になり、パスカルの頬を舐めた。
ヘルクリスはその場に座り、セレスタンの頭に顎を乗せ体を翼で包む。
「………誰か、陛下に報告を。それと…」
ルキウスは後処理を始め、シャルロットとバジルはゆっくりとセレスタンに近付いた。
彼女らの側まで寄り、その場に座り込む。
「お姉様、その髪…」
「え…うわっ何これ!?」
本人も気付いていなかったが、セレスタンの短い髪は腰の辺りまで伸びていたのだった。
その後は3人共誰も言葉を発することなく。
セレスタンは静かに眠るパスカルの髪を撫で。
シャルロットは先程まで母親の亡骸があった場所を見つめていた。骸は炎に灼かれてしまい、跡形も残っていない。
バジルは何があったのか聞きたいが口を出せる雰囲気ではなく、ただ静かに座っていた。
その後セレスタンは新たな部屋を用意されたが、「パスカルと一緒にいる」と言って聞かなかった。
ルキウスやシャルロットは戸惑ったものの、彼女の希望通りパスカルが使っている部屋に連れて行った。
「じゃ…お姉様、何かあったら呼んでね…」
「うん…おやすみ、ロッティ。バジル」
シャルロット達が部屋を出た後も、セレスタンはパスカルの眠るベッドから離れようとしない。
彼の手を握り、寝顔を見つめる。
医者からも異常なしと診断されたが…どうしても、側にいたかった。
扉の向こうからは人々の声が飛び交っている。真夜中ではあるが、収束に勤しんでいるのだろう。
「(………さっき、勢いで告白しちゃったけど…ロッティには、ばっちり聞こえてたよね…!?あ、あ、明日、どんな顔をすればいいの…!?)」
パスカルの穏やかな寝顔を見ていると、先程の出来事が彼女の脳内で再生される。
アニカの凶行、死、パスカルの勇姿。
その時…パスカル本人には届いていないだろうが、セレスタンは確かに「大好き」と言ってしまった。
「セレネ、ヘルクリス…あの、お願いだから…。さっきの言葉、パスカルに好きって言ったやつ…誰にも言わないで欲しいなあ…!!」
「「………………」」
「(おいセレネ。これは人間の言う両想いというやつでは無いのか?何故通じ合っているのに、番にならぬのだ?)」
「(知らん。それでも…セレネは2人の望みを叶えるだけだぞ)
わかったぞ、シャーリィ。セレネは絶対言わないぞ」
「はあ…私も、何も言わんでおこう」
「ありがとう…!!」
その後もセレスタンは彼の手を離さず、夜が明けるまで見守り続けたのだった。
例えパスカルがいなくてセレスタンが刺されたとしても、刻印の効果で死ぬ事は無かった。
ただし暴走するヘルクリスとヨミを止める術が無いので…皇宮は全壊し首都は壊滅していたが。
ちなみに以前セレスタンが死に掛けた時刻印が発動しなかったのは、エリゼ達の尽力のお陰。今回のパスカルは心臓を貫かれていたので、マジで死んでました。
魂の緒がギリ繋がっていたので、蘇生も間に合った。




