パスカルの決意
腹黒(?)少年パスカル視点
セレスタンが道場を出た後。残された俺達は…。
床に座り込み俯いたままの第三皇子殿下に、皇太子殿下が近付いた。
「……ルシアン。何か言う事は?」
「…………兄上にはありません。直接彼に伝えます」
そう答えると、第三皇子殿下は立ち上がり道場を出た。
…セレスタンを追い掛けるつもりだろうか。だが今の彼は、1人にしておいたほうがいいのでは…。
不安になった俺は、殿下に続いた。しかし。
「…ラサーニュを追うつもりは無いから安心しろ。
今は私も1人になりたいんだ…」
と制されてしまった。そう言われては反論も出来ない。大人しく戻る。
「……セレスにもあんな一面があったんだな…」
「俺は…俺達は、何も知らなかったんだな…」
ラブレーは床に座り込み、ブラジリエは折れた木剣を拾い上げる。
俺も知らなかった。いつも穏やかで割とのんびり屋な彼の胸中に…あんなにも激しい感情が渦を巻いていたなんて。
彼が踏み潰した眼鏡を拾い上げる。これを手にするのは3度目だが…この拉げた眼鏡が、まるで今の彼を表しているように思えた。
「好きで着けている訳じゃない、か…」
なら、どうして着けていたのだろう。視力が悪いのではなさそうだが。
顔を隠す為にしても…何故隠すのだろう。
「ああ…以前聞いてみたんだが、どうにも父親の指示らしい」
「は…?」
伯爵が…何故?疑問は深まるばかりだが、ラブレーもその理由までは知らないらしい。
「あまり他人の家庭に口を出すべきじゃないんだろうけど…ボクは、ラサーニュ伯爵が嫌いだ。
可能なら、セレスには自由になってもらいたい」
「俺もそう思う。昔から見てきたが…伯爵はセレスとロッティをあからさまに区別していた。
次期当主だから厳しくするにしても、度が過ぎる。俺は苦しんで泣くセレスに、何も言葉を掛けられなかった…」
「そうか…」
俺達に…何か出来ることは無いのだろうか?
床に空いた穴を見ながら、先程の光景を思い出す。
穏やかなセレスタンが…クラスメイト達から女帝と恐れられる妹・シャルロット嬢をも凌ぐ迫力を見せたのだ。
とても割って入れる雰囲気でもなく、俺達は離れた所から傍観するしかなかった。
その時のセレスタンは…激怒していたのは間違いないが、殿下よりも彼のほうが苦しんで傷付いているようだった。
そして恐らく本人は気付いていなかっただろうが…彼は、声を荒げながら涙を流していた。
確か、殿下に「どうしてお前は家族から愛されている!?」と言っていた辺りから。
いくら努力をしても結果が優れない。しかし他の方法を知らない、誰も教えてくれないと…。
同じ境遇であるはずの殿下が大っ嫌いで羨ましい。
秘めていたであろう感情を曝け出し叫ぶ彼の姿は…。
愛されたかったと訴える彼は、泣きじゃくる幼子のようで。
その小さな身体は怯えて震える少女みたいで…抱き締めたい衝動に駆られた。
安心させてあげたかった。お前は1人じゃない、と言ってあげたかった。
だが俺の足は動かず、ただ涙を流す彼を見守ることしか出来なかった…。
俺だけでなく、他の皆も。殿下方は悲痛な面持ちで。
ラブレーは拳を握り、怒りを抑えた表情で。
ブラジリエはつられたのか、苦しそうな表情で涙を堪えているようだった。
俺は…どんな顔で2人のやり取りを見ていたんだろう。
「(わたし、か…。まるで、初めて会った時のようだったな…)」
彼と初めて会ったのは、6歳になったばかりの頃。
俺は完全に、セレスタン…シャーリィを女の子だと思っていた。そして、彼女は俺の初恋だった…。
男だったと判明しても、長年抱え続けた恋心はすぐには消えない。
それでもなんとか気持ちに蓋をして、友人として接し続けた。近過ぎず、遠過ぎずの距離を保ち、仲間の1人くらいに認識してもらえれば良い。
いつか、完全に消え去る日が来ると信じて……。
「…君達、今日のこの出来事は…口外しないようお願いします」
!過去に想いを馳せていたら、第二皇子殿下が声を掛けてきた。
もちろん言われるまでもない。ただ…。
「一応確認させていただきたい。セレスタンを…どうするおつもりですか?」
大丈夫だと分かっていても、確認せずにはいられない。もしもセレスタンに危害を加えるようなら…!
「安心しろ、お前達の心配する事態にはならない。
…だからそう、睨みつけるな」
皇太子殿下の言葉を受けて左右を見てみると…右には木剣の破片を握り潰して殿下方を睨みつけるブラジリエが。
左には同じく殿下方を訝しげに見上げるラブレーがいた。
俺も…鋭い視線を送っていたんだろうな。
「それにしても…セレスタンは意外と激しい性格をしていたんだな。
……憎らしくて愛おしい妹か…。2つの感情は紙一重、じゃないな。表裏一体ということか」
ナハト様がそう呟く。俺も、そう思う。
セレスタンは普段から妹のことを、誰の目から見ても分かる程に可愛がっていた。そこには負の感情は、一切無かったように思える。
だがその根底には、憎しみも同じくらい存在していたんだな。
以前、図書館塔でセレスタンが泣いている姿を見た時。あの時ももしかして…妹のことで泣いていたんだろうか…?
ああやってたまに発散させないと、破裂してしまうのかもしれないな。
「ふむ、しかし優しいお兄ちゃんが欲しかったか。ならば俺がお兄ちゃんに…いや駄目だ、今はいつものノリになる気分じゃない…。
ルキウス…殿下、ルクトル殿下。俺は先に生徒会室に戻ります。後は貴方達兄弟の問題ですから。
セレスタンは自分の答えを見せました。それにどう応えるか。それはルシアン殿下の役目です」
ナハト様はそのまま出て行った。彼とは何度か会話をした事があったが、掴みどころのない人物だと思っていた。
飄々としていているが決して軽い人ではなく。それでいて真面目なのだが悪ノリすることも多く、よく皇太子殿下が被害に遭っているとか。
だがなんというか、彼はいざとなったら…皇族を敵に回してでもセレスタンを守ってくれそうな気がする。
ラブレーも「ランドール先輩は信用していい。あの2人も…多分大丈夫だ。問題はルシアン殿下だけだな…」と言った。
その殿下達はというと。
「……私達は、間違えていたのだろうか。ルシアンの事を…突き放すべきだったのか…?
ラサーニュは良い友人になってくれると思ったが…結果的に、彼には辛い思いをさせてしまった…」
皇太子殿下のこんな姿は、見た事がなかった。
常に堂々としていて貫禄たっぷりで、苦悩など表に出すことなく。民のお手本、理想として在り続けるお方。
俺も密かに憧れていたが…今はこんなにも、弱々しい。それを情けないなど思うはずもないが、やはり彼も人の子であると再認識できた気がする。
「…分かりません。もしくはもっと、会話をすべきだったのかも知れませんし…。
どちらにせよ、ラサーニュ君を傷付けたのは僕達です…」
そう答えたのは第二皇子殿下。彼は皇太子殿下とは正反対で、穏やかで暖かいお方だ。
誰に対しても物腰柔らかく敬語で接し、しかしどこか威厳のようなものが滲み出ている。
今は御二方共、肩を落としていらっしゃる。
突き放す、か…。俺は下に兄弟がいないから、よく分からない。
だがもしも姉達に…「もう知らない」とか「話し掛けないで」とか言われたら…凹むかもしれない。
というか、この中で下に兄弟がいるのは?
「ボクは兄1人だけ」
「俺は兄2人と姉1人」
…全員末っ子か…。俺達に殿下方の悩みを解決することは不可能なようだ。
それでも…。
「突き放す…というのは悪手かと存じます」
俺が発言すると、全員に注目された。正しい答えなんて知らないが、俺の意見が何かの助けになれればいいと思う。
「セレスタンは…家族に振り向いてもらいたくて頑張った、と言っていましたが。その結果、今の彼はボロボロです。
…実は以前、1人声を押し殺して泣く彼の姿を見たことがあります。
次の日には何事も無かったかのように振る舞っておりましたが…恐らく、幾度となく繰り返していたのでしょう。
傷付いては人知れず涙を流し、無理やり己を奮い立たせてまた傷付く…貴方方は、殿下にそのようになって欲しかったのですか?」
まあ正確には、次の日ガッタガタに動揺していたが。
目の前に座ったら、「なぜ座る!?」という声が聞こえてきそうなほど目を見開いていた。
そして席を立ちたいが動けずにいた姿は…正直面白かった。
と、それは置いといて。
「そんなはずは無い。私は、ルシアンには…どうなって、欲しかったのだろうな」
「…僕達もまだまだですね。大切な弟の事を、全然分かっていなかった。
まだラサーニュ君のほうが、ルシアンを理解しているでしょう」
「嫉妬か…ルシアンも、そういった負の感情に支配されていたのだろうか…」
「嫉妬や憎しみを、纏めて負の感情と片付けるのはどうかと思いますが」
え…?
今度は俺も含め、全員今発言したラブレーに注目した。一体何を…?
「喜怒哀楽で言えば、喜と楽が正の感情で、怒と哀が負の感情と呼ばれるでしょう。
ですがどれも、必要な物です。全て揃っているからこそ、人間は真っ直ぐ立っていられるんです。
負の感情が一切無い人間とは素晴らしいと思いますか?
例えば…可愛がっていた猫が死んだとして。哀しみの感情を知らなければどうなるのでしょうか。死を喜ぶのでしょうか。笑顔で地面に埋めるのでしょうか。
…少し極端な例でしたけど。まあ何が言いたいかと言うと…。
ボクは、セレスタンの妹に嫉妬して憎むという気持ち。それを否定しません。
むしろそれは、大切な物です。今の彼を根底から縛り付けていると同時に、支えでもあるんですから。
嫉妬心が向上心を生み、憎しみが愛おしさを倍増させているんです。
ボクは今の彼を好きになり、友人になりたいと思いました。妹に依存するだけの彼だったら、近付きたくもありません。
ルシアン殿下だって、そりゃ嫉妬くらいするでしょう。ただその感情の扱い方を間違えただけだと思います。
だから殿下方も…まずはルシアン殿下と腹を割って語るところから始めるべきでは?
失礼ながら、ルシアン殿下はご家族に甘えていらっしゃると思います。
さっきセレスタンの言っていた通り、「何をしても見捨てられる事はない!」と高を括っているのでは。
幼い頃はともかく…今はもうそれでは駄目でしょう。
だから、今までルシアン殿下に対して抱いていた感情。全てぶつけるべきです。
その後は、もうルシアン殿下次第です。今まで通り腐って過ごすと言うのであれば……ボクだったら、見捨てます。彼が成人したら除籍する、くらいの覚悟で話し合いに臨んでください。
しかし考えを改め今後は皇族の1人としての自覚を持ち、真面目になると言うのであれば。
皇子としてではなく、兄として見守り支えてあげればよろしいのではないでしょうか?」
…………。
「お前…真面目なこと言えるんだな…」
「どういう意味だ!!?」
そのままの意味だ。俺はラブレーのことも何も知らなかったみたいだ…。
俺だけでなく、ブラジリエも殿下方も目をまん丸にしている。
しかし、そうだな。俺も…今のセレスタンを好きになったんだ。シャーリィではなく。
菓子を持って行くと喜んでくれて、美味しい!と笑って食べてくれるのが嬉しくて。
泣いている姿を見ると胸が締め付けられ、笑ってくれるならなんでもする。とさえ思う。
物事に一生懸命に取り組む姿は美しいと思うし、以前の調理実習の時。ラサーニュ嬢とヴィヴィエ嬢に振り回されている姿は、とても可愛らしく…て…。
あれ……?
「……そうだな。感謝する、ラブレー。お前達も、巻き込んですまなかった」
「ええ、ありがとうございます。僕達はこれからルシアンと話し合います。
それじゃあ、君達も気を付けて帰ってくださいね」
御二方も道場を出て行った。だが俺は、それどころじゃなかった。
「んじゃボク達も帰るかー…マクロン、顔が真っ赤だぞ…?」
「なんだ、熱か?医務室行くか?」
「や…ちがう…」
口に手を当て、自分の考えを整理する。
ああ、そっか。いずれ消えると思っていた恋心は…逆に俺の中で大きくなっていたんだ。
彼と言葉を交わし触れ合う度に…感情が膨れ上がる。
……よし。
「どうしたんだ、お前。今度はキリッとして?」
「ん、そうだな…。どうやったら法律を変えられるか考えていた」
「「何があったお前!!?」」
仕方ないだろうが。
俺はセレスタンが好きだ。彼が男だろうと女だろうと変わらなかった、もうその感情を抑えるのはやめだ。
今日の姿を見て、愛おしさが更に増した。それと同時に、もうこれ以上傷付いて欲しくないと強く思った。
そして…誰よりも近く、側にいたいと。
差し当たって法律を変えねば。この国では同性婚が認められていないからな。
それが駄目だったら、海外移住しよう。駆け落ちだ。
もちろん、セレスタンの同意を得てからだが。
しかし俺は口説き文句なぞ知らん。姉上達に相談…………は、やめておこう。
彼にはいつだって笑っていて欲しい。彼の微笑む姿を思い浮かべるだけで、俺はどんな困難も乗り越えられる気がする。
たとえ俺の気持ちに応えてくれなくても…彼が本当に幸せなら、それでいい。俺は全力で祝福する。
もちろん第一は、俺のほうに振り向いてもらうことだが。
明日になったら、部屋を訪ねてみよう。
どうかその時には、笑って出迎えてくれますように——…
※※※
「出て来てくれない…!」
あれから2日経った。事件は金曜の放課後に起き、今はもう日曜の夕方だ。
昨日も今日も、ノックしても声を掛けても手紙を送っても無反応。
部屋の中にいないかと思ったが…学園を出るなら外出届が必要だ、出ていないのは確認済み。
しかも、寮の食堂にも売店にも来ていないらしい。もしかしたら金曜から何も食べていないんじゃ…!?
心配になった俺達3人は、寮監に事情を説明し、マスターキーで鍵を開けてもらうことに。だが…。
カチャ…カチッ
「駄目です、開けた瞬間中から閉められる…!」
何故だ!?寮監が何度挑戦しても開かない。セレスタン、今扉の前にいるのか!?なら話を…!!
「待て!!これは…精霊の仕業だ。彼らが、今は部屋に誰も入れたくないと言っている…らしい」
精霊が?なんでまた…。
ラブレーの連れている精霊…ニンフが通訳をしてくれているらしい。
しかし何故拒む!?お前達の主人が危険な状態だというのに…!!
「…仕方ない。ボクが部屋の中に転移してみる」
ラブレーはそう言いながら、床に複雑な魔法陣を描き始めた。大丈夫なのか?転移はかなり上位の魔術なんじゃ…!
失敗すると、最悪死ぬ可能性だってある!
「ふん、ボクを誰だと思っているんだ!魔術の申し子・天才のエリゼだぞ!
大事な友人のため、危険など恐ろしくもないわ!そもそも、失敗なんてするもんか!!」
「…すまない、頼むエリゼ…!!」
彼はふふんと笑い、完成した陣に魔力を流し、次の瞬間…姿を消した。
俺ももっと魔術の腕を磨いておけば、真っ先に助けに行けるのに…!!
いや、己の不甲斐なさを恥じるのは後だ。今はただ、セレスタンとエリゼの無事を祈るのみ。
頼む、どうか成功していますように…!!扉の外で、ジスランと共に祈った。寮監もつられて祈ってた。
すると。
ガタッ!!ガシャアン!!
「を"ぼわ"あああーーーーー!!!!??」
バタバタ…ガチャガチャ!!!
「あ"あ"ああああ開かないいいいい!!!!?」
ガッガッカチ。ガチャ!!!
バターーーン!!!
「おらあぁーーーーー!!!!」
「「「ええええぇぇえぇ!!!??」」」
ゴロゴロゴロ…ビタァン!!!
と、エリゼが絶叫しながら部屋の中から転がり出て来た…!!?
そして廊下の反対側の壁に激突し、戻ってきた反動を利用して足で扉を乱暴に閉めた。
「どうした!?まさか中に誰か…!?くそっセレス!!」
「待てジスラン!1人じゃ危険だ、俺も…!!」
「ああああああやめろおお!!!おい誰か鍵を閉めろ今すぐに!!!早くうううう!!!」
カチッ
「「あーーー!!?」」
何をするんだ!!!また中から閉められてしまったじゃないか!!折角…ん?
「エリゼ……お前、なんか湿ってないか…?」
床に横たわるエリゼは、両手で顔を覆っているが…耳から首まで真っ赤に染まっていた。
そして絞り出すような声で…
「………セレス……風呂、入って…た………」
と言った。
え。
「「えーーーーー!!!!??」」
パスカルは別に腹黒では無い。
何故セレスが勘違いしているのかと言うと、漫画版での彼の言動、表情や仕草が裏があるように描かれていたから。
更にこれといった特徴もなかった(テストは3位、剣術や魔術は中の上か上の下、美形だが地味め)ため、読者達によって腹黒キャラと認定されてしまった哀れな人。
腹黒どころかルネに並ぶ正義感の持ち主であり、誠実な少年である。




