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シグニの冒険〜激情編〜

シャルティエラ25歳〜 シグニ約300歳



 吾輩は魔物、名前はシグニ。


 一見キュートな黒猫だが、アダンダラという高位の魔物。とはいえ人間や家畜を襲う気はない。魔物だと気付かれては問答無用で討伐されるので…ひっそりと生きてきた。

 ラウルスペード公爵家で暮らし始めてからはかなり自由にしておるが。吾輩が何をしても「シャルティエラの猫なら仕方ない」で片付く。実に快適。

 だが流石に、言葉を操る姿を見せてからはそうもいかぬ。魔物と公表するのは憚られたが、公爵家の面々及び皇室は知っておる。そして世間的には、吾輩は闇の精霊でヨミの眷属である。




 さて…今日は何をして過ごそうか…と屋敷内を闊歩する。

 ふむ、異常無し。稀にどこぞのスパイがやって来るが。

 厨房でつまみ食い、美味し。では昼寝でも…



「ちぐにーーー!いたっ、あちょぼー!!」



 …1日の予定が決まってしまった。




 ※※※




「ちー、ちー、ちっぐっにっ!」


「幼子よ、耳を引っ張ってはいけない」


「もぐもぐ」


「赤子よ、尻尾を食べてはいけない」


「しぐに、いいこねえ」


「子供よ、顎を撫でるがいい」


 今吾輩を囲んでいるのは…コンラッド(7)、パトリシア(1)、グレン(0)。本日はシャルティエラが子連れで遊びに来ているでな。ああ…吾輩のビューティフォーな尻尾がベトベトに。仕方なし。


「シグニ〜、子守りありがとね」


「ぎい」


 ヘルクリスも遊びたがっているのだが、奴は身体も大きく力も強いので5歳以下には近付けない。代わりに今は、庭にてセドリック以下子供と遊んでいる。コンラッドは室内で遊ぶのが好きなので、幼子達と共にここにいる。

 部屋にはバジルとモニクが残り、シャルティエラは騎士団に顔を出しに行った。



「むかしむかしある所に、お爺さんとお婆さんが住んでいました」


 カーペットの上で子供達に絵本を読んでやる。コンラッドは真剣に聞き、グレンは開始1秒で寝た。パトリシアは吾輩の横に座り、もたれながら聞いている。


「ある日お爺さんが山菜採りをしていると、行き倒れの騎士を見つけました。『おんやまあ、騎士様がこんな辺鄙な村へなんの用け?』」



「ねえ、シグニっていつからあんなに饒舌だったかしら…?」


「うーん。気付いたのは僕が卒業する頃…かな」


 バジル夫妻が何やら言っている。ふ…吾輩は完璧主義の秘密主義なので、マスターするまで不自由を装っていたでな。




 こうして絵本を囲っていると…思い出す。吾輩がまだ、言葉が達者でなかった頃を。

 魔物は精霊と違って契約という形式が存在しない為、人間とコミュニケーションを取るのはほぼ不可能。通常はそれで良い。

 しかし吾輩は人間と共に生きる道を選んだ。気まぐれにバティストと暮らし、シャルティエラに引き取られてから…こっそりと練習をしていた。



『………ぎ……い、ち…ち』


『ん?シグニ、どしたん?』


 セレスタンがシャルティエラになった頃。吾輩は夜中1人で奮闘中、眠れないからと散歩していたシャルティエラに見つかった。


『シグニは発声練習がしたいのだ。私達精霊とは違うからな』


『そうなの?じゃあ僕も一緒にいい?』


 ヘルクリスが代弁してくれて、毎夜シャルティエラと共に絵本を読む。


『むかしむかし』


『ぎゅ…みゅ…むが、ぢ』


『惜しい!その調子だよ。

 …僕も小さい頃、アイシャやガス様やジェイルに読んでもらったの。懐かしい〜』


 中々上達しなかったが、シャルティエラは根気よく付き合ってくれた。半年もする頃には、ほぼ会話も可能となっていた。


『むがし、むがし、ある…とごろに…』


『ほぼ完璧じゃーん!すごいすごいよシグニっ!!』


『あ…りがと、う』


 少しずつ流暢になり、更に半年後。


『あめんぼあかいなあいうえおー!』


『あめんぼ、あかいな、あいうえお』


『うきもにこえびもおよいでるー!』


『うきもに、こえびも、およいでる』


『かきのきくりのきかきくけこー!』


『かきのき、くりのき、かきくけこ』



 最後にはシャルティエラ流発声練習でも及第点を貰った。

 こうして吾輩は1年掛けてマスターしたのである。魔物は精霊と同じく世界中の言語を理解出来るので、発音さえ習得すれば勝ちである。



 そして今、彼女らの子供に吾輩が絵本を読む。ふむ…これが人間の受け継がれていく、という事の第一歩なのかもしれぬ。

 赤子達が生まれて、吾輩はよくハイハイのお手本を見せたものよ。だが皆あっという間に大きくなり、吾輩を追い抜き抱っこまで出来るようになる。


 散々吾輩をオモチャにし、「ねこじち!」と引き摺り回していたコンラッド。此奴もすっかり大人しくなり、花と詩を愛する少年となりつつある。

 本人は「怖いから」と剣を嫌っているが…その身に秘めた才は計り知れぬものと聞く。いつかきっと、心暖かい武人となろう。


 子の成長とは少しだけ寂しくもあるが…それ以上に嬉しい。ああ…このような感情、初めてだが悪くない。




「こうして騎士は死闘の末お爺さんを倒し、お婆さんは呪いが解けて美しい姫に戻りました。

 その後2人は結ばれ、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」


「ちぐに」


「ぎ?」


 パトリシアが吾輩を背中から抱き締める。


「あったーい」


「…あたたかい、か?」


「うん!」


 そうか。吾輩も…温かい。


「おちょといく!!ちぐに、ごー!!」


「「お嬢様ー!!」」


 ふ…任せるが良い。吾輩は身体をやや大きくして、パトリシアを背に乗せる。尻尾を長く伸ばし扉を開けて廊下に出れば、慌てたコンラッドもついて来る。

 グレンは室内にてモニクが見て、バジルは共に外へ出る。



 ああ…風が気持ち良い。夏も終わりなのだな──…




 ※※※




 さて、吾輩今日はお出掛けである。赤いリボンを首に巻きお洒落さんである。


「お、シグニ出掛けんのか?」


「ぎぃ」


 屋敷の者達に送り出され、深い森までやって来た。

 吾輩の気配を感じ取ったのか…ガサガサと草をかき分けて姿を現す者が。



「みゃあ、みぃ(あにさん、待ってたよ!)」


「ぷりゅう〜、ぴき〜(あら、素敵なリボンですね)」


「うむ。久しいな」


 それは…牛ほどの大きさを誇る、狙った獲物は死ぬまで決して逃さないという犬の魔物ライラプス。

 そして外見はただのカラス、鳴き声だけで周囲を恐怖の渦に落とし錯乱させるネヴァンという魔物である。

 此奴らは吾輩と同じく理性ある魔物。無闇に人間や動物を襲わず、大人しく生きる仲間。

 ライラプスは遥か昔は神の猟犬、ネヴァンは元女神とも言われており、どちらも強力な魔物。だが吾輩程では無いので、人間の作った結界は越えられない。その為こうして外で会うのだ。


「20年振りか、人間に襲われてはいないか?」


「(みゅう…(わたしは一度…逃げ切ったけど)」


「ぷーぷー(わたくしは穏やかに暮らしてましたわ)」


「ふむ…」



 ※ここから先は鳴き声を省略してお送りします。



「しっかしあにさん、人間の言葉上手いねえ」


「わたくしも学びたいですわ」


「ふ、人間が付き合ってくれてな。シグニという名も貰った」


「くんくん…ほんとだ、人間の匂いがする!」


「まあ…シグニさまですわね。いいなあ…」


 ふむ。2体も羨ましそうに吾輩を見つめる。此奴らも…ふむ。

 吾輩は長い間世界を放浪していたが、同じ思考の仲間は此奴らだけ。あとは本能のままに他者を襲う…それが正しいのだが。

 吾輩達は定期的に会い近況を報告する。100年前は…バジリスクという蛇もいた。だが其奴は人間に討伐されてしまい、入れ違いにライラプスが入った。


「わたしも、人間の街に行ってみたい…」


「ですわね…」


 うーん。ネヴァンはともかく、ライラプスは…ちょっと。だが吾輩にもその想いはよく分かる。


 何も悪い事はしていないのに恐れられ。結界という境界線で隔たれた向こう側に入りたい…温もりが欲しい。こんな感情を抱くくらいなら、いっそ理性など無いほうが良かった。それが吾輩達。



「ふむ…待っていろ」


 森を飛び出し、屋敷に帰る。


「オーバンよ」


「ん?早かったな」


「相談があってな」


「「?」」


 吾輩は手に入れた、穏やかな暮らしを。それを…あの仲間達にも分けてあげたい。





「おー、魔物ちゃんか〜!この犬格好いいー!カラス可愛いー!」


「みゃふん」


「ぷきゅる」


 オーバンは我が願いを聞いてくれた。2体は特注の首輪で魔力を封じ、結界を通り抜けられるようになり(それでも人間よりは強い)、シャルティエラが引き取る事に。

 ちなみに吾輩は基本的にラウルスペードにいる。こっちのほうが賑やかなのでな。


「魔力封じると身体縮むんだね」


「ライラプスはそれでも、大型犬より一回りは大きいな」


「ワンちゃん!とりさん!」


「ちゅごい!!」


 パスカルも娘2人も快く受け入れてくれた。使用人達も…この家でなら、きっと幸せを掴めよう。



「ではシャルティエラ、任せた。それと余裕があれば言語の習得も手伝ってやって欲しい」


「任されよ。じゃあ…名前から決めよっか!」


 ライラプスもネヴァンも、目を輝かせて彼女に身体を擦りつける。



 それから、約1年後。ラサーニュ島を訪ねると…



「まいまいねじまきまみむめもー!」


「「まいまいねじまきまみむめも!」」



 屋敷の中から、懐かしい言葉が聞こえてきた。




 ※※※




 シャルティエラには3人目の娘が生まれた。吾輩も祝福ついでに暫く島でやっかいに。その時…



「おじいちゃん…」



 彼女が慕っている老人、マイニオの命が尽きかけている。だが…長生きしたものよ。


「ほっほ…まさか、ここまで…生きられるとは…」


「………」


 ベッドに寝たきりになってから約1ヶ月。オーバンを始めとし、多くの者が最期の別れに来た。今はマイニオとシャルティエラ、そして吾輩達人外しか部屋にいない。

 彼女は目に涙を浮かべ、枯れ木のような手を取った。


「おじいちゃん…今までありがとう。わたしをずっと守ってくれて…何も返せなかったけど…」


「……ほっほ。お嬢様…」


「…なあに?」


「歌って、くれませんか。この老人に…子守唄を…」


「……うん」



 寝室に、シャルティエラの澄んだ歌声が響き渡る。

 マイニオは穏やかに微笑み、眠りにつく。



 それから5日後。彼は二度と瞼を開ける事なく息を引き取った。




「革命王ルシュフォードの右腕セレスティア・ラサーニュ。左腕エデルトルート・ラブレー。そして…影と呼ばれたマイニオ・カリエルバッハ。最後の1人が旅立ったね。

 彼は散々地獄に堕ちるって言ってたけど、そんな簡単な話じゃないんだよなー」


 マイニオの死後、ヨミが教えてくれた。


「なんせ彼が1人殺せば、無辜の民100人が救われたようなものでね。救われた中には…後に偉業を成した人物もいる。

 世界の発展に貢献した男を、どうして地獄に堕とせる?冥府の神もそこまで馬鹿じゃないさ」


 そう言いながら、マイニオの葬儀を見守る。あの男には血の匂いがこびり付いていたが、その瞳は悪人には見えなかった。


 歴史に名が残る事はあるまいが…せめて我々は忘れずにいよう。心優しき暗殺者の存在を。




 ※※※※※




「見てみて!命から手紙来たー!」


 悲しみも癒えた頃、シャルティエラが満面の笑みで屋敷に飛び込んで来た。オーバン達は食事中だったが、呆れながらも話を聞く。


「今フィーレル大陸にいるんだって。来月にはこっち来て、それで箏に帰るってさ!」


 命。またの名をグラス・オリエント。危なっかしい子供だったが、別れの時は一回りも二回りも成長を見せてくれた。彼を知る者は再会を心待ちにし、知らぬ者は緊張に心を騒つかせる。



 グラスとその弟達は、ラサーニュの港に来る予定だ。シャルティエラ達は胸を弾ませその時を待った。


 だが。土産が大量過ぎて、ラサーニュ邸の庭を埋め尽くした事。

 グラスと初めて顔を合わせたコーデリアの第一声が「え、好き。結婚してください」だった事。滞在中はずっとグラスを追い掛け回していた事…それらはいつか、どこかで語られるかもしれんな。






「ふむぅ…」



 人間は世代交代を繰り返し、吾輩達を置き去りにしていってしまう。バティストも、シャルティエラも、その子供達の死も見届けて。吾輩は放浪の旅に出た。



 吾輩は魔物で、死後待つのは消滅のみ。死んでも彼女達には会えぬ…悲しいがそれも運命。



「…ヨミは宣言通り、シャルティエラの死と共に死神の任を終えた。

 さて、冥府で結ばれ夫婦となったか。それとも…ふっ」



 雲1つ無い青空を見上げて、自然と笑みが溢れてしまった。




『ちょっと!シャーリィはぼくのお嫁さんって言ってんでしょ!?』


『いいや俺だ!!生まれ変わりなんてしてやるかー!俺も冥府で働くー!』


『ひい、大岡裁き…』


『ほっほ、もう遠慮は要らないなあ』


『おじい…じゃないね!?』


『『あーーー!!?』』



 何故か…彼らが冥府で大騒ぎする姿が頭に浮かぶ。ただの妄想か、それとも…



「さて、征こうか」


「「はい」」



 吾輩はシグニ。キュートな黒猫で…人間と共生を成した魔物アダンダラ。

 同じく魔物ライラプスと、魔物ネヴァンを共にして。この身が尽きるまで、再び世界を歩き続けよう。




ランドール「なんでシグニの一人称吾輩なの?」

シャルティエラ「わたしの趣味!」

ランドール「あれかあ…」

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― 新着の感想 ―
[一言] シグニの語りでその後の彼らや子供たちの様子が読めてよかったです。
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