第九十四話・キセル乗車
私は昭和三十年世代の生まれですので、JRのことは「国鉄」 と言っていました。そこで働く鉄道員は全員国家公務員です。今では信じられないと思います。今回はそういう大昔時代の話。
キセルってご存知ですかね、不正乗車……最初の一区間分だけお金を支払い、あとは正規の乗車賃を踏み倒すことです。数パターンあります。私はそれをクラスメートにそそのかされて、やったことがありますので懺悔します。
キセル。きざみタバコを吸うための道具「煙管」をいいますが、現在では時代劇以外見ることもないでしょう。あれはタバコをつめるところと、吸い口に金を使い、あとは竹製だとか。それが転じて最初と最後の部分にお金をつかって中間は無料で通るキセル乗車の語源となりました。最初にそれを言った人は不明ですがうまいこといいますね。不正乗車すべてに対して「キセル」 と呼びます。もちろん、これは立派な詐欺罪にあたります。
それを一部だと思いますが当時の中高生はやっていました。自動改札機や監視カメラなんてものはなかった時代の話です。だからといってやっていい理由にはならぬ。当時は学生定期券が紙製で手書き、駅名はハンコでした。年も名前も改札口で見せるだけではわからない。最初の一区間だけ購入して、パンチ穴を開けてもらう。あとは定期券を見せるだけで通れた。捕まった人もいず、私も悪いことをしているという意識もなかった。
それを教えてくれた人は、学校のクラスメートで塾のクラスも一緒でした。自然と一緒に行動するようになりましたが、親しいわけではない。彼女は改札口を先に通って死角に入り、定期券を交換させることを私に強要しました。私は彼女にとって都合のよい定期券を持っており。毎週、そうやって利用されていました。つまり、一度通過した己の定期券を人目につかないところで彼女に渡して再利用してもらうわけです。彼女は一区間だけ紙の切符を購入し、残りは私の定期券を使っていたわけです。一応悪いことをしているというぼんやりとした自覚は双方ともにあり、ハンカチを貸すふりをしてさりげなく受け渡しをしていました。当時の定期券は本人確認までしません。駅の利用区間もチェックなしです。すべてがアナログな時代だからこその話でしょう。
しかし、ある時いつものように先に改札口を出た私が、改札口の死角で待機していました。彼女に定期券を渡そうとしたら急に彼女が「そんなことをしてはいけないのよ」 と叫びました。私は驚いて手をひっこめました。その時に制服を着た駅員さんが私のすぐとなりを通過しました。改札口の戸口をどこか押して駅構内に入りました。どうも私たちは知らずして駅員さんの出入り口を利用していたのです。
駅員さんは急いでいたらしく、また私たちがなにをしていたかもわからなかったようで、おとがめはありませんでした。でもさすがに、指示していた彼女から「そんなこと」 呼ばわりされ、私も気を悪くしました。もしその駅員さんがとがめたら、彼女は一方的に私が悪いことをしたように説明するでしょう。だって肝心の定期券は私の名前だから。私が先に駅構内から出ていたから。
私はそれきり、彼女とは縁を切りました。声をかけられても無視しました。そしてキセルそのものをやめました。すると彼女は私の悪口をクラス中に広めました。私は学校自体が嫌いになりましたが、当時は不登校という言葉も概念もなかったので仕方なく通って卒業まで行きました。
悪いことに手を貸したのは重々理解しています。無知と暗愚は隣り合わせ。それらを利用する人間はいざというときは、全部罪を押し付けて逃げるという知見も得ました。
以上私なりの懺悔です。どうか愚かだった私をお許しください……。




