第九話・実母から親孝行娘と親不孝娘の両極端な称号をもらいました
何度も書いている話だが書きたいので何度でも書く。
私は社会人になるまで意思を持たぬ人形でした。自我というものを持ったのは成人以後です。それまでは将来のことも何も思わず勉強さえしてればよい、全部母親に任せたらよいと思っていました。友人もないし、やることがなかったので読書と勉強をしましたが、良い成績をあげると母が喜ぶので結構頑張りました。全国模試でも国立医学部の合格県内に入ったときは「親孝行娘だ」 と喜びました。しかしいずれも実家から通学できない遠方であったため、受験すらさせてもらえませんでした。その時、実妹Zは摂食障害……家の食べ物を食べつくした後、全部吐いてしまう繰り返し……ために家庭は殺伐としており、私の実家は私の成績が良いのが唯一の光であったかと思います。
当時からすでに、Zとの不仲がすでにあり、両親はZのふるまいに手を焼いていて、形式的に仲良くするようにと言葉でいうだけでした。当時を知る叔母の一人は、こういいます。
「姉のあなた(私のこと)だけをかわいがっているように見えた。そして妹であるZちゃんをないがしろにしているように見えた。そのツケが現在の絶縁という結果になった。姉妹で絶縁、母親とZちゃんと絶縁。Zちゃんはお金をせびり、ペットの犬を我が子のように扱い、状態の悪い母の面倒を見ないで、役立たずは早く死ねと責める。そのため去年から遠方に嫁いだお姉ちゃんのあなた(私のこと)が結局引き取っている。異常事態よね」 といいます。
叔母からしてみれば、反対される結婚をして遠方に嫁いだ私がそこに母を引き入れて施設に入所中であることが理解できないのです。
でもZは足腰の弱った母を「金をくれないなら、いますぐ殺したろか」 といって母をパニックにさせたのは事実。私が実家の母に見舞いに来るのも嫌がり、くるなといって暴力を振るわれけがをさせられたのも事実。私は実家に宿泊できず、実家近くのホテルで宿泊していました。Zに逆らうと母がどんな目にあうかが明白だからです。でも結果はコレです。
母の夢にZが出てきて夢の中でも金をせびると泣くので、精神科に受診もさせました。母は現在小康状態ですが元の住まいに戻せば、病院の通院やリハビリはどうするのか。お金の管理はどうするのかという問題がどうしてもでてくる。私は仕事もあるし、新幹線の距離もある。となれば、実家に戻せば絶縁したが実家近くに住むZがどうしてもかかわってくる。母は絶対に、Zの世話になりたくないという。
一体何が普通で何が異常かは私にはわかりません。でも、母子で仲良く暮らすのが正常だとしたら、我が家は確かに異常です。その芽は早くからあったのは事実。姉妹の不仲の積み重ねでZから母と私が「シネ」 とまで罵られるようになったのは事実。
一番悪いのは捌けなかった両親になるかもしれないですが、母の思い込みの強い性格を鑑みればそれは無理な話でしょう。結果としては誰も捌けない。
実妹Zは母に借金をさせたお金で、今年の年賀状には戌年でもないのに、愛犬をコスプレさせた写真を叔母たちによこしてきたそうです。私は、ペット専門のスタジオアリスのような記念写真館がこの世に存在しているのを初めて知りました。zは母から強奪したお金をそういうことに使っているのですね。
母を引き取った私は子供の教育費のこともあり、どうやって母の借金を返すべきかを悩んでいるというのに。Zは子供がないということもあり、己の趣味に邁進しています。バレエや声楽の発表会、学園の同窓会役員をしてその交友関係でぱっぱとお金を使って親睦の範囲を広げている。
働いている私にははっきりいって借金持ちの母を引き取るメリットはないに等しい。その上、引き取ったあと、親戚達がごちゃごちゃいってくる。要介護四で一人暮らしができない状態なのに早く元の家に戻してあげなさいという。母も電話で「私は元気になったのに元の家に戻してくれない。施設に入れられた」 と訴えたので親戚の介入がより激しくなりました。
母の状態を見にきてくれたら一目瞭然なのに、Zが母に対していかにひどいことをしたのかを知っているのに、Zと、よりを戻して面倒を見てもらったらとまでいいます。
Zは「(Z自身の事)産んだからには食べていけるように、親が面倒みるのが当たり前」 とほざく女です。母が具合が悪くても犬の汚したシーツを「ちゃんと洗濯しなさいよ、犬が吐いたものを捨ててきてよ。犬の具合が悪くなったらお母さんのせいだからね、許さないからね」 と平気で命令する。
どうしてZがちゃんとケアマネさんとの連絡、訪問看護、病院の通院に母を連れて行ってくれると思うのか。Zは私のことを「世界一憎いあいつ」 と呼び、母には「殺してやる」 とまでいって行政の介入まであったというのに、親戚は何も知らないくせに、平然とzに面倒みてもらえ言ってくる。
一方母もzには二度と会いたくない。葬式の参列も許さないという。
母は私が実家に戻って一緒に暮らして来れば解決だと考えている。嫁ぎ先の義母の世話、私の仕事、子育て……それを全部捨てろという。離婚も示唆する。すでに自分一人で何もできない状態なのに、「もう元気になったので家に戻して」 と泣く。母を入れた施設はよいところだと思うのだが、華道や書道の集まりにも拒否し、リハビリすら拒否する状態。
実家に戻りたい、だけが頭の中にあり、それを親戚たちに訴え私を悪者にしだしたときは私は一体今まで何をがんばってきたのだろうかと愕然としました。いっそあの時母が実妹Zに殺されていた方が、こんな思いをしなかったのにとまで思いました。
それを同居人に伝えると、介護鬱になっている。親戚は見舞いにも来ないでごちゃごちゃいっているだけだろ? それなのに直球で受け止めてどうするんだ。と怒られました。
私には義母、母、そして子供のトラブルのことで確かに悩み事は多い。すべきことも多い。介護鬱の人を私も職務で接する機会がありますが、私もまたそうなりかけているのかとも思いました。
本当に介護鬱のなりかけであることを自覚したのは先日母の夢を見て、その内容を泣きながら同居人に訴えたときです。すると彼は私を叱りました。
「夢の話ごときで何を真剣に訴えるのか。今の状態で本人をここから遠い元の家に戻せるわけがないだろう。夢の中まで母親に責められた、どうにかしないとって、君、今、一体今、何を言っているかわかる?」
こういわれて私もはっと気づきました。確かに夢の中で母が泣いていた、親戚からの電話で何とかしないといけないと悩んで起きてからもどうしようと悩んでいた。
私だけは病的な落ち込みはしないだろうと多寡をくくっていたのですが、なんのことはない。一緒だったのです。人前で急に泣き出すなんて確かに介護鬱一歩手前です。
現在、海外旅行などとんでもない、という状況で私の行動範囲は限られている。仕事と家事以外にはお金のかからぬ小説書きに精出しています。一か月に一度ぐらいは趣味のための外出もさせてもらっています。
過去、母のいう親孝行は「良い成績を出して親を喜ばせてくれ」 ということでしたが、今は「元の家に戻してくれない親不孝もの」 になりさがった私としてはこれだけは言える。
現在の母は私にとってのただのストレスの原因です。私は子供に対して以下のように言い聞かせるようになりました。
「親孝行とは子供自身が幸せになること。私が弱ったら生きていてもそこらへんの生ごみ捨て場に捨てていい。もしくは、私で何とかするから構わなくてよい。そして不治の病になったら延命するな。まだ動けるなら安楽死をスイスでしてくるから心配するな」
……それが学校の成績だけは良かった娘……母にとっての都合のよい親孝行娘のなれの果てです。一応できるだけの介護はケアマネさんの協力を得てしますが、すべてを受け身で誰が何をしてくれるかで生きてきた母を満足させるのはどだい無理な話。
だけど母はそれを理解できない。新しい土地で新しい関係を築いてほしいですが、母の性格を思えば無理。親戚は私を親不孝者というが、こうなったら私は親戚ともども絶縁するつもりでいます。
一度も母を見舞いにも来ず、それでいて要介護四の状態だからと何度言っても、危篤状態を逸したのだったら元の家に戻すべきといってきかないから。実情を知らぬままに、ごちゃごちゃ行ってくる外野に対して本当にすごく腹がたちます。
上記、いきなりスイスという国名が出てきますが、かの国では安楽死は合法です。2019年3月現在安楽死が合法化されている国は以下の通り。スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ、オーストラリア、アメリカの一部、カルフォルニア州のみ。「死ぬ権利」は大切なもので、我が日本も早くそうなってほしいです。