第八話・味覚
人に話すと驚かれるのですが、私は中学生の頃、学校の食堂でカレーライスを食べたとき、甘くないことに気づきました。それまで私は我が家でしか、つまりカレーは母の手作りしか食べたことがなかった。私は外食はしない家庭で育ちました。現在のようにファミレスやコンビニ、ファーストフードのお店はありませんでした。学生同士で通学の帰途にカフェなどによると校則違反になりました。アイスクリームぐらいはOKだったのですが、制服で食べたりすることはありませんでした。模範生徒で過ごして問題ない、今から思えばつまらぬ学生時代を過ごしました。それでカレーの話に戻ります。
「カレーっておいしい……甘くなくておいしい……」
種明かしも何もない、私の母が超のつく甘党だったのですね。カレーの味付けに砂糖をどばーといれていただけの話です。実家で使うカレーのルーは、現在も売っているハウスバーモンドカレーの甘口でした。あれははちみつとリンゴが入っているので甘いのですが、それはそれでおいしい。しかし母はその上に白糖をどっさり入れていたわけです。
私は母に砂糖を入れないように言いました。しかし母は今までこうして食べていたのに、何をいうのという感じで聞き入れてくれませんでした。母のこだわりは相当なもので、カレーは断じて甘口のルーで砂糖を入れるものとして料理をしていた人なのです。父親は空気で母の食事には一切口出ししない人でした。そして父は母以上に甘党だったので文句のつけようがない。なにせ羊羹を一本丸ごとおやつに食べるような人でしたので、四十才台で見事に糖尿病になり、私の忠告むなしく食生活を改めず寿命を縮めました。
実妹Zは気に入ったおかずだけ食べる人。お肉だけとって食べる人でした。文句をいうのは悪い子だという認識が根底にあった私はそれ以上何も言えませんでした。もやもやとしながらも、母以外に食事を作る人はいず、母は台所に自分以外の人間に仮に実の娘であっても入るのを嫌がる人だったので、それ以降も甘いカレーを口にしていました。
数少ない友人を家に招待した時は、本当にめったにないことで、母は昼食をつくってあげると張り切りました。母は己の作るカレーが一番おいしいと信じている人でしたので、砂糖がたっぷり入った甘いカレーを提供しました。案の定残す人がいて、やはりまずいんだ、と思いました。
友人の残されたカレーを見て、母は甘すぎたのだったらこれをお使いなさいと、焼きそばソースを出してきて皆の失笑を買いました。我が家には調味料は塩と醤油と焼きそばソースしかなかったのです。私は改めて恥ずかしく思いました。母のやり方がはっきりとおかしいと理解したのですが、母への反抗は実妹Zがしていて、お弁当の中身を流しに捨てたりしていたのでその分私がいい子にならないといけないと思っていたのです。
甘党の上に他人の意見を聞き入れずに我が道を突き抜けた母の家庭、食事以外にも私の行動の束縛もありました。かつ人の意見は聞かない。そして実妹Zの暴言は母の手に負えず、あの子はダメという決めつけとあきらめで、母の関心はすべて私の行動に向きました。結論として「イラクサのブーケ」 に書いた通り、姉妹仲は最悪で、現在は絶縁状態です。表向きは家庭の形を保っていたが、機能不全家族だったと思います。父の存命中はかろうじてあった家庭も現在は完全に崩壊しています。母には母の妹と従妹以外に親しい友人はいません。実妹Zは母に借金させたお金でもって友人と交流して人生我が道を行っています。
私は嫁いでから法事などで料理を共同でつくる機会がありました。集会場の台所に延べ二十人ぐらいの女性が集合する。その時にいろいろと新鮮な体験をしました。共同作業での料理はリーダー格の人の指示があります。味付けでは表立っては揉めない。しかし影では甘すぎる、辛すぎるという、批評めいた会話はあって、その人がいないとぱっと調味料を追加で使うというのはありました。みんな一家の台所を預かる主婦ですので、一国一城の主です。ぱっぱと調味料が飛び交い時には水も足される。そうやって混沌とした味にはなるが、大量なので結構おいしいというのが意外な発見でした。レシピがなくても皆が共同で味付けすれば美味しい……母の料理に対して私もそうすればよかった、と思ったものです。とりあえず実家遠くに嫁いでしまい、親不孝者と罵られてもよかったと思いました。(皮肉なことに私が老いた実母を嫁ぎ先に引き取ることになりました。実家近くに再婚した実妹Zは過去のエッセイの通り母に金をせびり母を文無しにしたうえ、借金持ちにさせています)
実家の崩壊は当然ですが、自己心理の崩壊までいかないでよかったと思っています。