第七十六話・嘘はいつかばれる …… ⑬ 実妹Zが、叔父を通じ、私が母の年金を横領していると言ってきました。 ● □
私が弁護士を雇ったのは、父名義の火災保険を母名義にするためです。Zとは、音信不通、着信拒否の状態ですので、間に入ってもらいました。父名義を母名義に変えたいだけですが、今までの経過を聞いた弁護士は簡単には実印をつかないだろうので、最初から三分の一ぐらいぽんとあげなさいと言うのでその通りにしました。そうしたら返事以前の斜め上の回答が、きました。
しかもZは自分では回答できず、Fの夫つまり義叔父に代理で回答させてきました。
このため、弁護士は叔父の言い分が、Zの意志に間違いはないかを文書で送付する手間がかかりました。私はZらしいなあと嘆息しました。自分一人では何もできず、人を使って思い通りにする癖は今も治っていません。Zは昭和四十二年生まれ。五十三才にもなって、正々堂々と意見も言えない人間で、母や私に対してだけヒステリックに罵倒してくる。改めてZがいかに内弁慶な性格であるかを実感しました。これも幼少時からの母の教育の悪さだの結果だとつくづく思います。
人名はいつものとおりイニシャルに変えています。またイニシャルも特に意味はありません。
弁護士宛
① このたび先生に電話をかけてきた叔父は完全な部外者です。会話に応じないでください。よけいに話がややこしくなります。この叔父の妻、つまり叔母Fが我が母と同じく叔母Jに勝手に実印を作られ使用されたと言ったことを撤回、Jの勤務先横領の告白以後は私が帰阪して叔父に直接相談したくても、居留守をつかわれたりして会わせてもらえないようになりました。
間違いなくJの横領の件、Fは叔父に伝えていません。またFも某駅近くの道端で本年三月に出会うなり、全速力で自転車をこいで逃げていったこともあります。その状態で着信拒否もされていますし、この話に介入してほしくありません。意見も聞きたくありません。
② 本来ならば帰阪し、先生を交えて今後の話をZと話し合うべきですが、コロナウイルス禍中にあり、勤務先からは緊急事態宣言後は帰阪しないでほしいと言われています。もし言ったら二週間は自宅待機で休んでもらうとも。今は無理です。
③ 先月(令和二年四月)に初めて居住区近くにコロナウイルス感染者が出ました。母親入所の施設から家族といえども、面会は遠慮してくださいと即日通知が来ました。現時点では母との面会は娘の私ですら無理です。故にZとも会えません。
④ 携帯電話は母に持たせないし、させません。去年(令和元年五月)のように母が帰りたいと訴えて勝手に帰阪準備されては困ります。去年の帰阪は事前にわかったので、私が折れて厚生病院に受診させ転院する旨を伝えて紹介状をいただき、実家近くのケアマネに連絡の上、母のケアプランを新規でつくってケアを繋いでもらいました。
しかし、一カ月もたたぬうちにFがケアマネどころかヘルパーさんとも喧嘩して契約解除をしようとしました。私は母が当地の施設で起こしたトラブルをFに予め教えたのに、同じようなことが起きたらFは、母を諫めるどころか逆にヘルパーさんを咎めました。ヘルパーさんの交替ならまだしも、すべての受け入れを拒否し、契約者の私に無断でケアマネまですべての契約解除を言い渡しました。これは未だに言語道断と思っています。このFにはもう二度と母の件で介入させたくありません。叔父もFの言い分しか聞いてない、私の話も着信拒否の状態で介入してほしくない。
⑤ 亡父名義の火災保険の満期金は母がいつも、あの子(Zのこと)がお金をいくらあげても欲しがると言うので最初から満期金の分割を考えて弁護士名義で内容証明をだしました。が、金が不要であれば、父から母への名義変更のみとし、満期後も母名義のままにして火災保険にはどこかに入るつもりです。できるなら私に一任してほしい。Jの息がかかったJAを避けたい意向ですがZがどうしてもとJAがいいというなら考えます。病気で倒れる前からZがお金をくれと母を殴ったり蹴ったりし、毎度ハヨシネ(早く死ね)と連呼していたことは許し難く母を引き取り後にZ作成の公正証書は無効にしました。
⑥ 私は母一族の思考が厭わしく、今後も付き合いは避けたいです。ZはJの件はまだ知らないと思います。おそらくJにZ名義の通帳も操作されているはずですが。でもZが私のことをJやF,Hたちに「世界一憎い」 と泣き叫ぶ状態であればそういった話し合いも無理でしょう。父の無念を思えば残念です。
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⑦ 母の年金や通帳の件ですが、この話が先方から先に出たことで私はやはりZが父の死後、母の金を自由にしていたと思いました。もちろん母の散財(不要な家電品や宝石)はありますが、たかがしれています。
父の死去から母が倒れるまでの数年、遺族年金も城東区の土地売却金もあるはずなのに母は年を経るごとにお金がないといいだし、私が平成二十九年秋の終わりから逆に送金するようになっていました。母が平成三十年九月に倒れたときは全ての入院費や移動費は私が立て替えております。数千万円あった貯金が一切ない状態でした。りそな銀行に二万円と少ししかない状態で愕然としました。仏壇の引き出しにあった百万円の現金もありません。だからこそ、母を引き取った後に梅田のマンションを急いで売却したのです。母は、ゆうちょ銀行に保険の満期を見込んだ借金までしていました。通帳を見れば一目瞭然です。なぜこんなにお金がなくなったのか。
この状態でもZからは様子伺いも見舞いもなく、金銭面も治療計画も全て私が一人でしました。なお、この時期、Fにお金がない、と正直にいうと、「ウソ」 と叫びました。母もまた見栄っ張りなのでFたちにはお金があるふりをしていたのだと思いました。親戚の葬式に十万、二十万持参するのは当たり前にしていました。お寺さんへの寄付も言われるままにしていました。
特に平成二十九年末、孫のお年玉のお金もないと言い出したのは忘れられません。その時期はZの飼い犬の状態が悪く、毎日のようにタクシーを使って獣医通院、点滴治療をしていたことと重なります。Zの犬ですが、マンションでは飼えないので母の家でいました。Zの頭の中では母の犬ということで、獣医に支払うために一日数万円のお金を出したと母は言います。毎日犬の世話のために実家に定期券を購入して来ていたので、そのお金や自転車の駐輪料金、犬のエサ代やトリミング代など全て母の支払いでした。
加えてその時期にZの出身校、私立某学園の同窓会役員も無償で頼まれ役員会や百周年記念事業でそのたびに着物を新調しそのお金は母に出させました。結婚時にもたせてもらった宝石を買い取れといって母に二十五万出させたこともあります。理由は、質やに持参しても四万しかならないのでということ。着物に関しても母が出金を渋ると仕付け糸のついたままの堅い半幅帯で夜中に二時間も腕を叩かれたと言ってきたこともあります。この時は急きょ帰阪して母の真っ赤に膨れ上がった腕を見ました。
極めつけは母の倒れる一カ月前、平成三十年八月十五日に御供え物を全て床に落とし、足でふんづけ、お金をくれと殴る蹴るをしたこと。(このあたりは先生も実際に母から聞かれたと思います)母に現金がなく、例のJに二百万円借りて与えられました。
昔からZがヒステリーを起こすと誰も手がつけられず、言う通りにしていました。五十過ぎてもZはこの手をつかって母からお金を搾り取っていました。Zの趣味は、バレエ、声楽、宝塚、すべてお金のかかるものです。周囲は金持ちばかりでつきあいが大変だと母伝に聞いております。平成三十年八月十五日にもらった二百万円も尽きたので、私が年金を使い込んだという言いがかりを叔父に言わせたと思っています。母への気遣いや思いやりなどかけらも感じられません。
母の状態が悪い時は、Zに連絡しようにも着信拒否でZの夫に連絡しました。このたび当地の施設に引き取ったことも伝えたにもかかわらず、見舞いの電話すら何一つありませんでした。気遣いも何もなしで、今度は叔父を使って年金使い込み云々を言ってきたのは逆に母が倒れる直前までZがお金の使い込みをしてきた表れだと思っています。
悪口は自己紹介とよく言われますが、その通りだと思いました。
なお、母のモノ盗られ妄想は洋服のみならず、私にも向けられていますので、歴代の三人のケアマネやヘルパーの立ち合いで通帳を見せて説明しています。先生、当地では某のケアマネジャーの某さんに立ち会っていただいています。よろしければ、ぜひ聞いてみてください。
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弁護士とまともに話せず、憶測で年金の使い込みを叔父通じて言ってくる……つくづく最低な女だと思っています。私の夫は基本的な善悪を教えるしつけがなされていなかった表れだと指摘します。私は愚母の教育……Zは幼少時から要求が通らないと暴れるのでうるさいから言う通りにしておこう、という流れを作っていたのでそれが悪かったと思っています。
Zは内弁慶の見栄っ張りでお金持ちのふりをして生きていた結果、年老いた母を殴り蹴り、借金を負わせ、見舞いの電話ひとつせず、姉が母の年金を横領していると叔父に言わせる。本当に最低だと思っています。




