第七話・作家や作家志望は変人が多い?
私は小説を書いているのは周囲には内緒にしています。昔から。私の周囲では小説を書くイコール作家志望となり、ネガティブな風評を耳にすることが多いからです。今回のエッセイは読者さまを不快にさせるつもりではなく、少し昔まではこうだったという個人的忘備録としてお読みいただければ幸いです。
ほんの二、三十年前は素人向けの匿名で気軽にUPできる小説投稿サイトもなく、作家になりたいと公言できる雰囲気ではありませんでした。同人作家も今より人口も少なかったです。そして私は文章を書くのは一人で細々と続けていました。
まずアマチュア作家、というか同人作家のCさんに対する偏見の思い出話です。最初に書きますが私はそのCさんとは面識がありません。
Cさんのご家族が早世されたときに、その人の一生を小説にして自費出版されることになりました。それはとても良いことなのですが、その人の知り合いに思い出話をエッセイや文章にして書くことをお願いされたそうです。いい話じゃないか……と思ったのは私が書き手側だからと思います。この話をしてくださった人は「頼まれた側」 で、かつ、「文章を書くのが苦手」 な人でした。
もちろんCさんは強制はしていません。文章やイラストでもいいがダメだったら写真でもOKとノンジャンルでお願いされています。
しかし、依頼された側としては、
① 確かに友人だったが、故人の思い出を文章にしたくない。
② それが本になって誰が読むかわからぬのがイヤ
結局しぶしぶながら書かれたのですが、Cさんは依頼を受けて当然、本にもなるのだから喜んでいるだろうと思い込んでいるのが今回のイラクサ採取の原因です。
文章を書くのが苦手な人は確かに多い。そういう人にとって、故人の話をまとめるのも大変な苦労だろうなと感じました。私がいいたいのはその話ではなく、Cさんに対して周囲からイラクサ的発言があったからです。
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Cは作家志望らしい。同人誌って知ってる? あれをやってるらしい。作家って変わった人が多いというけど本当だ。私が文章を書くのが苦手だから寄稿は勘弁して、と断ったのに供養になるからと強要した。たった数ページぐらい簡単でしょっていうのよ。簡単ってあんたねぇ……と絶句した。作家志望は変人が多いと聞くけど本当だよ。
……うっ……ということは私も変人か。私はCさんの件がきっかけで周囲には、私も小説を書いていることをカミングアウトしないことにしました。
Cさんは文章を書くのが苦手な人に対して簡単でしょ、と言い切るのはまずかったと思う。漫画や文章を書くのが好きな人は変人が多いという定説があるのは事実。私の若い時はそうで、本当は小説などが書ける文化部へ入りたかったけど家の許可が出なかったです。反対の筆頭は私の母。文章やイラストを描くのを嫌がる人でした。書道部や華道部にしなさい、と母の勧めに従ったわけです。若い頃は母に逆らえなかったので後悔の渦です。
さてこんな私も結婚して出産をしました。私の子供も絵を描くのが好きです。それで進学の折、美術部がないので文化部に入ったらと勧めると(私は母とは逆で創作を奨励しています。私のような思いをしてほしくないです)子供はなんと「いや~文化部って変人ばかりっていうから入らないよ~」 と言いました。
ち、ちょっと……そのセリフ、私も数十年前から聞いたっ!!!
一人でこつこつと何かを作るところが寄せ付けがたい印象を与えてそれで変人扱いされるのか、と思っていますが今の時代でも流布されているとは思いませんでした。
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もうちょっとイラクサ話。
私の母にいたっては二十代のころに作家になりたい、とうっかり言った私に対して思い切り軽蔑したように以下のセリフを言いました。
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「作家は変人ばかり、変なことばかり考えるから誰も思いつかない話をつくってそれをお商売にできる。司馬遼太郎さんぐらいになるならOKよ。だけど、普通の人にはなれない。そんなことをする時間があるなら勉強しなさい。勉強がいやだったら料理教室でも行けば?」
私は料理は嫌いではないが食べれたら良い。そして盛り付けや器にはこだわりがない。そんな無教養で大雑把な女です。母の勧める料理教室にはいってない。今でもです。文章も内緒で書けばいいので平気。大きな賞を取ることがない限り身バレはない。
続いて母の無知からくる暴言が続きます。今度は著名な作家に対する偏見を書きます。私自身はプロ作家、作家志望者とは授賞式等で会話したことがありますが普通の人間でしたよ。
しかし母は作家と言えば過去のイメージで断言する。母は、作家の職務として架空の話ばかり作るとそのうちに気がおかしくなって自殺するとまじめに言いました。無知にもほどがある。私が文章を書くのが母がイヤがっているせいもあるけれど、なんてことを言うのだろう。
確かに、
三島由紀夫 → 割腹自殺、
川端康成 → ガス自殺、
芥川龍之介 → 服毒自殺、
太宰治 → 入水心中。
いずれも当時の新聞を賑わしている。特に三島由紀夫は自衛隊前で演説の上割腹自殺で非常に劇的……しかし一部だけ見て全体を独断で決める癖があるのはいけない。
作家としての地位を確立しているはずなのに、自殺するというのは、母のような短絡的思考者にとっては作家といえば自殺になってしまっている。普段から読書をしないこともあるだろう。うーん……母のような人すらをも夢中にさせる文学、物語を造れたらいいなとは思います。
どういう性格が変人かというのは、多様性が認識された現在ではそんなに重要ではない。書いても書かなくてもどうでもいい話。文章を書け、もしくは書いてはダメという強要はしない方がいい……という話です。