第六十七話・あるストーカーの言い分
若い時の思い出話。ある会合後の談笑で出席者の一人に、文章を書くのが趣味で出版予定があるという男性がいた。これをIとします。私は当時から文章を読むのも書くのも好きだったので笑顔で趣味の読書の話をしました。Iは奥様と幼い娘が二人いる話もしまして、その娘がアトピーなので薬の相談に乗ってほしいと言われました。今から思えばIは個人的な話を初対面の場で必要以上に開示していました。私は周囲に人がいるその場で簡単なアドバイスをしました。それでおしまいでした。
が、I的には始まりだったのです。
Iの職場は当時の私の勤務先すぐ近くでした。電話がかかり、娘の薬品名が判明したので、直接会って薬のアドバイスをくれといいます。勤務先最寄りの駅前で会い、喫茶店で話しました。薬の話は一分たらずでそのあとはIの今後の出版の動きを聞かされました。私のとっては出版自体珍しい話で聞き入っていました。当時の私は「出版の話」をするだけで作家さんだと思ってたのですが、今から思えば自費出版でした。
ゲラだと重々しく持参された一部は誰でも知っているようなマメ知識を短文で書いたものです。編集者がついているというわりには、これで本屋さんに並ぶのかと疑問に思うほどでしたが、言うと悪いので黙っていました。それでも出版、編集者、ゲラという言葉に異世界なみの威力を感じてただ凄いと思っていました。
問題はここから。私はIに自分の名刺も渡していたのですが、当時出たばかりの大きな携帯電話番号も聞かれるままに教えたら夜にかかってくるようになりました。そして家までくるようになりました。ちょうど一人暮らしをはじめたばかりですが、入り口はオートロックの分譲マンションだったので助かりました。当たり前ですが中に招いていません。
Iの頭の中では、初対面の会合のとき、二度目の喫茶店でゲラを見たこと、電話で雑談に応じたことでつきあったことになっていました。毎日来るようになった手紙でそれがわかりました。当時はメールというものはなくて、当時の携帯電話もメールはできません。電話以外の手段は手紙でした。
でも私が好きというよりも、ずっと年若い女性と恋愛をしたい感じかな? 私は恋愛よりも結婚相手を探したいと思っていた時期でIの気持ちが全く理解できません。未就学児のかわいい娘さんの写真を定期入れにあり、良いお父さんだと思わせつつ、手紙では私のことをきれいだかわいいよというので逆に気味が悪かった。会話自体は紳士的なので怖くはなかったのですが、私は何度目かの電話ではっきりと「もう電話をしないでください。お子さんの事は今後皮膚科医の指示に従っていればいいでしょう」と言いました。Iは黙って電話を切りました。
数日後、郵便が来ました。中にはアクセサリーとIの写真がありました……私はIの意図がわからず、電話をしました。Iはうれしそうに、「僕の気持ちがわかっただろ?」と聞きます。
私がアクセサリーや写真を返すというと、Iはびっくりしたようです。実際に返送しました。すると同じものがまたこちらに郵送で来ました。今度は分厚い手紙文もついています。今でも覚えていますが「僕たちはわかりあえる。同類だ」 とあります。その理解しがたい仲間意識のほかに恫喝もありました。
「僕たちの合意のもとにつきあいがはじまったにもかかわらず、君の身勝手でつきあいを終わらせるのは君がおかしい。僕の合意がなければこのつきあいは終わらない。君は自分がどうなってもいいのかな」
合意……娘さんのアトピーの話につきあったことがつきあいに合意したことになるのか。再度繰り返しますが当時の私は未婚です。Iは家庭持ち。それなのに、Iの頭の中で、つきあっていることになっている。奥さんや娘さんがこれを知ったらどう感じるのか、何よりもこの私がどう思うのかが全くありません。今思い出してもIの手紙には不倫の文字は一つもなく、電話での会話に応じない私の身勝手を責めるだけでした。
あんなに温厚で優しそうな父親といった風貌のIの隠された本性を見て私は奥様に電話をしました。すると娘さんが出てきました。「もちもち~だれでしゅか~」といった感じ……こんなかわいい話し方をする娘さんのお父さんのしていることについて冷静に話すのはハードルが高く、私はあわてて電話を切りました。
私は三十五年ローンも組んで分譲マンションを購入したばかりで、親の反対を押し切りましたので親には言えません。悩んだあげく、職場の先輩に名刺とアクセサリーと手紙を見せて言いました。先輩は名刺を見て驚き、今からIの「職場に直接電話」 するように言いました。何か言ったら私が代わるからと。
それでIの職場に電話しました。部下らしき人が出て、会議中だという。私は会議の終了予定に再度電話しますからと己の名前を部下に告げて伝言するように頼みました。その時間に電話すると呼び出し音も鳴らぬうちにI本人が出ました。どうも電話前で待機していたようです。私は後ろに先輩方を控えさせているので多少の余裕を持って「今後手紙や電話をしたら奥様に言います、警察にも相談します」 と言いました。実際に電話したが娘さんが出たので切ったことも、職場の先輩も今この電話のすぐ横にいることも言いました。
Iもまた職場ということもあり、すごく動揺した声で「わかりました」と他人行儀な声で返答しました。おそらく部下の前ということもあったからでしょう。私もそれではと切ろうとしました。Iから小さい声で「ありがとう」と言いました。それには奥様に直接言わなかったことも入っていたのではないかと思います。Iとの接触は以後はありません。
先輩からずいぶんと男に舐められていたものね~あんた気が弱そうに見えるから~と散々言われましたが笑い話ですんでよかったです。
こういった何気ない事や仕草で「この女は俺に気がある、つきあってあげよう」 と勘違いする男性のことをネットスラングで「勘助」というそうです。でもほんと、Iの狂うスイッチを私が知らずして押したことになりますが、何が原因だったかは皆目わかりません。アトピーについても目立った注意もしていません。娘思いの良いお父さんですね、と褒めたこと、それと出版をされるのってすごいですね、という褒め言葉で、不倫OKの女認定されたのかなあと思っています。
モテない私でもコレだったので、モテる女性やアイドルさんはもっとこういう勘違いもされているのではないでしょうか。勘助だと思ったら第三者の助けを借りてでも逃げた方がいいです。一応証拠として文面は保管しています。先日古い手紙の整理をして出てきたので思い出して書きました。犯罪に巻き込まれずにすんで本当によかったです。それでは終わります。




