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第五十九話・嘘はいつかばれる…… ④ 伯母Jへの最初の不審 □

(前に書いた話のおさらい)


 

 ⇒ 叔母Jによる私の実家の相続税に一千万円かかったので払ってあげたという嘘判明 

 ⇒ 私が税理士の調査で一千万円どころか七、八十万のはずと言われて事を伝えて謝ってほしいとF通じて言いましたが、叔母J謝罪せず。 

 ⇒ 以前に書いた通り、母の実印の不正使用と通帳の操作判明。ここまでは叔母Jが単純に祖父母の相続にできるだけ母やF,Gを除外してJのものにしたかっただけだと思っていました。


 ⇒ ところが母の学歴詐称が判明し、本来は母の実家は高校へ進学できぬほど貧乏だったと判明。母と二歳しか違わぬ叔母Jに対してなぜ短期間であんなに大金持ちになったのかという疑問がでる。


ここまで書きました。以下はその続きです。



 私は祖父母の戸籍謄本を入手しました。祖父母が亡くなる前にGの長男を養子にしていたことが判明。ついでに独身の叔母がGの次男を養子にしていたことも判明。養子の件は相続税を安くなるためにしたとは聞いていた。そこからJへの不審が湧いてきました。

 ⇒ 祖父が亡くなったときは相続を一切Jがとりしきる。平成三年の時点で相続人は、祖母、母、J,F,G、G長男の六名。祖母の時は五名。当時はそれぞれ一人当たり五千万円の基礎控除があった。それでもなお、数億の相続税を支払ったという。しかしそれもJの言葉だけで誰もが遺産分割協議書を見ていない。祖父母名義の何らかの財産などがあったのではないか。すべてはJの言葉だけで具体的な数字はなし。

 ↓ ↓ ↓

 ⇒ 上記のことがわかった私が高校へもあがれぬ家が、公共団体に田畑を買ってもらったというだけでこんなに金持ちになるものかという疑問を言ったら、叔母Fが衝撃の一言。


 ↓ ↓ ↓


  Jは勤務先の金融機関から「横領」 していたから。


 ↓ ↓ ↓


 横 領


 ↓ ↓ ↓


 ……事実であれば実に五十年前の話になる。

 暴露したFは三十代後半になるまで、幼いころからJと同室だった。確かにFだけはJの秘密を知り得る立場にある。でも共犯ですよ。横領したお金で贅沢していたから。

 Fは祖母の相続でJに勝手に実印を作られ知らぬうちに印鑑を押されたと長年怒っていました。暴露はその感情の延長です。私も混乱しました。今まで子供心に不審だったこと、特に亡き祖母の私に対する態度や言動がそれで一気に氷解しました。祖母は私によく「他人のお金をさわる職業につくな」 と言い聞かせていました。あれはJのことを言っていたのでしょう。しかしえらいストレスです。横領に関しては私もさすがに狼狽して、金融ADRの手続きをしてくださった本家本元の東京相談センターに言いました。しかし三十年前では時効ですと言われておしまいです。あそこで調査しないと断言されたので、Jの完全犯罪成立です。

 金融ADR自体に関しても相手先支店がJをかばったため、不成立に終わりました。昭和ならともかく平成二桁の時代なのに私の分だけ顧客管理台帳がない、教えられないといいました……あっても十年以上立てば公開しなくてもいことになっているそうです……事前の話し合いでも私には「さん」 づけでも、退職したJのことを今だに「様」 づけするようなところですからこういう結末になって当然でしょう……弁護士ですら私と母の入出金履歴を見て限りなく黒に近いと断言しているのに、Jの勤務先がJをかばうと決めたら、そして私には何のバックもないとわかったら、そういうあしらいをされるのです。

 私は証拠がないので金融ADRの現場でも横領の言葉を一言も出していません。公的な場でそれをしたら逆に私が「名誉棄損」 の加害者として訴えられるからです。Jの言い分をオウム返しで伝える元Jの部下たち。彼らは金融ADRにも出てきてなんの調査もせずJの言い分を繰り返すだけでした。もし私がJの横領をいうと、どういう風に態度を変えるだろうと考えていました。 

 横領が事実であれば、マネーロンダリングとして私や母の通帳を不正操作していたのでしょう。だから昭和時代の通帳を渡せない。おそらくJは私と母以外にも亡くなった祖父母、叔父G,その子供三人、おそらく肉親周囲全員の通帳を操作していたのではないか。

 その結果得た遺産分割協議書も誰にも見せない。私は当時の司法書士にも連絡したがわからないと言われておしまいです。委任状の写しも何も残していないという。

 Fは、Jと一緒になって長らく私たちに相続税一千万円を払ってあげたと嫌味を言った後ろめたさがあったのでしょう。改めてJに対して祖父母の遺産分割協議書を見せてくれと言ったそうです。でもJは見せてくれない。Jは実の妹Fにも見せられない遺産分割協議書を持っている。いやもう証拠隠滅処分したのかもしれません。

 私が一番知りたいものをJは返してくれない。紛失届を出して通帳の入出金履歴が分かったのは平成九年以降からです。知ったのが遅すぎました。父の存命中から国税庁からの手紙などが来ていたのにその書類も馬鹿正直にJに渡していたといいます。父が危惧して実印を早く返してもらえといっても母はJを疑うなんて失礼だと怒ったそうです。

 母は認知症があって新しいことは忘れていますが、昔の貧乏時代のことはよく覚えています。私はいま実家に帰るたびに母の昔話をせっせと掘り起こして録音しています。 


」」」」」」」」


 古い古い昔話。

 実母は四人姉妹の長女です。以下の続柄一覧は書き手の私から見ての話しです。(最初のは先に書いた一覧と同じです)


長女 実母  昭和十二年生まれ

次女 叔母J  昭和十四年生まれ

三女 叔母F  昭和十七年生まれ

長男 叔父G  昭和二十六年生まれ


母の従姉妹H    昭和十年生まれ

(Hには兄と妹がいる。いずれも同じく母の従姉妹になる)


 この親戚H。昭和十年生まれ。実母たち姉妹とHさんとは親戚で家も隣同士なので幼馴染です。実は兄と弟が隣同士で暮らしているところへ、同じく姉と妹がそれぞれ嫁いだという形です。

 どちらの家も当時は貧乏でした。Hさんもまた中卒です。中学を卒業して十五才で某に勤務しました。(時に昭和二十五年)その五年後に叔母Jも同じ場所に就職しました。(昭和三十年)

 で、年を一覧にしてみます。理由は後で書きます。


◎◎◎ 1 ◎◎◎ ↓ ↓ ↓

 昭和三十年で実母実家はこの時点で「超絶貧乏」


実母 十八才、(お金がなく高校進学不可、家事手伝いと父親の介護と四才になったGの子守)

叔母J 十六才 (土地が道路公団に売れたため高校進学はできた。この二年後の十八才から某に勤務開始)

叔母F 十四才 (同じく高校進学できた。この四年後に高卒で商業に就職)

叔父G 四才  


Hさん 二十才 (Jの従姉妹、Jと同じ某に十五才から勤務)



◎◎◎ 2 ◎◎◎

次に昭和四十四年。

上の年齢一覧から十四年後。実母実家はすでに金持ち。


実母 三十二才(専業主婦)

叔母J 三十才(某に勤務継続)

叔母F 二十八才(Jと同居、民間会社に勤務)

叔父G 十八才(私学大学生、ベンツ持ち)

Hさん 三十四才(某には三十才で退職、Hの妹夫妻の企業資金全額出資、成功する)


この若干十五年の間に何があったのか……母実家は高速道路の土地の買い上げがありましたが、その交渉はJに一任しました。Jの勤務先に入ってきたお金も貯蓄しました。通帳管理もすべてJがしていました。暴露したFは、昭和五十年前後までJと同居同室。Jの秘密を知り得る唯一の立ち位置です。


 

 祖母は幼い私に向かって、「お金を扱う仕事だけはするな。手錠をはめられて豚箱に入ることになる」 としつこいぐらい忠告していました。どうして、豚箱ってなに? と聞く私。祖母は目をしょぼしょぼさせながら私に言います。

「他人のお金と自分のお金の区別がつかんようになるから、絶対にそんなことをしたらあかん」

 あれはJのことをいっていたのでしょう。祖母は横領を知っていた……でも、黙っていた……そしてそのまま死んだ。

「Jにお金のことをまかせたのが間違っていた」

「Jはお金と結婚をした」

 私の母は愚かだったので、実家が土地を売ったことで金持ちになったことを羨み、どの引き出しを開けても札束が入ってると言っていました。そのお金は横領したモノだったのでしょう。昔の貯金はすべて手作業で通帳も手書きです。横領もさぞやりやすかったでしょう。実はHもしていたのではないかと思います。なぜならHの妹夫婦がお金がなくて納屋で暮らしていたところに、まだ若いHが起業資金をぽんと出したという逸話があります。でもそれも推測にすぎない。その兄も某にかかわっています。死後、数億という莫大な貯金を残しています。地元ではなく、遠く離れたなじみのない銀行の通帳が出てきたのです。それも推測。私はHやその一族は興味がない。


 私はJに謝ってほしいだけ。

 相続税一千万円支払ってやったという嘘を謝ってほしい。

 Jはさらに嘘を重ねて、「祖父母の相続が不満であの子はお金目当てに動いてる」「お金を要求された」「保険契約は私に頼まれてしてあげただけ」「印鑑も私から預かっていたから使用しただけ」 と周囲に説明している。嘘に嘘を重ねた人生を送って死ぬつもりなのです。


 この横領の話に関して、私の夫は聞くなり今後親戚付き合いはしないときっぱり言いました。それが当たり前の反応でしょう。私も世間様に対して声をあげたい。でも証拠がない。せめて私の子や孫に対してこういうことがあった、という記録は残したい。

 私はJにお金が欲しいとは一言も言ってない。相続税のことで払ってやったと恩着せがましい嘘をついていたことに怒っている。横領のことを知ってからはもちろんJを心から軽蔑している。

 一方Jは親戚や元の勤務先某には数十年前の相続が不満で今になって騒いでいると嘘を言っている。

 このエッセイは卑怯なJに汚名を着せられた私の遺言でもある。私は人を落とし入れるような真似はしない。単なるJへの嫌がらせで金融ADRもしない。


」」」」」」」」」

 

 昭和三十年代から四十年代は、今のようにパソコン導入もされていません。全部手作業で、出納も預貯金管理もすべてが手書きの時代。しかも当時はまだ家族的な地域性もあり横領自体は小娘でもやりやすかったのではないか……道路公団の土地の買い上げがあったという隠れ蓑は利用できる。急なぜいたくも、土地を売ったのでお金があると思わせることができる。

 私は五、六歳のころの祖父母の改築後の家を覚えている。広い玄関を開けたら向かって左前に階段がある。そこを上って向かって右に横切る。そこの一室がJとFの部屋。ベッドが二つ。二人の着物やスーツがそれこそ足の踏み場もないほど積み込まれていた。人から預かったお金を横領していたのなら、二、三十代の一番きれいなころに、好きなだけ衣類、着物が購入できて幸せだったろう。倫理観がなくそれができた人だ。

 幼少時は貧乏だったので罪の意識さえなければ好きなだけ横領できて発覚もせず人々の尊敬も得た。高校の同級生の一人が国会議員になって何かと便宜を図ってもらえる。その取次もJがする。勤務先では天下りの元役人とも親しくなる。いろいろな利権があったでしょう。Jは横領のお金でもって家族も貧乏の苦労から救い、長じて権力者の知己を得て有権者の種々の願いを彼らの取り次ぎをしていた。その行為に感謝もされそれで人生の意義も感じていたでしょう。だからこそ、その根底をゆるがそうとする私をどんな手段をとっても誹謗する。肝心の私には何の弁明も説明もなしで。


 次。


 階段をあがって向かって左には叔父Gの部屋がある。広いアトリエになっていて、Gはそこで油絵を描いていた。大きなキャンバスが何枚もかべにもたせかけていた。Gは絵画の修行と称して何カ月もヨーロッパ旅行に行っていた。大学には新車のベンツで通学していた。少し前までは母が高校進学できないほど貧乏だったのに。

 Gは車が趣味で六十才で亡くなるまで生涯外車しか乗らなかった。結婚後はスーパーカーを購入、子供が生まれたらキャンピングカーも。仕事専用のマンション購入。家族での海外旅行、お正月には高級ホテルでのお祭り。娘は中高大学と留学を続ける。

 公共団体に土地が売れたといっても限界があります。土地の転売で儲かったと言うにはおかしすぎる。その疑問を口にしたときにはじめてFがあれは横領だと私に告げた。どんなに驚いたか。犯罪ではないか。私がFの自宅を辞するまでFはずっと下を向いていた。

 Jは、遺産分割協議書をFにも母にも見せない。まだ存命していたGに車などを買う大きな金を渡しても肝心な実印や各種権利書も一切かかわらせず終始不仲であったことを思えば、


 ⇒ ⇒ ⇒

 Jが横領バレをふせぐためだと考えたらすべてのつじつまがあう。


 Jは、横領したお金を祖父母の名義にしていたのではないか。またGそのものの通帳にも操作していたのではないか。勤務先の上司や部下、同僚に対しても操作に嘘を重ねていたのではないか。しかしこれは単なる推測で証拠はない。事実は小説より奇なりとは、よく言ったものです。こんなストーリーは私は思いつけない。


◎◎◎ 3 ◎◎◎

 

 年齢一覧三枚目(令和元年十二月現在)

長女 実母  昭和十二年生まれ(平成三十年に病気で倒れ遠方に嫁いだ私が引き取る) → 現在無理に元の家に帰って一人暮らし。医師の定期的な往診も拒否をするので、結局私が時折長距離バスに乗って通院をさせている。

次女 例の横領叔母J  昭和十四年生まれ(ずっと未婚のまま母実家に住んでいる。数県にまたがっての不動産持ち、株持ち、特に鉄道株系株は無料パスを数枚もらえるほどある) このJに対して元勤務先を通じて金融ADRをしたが不成立。このJの元勤務先はJを退職後も今なお「様」 付けして呼んでいる。

三女 叔母F  昭和十七年生まれ(三十六才で同じ市内に嫁いでいる。母実家や私の実家を行き来している) → 母の帰還を手伝ったものの、現在は放置。Jと私が真向に対立していることと、叔父の体調が悪いせいもあって関わらなくなった。)

長男 叔父G  昭和二十六年生まれ → 六十才の時に急死、幼少時から亡くなるまでFとは同居だが不仲だった。遺児が三名。長男は祖父母の養子。次男はJの養子。長女は未婚、遠隔地に在住。


従姉妹H    昭和十年生まれ → 某を退職後、妹夫婦の起業に出資、金庫番として現在に至る。同じく不動産持ち、Jと同じ鉄道株の無料パス数枚持ち。でも性格が穏やかで優しくまた気が弱くJの顔色を窺って行動するところがある。




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