第三十二話・医師になりそこねた人間の思い出話
私の世代以前は、医師という職業はかなり尊敬されていたと思います。ですので、どこそこの家のお子さんの大学はどこ? という話になったら「医学部」 となると「かしこい~」「どうやったらそんな子に育つの」「うらやましい~」 と褒め言葉が飛びかう。
もちろん医学部以外でも、国立、例えば東大や京大阪大九大となると最高級の進学先になる。慶應などの有名私立の医学部だとそりゃもう、莫大な授業料や寄付金がかかるのは皆わかっているので、「やはり金持ちは違うね」 と言われる。
で、そこの家庭が開業医の場合でお子さんがの素行が悪いと近所でも「あの子が医者になるのか~絶対、裏口だろうね~あの子の代になったら通院するのはやめようか」 となる。庶民はよく見ています。裏口入学、コネという言葉は普通に飛び交っていた時代の話です。
生きている限り病気とは縁が切れぬので医療関係の話題、口コミは結構みなさんシビアだと思う。現在ではネットの普及もあるので、時には匿名掲示板で医師本人のスレッドがたったりして、病気の際のその医師の対応までが事前にわかってしまったりする。
長短所あるのはどこでもそうだが、医療施設の経営者が悪徳な人であった場合、昔と比べて風通しがよすぎてやりにくいというのもあるかもしれぬ。
さて、今回は私が医学部に行き損ねた話です。全国模試などを学校外で何度か受けていました。今はこんなでも昔はもうちょっと賢かったです。地方だが某国立大学が合格圏内に入りました。塾担当講師は三者面談時に私と母にこれでいきましょうといいました。すると母は即座に拒否。
「遠すぎる。この子は女の子です。男の子ならいいけど、女の子は家から通える範囲内でることが絶対条件です。そこはダメ」
講師、あらーという表情。私沈黙。自宅から通える範囲の国立大学医学部に行くには偏差値がまだ不足。私立医学部は絶対無理な貧乏所帯なので対象外。地方というか僻地にある場所なら合格圏だが自活することになるので母は私を手放さないだろう。おそらく地方へ行けば親元を離れワンルームを借りての六年間の生活になる。今でもそれをやっていけば私の人生はがらりと変わっていたはずです。たぶんここで小説は書いてないだろう。
当時は母の操り人形だったので、私自身も一人暮らしは無理だろうと思い込んでいました。それでも合格圏内にあると言われてうれしかった。私は行かないと決めておきながら何をおもったのか、その模試の成績表一覧、志望大学の合格確率が数字で書いてある一枚の紙を診察に持参しました。見せる相手は、幼いころから通院している病院耳鼻科の医師です。O先生とします。でもろくに見ずに返されてしまいました。
「キミが医師に? 感音性難聴の医師はありえない。合格しても無理だね。どうしても病院の仕事がしたいのだったら会話不要で検体を見るだけで仕事ができる臨床検査技師がおすすめだね」
もし読者様に臨床検査技師がいらしたらごめんなさい。そのセリフ自体に異論があるかと思いますが、今回のテーマに沿わないので割愛します。とりあえずOから、医師は勧められないと断言された私はショックながら、やはりそういうものかと思いきりました。私の場合、難聴が原因でいじめと軽蔑を受けていましたし、周囲に迷惑をかけるものと言われることも、妥当な返答だと納得もしました。そして私の居場所はどこにあるのだろうかと模索を続けました。結果としては別の学部を選び、通える範囲で自宅から一番遠い大学にしました。毎日早朝に家を出て乗り継ぎを何度もし、特急利用もあってよく通えたと思います。
で、数年後。
縁とは不思議なもので、その医師と一緒に働いていた人と仲良くなりました。Pさんとします。元の職場が某病院耳鼻科であった話をされたので、私は驚いて「小さい時から通院してたよ~」 と言いました。Pさんは耳鼻科の病棟とオペ場(手術場)を兼任していたそうです。当時は内視鏡などは黎明期だったので、あごの手術などは普通に顔面下部の皮膚や、口中内を大きく剥いでやっていたといいます。
「今のように局麻(局所麻酔)ではなく、全麻(全身麻酔)が当たり前にあって何時間もかかる手術もザラだった。しかもO先生は診察よりも手術が好きなタイプ。外科系は何時間でも立ちっぱなしでタフじゃないといけないけど、看護師もタフじゃないといけない。特にO先生とペアを組むときは」
「Pさん、どういう意味ですか?」
「O先生はキツイ。器具を渡し間違えると、床に放り投げて渡した助手や看護師の足を蹴る。足を蹴飛ばし返すわけにもいかないし、蹴られてもじっと我慢して仕事を続けるのよ~。患者と給料のために」
「……O先生は元々機嫌が悪そうな顔をした人だったが、手術場でも、そんなに厳しい先生だったのか!」
私は鼓膜切開の処置を受けたとき、子供だったので怖くて身動きをしたらそのO先生から「動くなって言ったら動くなっ」 と怒鳴られたことを思い出しました。大人から怒鳴られる経験をしたのはこの時が初めてで忘れられない。現在であれば度を超した行為だとして看護師虐待や、患者への暴言をしたことになります。昔は今のように、患者の匿名でのご意見箱や、ネットの口コミなぞありません。
Pさんがいいたいのは、O先生が健聴者でないと医師になれないという言葉は、看護師から見れば周囲が思惑通りに動いてくれないと足を蹴る、そのぐらい厳しいので子供に向かってそのぐらいいうだろうということ。
私も聴力の件で対人関係に支障がおきることは明白でわかっていた。医師になればもっとそれが明白になります。医療事故の元になります。それを思うとぞっとします。だからO先生の言い方がひどいと思っていたが、今では逆に率直に迷惑がられたのはよかったと思います。
結局医師外の医療職になりましたが、患者様に声が出せない人、マスクをしていてくぐもって聞こえない人がいれば、対応を変わってもらえるなどの配慮をしていただいてこそ仕事が続けられます。施設メインのところにいますので、なんの問題もありません。医師はまじめにやるほど、激務になりますし、私の性格ではとっくの昔に過労死していたかもしれません。O先生の冷たい言葉は確かに私を傷つけましたが、現在は負け惜しみでなく医師にならなくてよかったと思います。それとPさんから聞いた愚痴……O先生から現場で足を何度も蹴られ、ウスノロ(死語です)って言われたという話は、私への配慮も感じられて優しい人だなあと感じました。
いかなる時でもさりげない配慮のできるPさんは患者さんの人気者で、看護師として適職ではないかと思った次第です。今回は思い出話ですが、長生きしていると過去つながりのあった人との動静がわかるのもおもしろいなと感じました。O先生はすでに引退されて悠々自適の身です。めでたしめでたし。
なお私見ですがO先生に限らず耳鼻科専門医って言葉つきも断定的で気短で患者を怒る人が多い。彼らは少なくとも対話自体が治療に直結する精神科専門医には不向きだと思う。




