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第三話・全てにおいて受け身な人の愚痴はしんどい


 私の母は専業主婦でした。前にも書きましたが過去一度も勤務経験がないことはなんの自慢にもならぬと思っています。今では信じられないでしょうが、昔は女性が働くものではないと思われていた時期があったのです。

 そんな母が病気で倒れました。実家近くに住んでいた実妹Zから早く死ね、金をよこせと言われ、体調が悪くとも誰も頼れません。遠方に嫁いだ私以外は。

 私は一文無しの母を引き取りました。地方の勤務先近くの病院に入院させました。手術を経て現在は病院近くの介護付き有料老人ホームで療養とリハビリをしています。

 危篤とまで言われていた母が元気になったのはもちろん嬉しかったです。しかし母はリハビリを重ねるにつれ、手足が思うように動かせないという状態の受け入れができなくなっていました。そして入院中から看護師とケンカをするようになりました。正確にはケンカではなく、母が一方的に怒っているだけですが。

 えーと、医療関係者もこのエッセイを読んでいただけているので、介護度数を書いておきます。平成三十一年現在、彼女は要介護四です。認知症は軽度です。おむつあり。尿道カテーテルつき、TPN(中心静脈栄養)あり。しかし施設入所時にカテーテルとTPNははずされました。そうでないと入所不可なので。あちこち不自由があるが、口だけ達者というパターン。

 穏やかな性格だと思っていた母が不機嫌な老婆に変わりつつあるのです。

 母を受け入れ先は、ベテランぞろい……ここに運よく入れてよかった……そう思ったのは私だけでした。肝心の本人が文句ばかり。食べ物、対応、訪問介護の時間。他人には愛想よくありがとうといいつつ、娘の私には文句をいう。私は愚痴の聞き役に徹します。

 母は病人と思えば頭ごなしに怒れない。結構なストレスです。同居になっていたら私は確実に介護鬱になっています。

 実は私の義母も別の施設に入所中ですが、完全にボケている。義母のように子供の顔の区別がつかない状態にまで認知症がすすんでいると、逆に扱いやすいとまで思いました。我が母はそのぐらい性格が陰険になってしまった……ど、どうしよう……。

 まずリハビリと入浴を兼ねたデイケアを嫌がります。デイケアは腰が痛いからと寝てばかりいる。食事の時だけ座る。しかし、歩きなさいね~と診察時には主治医に諭されると「はい、わかりました」 と返事だけはちゃんとする。しかし、いざデイケアのお迎えがくると「腰が痛いし、気が向かないからイヤ」 と断る。

 主治医は母のお気に入りでどうみても四十代後半のおじさんだが、「かわいい」「やさしい」「名医」 という。医師以外の人だと途端にいじわるばあさんになるのね……でも毎日主治医に来てもらうわけにはいかぬ。

 一方デイケアの人も母のような登校拒否ならぬデイケア拒否の老人も多いので慣れたものです。

「じゃあ、とりあえずデイケアにあるベッドで寝たままでリハビリしましょうか。昼ご飯が済んだら夕方まで待たず先に送りますから」 ⇒ 拒否。

「じゃあせめて入浴だけでも」 ⇒ 拒否。

 あんなに清潔だった母が風呂嫌いになるとは……寒い季節でもだんだん臭ってくる母……無理強いはできぬし、デイケアの人々も母だけを見ているわけではないので「またね」 と帰って行かれます。そしてケアマネージャーが私に電話をかけてきて「どうしましょ」 といってくる。もちろんリハビリ介護計画の立て直し。

 一番いけないのは、母が終始受け身であること。私に任せると言っておきながら後ですべてに文句をいう。しかも病気の前の状態に戻せと強硬に主張する。そんなの神様でも無理ですよ。リハビリあるのみ。他の皆さんも、それをがんばっているではないか。

「ここはイヤ。元の家に戻して」

「病院はもうこりごり。施設もイヤ。元の家に戻して」

「そして私の家に毎日通って世話をして」

 母がいう家、というのは実家のこと。新幹線の距離がある。こちらの病院で療養中は、実妹Zとのトラブル、叔母Jとのトラブルも勃発、断絶。今後はずっと母を看取るつもりもあり母の住民票も何もかもうつしたのに、「Zと縁が切れて命拾いした。Jは私の実妹でありながら数十年にも渡って私をだましていた。ひどい」 といっていたのに今度は私に向かって「こんなところに閉じ込めておくなんてひどい。元の家に早く戻してよ。ひどい娘だ」 と言いました。

 これを言われた私のがっかり感は半端ないです。


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◎◎入院中◎◎

 母の希望を入れて個室にした。当初は個室の空きがなく、六人部屋だったが大声で文句ばかり言う。田舎すぎて方言で話されるとわからない、こちらのご飯はおいしくないなど。母のいるこの地方は、米どころでもあるので、母の暴言を聞いて怒るのは当たり前です。通りすがりに睨まれたと訴えられたが、悪いのは母だろう。師長と相談してとりあえず二人部屋で隔離、やっと個室が空けば即日転室させてもらいました。幸いというと変ですが、術後肺炎にもかかったので、高熱のためモニターのある個室にも一時は入れてもらえました。

 母は熱があっても文句はいうのだよねえ……、意識があるのも良し悪し。個室入院中は差額ベッド代がすごいことになった。しかも看護師の好き嫌いをいい、嫌いな看護師とはケンカ。原因ですが、母はささいなことでもコールボタンを押す人で、モノが落ちたということで呼ばれた当該の看護師が母にリハビリを兼ねて、落ちたものぐらい自分で拾いましょうと言った……看護師の職務としてこれをいうのは当然です。

 母にとっては、こんなに弱っている私になんとひどいことをいう看護師だろうということで、意地の悪い性格が顔に出てるわなどと彼女の人格否定までした。己の要求はすべて人が何とかしてくれると思い込む人ってこういうことを言うのですね。母は看護学生まで巻き込んでその看護師への悪感情を広めることに腐心して私は謝り通しだった。


◎◎施設◎◎

 こだわる方なので当然個室。食事も偏食なので、母の希望を栄養士に伝えている。周囲には大変に気遣っていただいている。しかし母は体がもとに戻っていないのに、元通りの生活を切望しており、環境を整えても不満しか言わぬ。 

 今日も泣きながら私に向かって「元の家に戻してくれない親不孝者」 という。介護には自制心も必要です。病気で死ぬ可能性がなくなると、今度は現状への不満がでてくるものですね。

 私は「命の恩人の親孝行者」 から「親を施設に閉じ込める親不孝者」 に成り下がったのです。まさか罵られるとは思わなかった。

 業務の一環で接する怒りんぼ患者と、いつでも怒りんぼになった実母相手だとやっぱり湧き出る感情が全く違う。もっと正直に書くと、あの時の危篤で死んでくれた方が、懐かしみをもって偲べる。涙ぐらいは流したかもとまで思います。

 ついでに母の実妹のJ、私から見て叔母Jの悪行も母が倒れてこそ発覚したので、わからぬままだとそのままだったはず。私も知らぬが仏で、もう少し穏やかな生活を過ごしていたはずです。

 今の状態の母が死ぬと、「やっと死んだか」 と安堵しそうな自分が我ながらコワイ。職業柄、介護鬱になった人も見ているので私もまた病みつつあるのかもと思っています。

 老人介護はキツイです。ぽっくり寺というのがあって、死ぬ瞬間まで元気である日突然、と死ねるように祈願するお寺があり、母だって行ってたのに、祈祷もお守りも効いてない。

 こんなことを堂々と書いた私の作家生命は元からないので、読者減っても平気です。でも母が死ぬまでこんな親不孝者的な思いをするのかと、その都度イラクサが豊富に採取できるのでエッセイにしてみました。

 




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