第二十七話・ボディイメージと懲罰的思考
母は要介護の状態が理解できず、再び実家に戻って一人暮らしができると思い込んでいます。よく聞いてみると母の夢見る一人暮らしは私が仕事をやめて、実家に戻ってくる前提になっている。私の嫁ぎ先や子供のこと、まったく考えていない。嫁いでから私が新しく築いた人間関係にも興味はなし。実家の周囲のつきあいのあった人との交流を再度のぞんでいる。
八十代の母の知り合いだと年齢的にも亡くなられたり施設に入ったりで、昔のように実家を中心とした交流が不可能です。本人やその友人が健康だった時のイメージのままで、一緒にグルメや買い物に行きたいと夢みる表情でいう。いや、それはもうムリだってば。
ちゃんと先祖供養もしてきたのに、慣れ親しんだ土地から遠く離れて療養することになるとは思いもしなかった。人生の終わりをここで過ごすとは思わなかったなどという愚痴もエンドレスで続く。占いやお告げの類も大好きな人が病気になるとこうなるのか、という好例が私の目の前にある。
ケアマネージャーも「ボディイメージが病気で倒れる前の昔のままです。そのプライドの高さが心の支えになっています。ヘタに自覚して自信を無くされるともっと介護者(これを書いている私のこと)がしんどいかも」 という。
実家の土地アゲ、現在いるところを現地民のいるところでサゲるということをやらかし、それを聞いた私は針のムシロ。過去の価値観とプライドが凝り固まりすぎて……でも病気の老人に面と向かって怒る人はいない。こういう思想は、ほぐしようがない。
現実を見ろ、と怒りたいがケアマネさんのおっしゃるとおり、あまりきついことは言えない。母のいうことは過去話ばかり。そのうちにパターンがわかってくるが、先回りして「はいはい、これはあの話ですね」 というと怒る。私そっくりの相槌専用のAIロボが欲しい。
どうも母は一刀両断的な回答をする私のそういうところがイヤみたい。私は仕事も子育てもあるし義母のこともある。少なくとも母よりは忙しい。愚痴にずっとつきあっていられない。すると母は誰も私のさみしい気持ちを理解してくれない、私は何も悪いことしていないのにこんな目にあうのはなぜという。
病気になって入院していた人を日常的に相手をしていますが、こんな病気で苦しむなんて……と愚痴る人は多いです。前世で悪いことをしたのだろうかなど。
母に限らず日本人は病気になると、懲罰的思考に陥る傾向が強くなんとかならぬかとまで私は思う。不運だとは思いますが、何らかのバチが当たったという思考は、年寄りに蔓延しているのだろうか。