第二十五話・性教育今昔物語
私が人間の生殖のありようを知ったのは高校生一年生の時です。教えてくれたのはクラスメートです。彼女は、私に対してSEXを知らないのかと半分驚いて、半分バカにしつつ教えてくれました。
当時はまだネットというものが普及していませんでした。私はそれを聞いてやっとコトの全貌を理解しました。耳年増ってわかりますか? 性の実態を知らない年のはずなのに、活字などを介して知識が豊富にある女性を指します。私がソレでした。
というのは、父が無教養な母を心配?して、婦人雑誌、特に婦人公論を購入していたからです。毎月発売日になると必ず。
私は活字中毒だったので、子供向けでは飽き足らず大人向けの雑誌も読破していました。婦人公論は結構分厚く、いまよりも判型がひとまわり小さく分厚く読み甲斐があり、母が放り出しているのを舌なめずりしながら部屋にもっていって隠れて読んでいました。婦人公論はH系な内容の場合も当時は多く、結構刺激的。母は私が勝手に読めないように押入れの奥や引き出しの目立たない奥にしまい込んでいましたが、私は簡単に見つけて読んでいました。夫以外の人に告白して抱き合いました……という体験告白物が多かったです。不倫は過激という時代の話。実際、きわどい内容も多かったのですが、活字メインで写真やイラストは昭和時代は今のようにそのものズバリではありません。あったとしても、女性が男性の肩にほおをよせているイラスト、目を閉じた女性の横顔のアップなどが多かったように思えます。現在のアニメのようなエロ画像も存在していませんでした。男性向けは、まったく知りませんが……とにかく女性向けの場合は皆無でした。
私はそういうものも読みこなしていたものの、実は内容は全然わかっていなかったのですね……イメージだけで理解していました。当時は異性とはまったく縁がなく、SEXは遠い世界の遠い話でいわば動物が何か楽しいことをする童話と同じランクに考えていました。クラスメートにあけすけに教えられて、そうだったのか、と初めて合点がいきました。
単純に耳年増の高校生であったということです。あれだけエロな話をよんでおいても、肝心のところは書かないのでうすうすとわかっていても本質的なことは理解していなかったということです。信じられない人も多いかもしれませんが、私はこんなでした。
さて私の子供は平成二桁うまれです。性教育も小学生のうちからきちんと学んでいます。私の時代ではお花の雌蕊、雄蕊がどうの、受粉がどうのという話で終わりました。生理の話では男生徒とは別に、女生徒だけがひっそりと集められ小さな部屋で教えてもらいました。生理は単なる生理現象なのに、血が出ても病気ではありません、びっくりしないように……という感じ。生理用品も夜用や多い時用の大きいサイズはまだ未発売です。直接膣内に入れる「たんぽん」 などとんでもない。ましてや、より膣奥深く挿入する「月経カップ」 が発明されていない時代の話です。生理や性的な話は悪いこと、隠しておくべきこと扱いされていました。
私の子供に性教育はどんなふうに教えてもらったのかと聞いてみると、膣っ、ペニスっという言葉がばんばんでてきます。ちゃんと教えてもらっています。小学生一年の時にすでに、おしっことうんちの穴の真ん中に、あかちゃんが出てくる大事な穴があってね、と学校で教えてもらっていました。平成時代の子供は良い時代に生まれてきてよかった、と思っています。
私が生まれた昭和三十年代はもう化石です。私の父親は昭和ヒトケタ世代ですので、こういう性的な話は一切しない。かろうじて昭和二桁の母は今でも「性的な話イコール下品な話はやめて」 といいます。
私もそれを言われると気まずいので話しません。だから平成そして次の世代の性教育は、正しい言葉が教えられて良いと思っています。私は性的虐待の被害者が性教育の時間つまり、性教育を受ける生徒の様子でわかったという実話を聞いたことがあります。だからなんでも赤裸々にあからさまにがいい。そして子供たちの大事にすべきプライベートゾーンの確認もする。人類の繁栄と尊厳に関わる性教育はしっかりと教えるべきだからそれでいいと思う。