第十九話・謙遜と応援
何かのことで褒めると、欠点を一生懸命に言う人がいます。それでバランスをとるというか、折り合いをつけているのかな。
一般的な日本人は己を下げて相手を尊重する意向を示すのが美徳だと何かの本で読みましたがそのとおりだと思います。たとえば。
「この赤いバッグ、とてもいいですね」
「でも使い勝手が悪くてだめですよ、安物だしこんなもの」
(……そこまでバッグを悪く言わなくてもいいのに……)
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「その髪型いいですね」
「美容院帰りです。明日になれば自分でやるのでいつの通りぐしゃぐしゃですよ」
(……いつも身ぎれいにされているのにぐしゃぐしゃだと思っておられるのか……)
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「まあかわいい子供さんね」
「いえこいつはダメですよ。ブスだし夜泣きするしミルク吐くし育てにくいやつです」
(……えええ? すっごくかわいそう……)
思いつくままにあげてみましたが全部実話です。特に赤ちゃん話はあるあるではないでしょうか? 私の同居人も一度人前でそれをやってその夜喧嘩しました。どうして素直に「ほめてくれてありがとう」 って言えないの? 誰も短所や欠点聞いてないのにどうして下げるの?
謙遜は日本独特のものがあるといいます。日本が今でも鎖国中ならばいいけど、国際社会では通用しない。そもそも、謙遜は良い言葉ではありません。必要以上に謙遜してしまう原因は、閉鎖的な場所であればこそ。良いことで目立つのは悪という風潮で育っているからでしょう。
悪目立ちという言葉がありますが、人口の少ない田舎ではとくにそれが顕著に思えます。良いことで目立つと反感を買います。いかに現代社会といえども、田舎はまだ特殊かも。
海外では謙遜はタブーです。自分を持っていない、自尊心がない、自信がないとみなされ不評を買い、相手にされなくなります。日本の政府は国際社会でもそれをずっとやってきていたので、今でもなお見下げられているかなと思うときもありますね。
逆説的な話もしますが、「謙遜」 というのは、一種の自己防衛行為だそうです。日本では良いことで評価され、それを謙遜することで妬みを回避する。しかし謙遜しすぎもダメ。
ナルシストは褒めてほしくて逆に謙遜し過ぎるといいます。謙遜の態度の中にある魂胆がもしそれならば、いずれわかるし仕事や友情にも支障がでる。加減が難しいものです。
ちなみに私が周囲に小説を書いていることは内緒ですが、海外の人に小説を書いているというと百パーセント、「すばらしい」 といいます。ある友人は「あなたはきっと作家になる」 と即時にいいました。生粋の日本人の母とはエライ違いです。母は「小説なんて変わり者が書くもの。気が狂うからやめなさい」 ですからね……。
今回はなんでも謙遜しろという話ではないです。またなんでも応援しろ、褒めろという話でもなく、無責任でもない。応援する、褒めるということは、その人の好きでやっている行為を肯定するということ。受け止める側は素直になればいいのではないかということ。それだけです。