第十七話・あるシーン
状況説明は、適当に想像してください。
◎◎◎その一
登場人物、まだ若い父親、まだ若い母親、小さな未就学児童。
何かの事故に巻き込まれてパパとママだけが瀕死の状況。場所は病院で、子供がパパとママのベッドにすがりついて泣いている。医療スタッフが黙々と勤務しています。看護学生だけが何をやっていいかわからず、指示もないのでうろうろしている。
子供 → 「パパ、ママ、死なないで~え~ん」
父親の心の中の声(発声不可) → 「ああ、この子を置いて死にたくない……お父さんはがんばるよ。なあ、ママ?」
母親の心の中の声(発声不可) → 「ええ、パパ。がんばりましょう。少なくともこの子が大きくなるまで私たちは死ねない」
子供 → 「パパ、ママ。え~ん」
看護学生、子供を抱きしめて一緒に泣く → 「うっうっうっ」
スタッフの努力と患者の運もあって無事回復、退院となる。泣くだけだった看護学生は無事回復した両親と子供に気に入られて親戚の金持ちで誠実で若くて優しい男性を紹介されて結婚する。めでたしめでたし。
その他のスタッフも頑張ったので、元気で退院されたのはもちろん嬉しいが、子供と一緒に泣くしかできなかった看護学生にいいところを全部持っていかれて複雑な気分。
担当の主治医(独身女性で五十代前半)と看護師長(独身女性で四十代前半)看護師主任(同じく独身女性で三十代後半)たち……患者から感謝はされても、複雑です。
医療スタッフ内の評価と、外部、この場合は患者本人と家族からの評価が違うことの表れです。実話なので多少の脚色はしていますが、同じ立ち位置の中で一人だけ、結果が幸福な結婚となると周囲は正直複雑な気分です。そういうわけで良い形のイラクサが採取できまして、こちらのエッセイにUPしました。
◎◎◎その二
登場人物は二名、八十代後半の高齢女性。老衰で体調を崩しているが口だけは達者。専業主婦で毒舌家。もう一名は、同居の長男の嫁、パート勤務の五十代。
本人 → 「うう……まだ死にたくない。退院してテレビを見るのじゃ」
嫁 → (心の中の声 → ちっ……今年でもう何度目の入院よ? 今度こそ早く死にやがれ……)
本人 → 「ちょっと、あんた。うちの嫁になって何十年目よ? 早くお茶を飲ませなさい」
嫁 → (心の中の声 → そろそろ私を楽にしてほしい。足腰弱くて紙おむつ使用。すでに要介護四になってるのに、デイケア嫌がるし家で寝てばかり。あいかわらず嫁いびりをしてホントいけ好かないくそババア……それにしても嫁いですでに三十年か。マジで早く死んでほしい。今回も元気になって退院するのかなあ。あんたになんの存在意義があるのかしらね……)
本人 → 「うっ、お茶でむせたっ……なんつーひどいヨメじゃ……げほげほげほ」
嫁 → 「すみません」 → (心の中の声 → あっすみませんね……あ、吐いちゃった。そのままのどに詰まられて誤嚥性肺炎にでもなってくれないかなあ。でもそういうわけにはいかないのよね。人生こんなものね、はあ……)
……おわかりだろうか……長期にわたって入退院を繰り返す人々の心の闇を……
いやもう、ほとんどが、本気で病気を治すために頑張る人々ばかりですけどね、人間関係を垣間見ることがあるので、たまにその手のイラクサが採取できますね。
過去私たち医療スタッフの前で嫁姑でつかみ合いの喧嘩をした人もいますですよ。というわけで思い出話です。そういうのを見ていますので私自身は長患いをしないでさっさと死にたいと思っています。病気の苦労、介護は面倒事や悩み事の発端になりますね。私もいろいろあって文面も不安定です。この話はそれで終わりです。