第十五話・繰り返し嫌味を言う人の頭の中
私は聴力が悪いので「もう一度いって」 と聞き返したりします。ある人に二度聞き返したら「もう、やだ、めんどくさい」 と怒りました。幼いころからそういったセリフはなれているのは事実ですが、家族からいわれるのは哀しい。
で、そういうセリフが出たときの心境と思いを丹念に聞きとり、考察してみました。たとえば、足がわるいため、歩くのが遅い、などで怒られた経験のある人などには今回のエッセイは参考になると思います。それでは行きます。
私の聴力は治癒不能です。相手もそれは理解しています。それでもなお怒る心境を聞いてみました。ある意味、いじめっこの心境にもなるかと思います。だって本人にはどうしようもないことで怒られるからね。
繰り返し嫌味を言うときは以下のことが念頭にある。
① 怒るときは相手の気持ちは考えない。 → 気が短いのは自覚している。
② 面倒だ。 → この場合の面倒というのは、実際何度も繰り返して同じことを話すことを言います。話の流れがとぎれてしまうという意味もあります。
③ 言ったとしても解決しないが、つい言ってしまう。言いたくなる。 → 何度もいうのがストレス。
④ 平気な顔をしているから「違いをわからせたい、もしくはわからせてやりたい」 と思う。
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このうち④が重要に感じました。
私の場合、この「違い」 というのは聴力の差です。私は聴力の差自体は認識している、相手もまた認識している。しかし怒られても聴力が良くなるわけでもない。「違い」 とやらを強調されても仕方がない。私が謝ってすむ、つまり「何度もきいてごめんなさい、耳が悪くてごめんなさい」 と謝っても仕方がない。
それはわかっているが、すませた顔をして当然のように「何と言ったの? もう一度言って」 というから怒った。何度も言わせるのが当然という態度が嫌だったと。面倒だったと。
聴力が悪いということで避けられたことはあるが、実際何度も繰り返して話すのは面倒だし、バツの悪い思いをしたくないので避けるのでしょう。
相手にしてくれた上に、怒るという感情をあらわにするということはそれだけ、私を軽く見ているか、それとも心理的距離が短いからか、家族であるからか……ならば赤の他人の場合、面倒だとつきあいを避けられることも仕方がないなあと哀しく思いました。
「違いをわからせてやりたい」
健聴者はそういうことを考えるのかと思い、逆に納得するものがあります。今回は短いですが、思うところがあって忘備録代わりに書いてみました。