第十二話・さばけた人
さばけている人はいい。そして若いうちから苦労している人はいい。言いたいことを言っているようでいて、本当に人を傷つけることはない。
すでに故人となられていますが、実家の近所に過去水商売をしていたという人がいました。Fさんとします。昭和の時の話。当時ですでに、おばあさんといってもよい年ですが、原色の服を好み、たばこをふかして歩く、髪も当時では珍しい茶髪でした。母はこの人を「いい年をしてみっともない」 といっていました。私の母には目立つことは悪という固定概念があり、それはそれで仕方がない。口に出していうことではないので、実害はない。
私はFさんが嫌いではありませんでした。ある時、Fさんは、母に向かって「奥さんはお嬢さん育ちで、なあんにも知らんひとやね」 と言いました。母は面と向かって言われても愛想よく微笑む人ですが、Fさんがいなくなると家の戸締りをきちんとした後、「失礼だわ、あの人こそ無教養な人、男性にお酒を飲ませるお水の人って私のような普通の専業主婦がうらやましいのよ」 といいました。
私はFさんは母を褒めたつもりだよ、と言いました。まあ多少は揶揄も混じっていたかと思います。しかし母のずれた悪意的解釈性格は、すでにわかっていたので、またかと思い特に慰めもしませんでした。
母にとっては女性は男性に養ってもらうのが当然、専業主婦をするのが当然という思考です。現在ではそちらの方が非常識かと思います。こういう母がよく私を大学にやってくれたと思うぐらいの奇跡です。就職を決めたとき、一生働くのはしんどいよ。専業主婦をさせてくれる人と結婚しなさい。と、怒ってました。が、いかに母といえども私には聴力面での障害があるので、結婚できないかもしれないと思っているふしがありました。だからこそ資格が取れる大学に行かせてくれたのでしょう。それを思うと、逆説的ですが聴力に障害があってよかったとも言えます。
人生どう転ぶか誰もわからない。母は家の家計をすべてまかせてくれる父と結婚でき、子供もできてそれが普通だと思っている。私は母がFさんのような水商売を隠さない人を内心で軽蔑していたのを知っています。
Fさんもカンのいい人なので、何かの拍子に母の言動に違和感を感じてあのような発言になったかと思う。
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そのFさんは、私が初産をした折にお祝いを持ってきてくださいました。赤ちゃんを見たら「かわいい」「ちいさい」「あなたとよく似ている」 という褒め言葉パターンが大半だと思いますが、Fさんは違った。生後1カ月もならぬ我が子を前に、一言。
「この子は将来ええ男になって女を泣かす」
私は仰天。母は固まっている。
さすが元お水の人、といいたいぐらい捌けた感じで、後にも先にも赤ちゃんに対してそういう感想をつけられたのはFさん以外にはありません。もちろん悪意はなく、Fさんにとって最大限の褒め言葉をくださったと思っています。ま、男性が女性を泣かすという概念は今では褒め言葉にも何もなりません。元お水の人、とは書きましたが私は水商売、つまり夜に起きて働くお商売の人には接触がなく、でも男女関係にいろいろな意味でも捌けた人、機微に聡い人はそういった感想をもつものかと思いこれまた貴重な経験をしました。私は若い時から飲酒できず夜更かしはしない人間なのでお水系のつきあいはFさん以外はなかった。体調を崩されてあっというまに亡くなられたときは、え、もう会えないのかと思った。長患いはせずあっさりとこの世を去る。それもFさんらしいとまで思った。
まだおまけがあって葬式でFさんの本当の年齢が判明し、知人にはそれぞれ違う年齢を言っておられた。その行為自体は微妙だが、誰にとっても実害はない。
私は年をとっても我が道をいくおしゃれをしていたFさんが懐かしいです。
あとがき、母の水商売に対する認識 → 露出の高い衣服を着て客に媚び、高いお酒を飲ませる、特には家庭を顧みなくさせる悪女というものですが、本エッセイで気を悪くさせたら申し訳ないです。が、母はもう高齢ですし、どうかスルーしてください。私には偏見はありません。