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遠き神代の光  作者: ながる


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22/33

22.宣告

 青い月が沈み、夜明けがやってくると、2人は即席の松明を片手に入り組んだ洞窟を抜けた。森の入口まで戻る頃には、そこにフェエルと数人の従者が待っていて、厳ついトカゲのような生き物が牽くそりに乗せられる。

 彼女は昨日のようにショールとフードを目深に被り、おとなしくしていた。フェエルも彼女を案じる様子は見せたが、特別に扱うようなことはしなかった。

 平静に見えるのは昨夜のことを知らないからかもしれない。1晩くらい彼女を護りきれるだろうとルーメンを信頼しているのかも。

 大きな罪を犯しても平気な顔をしていられる自分に嫌気がさして、ルーメンはそっと目を閉じた。


 自分も彼女を女として愛していたのなら、これからでも愛せるのなら、これほど虚しい気持ちにはならなかっただろう。罪だと言われても気にしなかったに違いない。

 残念ながらルーメンには愛情も憎しみも強く表れることはない。きっと、これからも。

 それでも彼はひたむきに主に仕え、教えに忠実であろうとする総主教を尊敬していたし、幼い頃から彼女を見本にやってきた。

 それを、己の身体で……ほんの1度の過ちで壊してしまったことが胸を焼く。例えそれが彼女が望んだことだったのだとしても。


 幸か不幸か、その後、その夜のことについて口にする者はいなかった。表面上は何事もなかったように日々は過ぎた。



 ◇ ◆ ◇



 雪が完全に消え、新緑眩しい春の息吹が感じられるようになった頃、それまで落ち着いていた総主教の体調が崩れ出した。貧血のような症状と食欲不振。無理に食べると吐き戻してしまう。

 礼拝はルーメンが代行でこなしていたので問題無かったが、ある夜、彼はフェエルに呼び出された。

 1日の終わりの鐘よりも遅い時刻指定に訝しく思ったものの、忙しいフェエルのことだから、その時間しか空いていないのだと彼は思っていた。


 ノックの返事がない。

 疲れてうたた寝でもしているのかと、もう1度拳を上げたところで勢いよくドアが開いた。

 部屋の中から伸びた腕が乱暴にルーメンの胸ぐらを掴み、彼を引き摺りこむ。大きな音を立てて閉められたドアは即鍵がかけられ、ルーメンはソファへと突き倒された。

 こんなに感情的なフェエルは初めてだった。


「医者に診てもらった」


 端的に告げる彼の声はそれでも平静だ。そして、ここまでしているのに彼を動かしているのが怒りだけではないことが、ルーメンは不思議だった。


「懐妊していると」

「猊下は何と?」


 するりと言葉が出たのは、実感がなかったからだ。女性神官もシスターも、望まぬ妊娠をしないように薬でコントロールしているはずだった。総主教とて例外ではない。子など出来るとは夢にも思っていなかった。

 戻ってきても砂漠の国に行く前となんら変わらぬ生活が続いている。彼女がルーメンに変に媚びることもない。主が罰を与えるような気配もない。そのまま日々が過ぎれば、彼はうっかりと自分の罪を忘れるところだった。


「『神の子』だと」


 少し震えたその言葉を反芻して、初めてルーメンは恐怖を感じた。


「……え?」


 体の末端から震えが走るのに、口角は上げることしか出来ない。

 彼の怯えを見て取ったフェエルは逆に少し冷静になったようだった。


「身に覚えがあるな。なら、いい」


 何が「いい」のか、ルーメンには解らなかった。真実(まこと)、神の子であった方がいいに決まってる。彼女のお腹にいるという子は罪人の子だ。


「どう、すると……」


 冷静にルーメンを見下ろすフェエルを見上げると、彼は片眉を上げた。


「『神の子』ならば、次の総主教は決まったことになる」

「産まれる子がなんの印も持っていなかったら……!」


 フェエルはうっすらと笑った。


「そんなことはあり得ないだろう? 『神の愛し子』」


 ()()()()()()()()()


 言外に突き付けられた言葉に戦慄する。震えが止まらない。

 産まれてくる子が『神眼』を持っていたら。彼女から『予見』を受け継いでいたら。その子が辿るであろう道筋と、自分の通ってきた道が重なる。

 呼吸が上手く出来ない。胸を押さえて蹲る。


「猊下が『神の子』だと心の底から信じているお陰で、なんとかなりそうだ。あちらが鑑定だのなんだのうるさいことを言ってきても、お前ほどの精度で視られる者はいるまい。あちらはお前を外せと言うだろうから、願ったりだな」


 無理矢理ルーメンの顔を上げさせると、フェエルは皮肉気に笑った。


「……まだ、彼女を利用するのですか」


 フェエルは表情を消す。


「彼女が望んでる。望んでその立場に居座り、『神の子』を産むことを。それとも、そんな彼女をお前が引き摺り下ろすか? それならそのように動くが」


「……引き……ずり……」


 ルーメンの顔が歪む。そうじゃない。それは望んでない。もっと穏便な方法もとれるはずだ。それならば、自分が矢面に立ってもいい。


「考えろ。彼女を穏便に引退させて、そのままお前を後釜に……そんなこと、あちらさんは許しちゃくれない。只人になった彼女を護りきるのは難しい。根掘り葉掘り調べられれば、いくらでもつけ入れられる隙はある。今の立場だからこそ護れるのだ」


 眩暈がする。気持ち悪い。


「甘い道など無いぞ。お前の来た道を、お前が導くのだ」


 それがルーメンへの罰だとでも言うように、フェエルは彼を冷たく見下ろし、彼を連れ込んだのと同じように胸ぐらを掴んで立たせ、そのまま乱暴に部屋の外へと放り出した。

 閉じられた扉に目を向ける気力もない。ルーメンはしばらくその場に立ち尽くした後、震える足を引き摺りながら部屋へと戻っていった。


 冷静に考えれば、それは自分ではないはずなのだから、必ずしも同じ道を行くとは限らない。そうならないようにすればいいだけなのに、ルーメンには他の道など見えていなかった。他の道へ(いざな)う自信がなかったと言ってもいい。自分で見つけられなかった道を、どう示せと言うのか。

 自分と同じものが、自分によって望まぬ道を歩かされる。

 その気持ち悪さにルーメンは一晩中吐き続けた。吐く物など無くなっても、気持ち悪さを吐ききりたくて指を突っ込み、胃液で喉を焼きながら嘔吐(えず)く。

 窓の外が明るくなり、礼拝の時間が近付くとそれは嘘のように軽くなった。こんな時でも自分はコントロールされる。ひとり自嘲の笑みを漏らすと、ルーメンは身支度を始めた。




「ルーメン、顔色が悪いわ。無理をしているのではなくて? 私が寝込んでいるばかりに……」


 少し気分がいいからと、就寝前に総主教に呼ばれたルーメンは彼女に開口一番そう言われた。

 この先報告されるであろう話に胃が痛む。


「……大丈夫です。猊下ほどではありません」

「まぁ。私は気分はいいのよ。体がついてこないだけで」


 眩しいほどの笑顔を向けられて、ルーメンは軽く目を眇めた。

 すでに魔道具は発動されている。ふわりと巻く風に総主教の金髪とルーメンの銀髪が同じように揺れていた。


「……フェエルに聞いたかしら。主に贈り物をいただいたの」


 嬉しそうに微笑みながら、彼女はそっとお腹に手を添える。


「……猊下」

「『神の子』よ。この子が生まれるから、私は視えなくなったの。全て、主のお導き」


 あまりにも嬉しそうな彼女に掛ける言葉が見つからない。産んで欲しくないなどと言える雰囲気ではなかった。


「ルーメン。どうしたの? 顔を上げて」


 伸ばされる彼女の手をびくりとして避ける。


「『神の子』よ? 誰も咎めないわ」


 いいえ。


「主が決めたことですもの。心配はいらないのよ?」


 いいえ。


「ルーメンも嬉しいでしょう?」


 いいえ……その子は罪人の子です。


 心の中で口に出すのを憚られる否定の返事をし続けるルーメンを不安気に覗き込んだ彼女に、彼は咄嗟に笑顔を作った。


「……そうですね。おめでとうございます」


 他人行儀だろうか。もっと喜ぶべきなのだろうか。ひりつく胸がそれ以上の言葉を堰き止めてしまう。

 そんなルーメンの気持ちにも気付かず、彼女は元のように幸せそうに笑うと「よかった」と呟いた。すでに彼女の目にはルーメンは映っていないのかもしれなかった。

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