天才ジーニアス才川明日美
人は私を天才と呼ぶ。
私自身、そんな大層なものではないと思うのだけど、大親友の今日子がそう呼ぶのなら仕方ない。
「明日美ちゃんってほんとにヤバいよね!ぱない!天才ジーニアスだ!黒ぶち眼鏡がより一層天才ジーニアスさを引き上げてる!」と大親友の今日子が言うのだからしょうがない。ことあるごとに私をそう祭り上げるのだから仕方ない。
ジーニアスって天才って意味だよ、と何度訂正しても、大親友の今日子は首を傾げるだけである。今日も今日とて、口を半開きにして『何か間違ったこと言ったかな?』みたいな顔をする今日子。クエスチョンマークを生み出すのが得意な、大親友の今日子。
本日も「もう日も長くなってきたし、1日も25時間だね」という迷言をぶちかました今日子の宿題を見ているところである。日が長くなっても1日の時間までは長くならないよ大親友の今日子。
「家に帰るとゆーわくが多いから!」という理由で放課後の教室に残り、何度目か数えることも放棄した第n回目の、私による今日子のための勉強会が今日もまた開催された。
今日子がやる気を見せていたのも束の間、ここでいつものパターンに陥る。集中力が切れた今日子が、今日もまた突飛なことを言い出した。
「あー、モテたいなあ。私に好意を寄せるツケメンはどこにいるのかなあ?ねえ、明日美ちゃん?」
「ツケメンが好意を寄せるのは自身に絡んで美味しさを引き立たせてくれるスープぐらいだと思う」
15秒前までは「今日こそがんばるよ!」と意気込んで、シャープペン片手にノートに臨んでいたはずの今日子。前回は10秒で集中力が切れてたから、これは成長だよね。前回より5秒も集中力を高めるなんて伸びしろが半端じゃない。次回は目指せ20秒だね大親友の今日子。
「それでもわたしはやるよ!がんばるよ!きっとツケメンに好かれて見せる!」
「がんばる、ね…… ツケメンを魅了するために努力を惜しまない覚悟が、本当にある?万人の舌を唸らせるスープとして生きる覚悟が、今日子にはあるって、心の底から言える?」
「わたしにはあるよ!どんなキビシイことが待っていようと、ツケメンにきっと好かれて見せる!だから教えて!天才でジーニアスな明日美ちゃんならきっと知ってるでしょ?教えて、極上のスープになる方法を!」
「とりあえずこの課題を終わらせて、次の学年末試験で全科目赤点から免れることが出来たら道は拓くよ」
「スープってやつは時代遅れだよ」
具体案を提示された今日子は速攻で手のひらを返す。そんな手早い手のひら返しをされては、あまりの勢いに手首を痛めちゃいそう。裏切る覚悟もまた覚悟か。
「時代はスプーンだよ」
スープが時代遅れでこれからはスプーン、というのも訳が分からない。スープはスプーンですくうと飲みやすいから、どちらかと言えば相性はいいよ大親友の今日子。
かく言う私も私で、大親友が汁状にならなくてよかったと一安心である。それにもし大親友の今日子がスープに成ってしまえば、飲み切らない自信がない。絶対に美味しいだろうから。おかわりさえ要求することだろう。唯一無二の大親友を飲み切ってしまっては、後の人生が確実につまらなくなってしまう。
「……はっ!よくよく考えたらスープになる必要なんかないじゃん!私人間じゃん!スープになったら課題のプリントがびしょびしょになって提出どころじゃないじゃん!危なかった!」
「うんうんそうだね」
真相に辿り着き、目をまん丸にして驚嘆する今日子。今日も今日とて繰り広げられる中身のない掛け合いをひと段落終えたところで、今日子の課題は進まない。強固なまでに終わらない。今日の課題をすでに終えていた私は、今日子の前の席の椅子の背もたれに体重を預け、机のなるべく隅の方で頬杖を付いて、大親友の今日子を見つめている。
「思い出したよ!ツケメンは人じゃない!」
「うんうんそうだね」
当たり前の事実を当たり前と認識出来るのは成長だよ大親友の今日子。誰にだって出来る事じゃない。
「わたしが好かれたいのはイケメンだった!」
今日子の魂からの叫びを受けて心を揺さぶられつつ、私は傍らに置いていたスクールバッグからある物を取り出した。
「今日の今日子がそんなことを言うと思って、あらかじめ作ってきた」
「何を?」
テレレテッテレー、という効果音を心の中で唱えてから、私は取り出したある物を今日子に見せる。
「男子からの好感度が分かる眼鏡ー」
「相変わらず明日美ちゃんは、さながら出来合いのおかずのように発明品を差し出すよね」
私が取り出したのは眼鏡。
何の疑いようもなく眼鏡。
至って平凡シンプル眼鏡。
今私が掛けてるような、ノーマルな楕円の黒ぶち眼鏡である。
ただ一つ、普通の眼鏡と一線を画すのは、これが男子からの好感度が分かる眼鏡だということだけ。
「あらかじめ予測してた上に発明までしちゃうなんて、やっぱり明日美ちゃんは天才ジーニアスだね」
私はその眼鏡を今日子に手渡す。彼女はその眼鏡を手に取り、訝しげに全体を見回している。ほどなくして、今日子は眼鏡を装着。
今日子+眼鏡。
何とも甘美な数式。
いつもよりちょっぴり利発に見える。
「その眼鏡をかけて、自分と関わりのある男子を視界に入れると、好感度が100点満点で計測されて、頭の上に数字が出る」
「ほへー。そんなリリックがあるんだね」
「リリックを刻んでるところ悪いけど、それを言うならギミックだよ」
黒ぶち眼鏡を両手の指先で挟みながら、周りを見回す今日子。しかし、今この教室に居残っているのは私と今日子だけである。
「貸してもらっといて何だけど、男子いないから試せないね」
「その点は安心して。その眼鏡は人だけじゃなく、物でも計測出来る」
「どーゆーこと?」
「例えばこの教室内なら、机かな。使用者と密接な距離感を持つ道具でも測定出来るんだよ、その眼鏡は。隣の席、触ってみて」
素直な今日子は私の指示に従って、右隣の席に手を伸ばす。
「うわ!数字がハジけた!ポップコーンみたい!」
今日子の眼鏡越しの視界では、机上から数字が浮かび上がっているはずである。ポップコーンみたいに、勢いよく。
可視化されているのに手で触ることの出来ない映像。
AR__拡張現実というやつだ。
浮かび上がった数字はそのまま上方向にフェードアウトしていくように設定してある。今日子が視界を上に向け、「ほえー」と間の抜けた声を上げた。
「その数字が、机の持ち主が今日子に抱いてる好感度の値。100点満点。70以上が『世間話してて楽しい』80以上が『放課後も遊びたい』90以上が『どちゃくそラブ』って感じかな」
「ほうほう、どちゃくそラブですか」
「ちなみに誰狙い?」
「んー……」
あごに人差し指を当て、教室を見回しながら思案する今日子。今いる席の、列の一番前までとたとたと歩いて行く。
「じゃあとりあえず、イケメンの池くん!」
「池くんはイケメンだ」
イケメンの池くんに狙いを定めた今日子が、彼の机に触れる。ポップコーンみたいにハジけた数字を目で追う今日子の背中を見届ける。
「えーと……『45』!『70』で世間話レベルだから……」
「『45』は『視界の黒ずみ』レベルだね」
「黒ずみ!?」
勢いよくこちらに振り返る今日子。先ほどの手のひら返し同様、首を痛めそうな勢いだ。
「イケメンの池くんに黒ずみ扱いされてたのは何気にへこむなあ……」
「イケメンの池くんだけが男子じゃないよ。まだうちのクラスだけでも19人いるよ」
「そだね!じゃあ、次!」
私がそう言うと、そこそこ落ち込んでいた様子の今日子がたちまち復活する。ころころと変わる表情はいつ見ても飽きない。
「美形の尾毛くん!」
「尾毛くんは美形だ」
私から見て大きく右方向に移動する今日子。教室の前方出入り口に一番近い席が、尾毛くんの席。
「どう?」
机に触れ、上空にフェードアウトしていく数字を見送った今日子に問いかける。
「『20』……」
「『20』は」
「『45』で視界の黒ずみでしょ!?その半分以下でしょ!?聞けないよ!」
全身全霊を持って言葉の続きを拒否する今日子。イケメンの池くんや美形の尾毛くんから何とも思われていない、むしろ……という事実に対して焦燥に駆られたようで、その後も今日子は男子の机を回る。
そこそこの数字が出れば浮き、酷い数字が出れば沈み、一喜一憂を全身で表現する大親友の今日子。
そして、20人目。
「最後!顔見たらわりと喋る、友達の都茂くん!」
「都茂くんは友達だ」
「友達付き合いしてるうちに次第に恋心が芽生え、しかし今の関係を崩したくないと気持ちを押し殺す都茂くんの可能性を信じ……」
「どう?都茂くん」
「『70』……」
「ジャスト世間話レベルだね」
「まあ、黒ずみよりはマシか……」
全てを終え明らかに落胆する今日子。
ほんの気まぐれで購入してみた宝くじに対して『どうせ当たらないだろう』と思いながらも、淡い期待を抱いてしまうようなものだろうか。それをあっけなく握り潰されたような、そんな徒労の顔の大親友の今日子だった。
「まあ別に、うちのクラスの男子だけがこの世の全てではないし」
「んむう、そうだけど。すっきりしないなあ」
「そんな今日子に朗報が」
「何でしょう」
「女子からの好感度が分かる眼鏡ー」
「出来合いのおかずバージョン違い出ちゃった!」
私がまたもスクールバッグから取り出したのは、その名の通り女子からの好感度が分かる眼鏡だった。男子バージョンと形状は同じだが、区別しやすいように赤ぶちにしてある。
「女子の好感度かあ」
明らかに興味がなさそうな今日子である。
「女子の好感度も、知っておいて損はないんじゃない?数値が低い人に近付かないようにすれば、人間関係も楽でしょ」
「うーん、明日美ちゃんがそう言うなら」
渋々ながら、女子からの好感度が分かる赤ぶち眼鏡を装着する今日子。
赤ぶちも似合うな、と心の中で深く頷くと同時に。
私はほんの少しの罪悪感を感じていた。
大親友の今日子に__嘘をついたからだ。
たった一つの事実を除いて。
「じゃあまず明日美ちゃんの好感度を見ちゃうよ!」
「どうぞ」
「計測中、計測中…… 明日美ちゃんは私をどれぐらい好きなのかな…… 出た!」
まあ、別に。
男子だけが恋愛対象とは限らないし__
「__『100』?」
私がついた嘘。
でたらめ。
ハッタリ。
それは、この眼鏡の機能。
男子バージョンの眼鏡の方から出る数字と、女子バージョンの眼鏡で私を見た時以外は、でたらめな2桁の数字が出るように設定してある。種明かしをするつもりもないし、嘘と言ってしまっていいだろう。
そもそも誰がどれだけ今日子に好感を抱いているかなんて、分かるわけがない。知る由もない。少なくとも、私の知ったことではない。恋愛シミュレーションゲームに出てくる、好感度を教えてくれる親友ポジションのキャラでもあるまいし。
だが一つだけ。
嘘ではない部分があった。
それは__私が今日子に抱く気持ちが『100』であるということ。
その一点。
どちらの眼鏡も、私が今日子に抱く『100』の気持ちを伝えるためだけに作ったおもちゃである。
今日子が言う所の『天才ジーニアス』であっても、他人の気持ちという、想像でしか推し量ることの出来ないあやふやなものなど、分かるはずがないのだ。そもそも、興味もない。
私の興味は__一つだけ。
「え……じゃあ、明日美ちゃんって」
先のギャルゲーの例で言えばそう、私は主人公。
可愛いヒロイン__今日子を狙う主人公。
私は、今日子のことが好き。
一時の逡巡を経て、今日子は表情をパッと明るくして、言った。
「……もー!早く言ってよ!わたしも大好きだよ!明日美ちゃん!どちゃくそラブだよ!言うまでもないじゃん!」
ああ。
そういう好きじゃ__ないんだけどなあ。
「『90』がどちゃくそラブってことは…… 『100』ってのはもう、しっちゃかめっちゃかにラブってことなんじゃ!?」
「そーそーそー。しっちゃかめっちゃかラブ」
私が天才ジーニアスなら、今日子は鈍感ドーナッツだ。私がいくら気持ちを匂わせたところで、今日子の心の中の、ドーナッツの中央のようにぽっかりと空いた空間を通過するだけ。
「しっちゃかめっちゃかラブだから、とりあえず課題頑張って。終わったらドーナッツでも食べに行こ。奢るよ」
「そうと決まればやるっきゃねえぜ!」
「急激なハイテンションだね」
うおお、と必死に課題に取り掛かる今日子を見ながら、鈍感ドーナッツは我ながらダサいなと反省した。
「しっちゃかめっちゃかラブな明日美ちゃんとなら課題さえも楽しいけど、一緒にドーナッツ食べてる方がもっと楽しいもんね!」
次は惚れ薬でも、作ってみようかな__と思ったのも束の間、私にしっちゃかめっちゃかラブな今日子相手に、今さら惚れ薬も通用しないか。
それこそ、宝くじに抱く淡い期待みたいなものだ。
「よし。んじゃ、がんばろっか」
「おー!」
大親友の今日子が言うには、私は天才ジーニアスらしい。
だから、いつか必ず作って見せる。
大好きな今日子を振り向かせるための発明品を__ね?