番外編1 まるで現代日本人が転生して明治にかけて石油関係で儲けようとしたかのような人生を歩んだ男がいたが、そんなに上手くいかなかったぜ!
龍野右忠という男がいる。
後に日本のガソリンスタンドの計量器の8割近くのシェアを誇る企業「タツノ」の創業者である。
彼はどう見ても「後に石油事業が発展することを知っていて転生した日本人」のような生き方をしており、彼が残した著書を見ても「お前は一体いつの時代から来た人間だ?」といいたくなるような人物である。
彼が行ったことといえば。
・日本で一番最初に「ガソリンスタンド」という存在を作ってみた(バス会社向け)
・日本で一番最初に灯油やガソリンの巡回販売をやってみた(後に灯油で大成功)
・日本で一番最初に「石油販売業」というのをやってみようとして失敗した。
という記録を持つ。
彼自体の生まれは明治11年。
丁度、米国資本企業が日本へ投資し、日本が重工業化へと歩みだした頃に産声をあげた。
そんな彼は幼少の頃から機械いじりが大好きな人間で、そのまま鉄工所に就職。
しかしその鉄工所が閉鎖するに伴い、早期退職者として名乗りを上げ、そしてその後は小さな製作所を開いてガスメーターを作る。
しかし彼自体は「ガスよりも灯油やガソリンに未来があるのではないか?」と考えており、ガスメーターを作る傍ら、灯油の巡回販売をやってみたりしたのだ。
これが後に成功を収めると、そっち方面での活動へシフトし、本人は自身の能力を生かして「ガソリン計量器」なるものを発明する。
ガソリン計量器とはいわば「量り売り」のために必要なガソリンの正確な量を計測するためのものであり、荷車に手押しポンプ式のガソリン計量器が付属した鉄のタンクを付属させたものを用いて各地で巡回販売を行う商法を編み出した。
この「タツノ式ガソリン計量器」と呼ばれる存在は巡回販売という事業を生み出しただけでなく、そのままこの計量器を搭載したタンクが日本国内でのデファクトスタンダードになり、以降田舎などでは1980年代頃まで「人力の荷車などでタンクを運んでガソリンや灯油を量り売りする」者達が見られたりしたし、今日でもごく一部のガソリンスタンドで、設置型のものが「未だに使われて」いたりする。
後にポンプなどとともに電動化された計量器は今日でも使われ続け、ガソリンを補給したものならほぼ100%どこかでその存在に触れている。
実はこの手動式の古いタイプのものが3.11の際にこっそり活躍したりしたことはあまり知られていない。
こいつはもともと手動ポンプと連動した装置であるため、電気モーターなどを用いないエコな代物である。
よって3.11の際、停電などによって多くのガソリンスタンドが販売不能に陥る中、極少数ではあるが残っていたコイツが各地へのガソリン販売のために活躍した。
これは余談なのだが、3.11の際には様々な古由来のものが活躍しており、その中には「3.11以降」に需要が発生して復刻してしまった商品などがある。
有名所なのが「マナスル」ヒーターである。
灯油式のバーナーであり、料理やストーブとしての運用ができるものだ。
震災当時、「カセットタンク」というのはスーパーやショッピングセンターからすぐに底がついた。
なんとか手に入るのは「ガソリン」と「灯油」だったが、ガソリンの需要のほうが大きく、灯油のほうがあまりがちであった。
そんな時に目立った活躍をしたのが「灯油ストーブ」であったが、その中でもマナスルなどのタイプについては「料理にも暖房器具にも使える」ということから注目され、震災後に再び需要が発生して復刻販売されて現在までその状態が続いている。
一度は消滅した需要が局地的災害によって再び発生したわけである。
今日ではガソリンストーブなんかと並んで評価される灯油ストーブだが、その生まれは200年以上前であり、その時点で完成度の高い代物であった。
カセットガスによるストーブやバーナーと呼ばれるものはどうしても火力が低く継続使用時間が短い。
そのため、東北地方では出力が低すぎたのだった。
ちなみに余談の余談になるが、自衛隊は3.11の際、この灯油バーナーの自衛隊独自モデルを使ってたりする。
武井バーナーの最大サイズモデルよりさらに巨大という、「灯油式バーナーの怪物」である。
どこのメーカー製だったかは忘れたが、TVで見たことがある人がいるかもしれない。
マナスルとかが売れた要因の1つにこの「自衛隊がつかってたやつの小型版がほしい」という理由があったりする。
さらに話がズレるが、筆者は旅ライダーの一人ではある。
しかし震災時に母方の実家が被災した影響で被災地に向かった。
その際に上記のような小型の持ち運び可能なバーナーがほしくなり、最終的にガソリンバーナーを購入してしまった。
灯油ではなくガソリンの方を購入理由は「いざとなれば予備の燃料タンクとして使える」もしくは「いざという時はバイクの燃料を使える」からである。
ちなみにガスも電気も1週間以上もの間止まった状態となった際に最も活躍したのは母方の実家にあった薪ストーブと太陽熱温水器とソーラーパネルであった。
3.11以降に再び太陽熱温水器の需要が増えたというが、こいつも古由来の発明品であろう。
さて、話を龍野右忠に戻すが、彼はアイディアマンなだけあって様々な企業と組んでは、ガソリンスタンドというかサービスステーションのようなものを実現してみせるなど、時代の先取りを狙った事業を次々行っていったが、どうも経営者としての能力には乏しかったらしく、すべてが上手くいったわけではなかった。
元売業者から購入しての石油販売業に手を出すもののそちらは失敗し、最終的に計量器のメーカーとして成立して今日に至る。
彼は計量器などについての能力はあったが、化学には疎かったようでガソリンの精製やその他には完全に失敗している。
本編中で述べた「どこからかガソリンを調達してきて粗悪な品を市場に流通させた企業」とはまさに挑戦の時代の龍野右忠が自分が興した企業で行っていたことである。
残念ながらそちらは1934年の石油業法成立などによって完全に頓挫した一方、計量器自体は戦前から戦中、そして現代まで圧倒的シェアを誇ったまま事業を継続している。
その計量器自体はエネオスでも昭和シェルでも、スタンバックでもライジングサンでも使われたわけだから、そちらに対しての才能はあったということである。