陸軍の誤算とオクタン価100の存在……資源で勝負が決まる近代戦争の罠
開国してから現代まで日本が唯一完全に「敵国」として認識している国家が1つだけある。
ロシアである。
江戸時代の開国からすでに150年近くが経過したにも関わらず、日本はその認識を改めることはしていない。
いや、改める事など出来ない。
近年、西側諸国による昭和初期の日本国の行動は「野心に駆られた進軍」から「攻撃は最大の防御という意味合いでの圧力的防衛」という認識へと変わりつつある。
元々東京裁判においてもそういう判決に纏め上げた経緯はあったのだが、その時はロシア(ソ連)を公の場で糾弾するわけにはいかず、一連の日本国の戦争は「英国と米国とソ連による圧力から日本が先手を打つ他なかった」と結論付けた。
だが、増長し、軍拡で軍事力を整えるロシアの状況から西側諸国は「日本はあくまで対露が全てであった」ということをいまさらながらに認識しつつある。
そこには中露の増長が正直言って「手がつけられないレベル」に到達しているからである。
アレほどまでに痛めつけてくれたにも関わらず何を今更と言いたいが、近年の西側諸国の当時の認識は「日本国が必死で防波堤となっていたことで西側諸国がどうにかなった」と完全にすり替わりつつあり、
近年の軍事的協力関係の背景には「経済的停滞によって国力をすり減らす西側諸国の怯え」があることが垣間見れる。
日本の防衛費がどんどん増大している背景にも少しでも隙を見せればやられかねないからだ。
マスコミは報道しない自由によって全く話題にしないが、中国よりもロシアの軍事力強化のほうがよほど危険水域にきていることがまるで説明されていない。
だからこそ米国としては絶対に朝鮮半島の北部38度線まででロシアを食い止めたいのだが、このまま行くと朝鮮半島は見事に東側になりかねない。
正直言えばアメリカの最悪のシナリオは38度線を境界にして北側の連中がミサイルを射撃してくるよりも、
38度線を境にして南側をロシアや中国の新たな拠点とされることの方がよっぽど怖いのだ。
特に南側の島よりもその島のさらに南にある制海権である。
真の意味で日本海が日本海で無くなったとき、西側諸国は押しつぶされる。
そこに欧州はようやく気づき始めつつある。
RDシェルのマーカスが何度もその主張をしても頭のてっぺんがハゲた馬鹿は理解できなかったが、現在の首脳はそれなりに理解できているようだ。
さて、前置きが長くなったが、この前置きの意味は今後の話の展開において重要なので1000字程度使って述べておくとして、1930年代の日本といえば、世界恐慌から脱出しようとする傍ら、再び南に進軍するロシアを食い止めるための前線基地の構築を主としていた。
この考えを強くもっていたのは陸軍。
東京裁判では徹底的に「無能」「全ての元凶」「日本が敗北した理由」などと糾弾され、帝国主義となった罪の全てを擦り付けられたのはある程度歴史的認識があるものなら理解できるだろう。
しかし日本史では語られないものの、陸軍の考えは基本「対露」であり、今更ながら近年見つかっている資料を見ると「海軍の方が足を引っ張っていないか?」と最近考えるようになったのは筆者だけではないようだ。
ここ最近の研究者についても陸軍の合理性はそれなりに評価されるようになり、その裏に潜むのが「石油の運用の仕方」だったりする。
まずはじめに今まで歴史で知られていなかった近年の資料により発覚したことがある。
「陸軍はオクタン価100について最も速くその有用性を認知していた」
これは2010年代によってようやく判明した驚くべき事実であり、近年大量に見つかっている石油関係の資料を見ると「石油関係で後手を踏んだ陸軍」というイメージは後年肉付けされたものだということがわかる。
確かに後手を踏んだのは事実だが、そこには陸軍の誤算があったのだ。
大昔から一部で言われていたことがある。
それは「開戦当初の隼は零戦よりよほど高速に動けた」という話だ。
だが当時のパイロットはその理由を詳しく知らなかったし、プラシーボ効果や海軍に対するプロパガンダの類だと思われていた。
しかし近年大量に見つかった陸軍資料から「日中戦争開戦当初から1年~2年の間、陸軍は米国製のオクタン価100の燃料を潤沢に使っていた」ということがわかったのである。
つまり隼に乗っていたパイロットによる「開戦当初は零戦より機動性、運動性が優れていた」というのは紛れも無い事実であり、そのオクタン価100の燃料を米国側が実際に輸出していたことを裏付ける資料も見つかっている。
一体どれだけの量が出回っていたかはまだ正確な数値が出せていないが、オクタン価100の航空ガソリンの独占は陸軍のみ行っていたことが判明しており、そして一方の米国では「米国で精製された我が国最高の技術によって生まれたガソリンによってアジア諸国で人々が虐殺がされている」と騒がれ、禁輸措置に踏み切ることになるのだ。
そのオクタン価100の燃料を供給していた会社こそ、他でもない「スタンバック」であった。
この当時、オクタン価100の燃料を作るには海軍が開発に熱心だったイソオクタン法とは別に通称フードリー法と呼ばれる接触分解法によって精製できるものだったのだが、この精製方法は当時米国秘伝の技術であり、元より日本に精製所がないスタンバックを通した輸入ででしかオクタン価100を手に入れられなかった。
少しだけ時を戻す。
1933年の陸軍内での会議の議事録だ。
ここでは陸軍の航空機の性能向上について触れられているが、実は海軍に先駆けて陸軍はオクタン価の高さが航空機の性能を大幅に左右してしまうことを理解していた。
そのため、次年度より陸軍はオクタン価100の燃料を使うことを決め、スタンバックより仕入れて貯蓄しはじめるのだ。
つまり日中戦争の開戦から約2年の間は存在したといわれるオクタン価100の燃料はこの時貯蔵を開始した4年~5年分のものとなる。
一方海軍がオクタン価100について認識するのは2年遅れた1935年である。
ただし遅れたというよりかは海軍の場合は「自らの組織で精製する」といった方向性で調整された話から始まるため、実際には陸軍より先駆けて話題になっていた可能性はある。
ただし一般的なこれまでの歴史認識の通説においては1935年から始まった一連の計画をオクタン価100問題と称するため、海軍の動きはここから始まったと歴史研究者たちの中で認識されているので、この作品内においても「陸軍に2年も遅れた」ということにしておく。
陸軍が2年先走っていた理由としては「自軍で精製する」という考えがなかったためであり、実際に陸軍の燃料工廠の建造などについては海軍から大きく遅れをとった。
だが、この遅れの原因は「陸軍の誤算」である。
実は陸軍。
ロックフェラー系企業と当初より供託しており、基本的に米国政府とは共同歩調をとっているつもりでいた。
実際に外交を通して米国政府とはなるべく緊張しないように勤めており、当初より「オクタン価100のガソリンは輸入に頼る」というスタンスだったのだ。
それが崩れたのがロックフェラー本人の死。
これこそが「陸軍最大の誤算」だった。
それまで後ろ盾であったロックフェラー本人の死亡後、ロックフェラー系企業は野心にかられて暴走しはじめる。
彼らはルーズベルトを持ち上げると同時に日本の帝国主義を叩き潰そうと躍起になり、まさしく「裏切り」と呼ぶに相応しい行動を米国によって起こされるのだ。
この裏切りこそ陸軍の誤算であると同時に、以降、陸軍が狂ったように高圧的な態度を示す要因だった。
まず陸軍が何をしたかというと「スタンバックの排除」である。
正確には「ライジングサン」と「スタンバック」を排除し、日本国内は「日本が調達、精製、貯蓄した燃料を使う」という方向性へもっていこうとした。
この動きに海軍も同調する。
海軍同調の理由としては単純に「勝算があったから」であり、陸軍と同じ考えをもっていたわけではない。
米国や英国から禁輸措置が強まり、精製に必要な機器の禁輸などが行われる傍ら、海軍は着々と進めていた徳山燃料工廠での実験が成功しており、精製できるオクタン価は最大92という所まで到達していた。
そして特に海軍の自信となったのが「人造石油」と呼ばれるものの精製に成功したことだ。
これは石炭を原材料にして石油を精製するというもので、不足する燃料を補うには十分な存在であると認知された。
なぜそう思ったのか。
それは実は最近ではあまり話がでないので知られていないのだが、日本は「石油には恵まれていないが意外にも石炭には恵まれている」からだったりする。
今日の技術で人造石油を用いた場合、日本に貯蔵されているであろう石炭を消費した場合は信じられないことに「50年分」もあったりする。
「え?じゃあやればいいじゃないか」と思うかもしれないが、残念ながらそれに頼った場合、ガソリンの価格は現在の2倍は確実に超える。
人造石油の精製よりも中東などから輸入してきたほうが安いので石炭は火力発電に一部使うかどうかという状態なわけだ。
しかし戦時に向かいつつあった日本では相次ぐ禁輸措置によって人造石油と石油の価格が変わらなくなりつつあったため、海軍はそれを用いれば戦えると考えたのだった。
日本を実質的に牛耳る両軍によってスタンバックは排除政策を受け、業務停止に追い込まれる。
どちらにせよ元より「米国から輸入してくる」体制だったスタンバックにとっては禁輸措置がとられた時点で撤退以外に選択肢などなかった。
だがここで当時の日本国政府内では面白いことが起こる。
それは「ライジングサンは否定しろ!」と当時の政治家が問題提起し、大規模な運動まで起こしたことだった。
この裏にいたのはロスチャイルド家の存在と……そして本国イギリスにて必死にハゲ頭を説得するマーカスらRDシェルの首脳陣の姿、そして禁輸措置がとられたにも関わらず、禁輸前と同等の量を供給し続けたライジングサンこと「RDシェル」そのものの存在によるものだった。
当時のRDシェル。
すでに中東にまで手を伸ばしていたが、実は未だに主力はインドネシアにおける油田での原油の採掘と、そしてそれを日本などにおいて精製して販売することだった。
主力がそこであっただけに日本は大切な「顧客」だったのである。
日本で安売りしていたライジングサンことRDシェルだったが、実はそれでもスタンバックと違いかなり儲かっていたのだ。
どれほど儲かっていたかというと、GEなどが出資する東芝など、企業別の利益と保有資産ランキングの中で、かつ国外出資企業のうち堂々の「1位」である。
しかも1945年8月15日時点でも「1位」である。
というか三菱などを含めた国内の主要軍需産業などの企業と比較しても上回っている。
さすがに財閥単位では負けるが、単独の企業としては戦前から戦中、戦後まで最強と言っていい。
いかにこの企業が石油関係でおぞましい利益を出したかがわかるが、やっぱ石油って儲かるんだね!と言わざるを得ない。
そんなライジングサンは海軍とは別に「唯一日本国内で大量の92オクタンのガソリンを精製できる」会社だった。
その上で海軍にこの92オクタンのガソリンを納入していた時代もあったが、海軍はそれを知るとライジングサンの技術者達を強引に引き抜き、自らの手でそれを作ろうと画策する。
後にこの92オクタンを精製して量産できることが様々な部分で活躍するが、海軍が強引な引き抜きまで行ったにも関わらず「92オクタンの精製に成功しただけで、量産は頓挫した」一方、ライジングサンは92オクタンのガソリンを精製して国内に供給していた。
そして一部の政治家は海軍が実際には86オクタン程度のガソリンしか製造できないことを知っていて、その上でこれからの戦いは資源戦争になることを認知していた。
より高精度の燃料を大量に保持している側が勝つ。
それらは奇しくもこの後すぐ亡くなる晩年のロックフェラーも理解できていたことである。
仮にスタンバックを排除したとしても、RDシェルことライジングサンの供給が滞らないならば現状の4分の3の石油は確保できる。
しかも米国が間違いなく100オクタンのガソリンを用いた航空機で勝負を仕掛けてくる一方、こちらは85オクタン程度だと最大で20%もの性能低下となるが、92オクタンの場合は性能低下は8%に抑えることができる。
だからこそRDシェルことライジングサンの排除についてはこれまでのRDシェルの国内での経緯を踏まえ(関東大震災の支援や出資など、日本の経済的疲弊からの開放にはRDシェル関係の企業や人物が多く関わっていたので)「金は出さないのに政治的妨害活動ばっかするスタンバック(ロックフェラー)とは違う」と、新聞、雑誌などを通して大々的に運動が起きたのだった。
その結果どうなったかというと、信じられないことにRDシェルが完全排除されるのは見送りになった。(補足するとスタンバックも完全排除はされなかったが、禁輸措置の結果、スタンバックの国内での活動は大きく鈍ることになる)
一方、海軍と陸軍自体はRDシェルとは完全に決別することにし、「RDシェルもとい、ライジングサンのガソリンは民間にのみ供給するべし」ということで、1934年の石油業法を通して今後の各社の状況が決まる。
RDシェルは英国企業でありながら、信じられない事に戦時中までその活動を国内で制限されることなく行えるようになったのだった。
そしてこの「民間だけに供給する」という方針がRDシェルにとっては災い転じて福となすことになる。
しかし実はそんな状況が決まった一方で本国イギリスにおいてRDシェルは手痛いダメージを受けていた。
原因は全て「この状況下においても日本にこれまでと同じ量を供給し続けた」ことによるもの。
次回はそんなRDシェルのイギリスでの状況を解説する。