東の日ノ本にて主導権を握ろうとする赤い盾(黄色い帆立)と成り上がりセールスマン、ロックフェラー(スタンバック)による価格カルテルは「お財布に優しい安売り」
1930年代~1940年にかけての日本で流通する石油は半分がスタンバックとライジングサンによるものだった。
比率でいえばライジングサンが実に「32%」というおぞましいシェアを誇り、次いでスタンバックが「21%」という数字である。
しかしこれは逆に言えば「もう半分は純粋日本企業によるもの」だったりする。
日本による石油事業の拡大は新潟で発掘された尼瀬油田によるものだ。
今日、日本のガソリン供給で覇権を握るJXTGガスの母体である新日石こと新日本石油はこの尼瀬油田によって生まれた石油産業ブームによって誕生した企業である。
当時の日本の実態を見てみると、三菱系と新日石などの大手が国内全体の3割以上のシェアを持っていたため、国外企業2社を除くと残り1~2割は中小企業たちであり、それらはどこからか石油を調達してきてろくに加工できない劣悪な質のものを市場に出回らせていた。
一応いうと、かの出光興産の出光佐三はこの1~2割には含まれていない。
彼は元売でもある大手から買い付けてそれを販売するというのが基本の販売業から成り上がっていった男である。
そんな一連の日本企業の悩みの種は他でもないライジングサンとスタンバックである。
当時のガソリンなどの価格を見てもらえばわかるのだが、信じられないことに日本の一般市民でも容易に調達できるぐらい価格が安い。
石炭や木炭なんかよりもよっぽど安価にガソリンが入手できていたりする。
米1升が44銭の時代にライジングサンは18銭で1Lのガソリンを販売している。
このガソリンのオクタン価は60~70前後。
一般市民が何で恩恵を受けたかというと、生活的恩恵では「暖房器具」などであったが、民間企業などにおいては「漁船用エンジン」「発電機を用いた機械製品」などに使うため、ガソリンの価格が低いのはとてもありがたいことであった。
街の電灯などにはこういった発電機で発電された電気を用いていた場合もある。
理由としては「石炭より安かった」ため。
こういった裏では上記2社の思惑が関係している。
ライジングサンことRDシェルは元々「日本においては日本を経済発展させ、求めやすい価格で販売する一方でインフラ事業などにも手を出してがっつり稼ぎたい」という考えがあり、親日すぎるが故の安売りを展開していた。
一方スタンバック前身であるソコニー・ヴァキューム時代から「石炭より安い価格で市場供給することで石油市場を開拓する」というスタンダードオイルから一貫した態度で販売していたため、これまた安売りをしていた。
そもそもお手ごろ価格で市場流通というのはスタンダードオイルが敵対するライバルメーカーを振り落とすための基本戦術である。
本国である米国では価格を引き下げるために鉄道会社を脅すだとか、パイプラインを形成することで運送価格の値上げをしようとした鉄道会社を排除するなど、とにかく「安く売る」ことを心がけていた。
今の時代での感覚では理解できないであろうが、当時は「ライバル商品」が大量にあった。
「プラスチック」などの石油製品が殆ど無い時代だ。
この頃求められた資源は「石炭」などであり、まだガソリンを用いたレシプロ機関もさほど注目されていない。
蒸気機関が主流の時代にガソリンは時代の先を進みすぎた商品だったのである。
そんな時代に石炭などと戦うためには「お手ごろな価格設定」が重要だった。
何しろ当時のガソリンは石炭よりも質量に対して回収できるエネルギーが限られていたのだ。
「いや石炭の方が長時間燃やしていられるし」といった認識があった。
技術が未発達の影響で今の時代とは全く常識が異なる。
原因は石油精製技術が未発達なことやレシプロ機関が未発達であったことによるものだが、これは後に第一次世界大戦などを経て急速に発展することになる。
ロックフェラーをして第一次世界大戦は「石油によって世界の経済的、国力的バランスに変革が訪れてしまった」と肯定的とも否定的ともとれる感想を述べており、南北戦争時代から石油で稼いでいた男としては、石油によって世界が崩壊しかねない時代となったことに恐怖を感じていたようである。
晩年のロックフェラーの言葉を見ても、自身が石油をスタンダードにするために行った数々の手法を国家単位、地球単位で駆使した場合の経済的混乱とそれに伴う戦争の危険性は十分承知しており、彼がその生涯の幕を閉じる頃「私が死んだ後にも世界はちゃんと続くのだろうか」といったことを周囲に漏らしていたりする。
彼が亡くなったのは1937年であるが、その頃には世界は再び世界的な戦争へと歩みださんとしていた。
ロックフェラーは資本主義のもとで資本主義的な経済的な戦いを好む男であり、そのような時代に商人として戦っていた男であったためにそのような思いを残したままこの世を去ったのだ。
航空機なんてまだ存在しない時代に石油を文字通りスタンダードな存在にしようとした男ロックフェラー。
彼は今のような「石油が最も優れた資源なのは常識」というのを根付かせた功労者の一人であり、一連の地球環境の破壊を助長させた絶対悪の一人とも言える。
そんな彼は平然と「価格安定のためにカルテルを行う」という手法をとる。
本国では石油を必要とする巨大企業とも供託して価格を操作するため、あの手この手を駆使していたが、それは日本においても同様のことであった。
スタンダードオイル自体はGEなどとも交流があったため、日本国に出資して工業を展開する米国資本企業に石油を卸すのは簡単なことであり、そういった企業と結託したのである。
ただしGEなどの米国資本メーカーは「安い」からその関係を許していたのであり、戦後はいとも簡単に掌をひっくり返すのは前回の作品で説明した通りである。
以上のようにスタンバックはカルテルを結んで安定的な価格でかつ安価な形で石油を日本国内にて流通させた。
この流れは1933年~1936年頃まで続く。
それは表向きはRDシェル(ライジングサン)との共闘のように見えたが、実は後述するとおり、裏では凄まじい戦いがあったりする。
他方、双方の石油精製技術は世界でもトップクラスであったため、質についても素晴らしかった。
一歩も二歩も劣る日本企業は劣勢であるばかりか「彼らのせいでなかなか利益があげられず、国外に手を広げることができない」といった状況となってしまう。
しかしRDシェルことライジングサンの場合は石油精製などを日本で行い、それらは日本人の手によって行われていた。
足りなかったのは「知識」と「経験」であり、後にライジングサンで鍛えられた技術者などが他社にヘッドハンティングされる形で日本国内企業の石油精製関係の技術も急速に発展していく。
ちなみに、ガソリン価格自体はこの後少しずつ上昇していくが実は1930年中盤まで卸値に殆ど変化がない。
にも関わらず1930年代にはこの頃の倍の価格となっている。
原因は「税金」だ。
もうこの頃からガソリン価格の半分以上は税金となっていたのである。
内訳としては関税などであるが、それらは日本国の資産となって積み立てられ、富国強兵のために消費されるのだった。
それはさておき、このスタンバックとライジングサンのカルテルによる共闘の裏側だが、
ライジングサンの裏に存在した一族とロックフェラーは日本国においての絶対的な地位を確保せんと奮闘していたりする。
ライジングサン(RDシェル)の裏に存在した一族とはロスチャイルド家である。
表向き、ロイヤル・ダッチ・シェルとは「ロイヤル・ダッチ」と「シェル」が合併して出来た会社だと思われているが、正確に言うと「ロイヤル・ダッチ」と「シェル」と「ロスチャイルド家の持つ石油事業会社」が合併した企業というのが正しい。
しかも金銭的出資比率だけでいえば最も高額な出資を行ったのはロスチャイルド家だった。(法人としての規模がロイヤル・ダッチやシェル・トランスポートに劣っていたという部分もあったため)
そんなロスチャイルド家、実はアジアに対して強い支配欲があったのだ。
ただし日本国においては植民地にしたいというよりかは「日本国に大規模に出資してアジアに断固としての立場を作る」という思いが強く、帝政ロシアのような「支配して全てを奪う」というような発想は無い。
むしろロスチャイルド家としては「共産主義たる帝政ロシアがこれ以上南下してアジア全土を支配しないような断固として望む」といった行動を行っている。
何をしたか?「南満州鉄道に大規模出資」しようとしたのが他でもないロスチャイルド家だったりする。
ただしこれは後述する悪魔の手先によって妨害され失敗。
その程度では諦めてはいなかったが。
で、ロスチャイルド家がどれだけ日本に出資していたかというと日本が発行した国債の約半分を購入したのがロスチャイルド家といえばその凄さがわかりやすいだろうか。
特に彼らは関東大震災にて疲弊した日本経済を立て直すのに企業としてのRDシェルと並んで大規模出資を行っており、当時の新聞などではその事が語られたが、なぜか日本史の歴史の教科書にはなかなか彼らの名前が出てくる事が無い。
震災時にあれほど支援をしたにも関わらず、当時の日本は感謝したが今の日本は歴史の教科書にもそれらを記述しないのは不思議というか違和感を感じる。
かの有名な書籍である「セブンシスターズ」についてもRDシェルの裏に存在する化け物一族について触れられていないのだが、一体なぜなのだろうか。
日英同盟が崩壊する直前までロスチャイルド家は国籍等を買い付けていたので、「どうして日英同盟が崩壊したのか?」と言えなくもない。
戦後日本が新幹線を建造する際の世界銀行に資金提供したり、首都高速道路を建造する際にも独自出資したりと、一貫して敵対していないのが逆に怖いほどである。
そんなロスチャイルド家であるが、明治時代~大正、昭和初期の頃の資料を確認すると当時の政府役人や財閥所属の者らと積極的に交流していたことが明らかにされており、ある意味で日英同盟の裏に潜む日本の英国面における裏番町のような存在であったといえる。
当然ながらその状態に米国が黙っているわけではなかった。
米国の民間企業もこの動きによしとはせず、「せっかく努力して開国させ、その後も日本を切り開いたのに後から何でもかんでも好き勝手にやらせるか」とそれなりに対抗心を示して行動する。
その中にはエドワード・ヘンリー・ハリマンと呼ばれる男の存在があった。
彼もまたロスチャイルド家と並ぶ化け物一族の一人。
またの名を複数人存在する「鉄道王」の一人。
私が前回の作品で書いた「戦後の日本の統治政策の方向性を大きく変える舵取りを行った魔王」こと
W・アヴェレル・ハリマンの父である。
(一応補足だが、現在日本に潜んで武器兵器関係の事業を牛耳っているブラウンハリマンには彼は所属していない。かのブラウンハリマンは彼の息子が創業者だったりする。)
そう。実は彼も親日家の一人だったりするのだ。
日露戦争、そして関東大震災。
日本が経済的危機に陥るたび、彼もまた出資していた。
ただしロスチャイルド家と因縁があったわけではなく、単純に愛国者である彼は日本における米国の権益がロスチャイルド家によって揺さぶられるのを良しとしなかったのである。
問題はここからだ。
南満州鉄道の共同出資については実は最終的に拗れて日本単独となる。
この裏にいたのがロックフェラーだったりする。
なぜこのような事になったかというと、ロックフェラーは鉄道嫌いで有名だが、エドワード・ヘンリー・ハリマンとは因縁の相手だったりする。
石油の輸送関係で何度も対立し、敵対関係にあった。(原因は価格の吊り上げ)
彼が日本で勢力を確保するというのがとにかく嫌だったロックフェラーは信じられない事にその妨害活動を大規模に行ったのだ。
しかも日本単独にさせたのはロックフェラーの狙い通りであり、「ロスチャイルド家」からも「ハリマン一族」からも日本を遠ざけることがロックフェラーの狙いだった。
この行動理由は実は割と単純で、陸上における石油運送において日本の国鉄は価格の吊り上げなどを行わず、時刻なども正確でかつ「石油が運送中になぜか出発時よりも減っている」というような事もなくとても信頼していたからだったりする。
散々鉄道の運送料引き上げなどに苦しめられたロックフェラーは南満州鉄道を用いて石油資源を運ぶことを考えていたが、そこにエドワード・ヘンリー・ハリマンの参加は絶対に許したくなかった。
彼がどれほど阿漕な稼ぎ方をしていたかはそれを表した風刺画があるほどだった。
またロスチャイルド家排除に動いた理由は元々が直接のライバル企業であり、そして英国の勢力拡大を阻止したいという思いによるもの。
これは余談だが、実はこの結果が最終的に日米戦争の発端の1つとなったのではないか?と言われているが、戦後ロックフェラー系をとにかく締め出そうとする動きがあることから、「多分発端の1つなのだろうなあ」と思う。
ロックフェラー系の企業は悪名高いルーズベルトと関係を持っていたこともあり、戦後のGEなどを中心とした民間企業連合体はGHQを傀儡とした際、徹底的にロックフェラー系の者達を日本から遠ざけようと奮闘するが、戦争の発端となった1935~1940年までの間に日本が混乱したのはロックフェラーそのものが体調を崩し、そして死去してコントロール不能となったことが少なからず関係しているといえる。
また、上記の南満州鉄道余波は石油関係にも影響しはじめる。
スタンバックとライジングサンの対立である。
1930年以降、まるで上記の戦いが表にも波及したように双方は対立関係を結ぶが、日本国は英国、米国と対立しがちの状況となり、その中で両企業も揺さぶられる関係となる。
次回は太平洋戦争に向かうに従い、両企業がどういう形となっていったかを説明する予定。
結論から言えばスタンバックが排除されたがライジングサンはどうなったかというと……