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ユーラシアとヨーロッパ全土を横断して届く情報とヨーロッパ全土の規模を利用した情報網

杉原千畝という男がいる。

戦後の日本統治政策の変更において一役買った男である。

この男は実は二人のサミュエル姓の男達の意識を変えさせたことはさほど知られていない。

一人は前回、最後の最後に魔王としてGHQを制御することに成功したディロンリードのCEOである。


もう一人は当然、RDシェルの創業者だ。


日本国においては基本的に「最後は日本人らしさが日本を救う」ということが少なくない。

当人の活躍はどうあれ、その当人の心を揺り動かした人物たちがすさまじい強権を握る化け物であるというケースが多々あるのだ。


しかし結局当人たちが幸せな人生を歩めたケースは少なく、何と言うか救われないのに日本が救われる構図なのはなんとも言いがたい。


それはさておき、彼らはどちらもユダヤ人。

国籍こそ違い、人種こそ違うがどちらも同じ苗字を名乗る。

スタート地点は一緒だったが、片方はイギリスからアメリカへ、もう片方はイギリスに残り続けただけであった。


私は前回の話で「東芝とGEはどうやって戦時中に情報交換をしたのか不明である」と書いた。

実際、GEの情報はかなり正確である一方で不明瞭すぎるのだ。


一方でRDシェルについてはある程度判明している。

彼らはまず「ユダヤ人保護」という形に早期で動き、そしてその動きによって成立した組織が実は「日本と裏で繋がって」おり、そして彼らはその組織を通して「ヤルタ会談」に参加、ありとあらゆる情報を掴んで日本と交信していた。


GEと異なり戦時中、RDシェルは英国籍の人間が横浜での経営活動に携わることはできた。

だが基本的に情報交換をするには非常に難しい。

だからこそ、彼らは「外務省」と裏で繋がることでそれらを可能としていた。

日本の情報をRDシェルが逐一ロンドンで伝えていたのである。


それを「捏造」だとか主張していたのがチャーチル。

後に様々な圧力によって日本より手を離すことになるハゲだが、英国にて日本の情報が正確に出回らなかった原因のほとんどはチャーチルの感情論によるものであり、実際にはロンドンではソ連やドイツなどの状況だけでなくアジアや日本の状況を正確に把握することが可能だった。


ではいったいどういう組織なのか?

前述した「ユダヤ人保護」という名目で気づいた人間も多いが、「ポーランド臨時政府」である。


ヤルタ会談を境に活動が萎縮してしまう彼らだがこのポーランド臨時政府のバックボーンこそ、他でもないRDシェルやロスチャイルド家である。

双方共にユダヤ人である彼らはドイツの圧力姿勢にはとにかく批判的であり、また互いに反共主義者であったため、反露、反独で動いていた。


そのあたりはチャーチルとそこまで思想が変わらなかったものの、チャーチルは反日でもあった一方、彼らは親日であったことが大きな違いである。


特にロスチャイルド家については当時の党首であるルイス・ロスチャイルド自体がヒトラーより虎の子のチェコの製鉄所や炭鉱を奪われる状況に遭遇しており、この時のロスチャイルド家のナチスドイツへ向けた怒りは尋常ではない。


一応言うと、すでに布石は打っておりあらかじめこれらの製鉄所や炭鉱などは国外に売り払い、そしてイギリスのとある保険会社がそれらを管理するような状態となるように仕向けていた。

これはロスチャイルド家の他の者たちによる手引きである。


一方党首自体は1年も軟禁され苦しむことになり、最終的にドイツ側が折れて「300万ドルで買い取る」という話になったが、ナチスドイツを信用していなかったルイス・ロスチャイルドは自身の一族が持つ資産を利用してポーランドやチェコにて反乱を起こそうと画策していたのだった。


ポーランドやチェコであるが、本来ならば敵対関係にあっておかしくないが、日本にとって敵国ではなかった。


ついでにいうとあまり知られていないのだが、当時のヨーロッパの永世中立国もまた意外にも日本に対して敵対姿勢は示さず、むしろ支援している部分があったりする。


話を戻すがこのポーランド臨時政府は外務省と陸軍と繋がりがあり、何人もの人間がこの臨時政府が持つ解放軍ともいうべき組織の人間と交流している。


その中でももっとも有名なのが杉原千畝であり、彼の一連の活動がRDシェルの活動を大いに後押ししたのは言うまでもない。

もともとユダヤ人迫害に否定的だった日本国は、実は早期からユダヤ人虐殺や迫害には明確に反対していた。


杉原自体が実際にカナウスで行動を動く前の時点でドイツからの要請を明確に拒否していたのである。


この裏にはバチカンの支援を受けたい当時の陸軍の思惑もあったが、バチカン自体はカトリック系でありながらユダヤ人迫害については何としてでも防ごうと妨害活動などを行おうと躍起になっており、支援や援助を惜しまなかったというのが背景にある。


また、バチカンについては余談だがドイツではその思想が排除されそうになっている。(正宗派キリスト教などと呼ばれる)

実際にカトリック系教徒がユダヤ人のように迫害されたという事実はないが、キリスト教ではあるもののドイツ式の思想への思想転換をヒトラーは試みており、それはバチカンの望む姿ではなく、実は枢軸国の中で唯一敵対関係にあった。


このバチカンの支援というのは国境や国籍、人種を超えたものをもたらしており、日本国においては今回の話で前述する通り、イギリスや欧米の国籍であっても日本に残ることが許されたり、カトリック信者のオランダ人医師団がカトリック教会で活動することが可能だったりするなど、日本国ですらうかつに手を出さない立場になることができるほどのものであった。


いわば日本では「キリスト」と「天皇」の2つが実際には象徴的な存在であったと捉えることもできなくはない。

狭義の意味では天皇単独と考えるのが正しいのだが、実はその天皇陛下自身がお言葉という形でカトリックとキリストについて直接触れていたりする。


まずカトリックについては元より昭和天皇が大変関心を抱いていた宗教である。

彼自身は神道に生きなければならず、「関心」という形で言葉を濁していたが、正確にはこれは「信仰」を意味していると思われる。


何しろ「興味」「関心」を理由に実際には太平洋戦争直前にバチカンにも直接訪れて法王より言葉を貰いうけ、そしてその上で当時の首相の東條に対し「バチカンを活用して米国との仲裁をせよ」と命じているのは公式記録に残っているほどで、度々公式声明でも「関心」という言葉を活用してカトリックについて語ることがあった。


これはもう「現在の天皇としての立場としてそれ以上の言葉を述べることが許されない」だけであり、端から見たら立派な「信仰」である。


公式記録上でも最後まで大変関心がおありでに留まるものの、天皇陛下として、神道を祖とする日本国の王族としては口が裂けても信仰とは言えないであろうことがは推察でき、また当人は神道もまた愛してやまない人物であったために「関心」に留めているものの、戦後何度もカトリック系の人物と接触を試みている。


戦前にバチカンへ赴いた事については大変印象深く残っているようで、晩年にもその件について度々触れることがあった。


実は当時カトリックについては「排除しない」と天皇自身が明言しており、それは事実上の「信仰の赦し」だったりする。

それが言わば「英国籍だろうが米国籍だろうがカトリック教徒は弾圧しない」という日本の意識に繋がったが、実はユダヤ人についても「興味」という言葉を用いて発言されたことがあったりする。


こういった一連の行動が杉原のとった行動の後のユダヤ人保護に繋がっており、当時の日本において「よほどおかしなカルト教団で無い限り排除されなかった」理由ともなっている。



話がズレてしまっいたが、そういった天皇陛下自体のお気持ちなども影響し、RDシェルとロスチャイルド家に支えられたポーランド臨時政府は早期から日本と交流が出来上がっていた。

この背景には間違いなく親会社がRDシェルであるライジングサンが関係したと思われ、戦時中、日本国外務省はバチカンなどの支援を受けつつ、ヨーロッパでの諜報活動を行っていた。


特に陸軍が警戒していたのは「独ソ」の存在である。

実のところ陸軍の中では「ドイツが本気でソ連と組むなら三国同盟から抜ける」というのを本気で考えていた。


彼らの目的はあくまで対ソであり、そのための防衛網を満州などで構築したかったのが本来の日本の考えである。


大東亜共栄圏についても基本的には「反共主義で一致団結する」のが主目的であり、真の敵は共産主義というのが陸軍の考えであった。


だからこそ、早期にドイツがソ連と手を組んだ状況は良しとしておらず、杉原を筆頭とした当時としては最強クラスの外交官を前線に配置したわけである。

ただし、杉原の一連の行動についてまで許したわけではない。


同盟関係が続く中でドイツ側から一方的に同盟から排除された上で英国と米国から攻撃されるのは日本にとって最悪のストーリーである。

よって彼の表立っての行動まで許したわけではなかった。


一方、外務省自体は杉原自体が懐柔するように早期よりポーランドと事実上の同盟関係を結び、影でポーランドを支援していた。

そしてこのポーランドの情報交換の情報がRDシェルやロスチャイルドまで及ぶ構図である。


杉原のwikipediaにも少々記述される通り、その情報網はバチカンの支援を得てカトリック教徒などの力を得た活動だったので、ヨーロッパ全土に蜘蛛の巣状に広がっており、その蜘蛛の巣状の情報網を阻害することはついにヒトラーですら不可能であった。


ヒトラーにとっても対ソにおいて日本が重要なのは理解していた一方で、日本がヨーロッパに寝返るのは最悪のストーリーである。


ある日突然チャーチルとムッソリーニがダンスしながらその枠の中に東條英機まで混じった状況が発生した場合、ww1の悲劇が再び繰り返すだけなのだから。


しかもヒトラーにとって最も不安だったのはムッソリーニ率いるファシズムも日本における帝国主義も「宗教思想」においては自由思想であり、互いに共闘するのはあくまで「反共主義」などの部分でしかなかったことだ。


実はこの恐怖自体はスターリンも抱えていた。

ソ連にとって最悪のストーリーが2つある。


1.日独が外交的に勝利し、米国と英国を手名づけ、両国が対ソのみで動いたケース

2.日本が米国との交渉を成功させ、太平洋戦争が回避、その後ヨーロッパ全土に米国が注力し、早期にドイツが敗戦、自国まで向かってくるケース。


2についてはルーズベルト時代でははっきりいって無いストーリーだと思われる。

だが当時ルーズベルトが体調不良で余命幾ばくも無いことをスターリンはよく知っていた。


そうなるとルーズベルトが倒れた後はどうなるかわかったものではなく、スターリン自体は米国も英国も気に入ってなかったので、実は本気で四カ国同盟を考えていたのはここ最近判明した事実である。


もし仮に四カ国同盟に至った場合は真っ先に死ぬのは英国。

とはいえ、GEなどの組織がそのために動くというケースはありえないのでその場合は日本は米国の一切の後ろ盾無く1941年の段階で冷戦に突入したというのが正解であろう。


だからこそ杉原などについては露と独の2つから明確に「危険人物」として認識されていたわけである。


彼が命じられていたのは情報収集だが、その情報収集能力は飛びぬけていた。

何しろ彼がいたカナウスではドイツとポーランド、本来なら敵国同士の諜報員が大量に集まっており、そんな状態でありながら彼はピクニックと称しては諜報活動に勤しむ猛者である。


ただの外交官だと自負する男だが、おそらく「諜報能力としては凄まじいものがあり、外務省がその能力を見逃さなかっただけ」の肩書きが外交官なだけな立派なスパイである。


彼の懐柔する内容と周囲の評価から考えると007どころではない危険地帯を渡り歩いて生存しており、正直言って能力自体は本当に化け物じみたものがある。

しかもその際、幼い長男を連れて見事に家族全員生還しているのだから外交特権があったとしても凄まじいものだ。


外務省が彼をベルリンなどに飛ばした理由は別段カナウスでの問題行動による左遷ではなく、「カナウスなどで手に入れた情報網を利用し、さらに最前線での情報収集を要請した」だけに過ぎない。


そして彼らは見事をそれをやってのけるわけだ。

ただ、諜報員として最も有名な人物は実は杉原ではない。


小野寺信≪おのでらまこと≫

日本軍史上最強の諜報員である。

彼の活動はとにかく凄まじく、国家そのものを動かすのもお手の物である。

バルト三国をたきつけ、今日の日本との交流にまで繋げた諜報のプロであり、バルト三国が親日な理由は9割は彼の活動によるものだ。


しかしながら支那事変での失敗によりスウェーデンに左遷させられた小野寺。

だがそんな所で燻るような男ではなかった。


永世中立国であるスウェーデンであるが、信じられないことにここはヨーロッパとユーラシアをめぐる情報網の中心地。


ストックホルムの地にて彼は持ち前の諜報能力を生かしてポーランド臨時政府との橋渡し役を行っていた。

このスウェーデンにはソ連、ドイツ、イギリス、米国、バチカンなどの組織を含めた諜報員が蔓延るまさに日本国で言えば「甲賀市」とも言うべき地域である。


ちょっとした余談だが、甲賀市の忍者の由来は参勤交代などで大名などが行きかう地であったためであり、特に江戸幕府末期では盛んに諜報員が活動した。

よって甲賀市の忍者は忍術を使うような人間ではなく、現代の諜報員とさして違いはない。


小野寺自体はそこに関わりがあるものではないが、そういう地域というのはどこの国でも生じるわけである。


ちょっと店先で変なことを迂闊に話せば暗殺されかねないストックホルムの地にて小野寺は活動する傍ら、本人の意思もあり、ポーランド臨時政府と共同歩調をとっていた。


しかしその努力も空しくポーランドはドイツに徹底的に蹂躙された後にソ連に事実上の占領がされてしまう。


ヤルタ会談にはポーランドの今後をどうするか決する会議でもあったのだが、期待したヨーロッパの後ろ盾は無く、彼ら臨時政府の活動はその時点で無意味なものと化した。


しかしこの一連の活動を援助し続けた小野寺に対し、ポーランドの諜報員は「日本には恩義がある」「何があっても情報を伝える」といってヤルタ会談の内容を小野寺に漏らす。


それはソ連が侵攻するドイツ敗戦より半年前の話。

そのソ連侵攻の情報については結局日本政府に伝わったものの日本政府は3ヶ月を過ぎてもソ連が侵攻しない影響で「嘘」と思われてしまったが、多少なりともそのことを気にした本国日本の陸軍の最小限度の行動が、後に本州を救うことになる。


一方、ヤルタ会談の内容をを聞いたRDシェルは衝撃を受けた。

ソ連が裏切った場合の被害が算定できない。

BPからすればニヤリとしそうな状況であるが、RDシェルにとっては最悪のケースの話である。


「何が何としてでもソ連の侵攻は極一部に留めねばならぬ」


その行動のキッカケとなった事案こそ他でもないユダヤ人保護の活動だった。

陸軍とポーランド臨時政府から情報を伝えられていたRDシェルは、日本国に少なくとも3000名のポーランド系ユダヤ人が向かい、そして彼らは「強制収容」される事もなく難民として保護されているということを知っていた。(強制収容されたとしてもドイツのそれとは違う正しい意味での強制収容だが、単純難民扱いだった)


そのような事が出来るからこそ今まで対話姿勢で挑んでいたのであり、この報告は「チャーチルを暗殺してでもどうにかせねばなるまい」と考えるようになる。


実は1944年~戦後しばらくの間、RDシェルなどによるチャーチル暗殺の噂が立つのだが、この根本的な原因は対日参戦とヤルタ会談に影響するものである。


この時関わったルーズベルトが病死し、トルーマンに代わった米国に対し、英国はチャーチルが存命のまま戦後まで続くが、彼らは未だに感情論ばかりで動くチャーチルに対して殺意すら芽生えていた。


何しろこのハゲはスターリンの言うなりで、スターリンが「犬座りでワンと言いながらこちらを見上げ、私が直立しつつ傾けたカップの紅茶を飲みたまえ」といったら飲みそうな勢いでヤルタ会談でスターリンの主張をすべて呑んでしまったのである。


そこにはまるでヨーロッパや日本などどうでもいいルーズベルトの思惑も絡んでいたが、そこについては許せるわけがなかった。(ルーズベルトにとってヨーロッパが潰れても特に問題なかったし、戦後の米国を考えるとヨーロッパが弱体してほしかった)


ソ連はユダヤ人を平気で殺害し、収容し、ドイツと変わらないような形で生き地獄に埋める国家。

たった一人の日本人が起こした行動とはいえ、最終的にユダヤ人を保護し、自由な活動を許した日本とはまるで立場が違う。


しかし対ソにおいてRDシェルができる行動は限られていた。

米国の民間企業連合体と同調したトルーマンに対し、チャーチルはBPに傾倒する男である。


「どうすればソ連の対日参戦において彼らが本州まで攻め込めないような状況を作れるか?」

「それも、石油事業などを通してでしか支援できない立場においてどうすればいいのか」


RDシェルは考えに考え抜いた末、賭けに出るのだ。

現状、日本の陸軍、海軍共に石油枯渇に喘いでいる。

すでに戦争末期。


彼らが本土決戦を覚悟したその時、例えば北海道を確実に守れるように潤沢に石油が向かうようにできたら?


たとえそれば民間企業であっても「無条件降伏」などの名の下に「独立愚連隊が独自の行動」を起こしたとしたら?


彼らにそこまでの考えは無かったかもしれない。

だが、彼らはそこへ向けた行動を起こしはじめるのだ。


実はRDシェルには虎の子のガソリンがあった。

バトルオブブリテンの際にスピットファイアに提供された純英国製100オクタンガソリン。

流動触媒床式接触分解法にて精製された米国に負けない100オクタンガソリンである。

米国に遅れること7年近く。



ついに彼らはそこまで到達していた。

だが大量生産できるほどではなく、生産数の少なさから英国は米国より輸入する体制であったのだった。

おまけに製油所は本国であるイギリスにあり、運ぶためには大西洋から太平洋まで乗り込んでいかなければならない。


RDシェルは決断する。

1944年末

「イギリスより出港したこの100オクタンガソリンを積載せしタンカーについてパナマ運河を通し、そしてそれを極東地域へ持っていく」ということを。


実はこの時、こっそりとパナマ運河を通ろうとするもう1つの企業のタンカーがあった。

それがスタンバックであった。


戦後の状況を考えると、なぜスタンバックがこの時点で活動したのかは不明だ。

だがパナマ運河にはニューヨークから出港し、一旦カルフォルニアに向かうタンカーが記録されており、


そしてそのタンカーは信じられないことに日本の極東地域へと向かうのである。

この時のオクタン価は不明だ。


だが、あえて劣悪なガソリンを輸出する理由などない。

何者かの手引きにより、極東に向けて運ばれたのであろう。


それは陸軍の思惑ではなく、すれ違いもあったが、最終的に届いてしまうのだ。

次回「蘇れ。陸軍の翼」

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