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タンカー王と真珠王と石油王

時は遡ること100年以上前。

あるイギリス国籍のイラク系ユダヤ人は事実上の手切れ金を渡され、島流しのような形で東の小さな島国に渡る。


彼の兄弟は皆優秀な男であったが、彼自身は当時、才能がまだ開花しておらず、父は「遠い東にある国家の景色や文化でも触れてみてはどうかね」といって、彼に少しばかりのお金と渡航用のチケットを渡した。


そのチケットの行き先は開国したばかりの日本。

殆どお金も持たず向かったその島国にて暖かい歓迎を受けた少年は、とある漁村にて漁業を手伝いながら食料を分けてもらう傍ら、来る日も富士に見とれつつ海岸を散策する日々を送っていた。


ある日のこと、海岸を散策途中にて貝殻を拾い、その美しさに見とれる。


「そうだ。この貝殻を宝飾品にして販売したら儲かるぞ!」


これが全ての始まりだった。

後に「タンカー王」と呼ばれる男の名はマーカス・サミュエル。

スーパーメジャーと呼ばれる世界的企業となって成長するシェル石油の創業者である。


日本を含めた各国を渡り歩いて見つけた美しい貝殻を輸出販売して成功した彼は横浜にサミュエル商会という商店を開くようになる。


これは所謂貿易商社であったのだが、メインで輸出していたのは日本国内で生産、加工、輸出を行っていた貝殻関係の宝飾品であった。


この時点で日本人の手先の器用さなどに気づいていたマーカスは、お世話になった漁村の人らを雇うなどして、日本国にてその後のRDシェルの基本戦略となる、「現地での人材雇用、機材などの現地調達、現地での加工生産」からの「輸出」という手法を1900年代初頭に見出す。


しかも、「価格の引き下げ」のために自前で「貨物船」をこさえ、イギリス、日本間に独自航路をこさえて海運業も平行して営んでいたほどだった。(宝飾品は自前で生産したものではなく、後述するようなものも運んでいた)


似たような宝飾品の輸出を行っている企業は多数あったにも関わらず、それらは原材料の輸出のために利益がそこまで高くかったために撤退する者が相次いでいた一方、サミュエル商会が成功し続けた秘訣はここにあった。


日本人によって一時加工されたものは価格、品質で上回っており、メインで販売していたロンドンではすぐさま評判となったが、成功するサミュエル商会の裏にはこういった「それまでは海苔や塩、そして魚を獲って加工」する者達がおり、彼らに対して新たな道筋を示したのである。(副業や兼業という形で雇った)


漁業というものは基本的にオールシーズンで行えないものであるのを理解していたマーカスだからこそ出来た商法だった。


当時こういった漁村や農村による新たな市場開拓は日本人によっても行われており、かの有名なミキモト・パールの創業者であり、ロンドンでサミュエル商会と並び貝殻を利用した宝飾品を販売した「真珠王」こと御木本幸吉もその一人である。


実は1928年にロンドン支店が出来る前にミキモトパールを輸出していたのは他でもないサミュエル商会であり、このロンドンでの成功が後にミキモトパールがロンドン支店を切り開く要因となったことはあまり知られていない。


御木本本人は自伝にて「欧州で市場を開拓しようとしたら一部の都市ですでに出回っていた」というような話をしているが、日本国内にてミキモトパールの品質の良さを理解した一部の商人は独自に輸出していたのである。


しかし、真珠王が真珠に拘り続けた一方で、1892年にはそれまでの利益からマーカス・サミュエルは「石油タンカー」を8隻も建造するような形で新たな事業開拓に挑んでいる。

当時世界で新たな事業として見出された石油関係事業であり、マーカスサミュエルはインドネシア諸島のボルネオ島にて油田開発に成功したのだった。


そこで新たにシェル・トランスポート・アンド・トレードカンパニー設立し、石油事業に乗り出すのだった。


これが後のスーパーメジャーの前身である。

ロイヤルダッチシェルとなる前の1900年代初頭にはタンカーや貨物船含めて総勢30隻を保有していたマーカスは「タンカー王」として英国で認知されるようになる。


この時点で彼が持つ個人資産は兄弟の中で図抜けた数字であり、1912年に英国に戻ってきたときは凱旋するような気分であったという。


実はその前に一度ロンドンに帰国しているのだが、それはマーカスによる最初の「日本への恩返し」だったことは殆ど認知されていない。


1901年。

マーカスはとある事情により英国に急ぎ帰国した。

帝政ロシアが南下する勢いにより危機感を抱いていた日本国。


日本国は産業化により防衛能力としての軍事力を高めつつあった一方、やはりこのまま行くとロシアによって占領される状況は目に見えていた。


事態の打開のため日本国は当時欧州では列強であるフランスやイギリスに支援を求めるも、イギリス自体は国家として日本に対する出資を行う理由を掴みかねていた。


そんな裏に各種政府役人との交渉を補佐したりしたのが他でもないマーカスである。

実は日露戦争開戦前に英国に渡り直接交渉することになった高橋是清もマーカス・サミュエルとは英国で情報交換などを行っており、彼がジャポニズムと呼ばれる欧州で評判を呼んだ文化だけが日本の全てではないことを英国側に説明し、加えて、


「日本人は必ず約束を守る民族であり、出資したとしても200年、300年かけて返済する民族だ」と英国の出資を促していた。


また自身も日本の外貨を引き受けるなどして日本国への事実上の出資を行う所存を表明し、他にもそういった国外の企業があることを説明した。

こういった企業による助力が高橋是清による国債の発行へと繋がるわけだが、マーカス・サミュエルもそのような企業の経営者の一人だったわけである。


ちなみに約束を守る民族という言葉は高橋是清も英国政府に対して使う言葉である。


日英同盟締結の裏にはそんな日本を心から愛す英国人たちの少なくない努力があったのだった。


高橋是清は日英同盟の折、「当時の日本の国家予算換算で60年分」の金額を英国から借り受ける傍ら国債を発行したわけだが、その国債を大量に買い付けたのはすでに日本国内で出資して重工業を行い始めていた米国企業やサミュエル商会などがメインであった。


この文化は現在も続いており、RDシェルは日本の国債が発行される度に買い付けているが、日本の円がやたらめったら信用度が高く、円高になりやすい原因ともなっているのはこの1900年代初頭の一連の国外企業によるものだったりする。


実際にこの後日本は1920年までにはこの60年分を返済してしまうわけだから、彼らの意見は正しかったと言えると共に、逆にこの急成長こそ一部の欧州や欧米の有識者の中で「日本脅威論」のようなものが出来上がってしまう要因ともなった。


最終的に無事日露戦争を乗り切った日本により、新たにロイヤルダッチと経営統合し、ロイヤル・ダッチ・シェルとなったRDシェルは順調に成長していくことになる。

インドネシア諸島にて油田開拓をし、その大半を日本に輸出するというのが当初のRDシェルの石油事業の基本だった。


これはボルネオ島で油田採掘に成功した後からずっと続き、日本国はお得意様になるのである。

マーカス本人も実は「それは日本国の経済的発展に繋がる」と日本中心の商業展開を望んでいた節があり、そこから世界へと手を広めてったのだ。


これは裏を返せば「日本国はそれだけ大量の石油をこの頃から必要としていた」ということである。

そこで得た資金を基に中東などでも油田発掘などを行うようになるのだ。


そんなRDシェルが戦後の石油事業にて敵意剥き出しする会社が米国にあった。

ロックフェラー率いる「スタンダード・オイル」である。


別名「石油王」と呼ばれた男。


時代は少し遡る。


ロックフェラーが事業を起こそうと王道を歩まんとしていた当時の米国における燃料の基本は石炭である。


石炭採掘事業は米国でもっとも盛んに行われたエネルギー関連事業の1つ。

これは余談だが、日露戦争の功労者の一人である高橋是清はこれによって急速に発展しつつある米国の姿を見ているが、


そこで目撃したのは奴隷同然に酷使される炭鉱労働者の実態と、人権を盾にストライキを用いて労働環境を改善し、民主主義をとはなんたるかを見せつけようとする低所得者達の姿だった。


後に彼は現地の労働組合から様々な知識の施しを受け、奴隷扱いにもかかわらず「ストライキ」を行ったりしている。


特に彼は自著で記すように「裁量労働制を否定し、1日8時間労働という労働限界時間などを定めようと労働者が奮闘する姿に新たな日ノ本の姿を見た」とあるように、数年前までは「農民一揆」しか見た事がなかった男にとっては大変貴重かつ日本の将来を左右する運命の瞬間に遭遇したといっていい。


法改正こそできずとも大企業に8時間労働制を推奨したのは他ならぬこの男である。

今日の日本の労働基準法制定に少なからず影響を及ぼしている。


そしておそらく「日本人で史上初めて権利を保持した上でストライキを行使した男」であるのは間違いない。


米国で彼が見た労働者と経営者との関係や、産業技術保護の必要性というのは後に日本で設立され、局長として所属する事となった特許局などでフルに生かされる。


今日において「経済産業省」がなぜか「厚生労働省」ではないにも関わらず労働関係でいくらかの権限を行使できる要因には「農商務省」時代に彼がこういった関係の権限を当時の日本政府より獲得していった部分が大きい。


農商務省は後に「農林水産省」「経済産業省」へ分割されるが、「文部科学省」や「厚生労働省」と業務がバッティングしていてお互いの仲がすこぶる悪い原因の10割が高橋是清のせいだ。


特に上記4種は前者2つと後者2つの下部組織の業務が被りまくってるが、そうなったのもこういった権限確保の影響によるものだが、そもそも最大の原因は高橋是清を当時の文部省が受け入れなかった事にある。


文部省に最初から入れておけば丸く収まったのだが、当時の文部省の役人連中が無能すぎたと言える。

高橋是清が総理大臣就任時、文部省が極めて冷遇されたのもそれだけ恨みがあったからである。


高橋是清の余談はこれぐらいにしてロックフェラーに戻るが、当時米国で成功する経営者というのは「鉄道」か「炭鉱」「重工業(インフラ関係含む)」のどれかであった。


つまり「鉄道王」か「炭鉱王」か「工業王」こそ「真のアメリカの経営者の中の経営者」であると思われたのだ。


しかしロックフェラーは石油という事業が世界で、米国で覇権を握りえる新たな商業ならびに産業であることを確信し、石油事業に投資して活躍する。


そこで彼が生み出した企業こそ「スタンダード・オイル」である。

このスタンダードオイル、会社名の由来は様々な意味があるが、「これからは油の時代」という意味などを含めてそのような名前をつけた。


彼は重工業化によって経済的発展を遂げる米国においてパイプラインなどを用いて最終的に米国一の富豪となる。

信じられない事に最も富を得たのはそれまで投資家の夢とされていた「鉄道王」でもなく「炭鉱王」でもなく「工業王」でもない「石油王」という新たなインフラ産業を掘り起こした存在だった。


ロックフェラーを愛する者がよく言うのは「彼が事業を開始した際、石油事業は全ての産業の中で最も劣っており、それを彼は巨大なマーケットへたった一人で成長させた」という話だが、実際に気づいたら巨大なマーケットが出来上がっていたというほどに急速に成長している。


彼が一体どうやって企業を成長させたのかはwikipediaでも見てもらうとして、スタンダードオイル自体は米国の中でも超巨大企業として成長した一方、もはや米国経済すら価格操作によって動かせる立場になった事からスタンダードオイルは解体させられることになる。


それが反トラスト法であるが、これはスタンダードオイルだけを焦点に絞った法律ではない。

反トラスト法の制定理由となった企業を見てもらうとわかるが「GE」ことゼネラルエレクトニックなども含まれていたりする。



超巨大企業となった一連の企業群というのはより安定した利益を確保するため、カルテルを結んだのだ。

そのため工業製品は高止まりし、給与は増えない=市民の生活は豊かにならないのに企業の貯蓄である内部留保や経営者の個人資産だけ無限大に増加するという「資本主義の崩壊」に近い状態に陥った。


米国政府が反トラスト法を敷いた最大の理由はこの状態を打開しないと最終的に経済が回らなくなり、経済的強者が米国経済を停滞させるという最悪の状況を打破する目的があった。


競争社会を作るために無敵すぎた米国企業を解体しようというわけである。


結果スタンダードオイルは大量に分割される。

そして生まれたのがエッソやモービルといった、どこかでその名を聞いた事がある企業だった。


これからこの小説でよく出てくる「スタンバック」とは実は後に「エッソ」や「モービル」となる一連の元スタンダードオイルの分割された企業がアジアで石油売買を行うために合同出資して作った会社だったりする。


創業自体は1933年だが、前身はソコニーと呼ばれるスタンダードオイルを統括する会社であるスタンダードオイル・ニューヨークがアジア向けに生み出した企業と、ヴァキュームと呼ばれる米国では有名な潤滑油のメーカーが共同出資した「ソコニー・ヴァキューム」であり、ここにさらにスタンダードオイル・ニュージャージーなどが合流して誕生したのが「スタンバック」である。


このような巨大企業の合流ができたのはアジア市場においては反トラスト法の影響が薄かったためである。


一方RDシェルは日本国においては「ライジングサン石油」という会社を興して売買を行った。

創業は1900年。

実は外国出資企業とはいえ日本の石油企業元売企業としては意外にも古い部類に入り、


サミュエル商会に存在した石油部門を切り離し、新たに会社として興したものである。

社名の由来は文字通り日本をイメージする「ライジングサン」であるが、もう1つ隠れた意味として「三浦海岸でマーカスが見た見た美しい日の出」が名前の由来である。



それについては次回以降に後述するが、「スタンバック」と「ライジングサン」の2社は1940年まで「日本で出回る石油関係の50%以上を2社で供給していた」という凄まじい状態だったりする。


まあ正直なところ「それはまだマシ」で、2018年現在「スタンバックを前進として再びエッソやモービルに分かれた後に純粋日本企業である新日石などを母体とするJXTGガスという形で再集合し、エネオスとして展開する企業」と「直ライジングサンを前身とし、昭和石油と経営統合してその後も買収などで成長した昭和シェルで供給されるガソリン」は「日本全体で流通するガソリン総量の7割(流通する石油全体ではない)」だったりするが。


とはいえ、今の「昭和シェル」と「JXTGガス」はいろいろ状況が違うので、それは今回の小説の後半にて解説する予定。

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