第8話 月
「お帰りなさい。」
商会へ戻った私達をリタの声と食欲を刺激するいい匂いが出迎えた。
「お疲れ様です、食事出来てますよ。それと、役所から会合の連絡が来ました、ゴブリンの件で今夜集まって欲しいそうです。」
やっぱりねと言いたげな表情で肩を竦めるアリーシャ。
「それで…どうでしたか?……ゴブリンは。」
「あーあれは大した事無いよ、多分迷い込んだゴブリンが街の周りをうろうろしてただけだね、街の皆も役所も騒ぎ過ぎなんだよ。」
不安そうな表情で尋ねるリタを少しでも安心させようと明るく努めて答え-私に目配せする事も忘れない。
「そうですか!またこの街に攻めて来るんじゃないかって心配してたんですよ…」
リタは心底ほっとした表情を浮かべると笑顔を取り戻し食堂のテーブルの上に手際良く深めの木の器を並べ始めた。
「今日はお肉たっぷりシチューですよ!朝から煮込んでいました、お代わりありますからね!」
大きめの鉄鍋からレードルによって掬われたシチューが次々と器に注ぎ込まれる。
『ん…これは確かに…たっぷりだ…!』
リタの言うとおり目の前の器には人参や玉ねぎなどの野菜と一緒に大きめの肉の塊がごろごろと幾つも入り何とも美味しそうな香りを漂わせている。
目を覚ましてから少しのパンとスープしか食べていなかった私のお腹が盛大に鳴った。
「あ…」
「三日間も寝てたんだからそりゃお腹も減ってるだろうよ、さあお食べ。」
アリーシャが笑いながら食事を勧めてくれる。
二人が食べ始めるのを待って私も木の匙を手に取った。
まずは…やはり肉だ。
とろみの付いたスープに匙を差し込むと迷うこと無く肉を掬い口に運ぶ、熱々の大きな肉は口の中でホロホロと崩れそれと同時に濃厚な旨味が滲み出た。
程よい塩加減に適度な脂、野菜から出た甘味も染み込んだ肉は感動を覚えるほど美味しく言葉が出なくなる。
これは…豚肉だろうか?独特な風味を感じるもののリタの下処理が上手なのか臭みや筋ばった所は無くとても柔らか、この肉だったらいくらでも食べられそうだ。
器の中身を全て胃に収め匙を静かに置く。
「リタ…」
「はい?何ですか?」
「美味しい…」
私の目の前にある空の器を見て小柄な少女は目を見開いた。
「本当ですか!?嬉しい!良かったらお代わりどうぞ!」
私が差し出した器を満面の笑みで受け取りシチューを取り分けてくれる、お言葉に甘え三杯も食べてしまった…
食後のお茶をリタに淹れてもらい膨れた胃を落ち着かせる。
そうだ…疑問の一つをアリーシャさんに尋ねてみよう。
街の会合が今夜あると言っていたからもう直ぐ出掛けるはずだし、こういう事は早めに確認しておいた方がいい。
「アリーシャさん、今日は色々とありがとうございました。それに、北門の件では無理を言ってすみませんでした。」
「いやいや、私も助けてもらったからね、お互い様だよ。」
テーブルを挟み向かいの席に座るアリーシャは頭を下げる私に手を振り、そんな事はいいんだよと微笑む。
「あの、一つ…聞いてもいいですか?アリーシャさんはどうして私に親切にしてくれるんですか?素性も分からない、お金も無い行き倒れだった私に。」
そう、それが疑問だった。
見ず知らずの私を引き取り治療をして食事を与え服、そして寝泊まりするための部屋まで貸してくれる。
相談にも親身になって乗ってくれるし明日は旅費を稼ぐための仕事までさせてもらえるのだから…不思議に思ってもおかしくはない。
なぜここまで親切にしてくれるのか?
何か私が考え及ばないような魂胆があるのか…?
さっぱり分からない。
「ああ…それはね…」
この人にしては珍しく困ったような顔で少しの間口ごもっていたが…ぽつぽつと言葉を発し始めた。
「私の…そうね、少し説明し辛いけれど、言ってみれば趣味…みたいなものかね?」
──趣味?
「人助けの…趣味ですか?」
怪訝な顔で尋ねる私に苦笑交じりの頷きを返す。
「まあさすがに誰でも助けるってわけじゃないけれど…そうね、このリタのように…どうにも困っている子どもを見ていると放っておけなくてね。」
「そうなんですよ!私が言える事じゃ無いですけどアリーシャさんが子どもを商会に連れ帰って来ると、またかって思います。
もう私も商会の皆も慣れたものですけどね!」
リタが無い胸を張って自慢げに話すのを見てアリーシャと私が苦笑する。
「まあ自分のためにやっているようなものだからお礼とか気にしなくていいよ…っと、そうだった、そろそろ出掛けなきゃいけないね。今日は遅くなるだろうから二人とも先に休んでいていいよ。」
席を立ったアリーシャは慌ただしく身仕度を済ませると会合へ出掛けて行った。
食後のお茶を飲み終えた後、リタと食器の片付けをしながらさっき気になった事を聞いてみる。
「ねえ、リタ、アリーシャさんが困っている子どもを連れて来るって言っていたけど、どの位の人数を助けてあげているの?」
「ん~…私がここで働き始めてからしか分からないですけど、多くても年に二~三人ですよ?うちも慈善事業じゃないのでそんなに面倒は見れないですし…」
「その子ども達は今どこにいるの?」
「色々ですねー私みたいにこの商会で雇ってもらう子もいるし、うちの商会のツテで他の仕事に就いた子もいるし、商隊で遠くの街の親族の所まで送り届けてあげた事もあるみたいですよ。
あと、変わりどころでは冒険者になった人もいますしね。」
なるほど、
アリーシャさんは趣味って言っていたけど…善意による人助けって事でいいのかな?
もしかしたら裏で人身売買のような事をやっているのかと疑っていたけど…それは違ったみたい…
恩人のアリーシャさんを疑ってしまいちょっと申し訳ないとは思ったが…胸の中にわだかまっていた疑問が一つ解消され少し気分が晴れる。
拭いた食器を棚の所定の位置に戻すとリタはさて!と一言発しくるりと私に向き直る。
「片付けも終わったし、サキさん!これから色々とお話しをしませんか?」
リタが目を輝かせ微笑んでいる。
話しって…またさっきみたいな恋愛関係の話しをマシンガンのように喋り続けるのかな…?
正直、今夜は勘弁してほしい…かな?
「う、うーん。今日は色々と疲れたし明日は商会の仕事があるから…早めに休みたいかなー?」
私の返事を聞いたリタは悲しそうな顔で俯きしょぼくれている。
うっ…そんな顔をされたら…
「わかった!分かりました、少しだけお話しをしましょう!」
花が咲いたように表情を明るくするリタは、お菓子持ってきますね!と、小走りに駆けてゆく。
『あれ…?あのお菓子って…確か昼に無くなったはずだよね…?』
不思議に思い小柄な少女の背中を目で追うと、部屋の隅から持ってきた踏み台に登り棚の上に置いてあった木箱を大事そうに床に降ろした。
「えいっ!」
慣れた手つきで木箱の蓋に金属棒を差し込み掛け声と共に釘で打ちつけられていた蓋を外すと、そこにはアヒル菓子がみっちりと詰まっていた。
「あとこれだけしか無いんですよー商隊の人に早くお願いしないと食べ終わってしまいます…」
リタは肩を落とし溜息をついているが…どう考えても食べきれるような量ではない。
無くなる心配よりも菓子が傷む心配をするべきだと思うが…木の器に菓子を盛る量を見てそれは誤りだと気付かされた。
リタのお喋りとアヒル菓子へ伸びる手は一時も止まる事無く動き続け…そして夜は更けてゆく……
お喋りからやっと解放され商会二階の昼に私が目覚めた部屋に戻っていた。
天井には相変わらず穴が空いている。
穴からは夜の風が微かに流れ込んでいるが肌寒く感じることはなく、むしろ心地良さを覚えた。
『今日は疲れた…色々あり過ぎた…』
精神的な疲労を感じベッドにうつ伏せに倒れるとしばらくそのままの体勢で放心する。
『部屋の掃除してくれたんだな…明日リタにお礼を言っておこう。』
アリーシャと北門へ行っている間に部屋に散乱していた木屑と埃を綺麗に取り除いてくれたらしい。
僅かに開いた目に汚れは一切映らず、ベッドの上も取り替えられた新しいシーツが敷かれとても快適だ。
このまま目を閉じて寝てしまいたいところだけど…その前に疑問点を整理だけは済ませておかなければならない。
『まずは、ゴブリンか……魔物と言っていたけど…あれは、ああいう人種…ではないのか?肌は緑色だったけど…二足歩行で道具も使えるみたいだったし…でも、あのカタチには見覚え…あるんだよな…』
『それと、聞き慣れない単語がたくさん出て来たな、騎士団とか翻訳魔法器具とか…』
魔法か…
そう呟き左手首にある鈍い銀色をしたバングルを眺める。
『あとは、電話が無いのには驚いたな…その他にもこの街は電気や水道、ガスも無いみたいだし…この部屋の明かりもオイルランプだしね。』
サイドテーブルの上でじじと芯を燃やし柔らかな光を灯すランプに視線を移した。
ガラスに囲われ揺らめく火を見つめながら以前ネットで見た情報を思い出す。
海外には電気やガスを一切使わず暮らす人達の集落があるそうだ。
色々な考えの人がいるものだなと思ったけど……もしかしたらここもそういう人達が集まって作った街なのかと考える。
『それにしても…一番の問題は帰り方が分からず連絡も取れないという事か…取りあえずヘトキアへ行って情報を集めるしか無いな…』
色々と自分なりに考えてはみたものの、結局何も分からず溜息しか出てこない。
そのままベッドに仰向けになると強い眠気に襲われた。
『明日は仕事をしなきゃ…頑張ろう…………』
そして、夜は深まり意識は闇の底へと落ちてゆく……
……………………………………
…………………………
……何だ?
──違和感を覚えた
初めそれが何か分からなかった
いや、分かってはいたが……理解する事を拒んでいた……
しばらくして、脳がそれを認識したとき
私はベッドから跳ね起きる
部屋のドアを開け放ち階段を駆け下り外へと飛び出した
人通りの途絶えた冷たい石畳に裸足で立ち愕然とした表情で目を見開く
冷や汗が背中を伝い流れ落ちる
手が足が体中が震えている
頭の中で思考が渦巻いている
それでも見開いた目は離せない
ああ………そうか、やはり、そうなのか…
分かっていた、解っていたはずだ…
目を逸らしていた、見ようとしていなかった……
………………認めたくなかった
そうだ
ここは………
〔違う世界〕だ
たった一人で
…また一人だ
暗い夜空に浮かんだ二つの月が冷たく紗希を見下ろしていた。
ありがとうございました!