第10話 お仕事
コンコン…
………………………
コンコンコン
………う
ドンドンドン!
…うぅ…なに…?
「サキさん!朝ですよ!」
ドンドンドンドン!!
「サキさーん!起きて下さいよー!!」
ううーん……
「今日はお仕事するんですよ!起きて下さい!ここに水桶置いておきますから顔を洗ったら食堂へ来て朝食を食べて下さいよ!」
「…はぃ」
ドアを勢い良くノックし声を張り上げるリタに覇気の無い返事を返す。
私が起きた事を確認すると食事の支度のため階段を降りて行く足音が遠ざかっていった。
……う~
眠い…眠すぎる……
朝方まであまり眠れなかった…
枕に顔を埋めていたうつ伏せの体勢から身を返し天井の穴を見上げる。
朝陽に照らされた鮮やかな青空が眩しく薄く開けた目に飛び込んできた。
私の心の中とは正反対の清々しい空模様が恨めしい……
昨日の夜、商会の外で夜空を見上げた。
───月だ
視線の先に浮かんでいたものはそれ以外に形容する言葉が思いつかないほど疑いもなく月だった。
丸く、大きく、闇夜に輝くその星を百人に尋ねれば百人が声を揃えて言うだろう。
『あれは月だ』と。
そう、それは紛う事なく月だった。
あれは月だ。
星座の名前も曖昧な特に星に詳しくもない私でも理解できる見慣れた星だ、特段おかしなところは見当たらない。
……ただ一つを除いては。
瞬く事を忘れ目を見開き空を見上げ続ける。
口の中はカラカラに渇き粘ついた冷や汗が背筋を流れ落ちる、早鐘のように鼓動する心臓の音がうるさいほど耳に届いていた。
一つは白く、一つは青白く…若干大きい……月が…そんな……満月が…二つある…!
白銀色の光を放つ無機質なそれらは冷たく私を見下ろし、
『お前は今、〔違う世界〕にいるのだぞ』と、これ以上無く雄弁に語っていた。
──そんなはずはない
──何かの間違いだ
──そんな非現実的な事が起こるはずがない
見間違い、幻覚、トリック、夢……他に何かあるはずだ、何だ?何がある?考えろ!月が二つに増えた理由、それが必ずあるはずだ…本物であるはずがない、そんなはずはない、こんな…こんな事…あるはずが…
───違う
疑念を差し込む余地の無い絶対的な存在が天空から見下ろし私の考えを全否定する。
あれは……空に浮かぶ月は…まがい物やまやかしの類ではない、ましてや幻や夢でも……
───違う
そうだ…月の数が違うだけではない…それだけが変わったのではない、
だとしたら……だとするのなら………
抗う事を……止めた
………そうか…ここは…この世界は……私がいた世界とは違う世界だ………
昨日、この部屋で目覚めてから違和感はずっと感じていた。
具体的にどうこうと言うわけではない、おそらく直感に近い感覚で、こう感じた、
『違う』と。
変だと思っていた、おかしいと分かっていた。
電話もネットも電気もガスも水道も車もバイクも自転車も通信機器も電灯も銃も無い。
そんなところがあるか…?世界中探しても無いはずだ。
小さな集落であれば、あるいはあるのかもしれない。
しかし…この規模だ、この規模の街でそれは有り得ない、あるはずがない、それなのに…
目を、耳を塞いでいた。
…無意識に否定していた、恐れていた。
もし、それを認めてしまったら…孤独に押し潰されてしまうかもしれないから……
なぜこんな事になったのか?
他の人達はどうなったのか?
もう元の場所に戻れないのか?
これからどうすればいいのか?
永遠と渦巻く思考が脳内を支配する。
部屋に戻り頭から布団を引っ被ってそんな事を止めどなく考えていたらいつの間にか空が白み始めていた………
「サキさーん!早くして下さいよーー!!」
天井の穴を見上げたままベッドの上で放心していた私の耳にリタの声が届いた。
なかなか降りてこない事を訝しく思い階段の下から大声を張り上げているんだろう。
『答えの出ない事を考えていても仕方ない…今はやるべき事をやろう…』
頭を切り換え鉛のように重い体をベッドから起こすと部屋の外に用意されていた水桶で顔を洗い眠気を吹き飛ばず。
解決の糸口さえ掴めていない問題は山積みだが、取りあえず…お腹は空いている。
身仕度を終え食堂に下りるとテーブルの上には既に朝食のスープとパンが用意されていた。
今日は他の商会関係者はいないようで朝日の射し込む部屋の中ではリタだけが忙しなく動き回っている。
「おはようございます!あれ?サキさん…なんか目の下にクマ出来てますよ?大丈夫ですか?
今日は朝から荷がたくさん来るので忙しいですよ!パッパと食べてお仕事頑張りましょう!」
支度の手を止め心配そうに私の顔を覗き込んだリタであったが、すぐに動き出し仕事へのやる気を漲らせている。
「おはよう、食事ありがとう。あ、あと、部屋の掃除もありがとう。」
昨日リタが部屋の掃除をしてくれた事を思い出す。
「あー、あれ大変でしたよー部屋の中全部埃まみれで!サキさん一つ貸しですよ!」
愛嬌たっぷりに笑いながら自分の食事を手に持ち私の向かい側の席に着く。
リタと話していると癒やされる、明日でお別れとなるとちょっと寂しいな…
朝食をとりつつこの後始まる仕事の概要を聞いていると眠たそうに目を擦りながら商会の主が食堂へ入ってきた。
「アリーシャさん寝坊ですか?珍しいですね。あ、食事先にいただいています。」
「ああ…昨日はよく眠れなくてね…ん?サキも眠そうだね、大丈夫かい?」
「…はい、大丈夫です。」
アリーシャの食事を運びながら目の下にクマを作った二人を交互に眺めリタが首を傾げている。
テーブルについたアリーシャはスープを一口飲み喉を潤すとおもむろに話し出した。
「実は昨晩ヘトキア支店からから連絡が届いてね、何でも従業員が一人辞めてしまって人手が足りないらしいんだよ。
なので、向こうで誰か雇うまでリタに応援をお願いしたいんだけと…」
「そうなんですか?わかりました、いつ向かえばいいでしょうか?」
「明日、サキと一緒にオルクの商隊で向かってもらえるかい?」
ぶふっ!!
飲んでいたお茶を盛大に噴出させるリタ。
「へ!?明日ですか?随分急ですね?」
「向こうはかなり忙しいらしくて参っていると書いてあったよ。
だから、できるだけ早く行って欲しいんだ。」
「モンテ支店の仕事はどうするんですか?アリーシャさん一人では…」
「それは大丈夫、そろそろ夫達の商隊が戻ってくる頃だから心配いらないよ。」
リタは吹き出したお茶を布で拭きながら納得の表情を作る。
「はーそうでした、旦那さん達戻ってくるんでしたねー
わかりました!それじゃ仕事が終わったらサキさんと一緒に支度をしますね。」
「急で悪いね、よろしく頼むよ。」
アリーシャは寝不足の疲れた顔でリタに微笑む。
『リタと一緒に行く事になるのか…助かる。』
知っている人と一緒に行けるのは心強いし、まだしばらくリタとお別れしなくて済むのも嬉しい。
しかし…
そもそも私は隣街のヘトキアへ行く必要があるのだろうか?
ここが〔違う世界〕だとしたら…どう探しても日本は無いはず。
それなら……
「はい!それじゃサキさん!お仕事行きますよ!」
考え事はリタの声に遮られてしまう。
『約束だから…取りあえず仕事はしなきゃいけないな。』
食器を片付けるとリタに導かれ商会の奥へと進む。
食堂からドアを二つばかりくぐり鰻の寝床のような長い廊下を突き当たると外へと通じる広い空間へと出る。
昨日は気付かなかったけど商会の裏手にはかなり大きな倉庫が隣接されていて今日はここで荷物の受け入れと分別をすると説明された。
「ところで、サキさん字は読めますか?」
リタが荒い紙を差し出しその上に書かれた文字を指で示すが…何が記されているのか全く分からない。
「そうですよねー、言葉も通じなかったんですから。」
首を捻る私の様子を見て予想通りというように深く頷く。
「それじゃあですね、私が指示を出しますのでサキさんはそれに従って下さい。」
ん…?何やらリタが頼もしい。
怠惰にアヒル菓子を貪っている時とは別人のようにキビキビしている。
年齢的にはまだ中学生だというのに…幼くして両親を亡くし今まで商会の仕事を頑張ってきたのだろう。
仕事の先輩に作業の詳細を教わっていると騒々しい音を立て何かが近付いてくる。
商会の裏手に面する目の前の道は商隊などの荷物を運ぶ専用の道で買い物客などはあまり通らないのだと言う。
…なるほど、さっきから見ていても確かに表の通りのようなに引っ切りなしに人か行き交う事はなく重そうな荷物を担いだ人がちらほらと通る程度だった。
この道はさしずめ物流専用道路と言ったところか?
「さあ!商隊が到着しますよーお仕事開始です!」
石畳の継ぎ目を踏む重々しい音が次第に大きくなり商会のすぐ側にまで迫ってきていた。
腰に手を当てた気合い十分のリタの隣に立ち道へと目を向けたとき、のっそりと姿を現したそれを見上げ啞然とした。
『恐竜!?』
幌突きの荷台を引いていたのは馬ではなく、ずんぐりとした…どう見ても恐竜の類だった、それも三匹!
「リタ!…リタ!!あれは何!?」
次々と姿を現す恐竜を目の当たりにしてしばらく言葉を失っていたが、我に返ると震える指で目の前に並ぶ爬虫類を指差す。
「はぇ?何って?」
「あれ!あれ!!荷台を引いてるヤツ!」
「え?カメですけど…」
なに?え…?カメ…って……亀??
そう言われ恐竜をよく見てみると…確かにその背中には甲羅らしき物が乗っている。
「いや、大きすぎでしょ?」
「普通ですよ?さあ!やりますよー!」
私の驚きをさらっと流してリタはお仕事モードに突入した。
なるほど…確かに〔違う世界〕だ。
商隊を率いてきた男に声を掛けたリタは、馬車………亀車?の荷台に慣れた様子でひょいと乗り込み積み荷の確認をしている。
「サキさーん!この荷物を下ろしてもらうので分別して下さい!」
リタが手早く印を付けてくれた荷物を同じ印の描いてある場所に運ぶ、字の読めない私のためにリタが考案したシステムだ。
商隊の男達が一カ所に下ろした積み荷を注文書通り分別する。
最初は戸惑ったがやり方さえ分かれば後は簡単だ、荷台と倉庫を何度も往復して手早く仕事を進めていた。
そんな中…木の台車で荷物を運びながらどうにも亀が気になる…
荷台一台につき一頭の亀が繋いであり、いま商会の荷解き場には三頭の亀が整列していた。
大きい…子どもの頃動物園で見たシロクマ程大きい、じっとしていて大人しいが視界に入る度に目が離せなくなる。
硬そうな鱗に覆われた太い足はまるで象のよう、甲羅から伸びた太い首も鱗に覆われていてその先端にある頭はやたらゴツゴツとして特撮映画の怪獣のようだ。
これが…この世界の亀……大きさは別としても私の知っている〔亀〕とは全く別物のように思える。
口を開いたら炎でも吐き出しそうな迫力だ。
最後の荷物を運び終えた私は横目でカメを観察しつつ商隊の男達と話しているリタの所へと戻る。
「またお菓子よろしくお願いしますね。」
『お菓子?ああ、あの王都でしか買えないって言ってたアヒル菓子の事か…この人達に頼んでいたんだな。』
モンテでの荷を降ろし終えた商隊の男達は亀車に乗り込むと手綱を取り亀を操る。
鼻息荒く荷台を引く亀達を見送ると次の商隊が来るまでの間て少し休憩になった。
「サキさんどうですか?お仕事慣れましたか?」
「うん、リタが印を付けてくれたおかげで分かりやすかったよ、ありがとう。」
「いえいえ、サキさんを見ていましたけれど初日からあれだけ動ければ上出来ですよ。このあとまだ商隊が来ますし配達の人も来ますからしばらく忙しいですよ!」
そんな事を話していると再び騒々しい亀車の音が商会へ近付いてくる、次の商隊がやってきたのだ。
しばらくするとまた先程と同じような大きな亀が姿を現した。
『この世界では馬の代わりはみんな亀なのかな?後でリタに聞いてみよう。』
大きな亀の姿も次第に見慣れ仕事にもかなり慣れてくると運び込まれる荷物に様々な物がある事に気付く。
食料品、日用品、衣料品、武具の類から美術品まで多種多様だ。
これだけ手広く扱っているとなると、ステラ商会というのはは結構大きな商会なのだろうか?
入れ替わり立ち替わり商隊の亀車が商会へと立ち寄り荷物を下ろす、それをリタが手際良く捌き私が分ける。
忙しく動き回っていると嫌なことや余計なことを考えなくて済む、何一つ解決していない問題の先送りをしているに過ぎないのだが、今はそれでいいと木の台車を無心で押していた。
七番目に迎え入れた商隊は穀物類を運搬してきた、麻袋に詰められたそれらを商隊の男達が担ぎ倉庫へと運び入れる。
「あの袋は重いのでサキさんは手伝わなくていいですよ。」
なるほど、見れば確かに重そうだ、
大の男が一人で袋一つを運ぶのがやっとという感じである。
「予定にある商隊の受け入れはこれでおしまいです、そろそろモンテ各店舗への配達の人が来るのでさっき分別した商品を間違いの無いように受け渡せば取りあえずサキさんのお仕事は終わりです。後は伝票の整理が…」
「まずいっ!倒れるぞ!」
「逃げろー!!」
突然悲鳴混じりの叫びが起こる。
リタが驚き振り返ると倉庫の中の一際大きな棚が倒れかけている、運び込んだ穀物の袋の積み方を間違えバランスを崩したのだ。
男達が逃げようとしているが、間に合わない、あの重量の下敷きになれば死人が出る!
大惨事の光景が脳裏をよぎりリタが血の気を引かせたとき、倒壊しかけている棚の下にサキの姿が見えた。
『サキさん!?』
いま話をしていたサキがいつの間に倉庫に?
一瞬サキのいた自分の隣に視線をやり、そこにサキの姿が無いことを確認するとすぐに倉庫に目を戻す。
次に見たとき棚の下辺りにいた男達が全員倉庫の外に放り投げられ宙に舞ったサキが倉庫の柱を足場にして倒れかけた棚を片手で押し戻す所だった。
幾つかの麻袋は落下したようだが棚の真下にいた男達は既に倉庫の外、誰にも袋は当たらず怪我人はいない。
棚は倒壊を免れ元の位置に戻されていた。
「危なかったね。」
地に倒れる男達の間を通り抜け涼しい顔で戻ってきたサキを呆けたような顔で迎えるリタ。
「えっ!?…なに?サキさん!いま何をしたんですか!?」
目の前で何が起こったのか一つも理解できないリタは倉庫と、サキと、唸りながら身を起こしつつある男達に目まぐるしく視線を移していた。
「倒れかけてた棚を戻した。」
「戻したって…あんな重い物どうやって…?」
私の目を真正面から見据えるリタの表情を見て失敗したことを悟る。
緊急だったから体が先に動いてしまった…どうしようか……
「…なんか必死だったからどうやったか覚えてないかも。」
しどろもどろで説明する私をリタが怪訝な目で見つめている。
「そう言えば昨日…天井に穴を開けたのは自分だって言ってましたよね?もしかして…サキさんって……」
冷たい汗が背中を伝い落ちた。
ありがとうございます!