虜囚 9
「白珪、おぬしはこの8か月間宮中に出仕していないそうだな」
鄭眼の言葉に、白珪はふんと鼻をならした。
「すまじきものは宮仕えとはよく言ったものだ。
儂はもう、宮中に仕えるのにあきあきしている。
西方討伐の折、緑華皇子の下で副将を務めたのは儂だ」
たった百人の兵士しか動かす事が出来ぬとわかって
いち早く皇子の西方征伐に同行する意思を表明し、周囲の予想を裏切って
敵将を打ち破り、西方八州を無血で手に入れた功績はすべて、
この男の機略と並々ならむ外交手腕によるものである。
「凱旋してみれば緑華は虜囚扱い、儂は英雄扱い。
なんだ、この違いは!おまけに儂は「無血の軍師」の二つ名まで
与えられ、兵士の間じゃ大人気だそうだ」
「『無血の軍師』様の下についていれば死なずにすむからのぉ」
「茶化すな、叔父上」
「茶化してなどおらん、主の権力におもねらん気骨には
感服するがそれで白家が立ちゆこうか」
鄭眼の言葉に白珪はフイと横を向く。痛い所を突かれたのだ。
「この八か月の間に、三回虎狼がやってきて、自分に仕えろと
抜かしやがった。あのクソガキ、儂をなんだと思っている」
「クソガキ?確か、主と一つしか違わぬハズだが、
今年で24になったかと」
白珪はサイドテーブルに隠してあった秘蔵のワインを
自分のグラスに注いでグイッと飲み干した。
「あんな奴、クソガキで充分だ。
この宮中で儂がおらぬ間に何人の要人が殺されたか。8人だ。
誰の指図か推して知るべしだろう それにきゃつは、
10人いる自分の兄弟を5人は死に追いやっている」
白珪は空になったグラスにまたワインを注いだ。
「きゃつに仕えるくらいなら死んだ方がましだ」
「白珪、飲みすぎるな」
「飲みすぎる?こんなものは水と同じだ」
抑えられた手を振り払ってグラスを煽る。
顔色一つ変わらぬ白珪を眺めて鄭眼は言った。
「相変わらず酒に強い」
酒に強いとは言われたが、実の所、白珪は酒に酔っていた。
「主は、宮中の要人の間では評判が上がったそうだな」
「ああっ、お陰様で縁談と貢物が引きも切らん、いい迷惑だ」
終始、不機嫌な白珪に手をやきながら鄭眼は言う。
「良将賢臣であれば敵に回ればこれほど怖いものはない」
鄭眼は部屋の壁に設置された飾り棚に手を伸ばし、
将軍を模した人形を手に取った。
「自分の手に入らぬとわかれば・・・」
鄭眼は手にした人形の首に力を込めてへし折った。
「こうなる事はわかっておろう」
カランと音を立ててテーブルの上に転がった人形を凝視する白珪
首と胴が離れている。
「よくよく、身の処し方を考えよ」
百戦錬磨な叔父の言葉に白珪は眉をひそめた。
「よく、解っている」
だが、どうにもならぬ・・・
白珪は小さく呟いた。
白珪は正義の人である。それが彼の人と成りを形成している。
若い白珪には叔父の言葉は納得できるものではなかった。