虜囚 8
白珪とこのまま話していてはまずい。
いつ、なんどき、とんでもない話が突然出てくるかわからない。
そう思った鄭眼は猫なで声になって紫苑に言った。
「紫苑や、紫苑」
「はい、鄭眼様」
「桃が食べとうなった。
皇子といっしょに中庭までいって桃を捥いできてくれ」
「承知しました。でもここにも桃がございますけど」
ポットの隣にある果物かごを指して言う。
かごの中には、ももが数個とたわわに実ったブドウが載っている。
白家では、来客のある時は必ずどの部屋にも用意してある必須アイテムだ。
「・・・私は、紫苑のもいでくれた桃が食べたいのだ。
願いを聞いてほしいのだがダメかのう」
鄭眼がこんな言い方をするときには大抵、他人に聞かれたくない話を
する時だった。要するに部屋から出て行ってほしい時のゼスチュアなのだか
紫苑にだけはどうしてもこんな言い方になってしまう。
「承知いたしました。白珪様も召し上がります?」
「いや、儂はよい」
「では、皇子、参りましょう、鄭眼様はこの部屋にいてほしくないと仰せですわ」
「これ、紫苑や、私は一言もそんな事は言ってはおらぬが」
「繕わずともよいのです。紫苑にはよくわかっております」
「ああっ、紫苑、厨房に行ってバスケットを一つ貰ってくるといい。
ももを抱えてかえるのは大変だろう」
「心得ました。では、行ってまいります」
紫苑はにっこり微笑むと一礼して、皇子の手をとり部屋を出ていった。
淀みのない美しい所作である。二人の姿が消えると白珪が言った。
「紫苑はいい女になったな、いくつになる」
「十五じゃ、」
「皇子と同じか、そろそろ儂の嫁に」
「白珪!!」
バンと机を叩いて鄭眼は射殺しそうな眼で白珪を睨んだ。
「おおっ、怖い怖い、叔父上には冗談も通じん」
「お前が言うと冗談に聞こえぬ」
しかしと白珪は続けた
「弓も剣も扱う、馬にも乗れる、歌舞に優れ、学問にも精通している。
こんな女人は儂の知る限りでは二人といないのだが」
「お前のような輩から身を守るには必要な知識であろうが」
鄭眼の言葉には容赦がない。
紫苑は鄭眼の想い人の忘れ形見である。
不慮の事故で両親を亡くし、一人ぼっちになった紫苑を引き取って
娘の様に可愛がって育てた。
甘やかさず、あらゆる知識を与え、礼儀作法も心得た美しい娘に成長した。
鄭眼にとって、さながら何者にも代えがたい芸術品であった。
当の鄭眼自身は独身である。紫苑の母親が未だに忘れられないのであった。