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死神の娘 〈シニガミノコ〉  作者: 放浪猫
1/1

死神の娘 〈シニガミノコ〉 ─1─

 初めまして、放浪猫です。まずは、この作品に興味を持っていただきありがとうございます。

 いろいろと勉強不足で至らない所ばかりですが、楽しんでいただけたら至福の極みです。


 何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m

 

 何故だろう?人が争うのは…


 戦う事で何を()るの?他者の命を奪ってまで何を求めているの?

 ────────────────────────わからない。




 生命の営みの根源─────────生と死。


 "生きる事"と"死ぬ事"。この2つは対の関係に在りながらも、どこか似ている。


 けれど、──────────

 戦争によって死ぬ事。それはどうしても、"生"とは結び付かない…。

______________

_______

__




 #目次#



─プロローグ─

─第1話─  死神と少女

─第2話─  知らぬ間に犯した過ち

─第3話─  小さな子守唄

─第4話─  気付けずにいた悲しみ

─第5話─  少女の選択



 _______________________




       死神の娘〈シニガミノコ〉








 ─プロローグ─


 冷たい雨が、真正面から降ってくる。否、地上へと向かって降り注ぐその水滴を、私が顔面で受け止めているのだ。

 幾つもの水溜まりが無数の波紋を浮かべる中、私は仰向けに倒れていた。身体は雨に冷え、流れ出す血が私の命まで身体の外へ押し流しているようだった。


 嗚呼…。なぜ、私は死ななくてはいけないのだろうか…?

 いや、"あの日"を境に私はとっくに死んでいたのかもしれない。今まではただ、行き場の無い亡霊の様にさ迷っていただけだ。


 "死神"と呼ばれ、恐れられて、仲間と呼べる者など居なかった。

 それが、やっと終わる…




「…あぁ、師匠…。私も今から…、そっちへ逝くよ…」

 天に向けて伸ばしたはずの手は、闇に墜ちた視界に掻き消された。



 私が産まれて15年目の秋────私は、私という人間を育て、導き、私が師と仰いだ者の元へと旅立った。


 ・

 ・

 ・


 これは、20年にも及ぶ争いの中に生まれ、生きた。一人の少女の物語だ。






 ─第1話─  死神と少女



 ビュウビュウと唸る鋭い風が砂の丘を削り、砂嵐が吹き荒れる。視界は5mにも充たない。

 吹き荒れる砂の粒子はコンクリート製の建造物にぶつかってその壁面を削り、行く手を阻まれた風が大気を揺るがして叫んだ。

 その様子はまるで、砂漠の中に浮島の様に佇む町が雄叫びを上げている様だった。



 暫く時が経つと、大気を覆い尽くしていた砂の礫もその勢いを弱め、隠れていた集落が姿を現した。

 その瞬間だった───────

 閃光が瞬き、大気を無数の銃声が支配した。飛び交う弾丸。町を揺らす衝撃波。

 道端の街灯は弾丸を弾いて激しい火花を散らし、機関銃の掃射にアスファルトが砕け散った。


 少し広い通りに面した建物は無数の弾痕で埋め尽くされ、ガラスは全て飛び散って室内まで吹きさらしになっていた。路上の車も既に蜂の巣にされ、火花が引火した燃料が豪々と炎を上げている。立ち上る黒煙が影を濃く落としながら、ほの暗い空にゆらゆらと上っていた。



 地上ではあちこちから銃声が響き争う者達の怒号が弾丸と共に飛び交っていた。


 服に炎が燃え移った男が、空へ銃を乱射しながらのたうち回り、冷酷に狙いを付けた兵士が相手の頭を撃ち抜く。

 土嚢を積み上げたバリケードの中に手榴弾が投げ込まれ、中に居た兵士の身体が宙を舞う。


 そこにあったのは、正に地獄の光景だった。




 紛争──────国土の多くが砂漠であるこの国では、昔からよく起こっていた。少ない恵みを掴もうと、必至にもがき、足掻き、獲られずに誰かから奪い、歪む。

 そうして、奪う事でしか生きられなくなった人々が、国の法とぶつかり、片や生きるため、そしてもう一方は国の安寧を守るために戦い、争いが起こるのだ。


 しかし、今回はその規模が違う。長い間国が先送りにしてきた貧富差問題。更に、数年前の隣国との争いによって、それは更に顕著なものとなりつつあった。

 富を持たず、国に不満を持つ者が増えに増え続け、形成された反国家勢力。その数が遂に国民の3分の1を超え、過激化した集団が軍隊並の勢力を持ってしまったのだ。縺れた戦線は、大陸を舐め回すように西から東へ、北から南へと移り変わり、国土のほぼ全域を地獄に変えようとしていた。

 そして今日もまた、砂漠に浮かぶ小さな集落が、呑み込まれようとしている……。




「気を付けろ!"死神"が現れた!」

 敵味方の弾丸が飛び交う中、無線で連絡を取っていた兵士が叫ぶ。その声に、場の空気が一瞬固まった。相手も此方への銃撃を弱めてまで、周囲の警戒を強化する。


「早くヤツを仕留めろ!でないとまた────がっ!」

 "死神に殺される"。そう叫ぼうとした一人の兵士の頭を鉄の礫が貫いた。数瞬後、尾を引くように響く独特な銃声が大気を揺らし、その場に居た全員の視線が、その音の源──────小高い丘の上へと集められた。




 町から700m程離れた丘の上、そこからは町を貫く中央の大通りが正面から見渡せる。


「不幸の根源どもめ…!」

 再び吹き始めた砂嵐に霞む視界。

 風に乗って流れ去る嗄れた男の声。


 その声の主は、黒いローブに全身を包み、目深に被ったフードから鋭い眼光を覗かせていた。


 彼は、戦争が嫌いだった。

 理不尽な死。無差別な暴力。それらによって、彼は大切な者を皆殺しにされたのだ。だから殺す。戦争に関わる者、全てを…。

 歪みきった人生。だが、後戻りは出来ない。今更戻れない。戻るつもりもない。

 だから、今日もスコープを覗き、奴らを狙い続ける。



(奴らはどちらも俺の味方では無い…!何が革命だ!何が新しい世界だ!そんなものクソ以下だ!

 国のためだという貴様らは何なんだ?!町を壊し、民を殺して何が国のためか…!

 ただ己の主張が正しいと示すためにどれだけの無関係な命を奪った?どこまで自分勝手に暴れれば気が済む?!

 ─────いつまで続けるつもりなんだ!!)



 引き金を引く。ボルトハンドルを90°回して後ろ限界まで引き、空薬莢を排出する。間を空けず勢い良く前進させたボルトが弾倉の弾はじき上げ、薬室へ送り込む。

 そして、スコープを覗き込む鋭い眼光が再び戦場を睨み付けた。そして数瞬後、銃口から弾丸を押し出した燃焼ガスが激しい火花となって飛び散った。



 現体制の維持を望む者と、革命を望む者…。彼はどちらの味方でもない。ただ戦争を恨み、争う事を正とする者を恨み続ける存在だ。


 彼は、弾を撃ったら間を空けずボルトを後退させ、銃身から蹴り出された薬莢が鈍い光線を放ちながら地面へ落ちる。

 落ちた薬莢は、地面の小石にぶつかってキーンッと高い金属音を響かせた。

 同時────彼は、再び引き金を引いた。



 彼はこれまで各地の戦場に現れては、そこで戦う者達に多くの死をもたらしてきた。風になびく裾の摩り切れた黒いローブに身を包むその姿から、いつしか彼は──────"死神"と呼ばれるようになっていた。

_________

____

_




 やがて夜になる頃には、集落は静まり返っていた。互いに多くの死者を出した"あいつら"は、どちらからともなく去って行ったのだ。


「酷いものだ…」

 瓦礫に埋もれるようにして残る建物で、どうにかそこが道であったのだと判る。破壊し尽くされた集落は、完全な廃墟の固まりとなっていた。

 命の気配すら感じる事は出来ない。


 見上げれば、雲はドス黒く空を覆い尽くし、月の光さえも見えなくなっていた。

 スコープの付いたライフルを握る手に、小さな雨粒が当たる。


「嵐が、くる…」

 彼は、ライフルの銃口を天に向け、ストックを地面に突き立て杖のようにすると、瓦礫で傷つく事もいとわず、その場で片膝を付いた。

 木製のストックから鋼鉄の銃身へと抜けた衝撃が、硬い音を立てる。


「この地を故郷と慕い、ここに生きた者達よ。どうか、この老いぼれめに一晩の宿を願いたい…」

 その請いに答えは無かったが、変わりとばかりに一際強く、風が唸った。


「……ありがとう…」

 そう言って彼は立ち上がり、集落の外縁の建物の中へと姿を消した。


 ・

 ・

 ・


 薄暗い部屋の中でジッポに火を灯すと、茜色の優しい光が煤けた空間を照らし出した。建物の中央に設けられた、コンクリート剥き出しの四畳半程度の部屋。隣の部屋の窓からは降り始めた雨が吹き込み、窓際を水浸しにしている。


 明かりを灯したランプを机に載せると、彼は全身を覆うローブから腕を出し、目深に被ったフードを一気に弾き上げた。

 その下から現れたのは、口元に髭を蓄えたゴツゴツとした顔。掘りの深い目元には鋭い眼光の宿る灰色の瞳。その上を貫くように、額から左の頬に掛けて大きな傷跡があった。

 よく見ると、顔の周りや手の甲、至るところに細かな傷跡が残っている。それらが全て、護り切れなかった、しかし己の全てを捧げてまで護ろうと戦った彼の過去を物語っていた。


 無言のまま、彼は相棒の狙撃銃を壁に立て掛ける。

 そして、荷物にくくり付けた毛布を広げると、床に敷かれた安っぽいカーペットの上で丸くなって眠ったのだった。


 ・

 ・

 ・


 緩やかな微睡みの中、俺は小さな足音で目を醒ました。誰かが近付いて来る…。音を立てぬようにゆっくりと近づいて来る足音。何か良からぬ感じがした。

 壁へ立て掛けた銃へと手を伸ばし、重い上半身を起こす。そして、瞼を上げたその瞬間、俺の心臓は一瞬止まった事だろう。それ程に驚いたのだ。


 まったく気が付かなかった。足音の主は、すぐ目の前まで来ていたのだ。

 しかも、それはまだ幼い少女だった…。

 砂色に汚れたボロボロの白いワンピースを着ている。ランプの光で黄金色に輝く真っ白な長い髪が印象的だった。真っ直ぐに見詰めてくる瞳は、明るい琥珀色。


 そこで俺はハッとした。

 無意識の内に、手にしていた銃を構え、少女に向けていたのだ。少女の眉間にピタリと止まった照準具の尖端。

 困惑して動けず、銃を下げる事すら出来なかった。


 少女からすれば、顔も知らないゴツい男が自分に銃を向けている事になる。普通なら、逃げ出す。相手を殴るか蹴るかして隙を作った上で逃げる者もいるだろう。しかし、その少女は微動だにしない。眉ひとつ動かす事なく、ただ、俺と────"死神"と対峙していた。


「…あ、あのね………?」

 不意に、少女が口を開いた。

「この町の人達…、みんないなくなっちゃった…。大きな音がして、お父さんに言われて地下に隠れて、寝ちゃって。起きたら、外に、怖い人達がいっぱいいて、怖くて隠れてたら、知らない、間に、家がメチャクチャに…、なってて………」

 自らの身を守るように背を丸め、肩を震わせてながら、絞り出すように少女は言う。


「お友達も、お父さんもお母さんも…。皆、いなくなっちゃった…」



 何も言葉が出なかった。目の前で泣きじゃくる少女。どうすれば良いのかも判らず銃を構えたまま動けない俺…。ただ、その影だけがランプの茜色の光の中で黒く踊っていた。


 やっと冷静さを取り戻し、銃を置き、少女の背をさすってやれたのは、それから数分後の事だった。その頃には、彼女は殆ど泣き止んでいた。

 その時俺は、背をさすってやりながら、自分の過去を思い出していた。




 のどかな田舎の風景に囲まれた小さなレンガ造りの町。実りに輝く麦畑。新聞を配る自転車の少年。昼時にいつも腹を空かせてくれたパン屋の芳ばしい香り。一仕事終えて家に帰れば、そこには、帰りを喜んでくれる者がいた。

 永久に続くと信じていた日常…。崩れたのは本当に一瞬だった。


 近隣の町が、隣国からの襲撃に遭った。直ぐに戦争が始まり、押し込まれた戦線がその町にもやって来た。町の男は皆、武器を取って立ち上がった。

 俺も、故郷を、そこに住まう愛しき者を護ろうと立ち上がった。しかし思えば、日々訓練を重ねて来た兵士と、武器を持っただけの農民…。

 そんな身の程知らずな農民達に与えられたのは、無惨な死と敗北だった。



 きっと同じなのだ。俺と、この名も知らない少女は…。同じ、自分にまったく関係の無い争いによって全てを奪われた。だが、同情はしない。それには、毛ほどの意味もないから。どれだけ哀しんでも、彼女の故郷も、家族も友人も、決して返っては来ないのだから…。


 気がつけば、泣き疲れたのか、少女は俺の胸に身体を預けて眠っていた。"死神に身を託す少女"。そう、活字に起こすと、絵画の題で在りそうだと、らしくない事を思った。


「産まれていれば、これぐらいの歳になっていたか…?」

 コンクリートの天井で覆われ、見えない空へ問い掛ける。そこに居るであろう妻と、光の下へ出る事の叶わなかった我が子へ。

 それと同時に、俺はある決意を固めた。この少女を、戦の無い地まで届けてやるのだと。そして、そこに第二の故郷を築き、彼女が落ち着けるまで側にいてやるのだ。と…

 だがそれは、俺の勝手なエゴでしかない。そんな事は判っている。

 それでも、彼女を放っては置けなかった。


 _

 ____

 _________

 地平は闇の中で空と溶け合い、曖昧になった境界線へ月が沈む。

 やがて空が明らみ、鮮やかに色付いた世界の中で、灰色の瓦礫で埋め尽くされた集落だけが、世界から取り残されたように色を失っていた。



 町の周りを取り囲む広大な砂の大地。その中を2つの影が進んでいた。

 無限に視界を覆う砂漠は、どれだけ進もうとも先が果てが見えない。おまけに、風が強く吹けば地形が変わってしまうから、地図は当てにならない…。ただ、掌で北を示し続けているコンパスだけが頼りだった。


 照りつける太陽は容赦なく体力と水分を奪っていく。できる事なら早くオアシスまで辿り着きたいところだが、そうもいかなかった。


「…………………」

 振り返れば、昨晩の少女が必至に俺を追ってくる。


 少し立ち止り待ってやる。

 進む。

 立ち止まる。

 進む。

 止まる。

 少女が追い付く。

 ゆっくりと進む…


「……少し、休むか…?」

 暫く進んだ所で立ち止まり、少女に問い掛ける。疲れの見える顔に汗を流しながら、彼女は不思議そうに俺を見上げてきた。

「休憩だ」

 そう言って、荷物を下ろし、鉄の棒を砂に突き立てて布を被せただけの簡易テントを作る。その中で彼女を休ませ、自分はしゃがみこんで頭から布を被った。


 腰に提げた水筒を一口煽り、隣のテントに差し出す。

「飲んでおけ」

 すると、恐る恐るといった感じに重みが消え、暫くすると、少し軽くなって返ってきた。

 それを腰に下げたポーチに戻し、空を見上げる。

 昨晩の嵐などどこ吹く風と言わんばかりの快晴だった。雲は1つも見当たらず、時折駆け抜ける熱風がテントを煽る。小さく吐いた溜め息は、熱い風の中へと消えていった。



 赤い砂に落ちる2つの影が陽炎に揺れる。死神と呼ばれる男とボロボロの白い少女という、なんとも奇妙な組み合わせの二人が向かう先に、小さく緑が見えた。

 オアシスだ。


 腰に提げた水筒は、殆ど空になっている。ここで休むより、進んでしまった方が良いだろう。

「もう少しだ。頑張れ…」

 そう言って、水筒最後の一口を傍らの少女に渡す。

 そして、空になった水筒を受け取った─────つもりだった。蓋の外れた水筒は、空にしては少し重く、揺らすと僅かに水の揺れている感触が伝わってきた。

 少女を見ると、彼女も無表情にこちらを見ていた。

「…おじさんも、飲んで………」

 そして、そう言う。

 俺は、苦笑気味に礼を言うと、中身が半口分になった水筒を今度こそ空にした。



 ユラユラと揺れる陽炎が地面を揺らす中を2つの影が歩いていく。

 照り付ける太陽だけが、その姿を見守っていた。





 ─第2話─  知らぬ間に犯した過ち



 オアシスの中央には、透き通る湖が出来ていた。その周りを、測ったように綺麗な円を描いて森が囲んでいる。湖畔の下草は低く、テントの設営にはもってこいの場所だった。

 荷を解き、柱となる鉄柱を繋ぎ、布を被せて紐で止める。少し隙間が空いているが、二人入るという事を考えれば。これが限界だった。

 テントの前には、釜戸を作る。釜戸と言っても、下草に燃え移らぬよう表面の土を剥ぎ、すり鉢状に掘り下げただけのものだ。

 森から小枝を拾って、何時でも火を起こせるよう釜戸の中へとくべる。余ったものは横に並べて置き、後で足せるようにしておいた。

 更に、先がY字型に割れている鉄棒を釜戸の両端に突き立て、横に渡した棒に鍋を吊るせば、調理もできる。

 こうして、野営の準備は整った。


 ・

 ・

 ・


 テントの中で眠っている少女をそのままに、俺は日の当たる場所でシートを広げ、銃を整備していた。

 相棒────モシンナガンは、ロシア製の頑丈なヤツだ。しかし、整備をしなければあっという間に撃てなくなってしまう。ボルトを引き抜き、後ろから見通せるようになった銃身をクリーニングロッドで通し、煤で汚れたボルトをウエスで磨き上げる。

 たったこれだけでも、この銃はしっかりと撃てるし、当たってくれる。ボルトアクションという単純な機構がそうさせているのか、この銃の特性なのかは定かでは無いが…。


 空はまだ青く日没まで時間はあるし、日はまだまだ高い。たまには、弾倉の手入れでもしてやるかと思い、底板のロックを解除した。その瞬間だった。

 タァーンッと、遠くから1発の銃声が聞こえた。

 その音には、嫌という程に聞き覚えがある。

 間違い無い。AK47だ。

 この辺でそんな銃を使っているのは、"奴ら"しか居ない。この国に革命を起こすなどと喚きたてている連中だ。


 きっと、"死神"を殺しに来たのだろう。俺は、戦争が憎い。そして、それを起こしている奴ら全員が憎い。同じように、奴らにとっては、戦いに横槍を刺す俺が憎いのはいうまでも無いだろう。

 今日は風は出ているが、あまり強くは吹かない。おまけに、昨日の嵐で砂は湿り気を帯びていた。大方、町からここまで足跡が残ってしまい、それを辿って来たといった所だろうか。


 このオアシスに入る際、木の枝にぼろ切れが引っ掛かっていたのを見かけた。先程の銃声は、それを外套を着た俺と勘違いして撃ったものか?

 あれを見付けたのは、ここから百メートル程度の森の外縁付近だ。

 つまり、奴らはすぐそこまで来ている。時間が無い。


 本格的に奴らと遭遇する前に、何処かに身を隠さなければ!

 そう考えるが早いか、抜きかけた弾倉の底板を押し戻し、機関部にボルトを差し込んだ。そのままテントまで走り、リュックサックの中から弾薬の入ったケースを取り出して、解放状態にしたエジェクションポートから、5発の弾薬を弾倉へ叩き込む。残った弾薬はケースごとポケットへ突っ込んだ。


「おい!起きろっ!」

 畳んだ外套を枕に眠っていた少女を半ば強引に起こす。

 何事かと驚いた様子の彼女を左手で手を引き、右手で外套を引っ掴んでテントから飛び出す。


 そのまま湖畔を駆け抜け、森の木々の隙間に飛び込んだ。

 森を駆けると、右肩に掛けた銃が飛び出た枝葉に当たってチリチリと音を立てる。やがて、森を抜けた小さな広場に、中が腐って完全に空洞になっている倒木を見付けた。その中へと、肩で息をする少女を押し込む様にして隠す。


「いいか?俺が帰ってくるまでそこから出るなよ?判ったか?」

 何が起きているかも判らず、取り合えず頷いた感じの少女に、もう一度念を押し、俺は再び湖の方へ向かった。




 湖の畔には出ず、木の影から様子を伺うと、黒い装束に全身を包み、目元だけを出した連中が銃を携えてテントの中を探っている所だった。

 危なかった。あと少し遅れていたらどうなっていたか、想像しただけでゾッとする。

 見張りが3人に、探っているのが1人。他にも居るかも知れないが、ここから確認出来るのはその4人だけだ。


 奴らの武器は連射に特化した自動小銃(アサルトライフル)。1発毎に手動で装填しなければいけないこちらの銃では到底敵わない…。

 だが、それはあくまで接近されたらの話だ。こちらの姿さえ見せなければ、勝機はある。

 黒い外套のフードを深く被り、大きく枝を張って深い影を作り出す木の根元へ移動した。



 湖を挟み、向こうまでの距離は80mといったところか?

 近すぎる…

 この距離では、いくら森があっても一発撃てば直ぐに場所がバレてしまう。しかし、トラップを仕掛けて回るには遅過ぎる。荷物は諦めて、このまま引き返してオアシスから全速力で逃げるか?

 いや、ダメだろう…。オアシスの外に出れば遮蔽物(しゃへいぶつ)(隠れる場所)は無い。


 俺一人なら、全速力で走ればギリギリで丘陵1つは越えられるかもしれないが、賭けるにはリスクが大きい…。

 それに、この選択肢はあの少女を見殺しにする事になるのだ。端から選ぶつもりなどない。


 ならばイチかバチか、少女を連れてこそこそとオアシスを出るか?

 無理だ。それこそリスクが大きすぎる。きいくら木が多かろうが、このオアシスで人が隠れられる場所は湖の周辺の深くなった森だけだ。

 詮索はあっという間に終わって奴らは俺が外へ出た事に気が付くだろう。隠れる事の出来ない俺達は格好の的でしかない…。

 …他に手段は無い。ならば、ここで戦うしかないのか……。



 覚悟を決め、銃の安全装置を解く。


 隣の立木までの距離、次の移動目標、陽射しの向き、影のコントラスト。こちらが優位に立つための条件をありったけ集める。

 あとは、運が向いてくれるのを祈るばかりだ。

 1つ深呼吸の後、スコープのダイヤルを回し、照準距離を合わせる。立木に体ごと腕を預け、銃を安定させた。


 モシンナガンの特徴的なPUスコープを覗き、辺りを警戒している内の一人をジャーマンポストの尖端に捉える。


 まだだ、まだ撃つな…

 今撃てば確実に見付かる。


 まだだ、今じゃない…

 ここで発砲すれば、次の弾を装填する前に奴らに弾幕を張られて終わりだ。


 待て…、まだだ。勝機はあるはずだ。待ち続けて、その瞬間を逃さず捉えるんだ…!



 はち切れそうな緊張の糸をギリギリのところで保ちながら、俺は待ち続けた。

 そして、その瞬間はやって来る。

 見張りが全員こちらから完全に目を背けた。その瞬間────死神の鎌が黒装束の男の命を刈り取った。


 直ぐに場所を変える。同時にボルトを目一杯引いて撃ち殻を銃から弾き出し、薬室に次の弾を送り込む。少し離れた立ち木に移動し、突然の出来事に行動の遅れた一人に狙いを定める。

 直後、オアシスの森に尾を引く銃声が轟いた。


 オアシスの周囲の森が音を反響させ、混乱の中で音の発生源を聞き分けるのは困難な筈だ。あと二人。奴らが混乱している内に全てを終わらせたい。

 全速力で再び場所を変える。立ち木の影から飛び出し、銃を構えた瞬間。奴らの内の一人と目が合った。寸での所でこちらが勝り、鉄の礫が相手の首を撃ち抜く。絶命する直前に敵が放った弾丸が頬を掠め、チリッとした痛みが走った。


 すぐさま姿勢を低くし、下草に隠れながら森の中を移動する。

 残すは一人。


 さっきの一発で場所はバレただろう。やはり、思うようにはいかないものだ。

 木の影に飛び込み、そこから半身を覗かせた瞬間、案の定、視界の先で閃光が瞬いた。

 咄嗟に隠れると、数発の弾丸がすぐ横を飛び抜け、更に数発が木の幹に突き刺さった。


 こうなると、連射の利かないこちらの銃は不利になる。だが、相手はあと一人。要は撃ち出した1発を当てれば良いのだ。相手が俺に狙いを付けるよりも早く、向こうの命を刈り取ればいい…。



 木の幹を背にしながら、相棒を握る指を動かして感触を確かめた。

 1つ息を吸い込み、吐き出す。

 そして次の瞬間には、彼は一気に身体を反転させながら木の影を飛び出していた。銃身に沿わせた右手の人指し指が、引き金に素早く絡められる。

 勢い良く振り上げられた銃口が正面を向き、薬室に込められた7.62mmの弾頭が、AK47を横凪ぎに射撃する黒装束の男まで一筋の直線で結ばれた。


 同時、掛けられた指が引き金を後退させる。逆鈎(ぎゃっこう)から解放されたバネの力が、勢い良く撃針を押し出し、撃針が雷管を叩き割る。薬莢内部に噴き出した火花が炸薬を燃焼させ、膨脹した燃焼ガスが弾頭をライフリングに食い込ませながら加速させた。


 やがて音速の3倍にまで加速された弾丸は強烈な回転を伴いながら銃口を飛び出し、空気を切り裂くように飛んでいく。

 そして、寸分の狂いも無く照準された場所へと放物線を描いたその弾頭は、黒装束から覗く眉間へと吸い寄せられるように入っていったのだった。

___________

____

_



 森の中で、少女は動けずに居た。

 つい昨夜、彼女が出会ったのは傷跡だらけの厳ついおじさん。他に頼れる者も無く、着いてきてしまったが、歩くのが遅い私を待ってくれたし、砂漠では何よりも貴重な水を分けてくれた。殆ど喋らないし、見た目は怖いけれど、とても優しい人なのだと思う。

 そんな彼は今、私を空洞になった倒木の中に隠してどこかへ行ってしまった。帰るまで待て、そう言われてしまったし、迂闊に動けない。それに何よりも、先程から響いて来る破裂音が、私の身体を縮み上がらせていた。

 死の音────銃声。この音の後、私の家族は姿を消し、私の暮らしていた小さな町は瓦礫の山へと変わってしまった。

 あのおじさんも、私の前から消えてしまうのだろうか?そう思うと、途端に不安が込み上げて来た。

 また、一人になってしまうのか?と。また、私の回りから突然消えてしまうのか?と…。


 この時はただ、一人が寂しくて、一人では生きる術も無くただ死んで行く事しか出来ない事を悲しいとか、悔しいとは思わなかった。それ程に、この当時の私はまだ、幼かったのだ。

 木の中身が腐り空洞になった倒木の中から見えるのは丸く切り取られた森の景色。それは何も代わり映えが無く、ただ、時折吹き抜ける風が垂れ下がった蔦や、細い木の枝を揺らすだけだった。

 いや、聞こえた。小さくて聞き取り辛いけど、確かに下草を踏み締める足音が…。

 気がつけば銃声ももう聞こえない。


 私は、倒木の空洞から這い出して、その足音に駆け寄ろうと立ち上がった。その瞬間、私の視界に飛び込んで来たのは、崩れ去った故郷の町で見た黒装束だった。





 森の中を走る上で最も気を付けねばならないのは、瞬時に止まれる速度を越えない事だ。それは、木の隙間に仕掛けられた罠を急に見付けた時や、突然、崖や谷が現れた場合に対処できるようにするためだ。そして同時に、敵が突如として襲ってきた場合に対処する為でもある。


 しかし、そんな概念など意識の隅にも置かず、男は全速力で木々の間を駆け抜けていた。ローブの裾が、下草を弾いてガサガサと音を立てる。

 何故、彼がここまで急いでいるのか?それは、銃声が聞こえたからだ。しかもその方向は、昨晩出会った、名も知らぬ白い髪の少女が居るはずの方向だった。



 森の木々が開けた場所、その空間は、薄暗い森の中から見ると白く輝いている様に見える。そこに飛び込んだ瞬間、彼はその光景に目を剥いた。


 光で眩しい程に輝く植物の色。その中に影の様に黒く浮かぶ黒装束。その手に握られた銃の銃先(つつさき)からは煙が立ち上ぼり、少女が隠れていたはずの倒木の向こうに、白い影が見えた。裾が摩りきれたワンピースから覗く細い脚はピクリとも動かない。




 まさか………。撃ったのか…?彼女を…!よくも────!

「────────────っ!!」

 その瞬間、俺は何かを叫んだ気がしたが、よく覚えていない。

 気が付いたら、銃を構え、残っていた最後の1発を放っていた。冷静さを欠いた状態で放った1発。不完全な狙いで放たれた弾丸は黒装束の男の右胸に風穴をあけた。後方へ吹き飛ばされる様に倒れた男が呻き声を上げてのたうち回る。

 暫くの間、肩で息をしながら、何も考える事ができず、ただ、血で染まりながらのたうつ男に銃口を向けていた。



 暫くして動かなくなった男の横をすり抜け、少女の元へと駆け寄る。

 銃を地面に寝かせて置き、横たわる小さな身体を抱き上げた。

 その瞬間、その細さに驚くと同時に、何処にも怪我が見当たらない事に安堵のため息を吐いた。


 俺は、必死に呼び掛けながら少女の肩を揺すった。

 暫くすると、力無く閉じられた瞼の下から、明るい琥珀色の瞳が現れた。

「……ぁ、おじさん…」

 小さく消え入りそうな声が、俺の耳に届く。

 その瞬間、目頭が熱くなり、抱き上げた少女の頬に、1滴の水が零れた。涙など、当に渇れていたはずなのに…。


 気が付いけば、腕の中の命を抱きしめていた。その命がそこに在る事が、その温度を感じられる事が、何よりの悦びに感じられたのだ。



 思えば俺は、昨晩奇妙な出合いを果たした白い少女に対し、俺は知らず知らずの内に特別な感情を抱いていたのかも知れない。

 自分の過去と似た境遇。もし産まれていれば、同じ年頃であった愛しき我が子への思い。

 そして何より、昨晩、護るのだと決めた少女の命。その命を護れた事が、ただ嬉しく思えた。


 そして、同時に俺の中である決断が下された。

 もう、こんな事は止めようと。



 無差別に命を奪う争い────戦争。それを憎み、戦う事を正義だと言う者達を狩り、死神とまで呼ばれた。そして、それを喜びと捉える自分が、ひっそりと影を潜めてはいたが、確かにいた…。

 これまで感知できなかったその存在に、俺は今になってようやく気が付いた。

 そして、やっとわかったのだ。それではアイツらと同じだと。


 戦う事が正義だと、殺す事が生き甲斐だと言う者達。そいつらを憎み、殺し続けてここまで来た。俺は何も判っちゃいなかった。奴らをどれだけ殺しても、奴らをどれだけ散らせても、戦争は無くならない。

 俺が憎んでいたのは戦争だ。人じゃない。


 なのに、戦を恨む気持ちはいつの日からか戦を起こす者に対する軽蔑に変わり、戦う事が生き甲斐だと言う者に対する殺意に変わった。

 結局俺も、奴らと同じことをしていたのだ…。


 殺す事をいとわなくなった時、人は最も醜くなる。その姿こそが、"死神"なのだ。その事に今、やっと気が付いた…。



 今までの俺はただ、やり場のない怒りを八つ当たりの様にぶち撒けていただけだ。

 今さら許して欲しいなんて言わない。許されるとも思わない。ただ、かつて俺が憎んだ───そして、知らず知らずの内に戦いの当事者となっていたこの争いによって、全てを失った少女を。せめて、自分の力で生きられるようになるまで、その小さな命を護ってやりたいと─────それが、せめてもの罪滅ぼしだと、そう思ったのだ。

 そんな事では決して許されない罪だと知りながら…。



 この日を境に、どれだけの戦禍が走っても、どんなに大規模な争いが起こっても、彼の銃声が轟く事は無くなった。


 そうして、"死神"は戦場から姿を消した。





 ─第3話─  小さな子守唄



 砂漠化の進むこの国でも緑が無い訳では無い。

 高い山脈がそびえ立つ国土の北端。その裾野には森林に埋め尽くされた谷や草木の生い茂る丘陵が多く存在する。ほぼ一年を通して雪が積もる鋭い山脈の頂は、それはそれは美しいものだ。



 この地域には、野性動物の格好の住処となっている。ここには、昔から狩猟を生業とする者が多く集まっていた。そして何時しか、野性動物を狩って生計を立てる狩人が集まって、小さな村ができた。

 もう100年以上も続くこの村も、今となっては立派な町として機能していた。

 高地の生活で不足しがちな調味料や野菜、そういった物の市場の独占を狙った商人が集まり、狩人達に武器を売り付けに来た武器商人が店を開いて、森の中に温泉を見付けた狩人が温泉屋のオヤジへと姿を変えた。

 そうして様々な職ができ、人々の繋がりが増え、いつの日からか、この森の中の小さな町では、ほぼ完全に独立した自治体制が完成していたのだ。




 その町から北西へ数kmほど森を進んだ小川の畔、そこには、雄々しい角を携えた鹿の姿があった。その体毛は森に射し込む木漏れ日を呑み込んでいるのではと思ってしまうほど黒く、日溜まりの中で影のように浮かび上がるその姿は神々しくすらあった。

 そして、その足下を流れる小川から悠々と水を飲むその顔を見ると、鋭く走った傷がその片目を潰していた。


 苔むした岩影に身を隠した男は、鹿の特徴を冷静に分析し、目の前の黒い雄鹿がターゲットであることを確信する。

 間違いない。コイツだ。


「すまないな…」

 周囲の音に掻き消されてしまう程の呟き。その直後に放たれた銃弾が音よりも早く空気を切り裂き、黒い雄鹿の心臓を貫いた。

 遅れて響く銃声に森がざわつき、一瞬の後に静寂が訪れる。その静寂の中、黒く雄々しい鹿が小さく嘶き、下草に呑み込まれるように静かに倒れた。

 その僅か数秒の後には、森は生物達のざわめきを取り戻し、元通りになる。



「オリヴァー!もう仕留めたのか?」

 銃声を聞き、駆け付けた声が背後から猟銃を構えた男を呼ぶ。オリヴァー────彼の本名では無いが、ここではそう名乗っているのだ。彼は、ほんの一月前までは戦場に生きていた。"死神"と呼ばれ、戦場で恐れられていた存在なのだ。本名は名乗れない。




「あぁ…、また、命を1つ刈り取った…」

 まだ銃先(つつさき)から硝煙の出るウィンチェスターライフルを肩から下ろし、この銃独特のレバーアクションで薬室にハマり込んだ薬莢を排出した。


「まぁた、そんな事言っちゃってぇ…。深く気にする必要なんてねぇって!あっちも、いつか死ぬ覚悟で生きてんだ…。これまでアイツは、俺ら人間の畑を荒らしすぎた。だから俺らに狩られた…。それだけの話さ」

 こんな繰返しにもいつかは馴れるさと言い残し、猟のパートナー──────ウルフは、倒れたばかりの黒鹿の元へと向かって行った。


 苔むした岩場の向こうにウルフの背が遠ざかる。

 その背を見送りながら、木々の隙間を駆ける風よりも小さな声で呟いた。

「違うんだ…」


 オリヴァーは、足下の草の隙間に紛れるように転がった薬莢を拾い上げた。煤けた真鍮色のそれは、まだ熱を帯びていた───────────


 ・

 ・

 ・


 辺りを闇が支配する刻。半開きの窓から入り込む森の匂いを孕んだ夜風が蝋燭の炎を揺らしていた。

 茜色の光に揺らめく、机と椅子以外目立った家具の見当たらない殺風景な部屋の中。俺は、ウィンチェスター弾の薬莢を手のひらで転がし、眺めていた。


「違うんだよ…。慣れだとか、そういう問題じゃないんだ…」

 誰にともなく呟いた言葉は炎と共に夜風に踊る。ただ流れる時間が静寂(しじま)となって辺りを漂っていた。


 違うんだ。俺が言いたいのは…。

 他者の命を奪う事など、とうに慣れた。いや、慣れ過ぎた。

 紛争の絶えないこの国だが、国端にある田舎町では、まだ平和が残っている。しかし、今そこに住んでいるからと言って、戦場で人を殺し続けた過去は変えられない。


 今の俺はただの狩人だが、その奥底に眠るのは醜い死神の記憶だ。戦争を憎み、争いを疎み、戦う事を正義とする者を殺し続けた憎しみの記憶。

 あの時、憎むあまり知らず知らずの内に引きずり込まれていた争いの深淵(しんえん)

 奪う事を憎んだ。奪われた過去を嘆いた。

 その果てにあったのは、血味泥(ちみどろ)の殺戮劇…。


 俺は慣れ過ぎたのだ。何者かの命を奪う事に…。

 今でも鮮明に思い出す事ができる。スコープ越しの戦場。ジャーマンポストの尖端に捉えた俺を死神と蔑む視線。


 どうしても思い出してしまうのだ。獲物に銃を向けたその時に…。戦場での記憶を。

 争いを憎むあまりに犯した過ち。返ることの無い日々。変わってしまった。変わり果ててしまった俺…。


 天にいる妻が、光を見る事なく星となった我が子が、今の俺を見たらどう思うだろうかと。

 そればかり、考えてしまうのだ。




「おじさん…?」

 耳に飛び込んできたあどけない少女の声に、ハッと我に返る。

 声の方向を振り向くと、そこには白い髪の少女が立っていた。その明るい琥珀色の瞳の中には、俺の姿が蝋燭の炎に照らされてユラユラと揺れている。


 不安そうに俺を見つめる少女。彼女は数ヵ月前、"死神が最後に現れた戦場"で出会った少女だ。

 俺に、無意味な殺戮をしていたと。俺はただいたずらに命を奪っていただけだと、気付かせてくれた存在だ。


「どうした?モニカ。眠れないのか…?」

 優しく語り掛けるように、目の前の少女に問う。

 モニカ─────この町に辿り着く前、彼女は自らそう名乗った。歳は7歳だそうだ。

「うぅん。おじさんがなかなか来ないから、心配になったの」


 この子は戦争に全てを突然奪われたのだ。大切な友達も、守ってくれる親も、彼女の故郷も、全て無くなってしまったのだ。

 今、彼女の唯一の保護者である俺が側に居ない事が不安で仕方ないのだろう。


 銃声の鳴り響く中、薄暗い地下室にたった独りで隠れていた時、どれほど不安だっただろうか?

 いざ外へ出た時、町そのものが無くなり、知る者は一人も見当たらない中、どんなに哀しい思いをしただろうか?

 そう思うと、胸を締め付けられるようで、いたたまれない。

「そうか…、悪かったな。心配させて。どれ、それじゃあ、モニカが眠るまで、側で昔話でもしてやろう。遠い遠い、俺の故郷の話だ」

 椅子からよっこらせと立ち上がり、モニカに寝室へ行くように促す。


「…おじさんは寝ないの?」

 幼い少女から発せられたその言葉に、思わず苦笑いが漏れた。

 俺は寝ないとは一言も言っていないのだが、見抜かれてしまったようだ。

 まったく、悟い子だ。


 モニカの明るい琥珀色の瞳が不安そうに見上げてくる。その意味は十分理解している。だから、できる限り側にいてやりたいとは思うのだ。

 しかしながら、まだやらなければいけない事が残っている。今日撃った弾の撃ち殻に、新しい火薬と弾頭を詰めなければいけない。明日も、猟に出なければいけないのだから…。



「俺はまだ、明日の準備が残っているんだ。すまないが、先に(とこ)に就いてくれ。俺も、すぐに行くから」

 小さな頭を撫でてやりながら、諭すように優しく語り掛ける。この子の不安は良くわかる。だから、できるだけ取り除いてやりたいという気持ちはあるのだ。だが、現実はなかなかどうして上手くいってくれない。

 俺の生き方は、この幼い命と寄り添うには、あまりにも不器用すぎる。



「じゃあ、それまで待ってるから、一緒に寝よう?」

 突然のその言葉に、少し顔が強張ってしまった。

 今にも泣き出しそうな二つの瞳が、俺に強く訴えかけているようで、言葉に窮してしまったのだ。


「……わかった。それじゃぁ、できるだけ早く終わらせるから、そこに座ってなさい」

 部屋の真ん中に据え付けた、二人分の小さなテーブルと椅子を示すと、モニカの顔がパッと明るくなった。


「ホント?!一緒に寝てくれるの?やったぁ!」

 本当に嬉しそうにじゃれついてくるモニカ。その小さな頭を撫でてやり、なだめながら部屋の中央へ誘導する。

「さて、ホットミルクでも入れてやろうか。そこで待ってなさい」


 モニカを椅子に座らせ、キッチンへ向かう。鍋に水を張って沸かし、その中に牛乳の入ったビンを入れて温める。2~3分もすれば、程よい温度のホットミルクができあがった。

 お湯の中からビンを取り出し、中身を蝋燭の灯りに輝く金属製のコップに移す。溢さぬようにそっと持ち上げると、真っ白な水面が僅かに揺れた。


「ほら、熱いから気を付けろよ」

 ゆるゆると白い湯気の立つそれをテーブルまで持って行く。受け取りながら礼を言うモニカの頭を撫でてやり、俺はそのままキッチンと反対側の壁に着けた棚の前へと向かった。



 両開きの戸を開けると、その奥に金属製の独特な形をした機械が鎮座している。

 俺はそいつを取り出し、窓際の作業台へと運ぶ。これは、リローダーという機械で、1度撃った薬莢の整形をしたり、新しい弾頭を詰め込んだりするのに使うものだ。


 作業台に並んだ10発の撃ち殻。俺はまず、そいつらを作業台の下のバケツの中へ放り込んだ。バケツの中には、細かく砕いたクルミの殻や小石、砂などが入っている。

 撃ち殻薬莢の表面には、火薬の燃えかすや、大量の煤が付着している。これらをそのままにしておくと、弾の精度を落とすばかりか、銃そのものの劣化を早くしてしまう。だから、一度撃った薬莢は、再装填の度に表面を綺麗にしてやらなくてはいけない。しかし、一つ一つ磨くのでは手間が掛かりすぎるから、このバケツに放り込んでガシャガシャと掻き回すのだ。

 たったこれだけの作業だが、クルミの殻や石が見事に研磨剤の役目を果たして、表面を磨き上げてくれるのである。


 次に、リローダーを使った薬莢の整形だ。銃弾の薬莢は、内部の火薬が炸裂するとその圧力で膨張する。それによって薬室が密閉され、燃焼ガスの勢いを全て弾に伝えられる訳だ。

 しかし、この膨張のおかげで、一度撃った薬莢は再度装填しようとしても絶対に薬室には納まらない。そのため、リローダーを使って薬莢を元の大きさまで絞ってやる必要があるのだ。

 この段階で割れてしまう物もあるが、それを気に掛けていたら先に進まない。繰り返し使っていれば、そのうち壊れるのは必然というものだ。半ば力任せに一気に絞ってやらねばならない。


 ここまでしてようやく、新しい火薬を薬莢につめられる。

 天秤に分銅を乗せ、反対側の皿に釣り合うまで慎重に火薬の粒を乗せていく。匙ひと振り毎にピクリッと反応する針に注目しながら量を調節する。

 薬莢に充填する火薬の量は、0.1g違うだけで弾の飛び方が変わってしまう。猟では、そこまで精度を求めた弾をあえて使う必要は無いが、これは昔からの癖だった。


 火薬を充填した薬莢を、再びリローダーにセットし、リローダーにはアタッチを取り付ける。そして、その先端に新しい弾頭を挟み込んだ。

 アタッチに挟み込んだ弾頭が曲がっていないか確認したら、薬莢にキッチリ押し込まれるまでレバーを押し下げる。この時も、薬莢から出る弾頭の長さが狂ってしまわないように細心の注意を払う。


「ふぅ、これでよしっと」

 出来上がった弾を眺め、歪みや亀裂が無いか最後の点検をする。こうして、撃ち殻薬莢は、再び弾薬として生まれ変わった。



 残りの撃ち殻でも、同じ作業を繰り返す。およそ30分で全ての作業が終わり、作業台の上にはできたての弾薬が10発ならんだ。

 それらをケースに仕舞い、リローダーも元の棚へと戻す。

 台の周りの掃き掃除くらいしておきたかったが、今はモニカを待たせている。明日にでもすれば良いだろうと心で呟き、俺は部屋の中央の机を振り返った。



「さ、終わったぞモニカ。寝るとしようか」

「…………」

「モニカ?」

 再度呼び掛けてみたが、モニカは椅子に座ったままこちらを見向きもしない。

 怪訝に思い近付いてみると、可愛らしい寝息が聞こえた。その小さく空気が揺れる音に、ほっと胸を撫で下ろす。

 机の上を見ると、空になったコップがちょこんっと置かれていた。


 どうやら、待たせ過ぎてしまったようだ。

 まるで人形のように行儀良く座り、僅かに首を傾げてすぅすぅと静かに眠る少女。何とも愛らしい寝顔で静かに眠っていた。

 俺は、そんなモニカを起こさぬように、そっとコップを取り、台所に溜め置いた水を汲み出して綺麗に(ゆす)いだ。


 再びモニカの元へ戻った俺だが、起こして寝室へ連れて行くべきか悩んだ。しかし、こんな寝顔を見せられて、おいそれと起こせるヤツは居ないだろう。結局そっと抱き抱えて連れて行く事にしたのだった。



 段差で躓いてしまわぬよう慎重に歩き、腕の中の小さな身体をそっとベッドに横たえる。背中から手を引き抜いた瞬間、少女の瞼が僅かに開いた。

「おや、起こしてしまったか」

 寝ぼけ眼のモニカは、俺の言葉にワンテンポ遅れて首を横に振った。

「おじさんも、ねる、の?」

 そして、そう尋ねてくる。

「あぁ、一緒に寝るって言っただろ?」

 そう言いながら、上衣を脱いでハンガーに掛ける。そして、ベッドの反対側へ回り込んで布団にもぐりこんだ。


 すかさず身を寄せてくるモニカ。そこで落ち着くかと思いきや、頭をグリグリと押し付けて腕と胴の隙間に無理やり割り込んできた。

「おじさん、あったかい」

「ああ、モニカも温かいぞ?」

 乱れた毛布を整え、頭を撫でてやりながら答える。


「さぁ、寝るぞ。もう、いつもより遅い時間だ」

「おじさん」

「何だ?」

「どこにも行かない?」

 肩に額を押し付けながら、不安そうに尋ねてくるモニカ。

 こんな体勢ではどこか行くどころか身動きすらできないが、きっと幼い彼女にそういった理屈は理解できないのだろう。


「大丈夫だ。何処へも行かない。っそうだ、子守唄でも唄ってやろう」

 ずっと遠い故郷で、産まれてくる我が子の為に覚えた詩だ。唄うのがヘタクソで、全然上手くならなかったが、道を歩く時も、仕事中も、飯の後でも、また唄ってるのか?と周りに茶化されながらも唄い続け、なんとか形になった。俺が唄える数少ない詩だ。



「お日様が沈むのは (とき)を進めるため──… 月が出るのは狼からきみを護るため──… 」

 もう何年も唄っていなかったせいか、うろ覚えで2番から唄い始めてしまった。その事に途中で気が付いたが、そのまま唄い続ける。

「さぁ、安心して眠りなさい──… どこまでも広い草原で 風と踊る夢を見よう──… 」


 曲が殆ど進まない内に、モニカは眠ってしまったが、俺は唄うのをやめなかった。



「愛しき小さなあなたを抱いて──… 回る星を数えよう──… 朝日が明日(あす)を連れてくるまで──────………」


 詩が最後までいくと、再び冒頭へ戻り、また唄い始める。

 そして、昔そうしたように、何度も何度も、繰り返し唄い続けた。産まれる事も叶わず星となった我が子に、聴かせたかった詩を…。

 傍らに眠る小さな命を起こしてしまわぬように、夜の闇に溶けてしまう程小さな声で、ただ何度も何度も、同じ詩を唄い続けた。


 小さく響く、その子守唄が、天へ届く事を願いながら。





 ─第4話─  気付けずにいた悲しみ



 冷たい水滴が地面を打ち付け、軒先から垂れた水滴に草葉が踊る。この日は夜明け前から雨が降っていた。

 一年を通して雪を湛える山脈の頂きは雲に突き刺さり、手が届きそうな程低い雲が陽の光を完全に遮っていた。


「おぉーい!オリヴァー!早くしてくれぇー!」

 外から、雨の音に混じって誰かを呼ぶ男の声が聞こえる。

「待ってくれぇ!直ぐに行く!」

 その声に、目の前の人物が声を張り上げて答えた。


「モニカ…」

 視界に写る空間より更に上から、私を呼ぶ優しい声が聞こえる。

 顔を上げると、そこには困ったように笑う顔があった。その顔はゴツゴツとしていて、彫りの深い目元には大きな傷跡がある。

 一見してとても怖い顔だ。しかし、私は知っている。この人は、────────おじさんは、優しい人なのだという事を。


「モニカ、そろそろ離してくれないか?お前には寂しい思いをさせてしまうが、俺は仕事に行かなくちゃいけない。判るな?」

 ゆっくりと諭すようなその言葉に、私は頭を撫でられながら小さく頷いた。

 しかし、腕の力は緩めず、彼の腹の辺りにしっかりとしがみついたまま離れない。


 私は、雨が嫌いだ。凄く嫌いだ。大きな音も嫌いだし、こんな雨の日に独り取り残されるのはもっと嫌だ。

 おじさんを困らせてしまっている事くらいは百も承知だが、どうしても恐くて、このまま行ってしまったらもう帰って来ないのではないかという焦燥に駆られて、力一杯しがみついた手を離す事ができなかった。



「絶対に帰ってくるから」

 不意に耳に飛び込んで来たその言葉に、ハッと顔を上げる。

「約束する。俺は必ずここへ帰ってくる。」

 固くて大きくて、優しい手が私を勇気付けるように背中をさする。


「ホントに?ぜったい?」

「あぁ、絶対だ」

「…わかった」

 手を離すと、偉いぞという優しい声と共に、大きな手のひらが私の頭を撫でた。


「それじゃ、行ってくる」

「あ、─────…」

 フッと遠ざかる温かさに、思わず手を伸ばしてしまいそうになる。しかし、そこはぐっと我慢だ。ここでこれ以上彼を困らせる訳にはいかない。私だって、それくらいわかってる。


 パタンッと軽い音を立てて玄関の扉が閉じると、外の音が一気に遠くなる。

 窓際まで小走りで向かい、出窓に手を掛けてにょっと外を覗き見ると、親しげに話しながら歩く二人の人影が見えた。


 こんな日くらい、家に居ればいいのに…。

 雨に霞む森の向こう、町の中心に向かって消えていくその背中に、そう思わずにはいられなかった。




 屋根を叩く雨音以外何も聞こえない家の中、大人しくただ座っているのは暇だし、かといってできる遊びと言えばお絵描きくらいしか無いが、気分ではない。

 しばらく家の中をぐるぐると歩き回っていたが、結局行き着いたのはベッドの上だった。

 雨は嫌いだし独りは不安だが、こうして温かい毛布にくるまっていれば、その不安も少しはマシになる。


「おじさん…、はやく帰ってこないかなぁ…」

 そんな事を呟きながらもぞもぞと丸まっている内に、私は眠ってしまっていた。


 ・

 ・

 ・


「……………───!──カ!───ニカ!!モニカ!!起きなさい!モニカ!」

 私を呼ぶひどく慌てた声に驚き、目を覚ますと、そこは森の中にあるいつもの家ではなく、砂漠の真ん中に浮かぶ街にある、ずっと前に壊れて無くなってしまったはずの家だった。


「え?、なんで?!お父さん!?」

 そして、目の前に居たのは、ずっと、消えてしまったと思っていた父親だった。



「もう時間がない!早く!早く来るんだ!」

 そう言って、強引に私の手を引く父。

「何?!何があったの?!おとうさん、どうしたの!?」


 寝室を飛び出し、荷物で溢れた狭い廊下を走る。前を行く父の身体が花瓶を弾き飛ばし、床に飛び散った破片が派手な音を立てた。

 暗い階段を転びそうになりながら駆け下り、玄関の扉に向かって全速力で駆ける。


「走れ!モニカ!!外の車で、母さんが待ってる!」

 言うと同時、父は玄関のドアノブに手を掛けた。

 刹那─────────────

 凄まじい勢いでドアが向こうから開いた。否。吹き飛ばされた。

 父の背に押されるように、後方へ吹っ飛ばされる身体。宙に浮いたような感覚の中、ガラガラともバリバリともとれるような振動が、家もろとも私達を揺らした。


 絨毯の上に転がった私は、何が起こったのか理解出来ないまま、ただ、目の前の惨劇を焼き付けていた。




「あぁ!、くそ!ちくしょうがぁーー!!」

 そう叫んだ父の叫びだけが、妙に印象的だった。


 文字通り木っ端微塵に吹き飛ばされた玄関、その向こうに見えたのは、車体が真っ二つに割れ、豪々と燃え盛る炎に蹂躙された父の車だった。私の母が、乗っているはずの…。



 窓も扉も何もかもが吹き飛ばされ、熱風に吹かれる部屋の中から唖然とした表情で車を見つめる私。

 そんな私の横で、ガシャッ!と威勢の良い金属音が聞こえた。その音源を辿ると、そこには、禍々(まがまが)しい黒のライフルを手にした父の姿があった。

「いこう…。おいで、モニカ」

 その時の父の声は、これまでに聞いた事が無いほど冷たかった。



 再び父に手を引かれ、やってきたのは家の裏庭だった。そこの一角に、四角い穴が空いていて、錆びに覆われた分厚い金属の蓋がその上を塞いでいた。

 父に手を引かれ穴に入ると、そこには冷たい階段があった。

 更にその奥へ進んで行くと、大人四人ぐらいがしゃがんで入れそうな部屋があった。穴は、そこで行き止まり。


「いいかい、モニカ。良く聴くんだ。これから、怖い人達が沢山やってくる…。お父さんはその人達をやっつけてくるから、モニカは怖い人達に見付からないように、ここで隠れてなさい」

 私は首を横に振る。

「お父さんが帰ってくるまで、かくれんぼだ。誰にも見つかっちゃいけないよ。いいね?」

 ダメ、いかないで。


『だって、お父さん。行っちゃったらもう帰ってこないんだから…』


 行かないで。その一言が口から出てこない。暗い階段の向こうに消えて行く背中に手を伸ばそうとしても、私の身体はピクリとも動いてはくれない。

 何が起きているのか?私はどうすれば良いのか?何も判らない…。ただ、このままでは私は独りになってしまう。このままでは父は帰ってこない。皆、消えてしまう…。

 それだけはハッキリと理解できていた。



「おとうさん!!」

 まるで鎖で縛られたように自由の効かなかった身体から声を絞り出し、まとわり付いた呪縛を振りほどくように足を踏み出した。

 一歩踏み出してしまえば、不思議と身体は軽くなった。自由に動ける。


「待って!お父さん!行っちゃだめー!!」

 声を張り上げて叫ぶ。

 しかし、その声は届かないどころか、全て闇に吸い込まれてしまったように響かない。

 私は目の前の階段を昇った。すぐそこに扉があるはずだ。

 地上に出れば、父の背を追える。そう思ったのに、入ってきたはずの扉は一向に現れなかった。階段は、数段しかなかったはずなのに、私は何十段、何百段と階段を、昇り続けた。




 どれだけ昇っただろう?もう時間の感覚すら判らなくなっていた。

 気が付けば、地面は階段ではなくただの平らな床になっていた。両脇に迫っていた壁も、屈まなければ頭をぶつけてしまうような天井も、いつの間にか消えていた。


「おとうさん?!」

 どこまでも続く闇。返事はない。

 私は走り出した。

 暗い。何も見えない。

 私は走り続けた。

 どこまでもどこまでも続く暗闇の中、声の続く限り父を呼びながら。


「どこなの?おとうさん…」

 走り疲れ、立ち止まり、うつむいた私の目から一粒の涙が(こぼ)れた。


「どこにいるの…?」

 そして、再びそう呟いた時だった。パァーンッ!と、渇いた破裂音がどこからともなく響き渡った。

 ハッとして顔を上げると、目の前にあったのは薄暗い空間。


 見渡せば、大人四人がしゃがんで入れそうなぐらいの狭い部屋。4面の壁の内1面には、ポッカリと四角い穴が空いていて、穴の向こうには不格好な階段が覗いている。

 そこは果たして、父が私を隠した地下室だった。


 私は、膝を着いて這うようにして移動し、階段を昇った。今度は、すぐに地上へと繋がる扉に辿り着いた。

「ふっ…!くぅっ!」

 父が片手で軽々と開けていた扉だが、私にとっては果てしなく重い…。両手を着き、背中で押し上げるようにして、ようやく動かす事ができた。

 細く開いた隙間から外を覗く。


 どす黒い雲に覆われた空。その下に広がる私の故郷の街。そこは、色を失い、燃え盛る炎だけが赤々と色を放つ場所に成り果てていた。

 裏庭越しに見る私の家は半分以上が破壊され、骨組みだけになっている。周囲からは絶え間無く銃声が響き渡り、戦う者達の怒号が大気を濁していた。


「おとうさん!」

 私の声は、砂嵐の中に呑み込まれる。

 探さなくちゃ!そう思い、全身の力をありったけ振り絞って扉を押し上げた。

 刹那─────────近くで、爆発が起こった。巻き上げられた砂塵が爆風にのって広がり、半開きになった地下室にも入り込んできた。


 細かい砂礫に全身を打ち付けられる痛みに耐えきれず、足の力が抜ける。

 私はそのまま重たい扉に押し戻されるようにして短い階段を転げ落ちた。




 外の音が遠ざかった地下室の中、私はただ(うずくま)っていた。キーンッと耳鳴りがして、周囲の音がくぐもって聞こえる。



 頭が痛い。顔が痛い。背中が痛い。腕が痛い。脚が痛い。

 …お腹すいた。



 痛い。寒い。寂しい。こわい。

 誰か─────────





「誰か…、たすけて………」


 ・

 ・

 ・


「…──。──カ。───ニカ。モニカ。モニカ…!」

 私を呼ぶ声に、ハッと目が覚めた。視界いっぱいに、傷跡だらけの厳つい顔が映り込んでいる。その灰色の瞳には、涙と鼻水でぐしょぐしょになった私の顔が写っている。


「お、じ……さん?」

 心配そうに私の肩を掴むおじさんの顔に手を伸ばす。指先で触れたそこは、とても暖かかった。その暖かさがなんだか嬉しくて、とても寂しくて、身体の奥底から溢れ出すものを抑えられなくて。気が付いたら、私は大声で泣いていた。


「怖い夢でも見たのかい?」

 ゆっくりと背中をさする大きな手と、低くて優しい声。おじさんに抱き上げられ、私はその肩に顔を埋めるようにして涙を止めようとしていた。けれど止めどなく溢れ出す涙は次々と頬を伝い、落ちていく。




 この時の私は、幼いながらに理解していた。私の父と母は、もうこの世に居ないのだと。

 しかし、それはどこか現実感がなくて、偶然出会った真っ黒なローブを纏ったおじさんと砂漠を歩いたあの日からこれまでの日々は、長い永い夢の中に居るような感覚だった。


 しかし突如、夢の中に姿を現した残酷な現実。その記憶の一端。改めて突きつけられたその刃は深く、私の心を抉った。

 失ったもの。もう取り戻せない日々。変える事のできない過去。怒濤のように押し寄せたその悲しみは、抉られて大きな穴が空いた私の心に身を捩るようにして入り込み、内部からキリキリと締め付け、そこから寂しさの感情だけを絞り出した。


 雨に濡れ、知る者を探し回った夜の事。探せど探せど生きた人間すら見付からず、疲れ果て、見知らぬ建物の一室に宿った僅かな灯りに助けを求めたあの日。

 あの日の記憶は、知らず知らずの内に私を孤独の淵へと追いやっていたのだ。




 私は泣いた。いや、泣けた。母が豪々と燃え盛る車の中で焼け死んだ時も、父が銃を手に飛び出したまま帰ってこなかった時も、私は大して涙を流さなかった。

 しかし今、私は私の孤独に気付き、私を取り巻いた哀しみの現実を受け入れ、ようやく、泣く事が出来たのだ。



「大丈夫。大丈夫だ」

 優しく諭すように、何度も繰り返し語りかけてくる声。

 その優しい声に抱かれながら、私は長い時間泣き続けた。ずっとずっと、これまで押し止めていた分だけ声を張り上げ、堪えてきた分だけ涙を流し続けた。


 モニカは、窓辺に覗く雨水を湛えた軒先にも負けないくらいの涙を流した。

 次から次へと落ちる雫は、目の前のシャツに染み込んで黒く広がり続ける。



 壁に掛かる古臭い時計がどれだけの刻を刻んだか?日が傾き、雨曇の覆い尽くす空の下、辺りは更に暗くなっていた。


 雨はまだ、止まない。





 ─第5話─  少女の選択



 どれだけの月日をこの町で過ごしたか?各所の知り合いも増え、もうずっと昔からここで暮らしているような気さえする。

 窓から見える静かな森の景色、木漏れ日の向こうに輝く小川、時折思い出したように吹き抜ける風が心地よい。

 町へ出れば市場は活気に溢れ、様々な人とすれ違う。商人、狩人、旅人、農夫、はしゃぐ子供とそれを宥める母。この空気に触れていると、この国で紛争が起きている事など忘れてしまいそうになる。

 ずっと平和に、穏やかに、この国があるようにさえ思えてくる。しかし、新聞を開けばその1面を荒れ果てた街の写真が覆い尽くし、また人が大量に死んだと嘆いている。

 それを見る度、この国の有り様を思い出してしまう。ずっと憎んできた。今でも憎い"争い"というものがはびこるこの国の姿を…。



「はぁ…」

 何の意味もなく、ため息が漏れた。そんなオリヴァーの手元には、今朝とどいた新聞。その1面には、隣国との睨み合いが切迫していると綴られていた。

 数年前の戦火の後、一時は終息するようにも見えた争いだが、最近になってまた燻ってきたらしい。新聞には、隣国からの領地侵犯を決して見逃しはしないと勇ましくつづられ、自らの力を誇張するように破壊した隣国の戦車の写真が載せられている。そこに写る男達は、戦車を蹴飛ばし、踏みつけ、自国の旗を突き刺し、思い思いのポーズをきめていた。

 

 そして、その一番下の行には───────"我が国では、いつでも勇敢な戦士を募集している"と締め括られていた。

「なにバカな事を…」

 そう、あえて言葉に出してみた。


 本当にバカなやつらだ。国内でも常に不毛な戦いをしている国の兵士になろうとするヤツなんて、居るはずもないのに…。

 そんな心の呟きは、窓から射し込む朝日に溶けてゆく。




「なに読んでるの?おじさん」

 物思いに耽っていたオリヴァーの耳に、不意に幼さの残る少女の声がとどいた。

 視界を覆い尽くす新聞をずらすと、それまで白黒だった世界に色が飛び込んできた。その中に一人の少女が佇んでいる。

 少し古くなったテーブルの向こう側から、小首を傾げて不思議そうにこちらを見ている彼女の名はモニカ。背中まである真っ白な髪が特徴で、明るい琥珀色の瞳で笑う顔が可愛い俺の養子だ。白いワンピースを好んで着るものだから、上から下まで真っ白けだ。


「新聞だよ。モニカには、まだちょっと早いな」

 オリヴァーがそう答えると、少し残念そうにモニカは俯く。彼女は、今年で10歳になる。最近なにかとオリヴァーの行動を真似したいようで、良く後ろを着いて回っている。なかなか微笑ましい事ではあるのだが、同時に少し困った事もあった。


「それじゃあ、モニカ。早く文字が読めるようになるように、一緒にお勉強しようか?」

()!」

「…………。」

 モニカは、勉強が恐ろしく嫌いなのだ。この時世もあり、学校に通うという事はほぼできない。だから子供達は皆、親から読み書きや計算を教わる。

 もちろん、モニカにも隙を見て勉強を教えているのだが、明らかに他の子に遅れをとっている。


 強引に勉強させようとすると、簡単な足し算を武器に"もう十分勉強した"と抵抗してくるのは何とも可愛らしいが、そうとばかりもいってられない。

 最低限の学は付けてやらないと、後で困るのはモニカだ。彼女を育てるのだと決めた以上、しっかりと学ばせてやらねばなるまい。



「さてと…、モニカ!」

 返事はない。

「勉強は後でにして、市場に行くから手伝ってくれないか?」

「…………ほんと?」

 数秒の間が空いた後、モニカは隣の部屋からひょこっと顔を出した。

 その表情は疑わしげで、勉強はさせないと明言せよと目線で訴えていた。

 オリヴァーは、ここで一芝居うつことにする。


「あぁーあ、買い物に行きたいけど、一人じゃ辛いなぁ。どっかに手伝ってくれる良い子はいないかなぁ?」

 上着をサッと羽織り、手で望遠鏡を覗き込む仕草をしてキョロキョロと大袈裟に辺りを見回す。


すると、───────

「はぁーい!ここにいまーす!」

 モニカが元気に飛び出してきた。ここで素直に従ってくれる辺り、まだ勉強させる余地はありそうだ。

 オリヴァーはそんな事を裏でたくらみながら、きゃっきゃっとじゃれついて来るモニカを宥めて市場へ連れ出したのだった。


 ・

 ・

 ・


 町に入ると、人の流れが多くなる。モニカから少しでも目を離すと、すぐにどこかへ走っていってしまうため、しっかりと手を繋いでおく。

 軒先いっぱいまで陳列棚を広げた八百屋と、威勢よく客を呼び込む鮮魚店に、お洒落な佇まいの明るいパン屋。それらの前を通る度に、モニカは興味を引かれるようで忙しなくそわそわとしていた。

 そんな中、一軒の店に目を止めて、そちらへと進路を変える。



「へい!らっしゃい!…て、オリヴァー!いやぁ、この前は助かったぜぇ~」

 最初に訪れたのは精肉店だ。そこの店主────ヨーランは、威勢のいい挨拶で出迎えてくれたが、客が俺だと見るなりへなへなとカウンターに崩れ落ちた。


「おう、ヨーラン。いきなり、鳥を大量に仕留めてくれなんて依頼するから驚いたぜ」

「いやぁ~、得意先の注文書…。ひと桁読み違えちゃってさぁ─────」

 彼が言うには、それで慌てて他の店に在庫が無いか掛け合ったが、生憎と人気の高い鳥の肉はどれも買い手が決まった物ばかりで、狩人を見掛けては頼み込んだが忙しいと断られ、途方に暮れていた所へ俺が来店してしまったらしい。

 あの時、開口一番に「明日までに鳥を100羽撃ってくれ!」なんて物凄い剣幕で迫られたものだから、ついつい承諾してしまったのだ。


 その話を聞いて爆笑していたウルフだったが、当日の日暮れまでと翌日夜明け直後から鳥撃ちに駆り出されて心なしか頬がやつれた気がする。



「あん時は、ホントにあんたが何よりも眩しく見えた!居るかも判らん神様より、おれはあんたを敬うよ…」

 そう言い切ったヨーランは、恭しく俺を拝んだ。

「やめろや。神様に失礼だぞ」

 あと、半分はウルフが仕留めたのだから俺だけ拝まれても困る。

 そんな下らない会話をしていると、下からモニカが声を挟んできた。


「おじさん。おにく買わないの?」

 突然のその指摘に、そう言えばそうだったと笑い、不思議そうに見上げてくる少女に待たせてわるかったと詫びた。


 それから手早く注文を済ませ、代金を支払い、おまけだと言って大量に肉の切れ端や脂を分けてくれたヨーランに礼を言って、店を後にした。





 陽の光の下に一歩踏み出すと、煌々と照り付ける陽射しに汗が滲んだ。少し目眩がするのは、恐らく暗い肉屋の店内からいきなり外に出たせいだ。

 温度管理の都合上、店に窓らしい窓を設けられない精肉店はどうしても薄暗くなってしまうのだ。


 土を踏み固めて舗装された道路の穴に(つまず)かないよう、モニカに注意を促して人の波に合流する。

 相変わらずそわそわとしているモニカの手を引き、目的の店を転々と回る。



「失敗したなぁ…」

 オリヴァーは、一人呟く。

 肉を最初に買ってしまったせいで、早足で買い物を済ませなくてはいけなくなってしまった。


 真夏の熱い陽射しが降り注ぐ中、そそくさと歩く二人の手には、あっという間に荷物が山積みになっていったのだった。


 ・

 ・

 ・


 やっとの思いで町外れの小屋まで辿り着いたオリヴァーは、ずっしりと腕にのし掛かる数日分の食糧をテーブルに乗せて、鼻から吸った息を思いっきに吐いた。

 

 額に浮かんだ大粒の汗を袖で拭い、呼吸を落ち着ける。

 モニカがいるからと、ついつい一度で全ての用事を済ませてしまった。

 あと一軒いける。あと一軒いける。と繰り返した結果がこれだ。最後の一軒だからと野菜まで買い込んだのが間違いだった。

 雨季にたっぷりの水を蓄え、たわわに実った夏野菜たちは想像を遥かに上回る重量になっていたのだ。



「おじさん。だいじょうぶ?」

 荷物を置くな否や、ドタドタと部屋を走り回っていたモニカが心配げに戻ってきた。

 それに短く大丈夫だと答え、机を埋め尽くす食材に手をかける。これだけ在れば、一週間は安泰だろう。

「さぁて、さてさて…。こんなに沢山はいるかね?」

 オリヴァーが床の戸を持ち上げると、大人の腰程の深さの収納スペースが現れた。モニカも一緒になって、膝を着きながら中を覗き込む。


 床の下に設けられた庫内は横長の作りになっていて、木製の棚で狭いスペースを最大限に使える工夫が為されていた。

 奥側の扉も開けば、向こうの壁際の食材も取り出しやすい。

 その隅っこにポツンと、今朝届けられたビン詰めの牛乳だけが鎮座していた。


 オリヴァーはそれらをケースごと持ち上げ、一度外へ出した。そして、買ったばかりの新鮮な野菜達を棚に詰めていく。棚に収まらないカボチャは真ん中に置いた。

 机を埋め尽くしていた食材はその殆どが食糧庫に納められ、机の上に空の袋が目立つようになった。

 食糧庫の中は、今や溢れんばかりの食材で満たされている。

 残るは肉だけだが、コレはさすがにそのままでは入れられない。いくら温度が低く保たれる食糧庫でも、生の肉をそのまま入れればあっという間に悪くなってしまう。

 だから、塩漬けにするのだ。



「ちょうど最近いい塩も手に入ったことだし、ささっと終わらせますか!」

 キッチンに立ち、よっしゃ!と気合いを入れる。


 モニカには、料理中は危ないから走り回らないでくれと日頃から教えているので、大人しく椅子に座って絵本を読んでいた。

 それを確認してから、オリヴァーは作業にうつる。


 肉を塩漬けにする手順はいたって簡単。包丁で肉の表面に細かく切れ込みを入れ、良く塩を揉み込む。後は、陶器製のつぼに塩と肉を交互に詰めていくだけだ。

作業は、小一時間程でおわった。



「さぁてと、一段落だ。モニカ、おやつにするか?」

 オリヴァーは手に付いた塩を払い、塩漬けにした肉を詰め込んだつぼを床下の食糧庫へ納めて、モニカに向けてそう問いかけた。

 すると、モニカは大層嬉しそうにパッとこちらを振り向き返事をした。

「うん!この前のクッキー食べたい!」


 モニカは最近、パン屋が作っているクッキーがお気に入りなようで、パン屋に寄る度に欲しがる。一風変わった製法で、油で揚げて作っているらしいのだが、確かにあれは美味い。

 オリヴァーもあまり表には出さないが、ほんのりと塩味がきいた香ばしいあの菓子が好きだった。



 オリヴァーがコーヒーとホットミルクを用意し、クッキーを皿にあけて持っていくと、モニカがテーブルの上を拭いて待っていた。

 その真ん中にクッキーをのせた皿を置き、ホットミルクをモニカに差し出す。

「ほら、熱いから気を付けろよ」

「はーい!」


 くすんだ銀色のカップを両手で包むように持ち、フゥーと息を吹きかけているモニカ。

 その姿を視界の端に捉えながら、オリヴァーは昔の事を思い出していた。



 戦場に立ち、誰の味方でもなく、誰の為でもなく殺戮を繰り返した日々。死神と蔑まれ、恐れられた過去の自分。


 変わったものだ。と、心で呟いた。

 ズブズブと沼にはまっていく様に過ちを繰り返し続けた。でも、今は違う。

 争いの無い日々がある。居心地のよい居場所がある。共に笑いたい友がいる。そして、守りたい者が在る…。


 しかし、いくら今が穏やかであろうと、過去が変わる事はない。犯した過ちは決して消えない。

 だからこそ、オリヴァーは決めたのだ。前に進むのだと。同じ過ちを繰り返さず生きるのだと。遠い故郷で失った愛しき者と、光の(もと)へ出る事の叶わなかった我が子の分まで…。



 オリヴァーは、湯気の上がるコーヒーを片手に、ある一点を見詰めていた。

 そこは一見すると壁のようだが、良く見ると縦に長い人の背丈程の高さの枠があり、木の板がしっかりとはまり込んででいた。

 その右側には、錆び付いた小さな南京錠が掛けられている。



 その奥に眠るモノ。

 それは彼の戒めの証。

 かつて死神が手にしていた得物────────モシンナガンだ。


 その存在を知っているのは、彼しかいない。



 オリヴァーは、元々は柱と柱の狭い隙間だったその場所に薄板を張り付け、壁を作り、その一部に銃が立て掛けられるラックを設けて、蓋をしたのだ。

 わざわざ南京錠で蓋が目立つようになっているのは、その存在を忘れない為だ。その鍵は常に彼の首に掛けられ、彼と過去を繋ぎ止める鎖となっている。

 だからオリヴァーは、これまであの日々を忘れた事など、1度たりともなかった。



「───じさん?ねぇ、おじさんってば!どうしたの?」

 モニカの声が届き、オリヴァーはハッと我に返った。

 心配そうに見詰めるモニカの琥珀色の瞳に映る自分を見て、それまで自分が眉間にシワを寄せ、仇でも睨み付けているような目付きになっていた事に気が付く。

 知らず知らずの内に握り込んでいた手は掌に爪が食い込んで鬱血していた。




 モニカは、少し目を潤ませ、心配そうにこちらを見ている。

「あぁー…、いやぁ、その、なんだ?明日の猟の事を考えていたんだ」

 オリヴァーはそんな適当な事を言って誤魔化した。


 誰が聞いても明らかに怪しい言い訳じみた答えだったが、まだ幼い彼女は納得してくれたようだった。

「明日のエモノ?」

 小首を傾げながら、そう尋ねるモニカ。

「あぁ、そうだ。明日は何を狩ろうかって考えていたんだ」

「ふぅ~ん。わたしも考えていい?」

「ん?」

 オリヴァーが、何をだ?と問う前にモニカは、明日の獲物のこと!と答えていた。


 突然の事に一瞬答えが遅れ、オリヴァーが戸惑っていると────────

「あのね?いつもおじさんがお仕事の日はひとりぼっちだったから。お留守ばんするのは、寂しいから…。わたしも、おじさんといっしょに行ってお仕事おてつだいするの。ダメ?」

 ────────────モニカは、そう言った。



 さて困ったものだとオリヴァーは唸る。

 独りが嫌なら、町の子供たちと遊べばいい。しかし、モニカにはそれができなかった。

 彼女の髪は神秘的に思える程の白一色だ。大人達からすれば、とても綺麗な髪だと羨むものだが、幼い考えしか持たない子供たちからすれば、他の子と違う特徴をもつ子としか写らない。つまり、仲間はずれになってしまうのだ。


 モニカはいつも、平気だと言っていた。大丈夫だと。オリヴァーがいるから別にいいなんて言って強がってはいたが、やはりどこかに拭いきれない寂しさは残ってしまうのだろう。

 子供とは、自分と違う者や異端な者には恐ろしい程冷酷だ。まだまだ発展途上の彼らには、他人の痛みが理解できないから…。



「う~ん…。しかし困ったなぁ」

 猟は危険だ。故に無駄な人間を連れて行ったりはしない。それに、猟で栄えてきたこの町にとって狩り場は町の起源そのものであり、ある種神聖な場所として扱われていた。

 不用意に立ち入る事はもちろん。無関係な者が近付く事も禁止されている。


 そんな中、唯一狩人以外で狩り場に立ち入る事が許されているのは、狩人を目指す見習いの者達だけだ。

 この町では、10歳から銃を持つ事が許されている。

 それは、狩人を目指す子供たちが弟子入りし、猟を学び始めるのが10歳だからだ。


 モニカも、今年で10歳になる。誕生日を迎えたら、他の子が親や親戚の狩人に弟子入りするように、オリヴァーに弟子入りする(かたち)で狩人見習いになれば、一緒に猟に行く事は可能だ。

 しかし、狩人を目指すのはほとんどが男で、女の狩人は居ないわけではないが希だ。


 女の子が目指す職といったら、パン屋とか服屋、食事処が一般的だろう。

 そんな中、モニカが弟子入りして狩人見習いになったとあれば、余計に町の子供たちの中で浮いてしまう事になる。

 モニカにとって、それが本当に幸せなのか?

 オリヴァーには、わからなかった。


 それに、狩人は銃を使う。モニカも狩人になるというのであれば、銃を持たなくてはならない。しかし、彼女は銃によって家族も、故郷もすべて奪われている。


 争いによって、または銃によって何かを奪われる事。その痛みは大きい。

 その痛みをここの誰よりも知っているモニカに銃を持たせ、他の命を奪わせる。それが、とても残酷なことに思えてならなかったのだ。



「モニカ。狩り場には、狩人しか入っちゃいけないんだ…」

「じゃあ、わたしもカリュウドになる」

 やはり、そう来るだろうとは思っていた。彼女なりに本気なのだ。オリヴァーはそれが分かっていた。だから、止める事はしない。


「厳しいぞ?」

「それでもいい」

「やめたいと言っても、もう辞める事はできないぞ?」

「ゼッタイやめない」

「…………」


 モニカは、相当に覚悟をしてこの交渉を持ち掛けたらしい。幼い声の端々に、覚悟を決めた人間の強さが見て取れた。

 だが、これだけで決めてしまうわけにはいかない。

 もう一つ、とても重要な事を訊かなければならない。



「…殺すんだぞ?」

 その言葉を聞いた瞬間、モニカの体がピクリッと跳ねた。

「生き物の命を奪うんだ。狩人ってのはそういう仕事だ。モニカ、お前が銃を持って、その手で殺さなくちゃならないんだ」

 突然出てきた"殺す"という単語に、モニカは戸惑ったようだ。さっきまでの覚悟がくずれつつあった。

 でも、誰もそれを責める事はできない。この小さな少女は今正に、自らの運命を決しようとしているのだ。


 この歳でその大きな決断を前に覚悟が揺るがない方がおかしいのだ。



「半端な気持ちでやる事は許されないぞ…?本当にできるか?」

 オリヴァーは、最後に念を押すように言い放ち、口をつぐんだ。

 伝えなければいけない事は全て伝えた。後は、彼女自身の問題だ。


 オリヴァーは静かに目の前の少女の決断を待った。

 一言も言葉を発せず、ただ静かに待ち続けた。



 どれだけ考えてもいい。どんなに迷ってもいい。

 どちらにしても、間違えなどではないのだ。ただ、その選択を後悔すること無く、未来を歩めればいい。

 そこには一切の介入もあってはならない。それでは、彼女の本当の意思ではなくなってしまうから。


 自ら決断しなければならないのだ。

 彼女が進む(みち)は、彼女にしか決められないのだから…。




 そして白い少女は、その決意を紡ぐ。

「…おじさん。わたし、やっぱりカリュウドになりたい」


 その言葉に、オリヴァーは黙したまま頷いた。


「あのね?おじさんといっしょに居たいっていうのもあるんだけど、おじさんを少しでも助けたいなって思ったの───────」

 そして、その後に続いた言葉にオリヴァーは心の底から驚く事になる。


「おじさん、いつも猟のお仕事から帰ってくると辛そうにしてるから、わたしがおじさんの代わりに猟ができれば、おじさんはもう辛い思いしなくていいんじゃないかなって、そう思ったから…。」

 オリヴァーは、何も言葉が出てこなかった。正直な所、オリヴァーはモニカがここまで考えているなんて思ってもみなかった。

 モニカは彼が考えていたよりもずっと多くの事を考え、成長していたのだ。


 目の前の小さな少女は、その幼さに似合わぬ強い覚悟を宿した瞳で、オリヴァーを見詰めている。

 一切の迷い無く、自らの意思を、決断を、高く高く掲げているようだった。



「だから、わたしは狩人になる」

 そして、そう強くしめくくった。

 そこには、荒れ果てた砂漠の町で見つけた少女の影も、不安に駈られてただ側に在る存在を望んだ少女の姿も、悲しみにうちひしがれて泣き叫んだ少女の弱さもなかった。

 ただ強く、自らの進む先を決め、行く先を見詰めていた。



「そうか…、わかった」

 モニカは決断し、自らの(みち)を決めた。ならば、応えてやらなければいけない。彼女の血の繋がりはないが、彼女の親として。そして、彼女に背を追われる先駆者として。

 オリヴァーもまた、覚悟を決めた。


 あの日、戦場を離れた日に心に決めた事。モニカを争いの無い地へ送り届け、彼女が一人の力で生きていけるようになるまで育て上げるのだという決意。

 彼女は狩人となる途を選んだ。ならば、この途で生きていける力を与えるのが彼の使命であり、成すべき事だ。

 それらを心に改めて刻み、オリヴァーはモニカと向き合った。




「モニカ。お前は、俺が一人前の狩人に育ててやる。弱音は許さないぞ?しっかり着いてこい!」

 その瞬間、モニカの顔がパッと明るくなった。本当に嬉しそうな、心から喜んでいる顔だった。


「ホントに!?いいの!?やったぁーーー!!」

 目の前にある大好きなクッキーの事も忘れ、モニカは狩人になるんだと何度も言いながら部屋を駆け回っていた。



 オリヴァーは、きゃっきゃっとはしゃぎ回るモニカを眺めながらすっかり冷めたコーヒーを口に含んだ。

 そして、怪我をする前にとモニカを捕まえて椅子に座らせた。


 まだ興奮が冷めぬ様子で本当に狩人にしてくれるのかとしつこい位訊ねてくるモニカに、オリヴァーはその都度"約束だ"と答えていた。





 ───────それから1ヶ月程たった頃


 町の中には、使い古したウィンチェスターライフルを背負うオリヴァーと、彼の隣を歩く小さな狩人の姿があった。


 彼女の背中に背負われた真新しい猟銃の銃先(つつさき)は陽光を跳ね返し、誇らしげに輝いていた。






 ___死神の娘〈シニガミノコ〉─2─  へつづく


 どうも、放浪猫です。この度は、何もかもが疎い私の小説を読んでいただき、誠に感謝の極みです。本当にありがとうございます。

 作者がちょっとしたミリタリーマニアな事もあり、理解しづらい単語や聞き慣れない言葉が多々あった事と思います。すみません。私のボキャ不足です。他に表現できる言葉が見付からなかったのです…。


 さて、ちょっとした裏話的なものになりますが、モニカのキャラ付けをどうするか?実は結構なやみました。

 当初、無口で大人しい子にする予定だったのですが、今後の展開を考え、暗くなりすぎるのではないか?という懸念と、作中で唯一明るく成り得る存在の彼女を大人しくしてしまうと作者がうつになりそうだという個人的事情で、明るく育っていただきました。

(オリヴァーにも若干(?)影響がでた…)



 ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。

 私、放浪猫はこれからも精進して行く所存です。小説に対するアドバイスや評価など、コメントを寄せて頂けるとうれしいです。

 それでは、またお会いしましょう!

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